REGENERATION

１

「また来たのか、暇人め」
　ザックスが岩屋に入ってみると、銀髪の天使は煖炉の前で片手に鍋を持ち、もういっぽうの手にはおたまを握っていた。
　鋭く放たれる肩越しの視線よりなにより、その姿に誘われる笑いをこらえるのにザックスは必死にならなくてはならなかったものだ。
　なんとか、「よう」と軽く手をあげ、奥へと入りこむ。「暇だから来るんだよ。クラウドは？」
「目に入らんのか」セフィロスはその鋭い視線を自分のかたわら、下のほうへと落とした。
　クラウドと名づけられた子どもはセフィロスのコートに埋もれるようにして足を投げ出して坐り、小さな膝の上に大きな絵本を広げていた。自分のことが話題になったことも気づかず、一心不乱という態で本の上に視線を落とし、しかめつらをしている。
　いつも不思議に思うのだが、このにこりともしない男のそばだというのに、この赤ん坊は空気かと思えるほど一枚の絵のようにぴったりと嵌まりこむ。
　たぶん、この子をセフィロスに預けて正解だったのだろう。離乳食離れするまではエアリスが面倒を見ていたが、彼女は初めからそうするつもりだったらしい。セフィロスにもいい刺激になったと思う。
　その証拠に、以前はなにもなかったはずの岩屋には小さな煖炉とベッド、食卓がきちんとそろえられていた。床には毛の長い敷物がしかれ、子どもがぺたりと坐りこんでも冷たくないようにしてある。この男にしちゃ、ずいぶん気を使ったものだ。
　そのセフィロスが鍋なんかを持っているというのもクラウドの食事のためだろう。片翼とはいえ、もともと天使であるセフィロスはなにも食べない。空腹という記憶を思い出したときにだけ、適当に見つくろう程度だ。
「ちびクラウド、元気か？」ザックスは彼の前にしゃがみこみ、まだ細く柔らかいその金髪を撫でまわした。
　揺さぶられながら子どもはますます顔をしかめる。「くらうど、ご本読んでるんだ」
「なに読んでんだよ」ザックスは絵本を持ちあげて表紙を見た。
　タイトルは《英雄セフィロスとクラウド少年》。
「………」ザックスは少しだけ考えてから訝しげにセフィロスを見あげる。「あんたが作ってやったのか？」
「誰がだ」セフィロスは苛立たしげに呟いた。「おまえが持ってきたものではないのか？」
「おれ、んなもん作れるほど器用じゃねえよ」
「センスのかけらもないタイトルからして、絶対におまえだと思っていたのだが」
「なあなあ」クラウドがザックスから絵本を取り返し、また大きく腕を広げるようにして本をひらいた。「おれ、読んであげる」
「え、あ、いや――」
　止めるまもなくクラウドは、「むかしむかし、あるところに」と大きな声で元気よく叫びはじめる。「せひろすというえいゆうと、くらうどという少年がいました。少年はえいゆうに、とってもあこがれていました。だって、えいゆうは強くて大きくてかっこよかったからです。でも、えいゆうは少年のことを知りませんでした。えいゆうは、こどくなものだからです」
　うう、なんだってそんな話を聞かなきゃならねえんだ。それはもしかして、星の上で生きてる頃のセフィロスと本物のクラウドの話になるんじゃねえのか。本当にいったい、誰が作ったんだ。
　ザックスはがっくりと項垂れ、その甲高い声での朗読を拝聴する破目になった。
「ある日」クラウドはうきうきと読みつづける。「えいゆうは、ちょっとしたことから少年の生まれた村を焼いてしまいました。村には少年のお母さんがいたのです。もちろん少年はとっても怒りました。でも、そのときは小さな少年でしかありません。もっと強い力が必要だったのです。少年は五年をかけて強くなりましたが、それでもかないませんでした。それから少年は仲間を集め、ともだちの剣を借りて、ついにえいゆうをたおしました。えいゆうも、ゆうじょうのきずなには勝てなかったのです」
　そこでクラウドは、ぱたんと絵本を膝の上で閉じた。「だからね、ともだちがいちばんなんだよ」とまるで先生にでもなったような態度でザックスとセフィロスを見あげまわす。「せひろすにはともだち、いなかったんだ」
「余計なお世話だ」セフィロスがおたまを鍋に放りこみ、クラウドの黄色い頭の上から手を伸ばして絵本をぱっと取りあげた。
　子どもが跳び起き、その足にかじりつく。「くらうどの本！」
「やかましい、こういうものは教育上よろしくない。処分するに限るのだ」セフィロスはたちまち魔法で本を焼いてしまった。
