CALLING

１

　涼やかな青い湖、そのほとりに立つアレクサンドリア城は陽光を虹色に分解してきらきらと輝く巨体なクリスタルを戴き、清楚な佇まいだ。
　足もとにある城下街は古風にも見える煉瓦造りの家々が屋根を並べ、そこで生活する人々はおおむね素朴で明るく平穏な日々を過ごしている。
　人口の半数は人間が占めるとはいえ、この街は亜人たちにとっても住みよい場所でもある。アレクサンドリアの住民たちに種族の違いによる偏見はなく、リンドブルムのようにかたよった産業を持つわけでもないため、職責区分による所得のばらつきもない。王立の施設は誰もが利用でき、娯楽や特定の商売を禁じる法もほとんどなかった。
　それは前女王ブラネの時代から整備されてきたものであり、晩年において諸外国から悪逆非道と囁かれたとはいえ、称えられるべき彼女の偉業でもある。
　常軌を逸した振る舞いを最後に遠い《外側の大陸》で命を落としたブラネは、しかし、国民からは大いなる尊敬とその死を惜しむ声が聞こえてきたものだ。アレクサンドリア王家は絶大な支持をもって存続してきており、それを受け継いだガーネット女王にとってもそれは揺るぎない力として在る。
　そうした人々によって成り立つ王国であればこそ、何度も崩壊の危機に瀕しながらこの街はそのつど生まれ変わり、そしてその美しい湖の都は人々のためにしっかりと存在していた。
　だが、そんな爽やかな王国でも過去にはさまざまな権謀術数が張りめぐらされ、謀反や叛乱も起こってきたものだ。その時どきの権力争いに敗れた者は、処刑され、投獄され、あるいは闇に葬られたこともある。
　そして清楚な王宮のその奥深くにはそうした政治犯を閉じこめておくための牢もあるのだ。
　アレクサンドリア城は地下に複雑な構造を持っていて、海側にある海軍施設やガルガント洞窟に通じる通路もそこに集中していた。さらに中庭に引きこんでいる湖の代々の王を祀った王墓のある小島への通路も。
　それらの通路は地面の下、あるいは湖の下のあちこちで交差し、地下牢もそれらの通路が走る途中にあった。地上の清楚な佇まいからは想像できないほどに暗く湿った場所である。
　その石造りの冷たい鉄格子の中には、しかし、現在は投獄されている何者も存在していなかった。一年前のテラの事件以後、これまで王家の権力をどうこうしようなどと、たとえ裕福な貴族であってもそんな余裕などなかったからだ。また、そうした謀叛が起こったとしても、いまだ王家の人気は他の追随を許さない。謀反や政権交代は国民たちの反発を呼び、ただ国を無駄に混乱させるだけだっただろう。
　いずれにしても、ここ一年のあいだは使われなかったこの地下牢だが、いま久しぶりにその鉄格子の鍵があけられることになったのである。
　もっとも、その囚人は政治犯でも大逆罪を犯した者でもない。単なる正体不明の旅人というだけのことだ。
　つまり、飛空艇レッドローズから引きずり出され、美しい中庭を鑑賞させてもらうこともできずに暗く湿った地下へと、とっとと引きずられていったのはザックスだった。
「なあ、おい、鎧兜のおっさん！」
「それがしはプルート隊隊長、アデルバート・スタイナーである！」
「はいはい、スタイナーさん、頼むからおれの話も聞いて――」
「そんな必要はないのである！　貴様はおとなしく牢の中に入るのだ！」
「だから、なんでだよ。おれはなにも悪いことはしてねえ！」
　冷たい石の床をずるずると引きずられながらザックスは必死で叫んだ。
　もっとも、相手がアレクサンドリア一の騎士だろうと、元ソルジャーというザックスのステータスを完璧に模倣している彼だ。振りほどこうと思えばとっとと逐電できたことだろう。だが、このアレクサンドリアの連中といっしょにセフィロスが行動していて、ザックスはとにかくセフィロスとじっくり話す機会が欲しかったのだ。
　セフィロスの虫の居所だって永久に変わらないわけじゃないだろうから、そのうち誤解もとけるとは思うんだけど……。
　それにしたって、なんだってあんなに機嫌が悪いんだ、あいつは？
　そういえば、クラウドをまだ見てねえなあ。なんのかのと、ふたりいっしょにいるものと思ってたのに。喧嘩でもしたのか？
「ここに入ってろ！」
　と突き飛ばされ、ザックスは物思いを断ち切って振り返った。
　同時に目の前で、がしゃんと鉄格子を閉められる。
「あ……りゃりゃ……本気でぶちこまれちまったぜ」
「冗談でこんなことをやるのは双子の道化師ぐらいだ」スタイナーという騎士は鉄格子のむこうでふんぞり返るようにしてザックスを睨みつけてきた。「いちおう取り調べる、名前！」
「ザックス」
「家名はないのか」
「フェア」
「無実(フェア)？　ふざけおって」
「だって、ほんとだもんよ」
「……出身は！」
　ザックスはがりがりと頭をかいた。「だから……その、ゴンガガって言ってもわからねえだろ？」
「どこだそれは」
「じゃあ、ミッドガルってのはどう」
