CALLING
Calling
周囲は荒れ狂う海で、頼りなげなボートの上、彼女と彼女の娘はともすれば放り出されんばかりだった。高く盛りあがる波頭からボートが宙を舞うたび、彼女たちはいつ折れるかわからない檣にしがみつき、悲鳴をあげることさえままならない。
そして空には――
爛々と赤く輝く巨大な眼。
嵐雲をまとい、渦を巻く風を間断なく地上へと送りながら、まるで神の怒りとでもいうようにそれは真っ赤に燃えていた。
突如現われ、平和な召喚士たちの村マダイン・サリを滅ぼしたあの眼はいったいなんなのだろう。
神であれ、悪魔であれ、こんな暴挙が許されるのか。
女召喚士はこみあげてくる怒りと悲しみとを抑えるように喉に手を当てた。
首からぶら下げたペンダントの紐がその指に触れ、彼女は無意識にそれを手繰ってその先にある石を握りこむ。
それは村に伝わる宝玉とは違う小さなものではあったが、祈るとき、召喚獣と心を通わせるときに使う宝石だった。誰でもいい、どんな召喚獣でもいい、どうかこの叫びを聞いて。
「雲よ、あの眼を隠して！」
そう叫びはしたが、召喚をした憶えはなかった。ただ彼女は、悲しみのままに声をあげたかっただけなのだ。
ボートが大きく波をかぶり、彼女は娘を庇いながら倒れ伏す。檣に頭を打ちつけた彼女は意識が急速に遠のいていくのを自覚していた。
そして気を失う直前、彼女は金色の天使を見たような気がした。
＊＊＊
クラウドはチェスボードを前に唸っていた。「どうしてだ？」
「なにがどうしてなのだ？」訊ねながらセフィロスは駒を動かし、白のポーンを撥ね散らかす。クラウドの手にはクィーンとキングが残されたのみだった。「チェック」
「待てよ、待て」クラウドは慌てて叫んだ。
「待ったは、なしだと言ったはずだぞ」
「けど、変だよ」クラウドは凭れていたリヴァイアサンの尻尾をどんどんと叩いた。海蛇がぴくりと顔をあげ、抗議代わりにクラウドの頭をかじる。
だが、チョコボ頭は平然としていて気がついてもいないようだった。「いつもいつも、このパターンじゃないか。これまで百二十四戦して、どうしておれ、勝てないんだよ？」
「それは、おまえがおばかだからだ」とはいえ、なぜいつもクィーンだけが取れないのか不思議だ。
「うるさい、あんた絶対、イカサマしてる」クラウドはむきになって拳を振りまわした。
「イカサマの手口を見破らない限り、イカサマだと訴えることはできんぞ」
「いやなやつ！」
「勝てないと言うが、百二十四戦中、百十九回は流局ではないか。おまえが癇癪を起こすせいでな」
「ううっ」そう釘を刺されてはチェスボードをひっくり返せないクラウドであった。
と、カーバングルがぴょんと飛び跳ね、彼らのまわりでしばらく踊ってからふいと消えていく。
「ふむ？」セフィロスは眉を寄せた。「どこぞで魔法合戦でもやっているのか？ 幻獣たちが落ちつかんな」
「最近、ガイアのほうが騒がしいよ」
「そうか？」セフィロスはもうゲームは終了と考え、ボードを片づけはじめる。「テラのガーランドも、なにを考えているかわからんぞ」
「ガーランドなんか関係ないじゃないか。だいいち、テラのほうはもう、召喚できるようなエネルギーはないだろ」
「どうかな。クリスタルに閉じこめれば遥かに小さなエネルギーで召喚獣使い放題だ」セフィロスは小さくまとめたゲーム用具をぽんと消した。「おまえも一生、石の中に閉じこめられたくなければ注意を怠らんことだな」
「面倒だなあ。まったく、誰が星を融合しようなんて考えついたんだ。しかも失敗なんかしやがって。おかげで召喚獣たちは、どっちの世界にも行けないじゃないか」
「俺たちもだろうが。そのうえ俺たちの存在など、どんなに年食った召喚士でも知らんから誰も喚(よ)ぼうとせん。現世に帰れる見込みはないな」セフィロスは溜息をつきながら、今度は瀟洒なテーブルを形作る。「せいぜい永遠の隠遁生活を楽しもうではないか」
白檀でできたテーブルには銀の縁取りがあって、いかにも繊細な上品さが漂っている。
クラウドは眉を寄せた。「なあ、もうちょっとカジュアルなものにできないか？」
セフィロスは少し考える。「花柄にでもしろと？」
「いや、そうじゃなくてさ」
「さて、俺はエスプレッソにでもするか」セフィロスは小さなカップを空中から取り出した。次の瞬間にはその中に香り高いコーヒーが入っている。
