CALLING

１

　その日の正午、セフィロスはオチューを調理していた。コンデヤ・パタの山道を抜けてくるときについでに仕留めた植物型モンスターだ。花びらのようなひれをつけ、刺のある触手を振りまわし、顔はといえばびっしりと歯の並んだ口だけという、グロテスクでありながら、見慣れると結構、ひょうきんなやつだ。仕留めるまでに多少の運動にもなるので、いろいろな意味でクラウドの好物でもあった。
　痺れ毒のある刺を抜き、わざわざ硬い樹皮を削って柔らかい中身を水に浸し、手間隙かけて臭みを抜いたうえ、きちんと炒めて皿に盛りつけてやる。
　ところが、そこまでサービスしてやったというのに、クラウドは疲れた目でそれを一瞥しただけだった。
「なんだ、せっかく作ってやったのに」セフィロスは隣の岩に腰かけ、むっつりとして食事を開始する。
　クラウドは吐息をついた。「おれだって食欲ないときはあるんだよ」
「天変地異の前触れだな」
「かもね」
　セフィロスは眉を寄せ、食事を中断してチョコボ頭をあらためて振り返った。「まじめになにかあるのか」
「いや」クラウドは伸びをするように背筋をのばすと、こきこきと首の運動をする。「ただ、なんか身体がだるいんだよな」
「ジェノバのくせに」
「おたがいさまだろ」クラウドはさらにぐるぐるとチョコボ頭をまわしている。「ほんとにだるいんだって。なんだろう？」
「俺が知るか」
「あんた、なんともない？」
「俺は健康だ」
「だよな」
　どういう意味だ。「とにかく食え」
　クラウドはしぶしぶというように野菜炒めのようになったオチューを胃の中に収めた。なんだかだと言いながら、こいつは出されたものはきれいに平らげる。
　小さな湧き水のある場所で食器を洗って荷物の中にしまってしまうと、彼らはまた歩きはじめた。
　山道を西に抜け、イーファの樹を拝めるはずの峠に立つ。
　だが、天を突くほどの巨大な樹木はどこにもなかった。大地をびっしりと覆って放射状に伸びていた根も、なにも見あたらない。ただ灰色の大地が閑散として広がっているばかりだ。
「これは……」セフィロスは呻いた。
「イーファの樹がなくなったってドワーフたちに聞いたときには信じられなかったけど」クラウドも頷いた。「もしかしたらテラでなにかあったのかな」
「ここのところ、ガイアの様子もおかしかったが」
「えっ、そうだった？」
「いきなり〈霧〉が増えたり、モンスターが凶暴になったりしていたではないか」
「うーん？」クラウドは考えこんだ。「〈霧〉が増えてたっていったって、そもそもおれたち、〈霧〉の下で遊んでたじゃないか。どうやって増えたのかわかるっていうんだ？　ああ、そういや、ここんところ、芋虫のでっかいのとか、モルボルとか、やたらと遭遇してたけど……でも、そんなに凶暴だったかなあ？」
「もういい」セフィロスは峠をずんずんと進んだ。
　まだ考えこみながらクラウドもついてくる。「でも、〈霧〉が増えてたからって、どうしてイーファの樹がなくなるんだ？」
「ライフストリームを横取りしていたあのシステムに、なんらかの事故でも起きたのではないか？」セフィロスは少しまじめに答えた。「もしくは、テラが滅びてライフストリームが逆流したとも考えられる」
「ってことは」クラウドはまばたいた。「イーファの樹、暴走か？」
「おそらく」
「そうか」クラウドは溜息をついた。「魔晄炉事故よりすごかっただろうな」
「いいかげん、そんな昔のことなど忘れてしまえばいいものを」
「おれはなにも忘れたくないね」
「思い出に生きたところでなにもならんぞ」
「そりゃ、あんたは思い出の中でじっとしてないだろうけどさ」
「おまえこそ、幻獣界でおとなしくしておればいいものを」
「なんだよ、いっしょに脱け出してきたくせに」
「おまえを逃がしておいて、俺ばかり、エアリスに絞られるのか？」
「ふたりそろって絞られるよりは――」
　セフィロスは正宗を抜き、チョコボ頭に向かって振りおろす。クラウドはぱっとそれを白羽取りした。
「……わかった。おれたちは運命共同体だ」
「できるなら、ともにしたくはないが……まあいい」
　正宗を引けば、クラウドは顔をしかめて両手を振る。「怪我しちゃったよ」
「そんなもの、すぐに治ろうが」
「跡形もなく――あれ？」
　セフィロスは振り返った。「どうした」
　クラウドは両手を見おろし、立ち止まっている。
　やがて困惑した顔をあげた。「どうしよう」
「だからなんだ」
「血が止まんないよう」
「馬鹿を言え」
「ほんとだってば」とクラウドは手のひらを見せるように掲げる。「ほら！」
　確かに、わずかだがひと筋、血がだらだらと彼の手を伝い、袖の中へと流れている。
　セフィロスは近づいて彼の手を取った。正宗で切った傷口は浅いものだ。ジェノバの再生力は強く、腕一本すっ飛ばしたところで縫合の必要もないほどだというのに、クラウドの手のひらはまだ癒えていない。
「……まじめに具合が悪かったのか」
「だからそう言ってるだろ。信用ないな」
　普段からふざけてばかりだからだ。セフィロスは彼の手を放し、深々と溜息をついた。「風邪でもひいたのか」
「どうなのかな」クラウドはひたいに手を当てる。怪我をしているほうの手をうっかり使ってしまって、慌ててマントの裾で拭っていた。
　この現象は初めてのことだ。少し心配になったセフィロスは、いったんコンデヤ・パタに戻るか、北にあるマダイン・サリに行って回復を待とうと提案した。だが、クラウドは首を縦に振らない。
「せっかく来たのに」というのが彼の言いぶんだ。
「無駄にする時間はいくらでもあろうが」
「でもさ」クラウドはイーファの樹のあった荒野を睨みつける。「ちょっと覗くだけ。あの荒野の真ん中に行って戻ってくるだけだよ」
「しかしな」
「ただ傷が治りにくくなっちゃったってだけだろ」クラウドは、もう塞がってるよと手のひらを見せる。「あんたが俺を殺そうなんて気を起こさない限り、大丈夫」
「気を起こさないでいられる自信は、まるでないがな」セフィロスは鼻を鳴らした。
　……後悔など、俺らしくないとは思う。
　だが、あのとき、強引にでもクラウドをひきずり、あの星の中心に向かってぽっかりとあいた穴から遠ざけていればと、最近はそのことばかりを考えてしまうのだ。
　予兆はあった。
　傷が治らない、疲労を感じる。それは彼の体内のジェノバが機能していなかったことにほかならない。大剣を振りまわすのも、魔法を連発するのも、ジェノバの耐性があればこそだ。
　本人も気がついていなかったようだが、なにが起こるかわからない、いかにも怪しげな穴を探検しようなどと、そんな余裕はあのときのクラウドにはなかったのだ。

