CALLING

　沁みこむ寒さというのはこういうことを言うのだろう。
　硬質とも言える空気が全身を包み、絞めあげ、気づかぬうちに骨が悲鳴をあげている。筋肉はどうにか体温を維持しようとぶるぶる震え、奥歯は噛みしめられ、背中がぴんと伸びてしまう。
　フラットレイは〈氷の洞窟〉へ足を踏み入れていた。
　ここに来る前に立ち寄ったダリの村でさんざん注意されはしたが、この洞窟をくだっていかないと〈魔の森〉には到達しない。彼は無茶を承知でここに来たのだ。
　世界は広い。あの安穏とした美しき青い都ブルメシアを出て、すでに半年。これまでに、彼はさまざまな土地を放浪してきた。
　ギザマルークの洞窟を抜け、広大にひろがる草原を見て、延々と続く砂浜を歩いた。リンドブルムの洗練された技術を目の当たりにし、その街の活気のよさ、人々の生気ある顔々。
　もちろん危険な場所に踏みこんだこともある。〈霧〉の影響でモンスターは草原だろうと森だろうとお構いなしに徘徊しているし、ク族の沼では危うく食べられそうになってフォッシル・ルーに逃げこんだこともあった。
　地下坑道はガルガントの棲み処で移動には便利だったが、水脈にぶつかるたびにあの生きものは彼を振り落として逃げていってしまったものだ。おかげで引き返すのに苦労したこと。
　そしてトレノ。いきなり強盗に出会ったのは初めてのことではなかったが、あれほど危険な街はほかに類を見ないだろう。貧富の差が激しいものだから犯罪も多発しているらしい。それでも人々が集まるだけの娯楽や商売が盛んな街だった。
　彼の故郷ブルメシアは外の世界とあまり交流がない。それが王のやりかたでもあるし、変化というものを求めない彼らの習慣でもある。
　若きフラットレイはそれが気に入らなかった。
　国いちばんの勇士と言われた彼だが、心のどこかで世界の広さに期待していた。
　私の強さはこの世界でどれほど通用するものなのか。
　それを確かめたくて彼は故郷を飛び出したのだ。
　しかし、これまで彼を上まわる能力を持った者にはまだ出会っていなかった。モンスターは手強いが苦戦するほどではなく、街で出くわすチンピラはお粗末だ。これはという武士(もののふ)に勝負を申しこんでみたこともあるが、どれも彼の勝利に終わっていた。そのことに、彼はさらなる苛立ちを感じている。
　こんなはずはないのだ。この私の技倆を上まわる相手がどこかにいるはずなのだ。自分が強いと思いこむことは造作もないが、それではなにもならない。世界はこれだけ広いのだから……。
　フラットレイは耳に降りかけていた霜を払いながら凍りついた岩道をくだっていった。
　滝のようにも見えるのは氷でできた柱だ。その前を通り、ちょっとした広場のような場所を抜け、複雑に奇岩の絡む暗い空洞へと道は続く。
　この辺境。陽のたっぷりと射す山脈棚に街や社会を構える人間たちが滅多に足を踏み入れることもないこの霧の土地になら、もしかしたら想像以上の強者(つわもの)がいるに違いない。
　彼は〈魔の森〉を往復し、そして無事に帰ってくるつもりだった。
　そのために、この〈氷の洞窟〉を抜けているのだ。
　ようするに、ただの好奇心と言えば言える。それでもなにかを確かめたいという気持ちが、彼に無謀な冒険を行なわせるのだ。
　フラットレイは段になった岩を跳びおりた。竜騎士たる彼には高い場所から跳びおりることなど造作ない。
　だが、彼は着地してから眉を寄せた。
　暗い洞窟の右手奥、さらに入り組んだ奥のほうからなにかの気配を感じたからだ。
　モンスターだろうか？
　彼は槍を担ぎなおし、そちらへと足を向けた。