「くらうどのおおおお！」子どもが泣き叫ぶ。「わあああああん！」
「いちいち泣くな、馬鹿者」
「わあああああん」
　ザックスは両手でクラウドを抱きあげた。「よしよし、いまのはセフィロスが悪いよな。うん」
　と、今度はおたまでザックスの頭を殴りつけてくる英雄どのだ。「甘やかすな！」
　あまりにも強い力で殴られたのでザックスもさすがにむかっとした。クラウドを放り出し、手近にあった大根を掴み、曲がったおたまを振りまわすセフィロスと打ちあう。「いまのはてめえが悪い。ファイアで焼きつくすなんてひどすぎらあ。悪役にされたからって、ひがんでんじゃねえや」
「誰がそんなことでひがんでいる？」セフィロスは曲がったおたまと鍋を放り出し、人参を手に取った。
　そのあいだ、クラウドは天井に向かって泣きつづけていた。「せひろすがくらうど、いじめるう！」
「いじめとらん！」セフィロスがザックスの大根を人参で払い飛ばしながら叫んだ。「貴様が泣くと、召喚獣どもが寄ってくるだろうが、やめんか！」
「わあああああん！」
　ザックスは振りおろされる人参を握り止めながら眉をひそめた。「召喚獣？」
「この馬鹿が泣いたり機嫌のいいときには必ずなにかが飛びこんでくるのだ。少しは俺の苦労もだな――」
　と、ザックスの頭のわきをかすめ、緑色の毛玉がセフィロスの顔面に衝突した。尖った耳と大きな尻尾を持つそれはカーバングルと呼ばれている召喚獣だ。リスのような愛らしい姿をしているのだが、うっかり油断しているとひっかくこともある。もちろんザックスは咄嗟に避難した。
　カーバングルはセフィロスにタックルしたあと真上にバウンドし、くるくるとまわって彼の首に着地する。そしてひっかく、ひっかく、ひっかく。
「やめろと言うに！」セフィロスはついにその小さな召喚獣を掴んでクラウドのほうへ投げつけた。
　まだ泣いていたクラウドは見事にそれを食らい、のけぞって倒れる。
　召喚獣を顔面に貼りつかせ、床に大の字に転がった途端、クラウドは泣きやんだ。
　ザックスはテーブルの陰に隠れてその一部始終を見ていたものだ。
　普通、逆だと思うんだがな。それとも、びっくりしたのか？
　クラウドとカーバングルはしばらくそのまま、ぴくりとも動かなかった。
　やがて子どもがむくりと起きあがり、歓喜の声をあげる。「かあばんぐる！」
　どうやら赤ん坊の興味は絵本やセフィロスから逸れたらしい。今度は召喚獣を振りまわして遊び出したのだ。さすがに獣のほうがちょっと可哀相かな。
　セフィロスが大きく息をついた。「今日はあいつだけですんだか……やれやれ」
「なんだよ」ザックスはテーブルの陰から身を起こした。「普段はもっと来るのか？」
　セフィロスがじろりと彼を睨みつけてくる。「シヴァやセイレーンも過保護でな。この岩屋の中でブリザードが吹き荒れる図を想像してみろ」
「なんだ、それだけですんでんのか」ザックスはうっかりそんなことを言ってしまった。
「それだけだと？」セフィロスは身体じゅうから暗雲を発しはじめる。
「あ、いや、だからさ、ものは考えようだって。バハムートがメガフレアぶっ放すよりはましだろ？」
「貴様、なにしに来た」セフィロスが正宗を呼び出し、ザックスの首筋に当ててきた。
　ザックスは降参というように両手をあげてみせる。「まあまあ、あんたも毎日、ひとりで子どもの世話も大変だろうからって」言いながら、彼はクラウドに向かって叫んだ。「おおい、ピクニック行こうぜ、な？」
　子どもらしい極端な仕種でくるっと振り返ってくるクラウド。そして、「ぴくにく？」と、とことこ近づいてきた。
「そ、ピクニック」ザックスは手の甲で正宗をどけさせ、子どもの前でしゃがみこんで視線を合わせてやる。「広いところなら召喚獣連れていけるぞ」
「せひろすも？」
「いや、こいつは召喚獣じゃねえって」
「せひろす、行く？」クラウドは青い大きな目でまっすぐセフィロスを見つめた。「くらうど、せひろす連れてく？」
「俺を連れ歩こうなど、五千年早いわ」正宗を消し、鍋を拾いあげながらセフィロスはむっつりと応えた。
「せえひろすうううう」恨むぞというような唸り声を出し、コートの裾を引っ張るクラウド。
　それからまたぐずる子どもと保護者のちょっとしたやりとりが繰り返され、結局のところセフィロスが折れたのだった。