この幻獣界、でたらめなうえに便利でいいが、こうも好き勝手にエネルギーを自由にできると物足りなくていかんな。
「おまえはなんだ、ミルクたっぷりのニルギリか？」
「たまにはコーヒーだって飲むよ」
「そう言って、いつもひとくちめで、しかめつらをするではないか」
「ミルクたっぷり」
「わかった」セフィロスはクラウドに合わせてチョコボ柄のマグカップを用意した。
途端にクラウドがそれを投げつけてくる。「そういう、いやがらせなしにお茶をご馳走しようっていう気がないのか、あんたは？」
「仕方がなかろう。これはイメージで作られるものだ。おまえから受ける印象がそれしかないと……待て待て、撤回する。すまん」
セフィロスはしぶしぶ、普通のシンプルなマグカップを用意してミルクたっぷりのカフェオレを取り出した。ああ、いかん、ほとんどミルクになってしまったな。
だが、クラウドは喜んでそれへと手を伸ばす。
そして消えた。
セフィロスは自分のカップを摘まんだまま、いまのいままでそこにあったはずのチョコボ頭を見つめようとしていた。
この現象はいったいなんだろう。初めてのことだ。
これまでにもクラウドが怒ってそのまま姿を消すこともあったし、バハムートなどが通りかかれば、「じゃあね」と行ってしまうこともあった。だが、なにも食わず飲まずで消えるなどということは、これまで一度としてなかったはずだ。あいつがゲームしようなどと言って俺のところへ来るのも、結局はそのあとのティータイムが目当てなのに。
だいいち、今日はまだ食べものも出していないのだぞ。
いったい、マグカップを持ったまま、どこへ行ってしまったのだ。せめて飲んでから遊びに行けばいいものを。
＊＊＊
クラウドはマグカップに食いついた恰好のまま凍りついていた。
あたりは荒れ狂う海。セフィロスの嫌味かと思うほど豪華なイメージのサロンは跡形もなく消え、目の前には銀と黒の鬼神ではなく、ぼろぼろのマントを着た小さな女の子と彼女を抱きしめたまま倒れている女性。
「……ええと？」
「てんしさま？」子どもが棒読みのように呟いた。
「おれ、クラウド」
「あのね、ママが助けてって祈ったの。てんしさま来たの」
「まあ、どう見ても遭難してるみたいだな」
「あのね、あれ」と子どもはクラウドのむこうを指し示す。
彼は振り返った。嵐のなか、暴風雨に揉まれる岬にかろうじて小さな村が見える。
そしてその上空には――
「テラのインビンシブルじゃないか。ガーランド御用達の飛空艇が、なんでこんなところに」
「やっつける？」
子どもの期待の目に晒され、クラウドは頭をかいた。「やってもいいのかな。けど、ガーランドってしつこいからなあ。恨まれるのもやだし」
嵐と上空に輝く赤い眼を見つめながらクラウドはしばらく思案した。雨に混じってすっかり冷たくなったミルクコーヒーをすすってから、彼は指を鳴らす。「うん、決めた。あいつに押しつけよう。そんでもって、おれたち、こっちの世界で遊ぶんだ」
「あそぶ？」
クラウドは子どものほうへ身を屈めた。「なんか石持ってない？ きれいなの」
「これ」と幼女は母親らしい気を失っている女性の首もとを指し示す。そこにはルビー色の小さな宝石があった。
「小さいけど、結構、使いこんでるな。これなら大丈夫」
「だいじょぶ？」
「うん」クラウドは軽く石に触れ、意識を集中した。「セフィロス」
ぼん、と黒い煙とともに足を組んで坐った姿勢で銀髪の鬼神が姿を現わす。その手にはチョコボ柄のマグカップがぶら下がり、もういっぽうにはマーブルチョコボクッキーの盛られた皿があった。
「なかなか帰ってこんから、これからこれで釣ろうと思っていたのだが――おおう!?」椅子がなくなっていたために彼はボートの縁に腰を打ちつけた。
子どもは満月のように目をまんまるにしたまま、尻餅をついた英雄を見つめていた。
セフィロスはその子どもをちょっとだけ睨みつける。「いったいなんだ、ここは？ せっかくのマーブルチョコボクッキーが湿気ってしまうではないか」
「あんた、クッキーとかビスケットとかチョコレートとかいうと、どうしてチョコボしか思いつかないわけ」
「ひまわり型にしたところで面白くもなかろうが」
「なんでひまわり」
「てんしさま？」子どもがきょときょととふたりを見比べる。
「ああ、ごめん」クラウドはマグカップを放り出し、セフィロスから菓子の皿をぶんどって子どもに渡した。そして背後を指し示す。「とにかくさ、セフィロス、あれ、やっつけてくんない」