◇

　イーファの樹。
　かつて天に聳え、雲を突き、根は深く広く星じゅうに張りめぐらし、存在していた魔の大樹である。
　目に見えたその大樹は星の表面に出ていた部分だけでも非常識な大きさを誇り、マダイン・サリの召喚士たちには《大きな魂を持つもの》として崇められさえもしていた。
　だが、実際にはその大樹の本体は地下にあり、地面の下、星の中心に向かって成長するさらに大きなものだったのだ。
　この星の中心にあるクリスタルを包みこみ、そこに流れるはずのライフストリームを吸い取り、精製して異次元のテラという星に送りこんでいた。その過程で、まるで廃棄物のように放出されていたのが〈霧〉だ。
　廃棄物であり、ひとつの生命を生み出すほどのエネルギーがないとはいえ、〈霧〉はそれでもライフストリームの一部だった。それらは通常の生物の遺伝子に入りこみ、闘争心や欲望といった精神を刺激する。結果的に人々は戦争を繰り返し、動物たちはモンスターへと変化した。
　だが、いまはその〈霧〉を生み出していた大樹もなく、かつてその大きな影が天を覆っていた土地は干からびた荒野ばかりだ。
　ただひとつ、樹が存在していた場所に大きな黒い穴が口をあけている。
　そして金色の天使を呑みこんだあの闇がその奥にある。
　セフィロスはその縁に立ち、深淵とも言えるその巨大な闇を見おろしていた。
「以前よりも後退しているらしいな」セフィロスは呟いた。誰にというわけでなく、自分自身に確認するように続ける。「それとも、穴が塞がりはじめているのか？」
　彼は少し考えてから、ひとつ下の岩棚に跳び移った。そこからまた地下を覗きこんでみるが、彼のソルジャーの目でも深さは測り知れない。
　しばらくのあいだ、彼は迷っていた。
　いまさらまたここに飛びこんでみたところでクラウドが見つかるとは思えない。だが、召喚方法をすべて試してみたいま、クラウドが消えた場所にこうして戻ってくることしか彼には模索する方法さえ思いつかなかったのだ。
　やはり、もう一度行ってみるしかない。それでも無駄なら……そのときはそのときだ。
　彼は黒コートの裾を翻し、黒い闇の中へと身を躍らせた。