　この氷の洞窟には魔物が巣食っているという。その魔物の姿を見た者がいないところが眉唾だと思わなくもなかったが、この異常な寒さの原因がそれだとすれば危険なものが棲息していてもおかしくはないだろう。
　それを斃しておけば帰りが楽になる。
　フラットレイは細い岩道をすり抜けた。
　そこは明るく、ちょっとした広間のような場所だった。
　陽光が天井の氷の中を屈折し、反射しながらきらきらと洞窟内を照らしている。
　そしてそこに、ふたつの影が向かいあって坐っていた。
　どちらもつるんとした肌をし、色の薄い頭髪をしている。ク族でもなく、フラットレイのようなネズミ族でもない。普通の人間に見える。
　彼らはきらきら輝く幻想的なその部屋のなか、透明なテーブルの上で白と黒の駒をいじっていた。この世のものではない光景にも思えたが、そばでモーグリがぴょこぴょこと動きまわっていたので、その印象もだいぶ薄れたものだ。
「だからさあ」と金髪のほうが苛々と頭をかいた。「イカサマするなって言うんだよ。クィーンは渡さないからな」
「取ろうとは思っておらん」銀髪が腕組みをしたまま、むっつりと呟いた。「どうしてクィーンだけが必ずおまえの手もとに残るのか、俺はつねづね不思議でな。だが、あまり深く考えると抜き差しならんことになりそうだから諦めているのだ……む、それでは、また俺がチェックすることになるぞ」
「ちくしょう」金髪が駒を戻す。
　それから彼はあたりを見まわし、そばにいたモーグリの頭のボンボンを掴んだ。「モイス、なんかお茶でも用意しない？」
　モーグリは吊り下げられながら暴れた。「ボンボン掴むなって言ってんだろ、このくそちび召喚獣め」
「誰がくそちび？」金髪がこれ以上はないというほど極上の笑みを浮かべた。
「はい、すみません。新鮮な氷を沸かしてオレンジペコを用意させていただきます」モーグリはひょこひょこと部屋の隅へと移動していった。「ケーキはモンブランでよろしゅうございますかね？」
「そこまで卑屈にならなくてもいいのに」金髪がモーグリのほうへ目を向ける。
「誰が脅したと思っているのだ、おまえは」銀髪が駒を片づけはじめた。「ティータイムになるなら、今日も流局だな。三百二十六戦めか」
「あれ、そんなに勝負したっけ？」
「俺の記憶を疑うか」
「どうせ、おれの記憶より確かだろうよ」金髪はまたモーグリのほうへ身体を傾ける。「お茶、まだ？」
　モーグリが薬缶を片手に飛び跳ねた。「この〈氷の洞窟〉で簡単に火が焚けると思ってるのか、おんどりゃ」
「ファイガ」
　どん、と爆発するような炎が広がり、すぐに消えた。
　湯気を立てる薬缶を遠ざけるように持ったまま、モーグリが凍りついていた。
「ああ、ええと、助かるんでございますですけど……もうちょっと火力弱くしてくれませんでしょうか」
「手加減したファイガより、素直にファイアを出せばいいものを」銀髪がそう言ってから、くるりとこちらへ顔を向けた。
　碧(あお)い目がまっすぐフラットレイを射抜く。「そこにいるネズミ族、いいかげん出てきたらどうだ」
「通りすがりを、あんまり脅かすなよ」金髪が吐息まじりに呟いた。
「こんなところを通りすがるなど、よっぽどの暇人かモンスターしかおらん」銀髪がふんと鼻を鳴らす。「それなら、お茶に誘ったとて断わる理由もなかろうが」
「あんたたちと喜んでお茶しようなんて命知らすが、どこにいるっていうんだ」モーグリはどんどんと、ティーカップとケーキ皿をテーブルに並べていた。
　フラットレイは槍を握りなおしながら慎重に足を踏み出す。気づかれているのなら隠れている必要もなく、逃げる必要もなさそうに思えたからだ。
　それにしても、この連中は本当に人間なのか？