セフィロスは嵐の中心にいる飛空艇をすぐさま見つけたらしい。「なぜ、おまえがやらん。アルテマ一発で事足りるだろうが」
「だってあんた、一度はガーランドにメテオぶつけてみたいって言ってたじゃないか」
「それだけのために、わざわざ俺を喚(よ)び出したのか」
「わかってないな」クラウドはふふんと鼻を鳴らした。「おれ、召喚されたんだけど、召喚したほうはもう、制御する意志がないんだよ」と母親を指さす。彼女は気を失っているので、当然ながら彼らを幻獣界へ飛ばすことはできない。「おれたち、このまま自由にこの世界で遊べるじゃないか」
「なるほど」セフィロスは頷いた。「それはいいが、ところでここはどちらの星だ？」
「ガイアだろ？」クラウドはあたりをぐるりと示した。「こんなだだっ広い海、テラにはないじゃないか」
「ふむ。するとモンスターもいるし、暴れ放題というわけだな」
「だろ、だろ？」クラウドはモンスターたちと輪になってマイムマイムを踊るセフィロスを想像した。うん、和やかな光景じゃないか。チロリアンダンスでもいいぞ。
「幻獣界で召喚獣どもを支配しているよりは面白そうだ」セフィロスは再び頷く。「おまえとチェス勝負をするのも飽きてきた頃だしな。もう少しおまえが上達する兆しを見せてくれればそれなりなのだが」
「うるさいな。あんたは絶対、イカサマやってるんだ」
「だから、イカサマと見抜けないうちは――」
「てんしさまあ」
子どもの声にふたりは彼女を見おろし、状況を思い出して振り返る。
黒々と渦巻く嵐雲。あの爛々と輝く眼はその中へと消えていくところだった。
「あ」
「遅かったか……」
ぐすっと泣きはじめる子どもを、クラウドは慌てて宥めた。「ごめんよ、でも、タイミングってあるんだよ」
「だらだらと喋っていたのは誰だ」
「あんただって、いつも行動が遅いじゃないか」
「俺は性格的に深慮遠謀なのだ」
「四字熟語なんか使うな！」
「深く考え、慎重に準備万端調えるという意味だ」セフィロスは諭すように続ける。「いきなり喚び出されて、どうでもいいからやっつけろと言われても、はいそうですかとメテオを降らすわけにはいかん。おまえとは違うのだ」
「おれだって考えるときはちゃんと考えるよ！」
「おまえがいつ、そんなことをした？」
「ううっ」
「もういい！」子どもが泣き叫んだ。「ふたりとも、もうどっか行って、役立たず！」
「えっ？」
「なんだと？」
クラウドとセフィロスが振り返ったとき、そこはもう幻獣界だった。
きらきらと光が舞い、青い風と上下左右のない異次元の景色。
「ああっ」クラウドは叫んだ。「どうしてくれるんだよ、せっかく現実世界でのびのびと冒険できると思ったのに」
「俺とて、あんな子どもに戻されるとは思わなかったのだ」セフィロスはすぐさま自分の屋敷をイメージしたらしい。たちまち小春日和の明るい庭が周囲に映し出される。
「あーあ」クラウドは肩を落とし、セフィロスの用意した小奇麗なベンチに倒れこんだ。「おれたち、今度、いつ現世に行けるんだろう」
「来年の春あたりか……」
＊＊＊
嵐は熄みかけていた。あの暴風、叩きつけるような雨、刺すような稲光は過ぎ去った夢のようでさえある。
少女は母親にすがりながら、すっかり雨にふやけたビスケットをかじっていた。それでもその菓子の存在は、着のみ着のまま村を脱出してきた彼女たちには非常にありがたい。チョコボ柄と白いふたつのマグカップが転がり、揺れるボートの中を行ったり来たりしていた。
それにしても、あれはなんだったんだろう。
〈てんしさま〉を〈しょうかん〉したら、その〈てんしさま〉が同じ〈てんしさま〉を〈しょうかん〉した。
でも、結局、なにが起こったんだかよくわからない。
〈しょうかんじゅう〉って難しいな。
ただ、あのふたりの〈しょうかんじゅう〉を野放しにしちゃいけないような気がしたんだ。
あの〈しょうかんじゅう〉たちを召喚したら、きっと世界の終わりが来る。
〈しょうかんじゅう〉って怖いな。
のちにアレクサンドリアの女王となり、屈指の女召喚士として名を馳せるようになる彼女は、このとき、この記憶をみずから封印したのだった。
| THE END. |
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