　いや、しかし、モーグリが平気でそばをうろついているのだ。モンスターということはないだろう。
「あんた、どこから来たんだ、ブルメシアか、クレイラか？」金髪が青い目を向けてきた。
　フラットレイは眉を寄せる。「クレイラを知っているのか？」
　あそこは砂嵐にかこまれたネズミ族の聖域だ。人間が簡単に近づけるところではない。
　だが、金髪は、「まあね」とあっさり頷いた。「ただ、あそこは食べものがないからなあ」
　金髪はケーキを持ちあげ、あーんとばかりに食いつく。てっぺんに乗っている栗を最後まで残すその食べかたは、どこか子どもじみているように思えた。
　反対に銀髪のほうは丁寧にフォークを使い、きっちりと縦に割っては口に運んでいる。「早く席に着かんと、クラウドが全部食べてしまうぞ」
「モイス、客のぶんが出てないじゃないか」金髪がまたモーグリのボンボンを引っ張る。
「おれのぶんはどうしてくれるってんだ、ちくしょうめ」
「ふううん？」
「はい、我慢します。お客さま第一」しぶしぶと残りのケーキを差し出しながら、モーグリはしょぼんと頭のボンボンを垂れた。「そのうち、モグネットで曝してやる」
「なんか言った？」
「いいえええ」
「遠慮せず、さっさと坐らんか」銀髪がじろりとフラットレイを見あげてきた。
　フラットレイは躊躇した。坐りこんで隙を見せるのもいやだったし、少しばかりモーグリのおやつを横取りするのも気が引けたからだ。「いや、私は通りがかっただけで」
「なんだよ、おれの茶が飲めないっていうのか？」金髪が素晴らしく青い目で睨みつけてくる。
「淹れたのはおれだってば」とモーグリ。
「沸かしたのはおれだぞ」
「おまえにはせいぜい、そのくらいしかできんからな」銀髪がずずっと茶をすする。
「なんだと」金髪がカップで相手を指し示した。「あんただって、現実世界じゃ、なーんにもできないくせに」
「おまえよりはましだと思っているのだが」
「どこがだよ」金髪は自慢げに胸を反らした。「おれ、モンスターとダンス踊れるし、チョコボの桃源郷にも行けるんだぞ。あんた、入口でデブモーグリにさんざん蹴り飛ばされてたじゃないか」
　銀髪が鼻を鳴らす。「おまえの自慢の種も尽きてきたな。いつまでそんなことで威張っていられるか」
「そういうあんたは、自慢できることがあるっていうのかよ」
「トレノのカード大会で優勝したぞ」
「うっ……いつのまに！」
　フラットレイは会話が途切れた一瞬の隙におずおずと口をひらいた。「その、チョコボというのは？」
「誰がチョコボだ！」
　フラットレイは殴り飛ばされた。氷の壁にめりこみながら彼は茫然とする。この私を殴った？　私がそうと気づかないうちに殴っただと？
　銀髪が立ちあがり、彼のほうへと歩んできた。長身に逞しい身体つき。その体躯を包む黒コートは、周囲の白銀の世界とは相反しながら、どこか溶けこんでいるようにも見える。
「ほほう、生きているようだな」銀髪が感心したように目を細めた。「忠告するのを忘れていたが、これの前で、チョコボ、美人、可愛い、子どもという単語は避けたほうがいい。お嬢ちゃんもだめだ」
「セフィロス……」金髪が暗雲をゆらりと背負って立ちあがる。
「ああ、そうそう、ちびと言うのがいちばんいかん」
「やってしまえ、シヴァ！」
　金髪の叫び声と同時にいきなり空間が凝縮した。周囲の温度が一気に下がり、フラットレイは壁に埋もれたまま凍りついてしまうかと思ったほどだ。
　氷の女王が現われ、銀髪の長身の男を氷漬けにして去っていった。
　そして雄々しい、見事なまでの美しい彫像ができあがっている。
　が、それはすぐに、ぱりーんと割れ、銀髪は頭をひと振りするだけで残りの氷片を飛び散らせた。
「ふん、俺のいやがらせに、この程度の報復か。腕が落ちたな――アルテマ！」
　空間が、きんと不協和音を起こして歪む。
「なんの、アルテマ返し！」
「なんだと？」
　フラットレイが目を瞠っているうちに歪んだ空間が鏡写しのように二重になり、暗黒と眩しい炎とを炸裂させて膨らみ、そして収縮していった。
　脅威が去ったあとには金銀の戦士たちがふたりとも片膝をついている。
「くっくっく」
「ふっふっふ」
　それぞれに物騒な含み笑いを洩らすと、彼らはどこに持っていたのか、またそれぞれに長大な剣を構えた。
「どんなリフレクでも返せるはずのないアルテマを返すとは」銀髪が目の高さで構えた刀越しに相手を見据える。
「いや、単に同じアルテマぶっ放しただけなんだけど」金髪のほうも腰を落とし、しっかりと大剣を相手に向けた。
「こんな狭いところで喧嘩するなんて」震える声を出しながらモーグリが転がってきた。「幻獣界に帰ってくれないものかなあ。まったくあいつら、本来はあっちの住人だろうに、傍迷惑な」
　モーグリは親切にもフラットレイが壁から抜け出るのを手伝ってくれた。まわりの氷を削り落とし、彼の手を引っ張ってくれる。
「あ、ありがとう……」
「のんびりしてる暇なんかないぞ」モーグリは洞窟の出口のほうへと向かいながら、くるんと振り返った。「ああっ、もう始めやがった」
　きん、と金属のこすれる音に目を向ければ金髪と銀髪とが武器を連続して打ちあわせている。
　フラットレイは衝撃を受けて立ちつくした。
　目にも止まらぬ動き。槍ではないというのに自分の背丈ほどの、あるいはそれ以上の長さの武器を自在に振りまわしながら、しかし、どこにも隙のない剣閃。
　こんな剣豪たちがいたとは、なんということだ。
　やはり世界は広かった。
　やがて彼らは互いに踏みこんで剣を振り薙いだ。
　同時に両者とも撥ね飛ばされ、それぞれ背後の壁にめりこむ。
　そして彼らはすぐに立ちあがった。
「ふ、現実世界でそうそう、長いあいだ戦ってもいられん」銀髪が軽く刀を振る。
「そうだな。この洞窟だって無事じゃすまなくなるもんな」金髪も大剣を背中に収めた。「これで勝負だ、ジハード！」
「今度はこちらが返してやろう！」
　その不思議な技は頭上に出現させた虚空からエネルギーのかたまりを隕石のように落とすものだった。相手の頭上に落ちるだけならまだしも、自分も巻きこまれるほど巨大な力だ。
　それがふたつ、同時に出現する。
　……いったい、こういう化物と、どうやって戦えばいいというのだ。
　連鎖して崩れていく洞窟の中で、フラットレイはモーグリに引きずられながら絶望に打ちのめされていた。
　私はまだまだ修業が足りない。
　ああ、フライヤ……故郷に帰るのは遅くなりそうだ。
　すまない。
　――その後、なぜか記憶喪失になった彼をブルメシアの王子パックが見つけるまで、誰もフラットレイの消息を知ることがなかった。

＊＊＊

　クラウドとセフィロスは互いにケアルガをかけあっていた。
「やっぱさ」クラウドがちょっとだけ反省したように項垂れる。「ジハードはやめような。〈氷の洞窟〉、中身が余計にこんぐらがっちゃったよ」
「それがいい」セフィロスも溜息をつく。「そうでなくとも自分の魔力がどれほど大きいものか、おたがいに思い知ったことだろう」
「しばらく魔法禁止にしない？」
「おまえに守れるならな」
「なんだと？」
「そうやって、すぐむきになるではないか」
「あんただって、やり返してくるくせに」
「おまえが突っかかってくるからだろうが」
「あんたがちょっかい出すからだろ」
　暗雲立ちこめる〈魔の森〉ではファングやゴブリンが息を殺して事態を見守っていた。