「からかっとるのか、貴様は！」
「あ、やっぱそう思う？」
　スタイナーは頭に載せた銀色の兜から蒸気でも噴き出さんほどに顔を真っ赤にした。「貴様はあああ！」
「あ」とザックスは彼の背後を指さした。そこにはふたりがかりでバスターソードを抱えている兵士がいる。「そうそう、その剣、返してくれよ」
「囚人から武器を取りあげるのは当然だろうが！」
「そうかもしれねえけど、それはおれの誇りなんだってば……おおい、引きずるなよ、欠ける、すり減る、もったいねえ」
　スタイナーは、どかっと鉄格子を蹴りつけた。ずいぶん騎士らしくない振る舞いだが、おそらくザックスの態度のほうに原因があるだろう。さすがにちょっと怒らせすぎたかと、当のザックスも黙った。
「ふん！」とスタイナーはくるりと背中を向ける。
「な、なあ、ちょっと！」ザックスは鉄格子越しに必死でスタイナーの甲冑を掴もうとした。だが、つるつるとしたその金属はどこもかしこも丸みを帯びていて、なかなか指がひっかからない。「明日をも知れない囚人の頼み事ぐらい聞いてくれよ。難しいことじゃねえって。ほんとに一生のお願い！　へたすりゃ、このまま処刑されるじゃねえか。化けて出てやるからな！」
　ザックスの《一生のお願い》にいったいどれほどの真実味があるか、セフィロスあたりなら一笑に付して無視するところだが、スタイナーはそこまでこのハリネズミを知っているわけではなかった。
　騎士道精神に満ちた彼は、面倒げに、だが、それでもいちおう身体を返して向きなおってくれる。「……なんだ」
　ザックスは軽く安堵の溜息をついてから囁くように言った。「あのさ、あんたたちといっしょにセフィロスっていただろ。黒コートのでかいやつ」
　スタイナーのこめかみがぴくりと震えたように思えた。
　その反応に気がついてはいたもののザックスは続ける。「あいつに渡すものがあるんだよ。託ってくれねえ？　ほんとに緊急なんだ」
　スタイナーはその甲冑姿で身を逸らすほど大きくゆっくり息を吸った。
　そして、「あんな無礼な狼藉者への使いを俺にやらせるつもりか！」と鉄格子までびりびりと震えるほどの大声で一蹴してくれたものだ。
　ザックスはぽかんと口をあけた。「ありゃ……あいつ、もう、なにかやらかしてますんで？」
　セフィロスも人を怒らせようと思えば徹底的にやるからなあ。可哀相に、なんかの犠牲者になったんだな。
　スタイナーは、「二度とそいつの話などするな」と台詞を捨てて、がしゃがしゃと甲冑を鳴らして立ち去っていってしまった。部下らしいふたりの兵士も、バスターソードを引きずったままのろのろと行ってしまう。
　ザックスは両手で鉄格子を握り、がっくりと脱力した。「セフィロス……なにやったんだよ」
　いずれにしても彼には、いまの状態がどういうものかまだはっきりわかっていなかった。なによりも、セフィロスがつむじを曲げている原因を知らないことにはまともに話をさせてくれそうにないだろう。いっそのこと、とっととこの牢を脱出してクラウドのほうを捜すかとザックスはちらりと考える。
　だけどあのチョコボは、姿をくらますとなると本当にどこに隠れているやら見当がつかないんだよな。セフィロスだったら長期的に過ごすとなればある程度、文明的な環境が整った場所を好むから、街や村を渡り歩いていれば噂話ぐらいは拾えるんだろうけど。
　それに、せっかくこの城にいるとわかってるんだからセフィロスのほうに先に応急処置を施しておかねえとな。もっとも、本当はクラウドのほうがばててるはずなんだ。
　そこまで考えてザックスは眉を寄せた。
　まさか、もう……？
　彼はいやな予感に向きあうかのように暗く沈んだ地下牢の壁を睨みつけた。
　湖に半分沈んでいるような場所だから空気はひんやりとしていて、湿っぽい割には黴の繁殖もなく、つるりとした石の廊下である。ほんのりと漂ってくる水の匂いは不快なものでもなく、むしろ天然の冷蔵庫にいるかのような素朴な冷ややかさだった。
　とはいえ、あんまり長くここに入っていたくはねえよなあ。なにしろ鉄格子だ。
　どうなるんだろう、おれ。
　いや、この星の連中にどうこうされるってよりエアリスのほうだ。彼女、怒ってるだろうなあ。ほんとは心配かけたくねえんだけど……しょうがねえし。
　だいたい、ジェネシスもジェネシスだ。林檎ひとつで脱走を唆しやがって。あいつは結局、動かねえくせによ。ちくしょうめ。
　ザックスはいろいろとごちゃ混ぜに考えこみながらぼんやりとあたりの構造を見まわした。古い石組み、湿気ているくせに錆びていない頑丈な鉄格子。同じような牢の並ぶ廊下。
　意外にもその通路は無防備で、突きあたりは別の通路と交差しており、扉もなにもなかった。横切っているその通路の壁には窓があるらしく、うっすらと月の光だか暁だかが床を照らしているのが見える。
　そういや、そろそろ夜明けか？　いや、まだ朝は遠いはずだ。
　とりあえずひと眠りしておくかと、ザックスは鉄格子に凭れ、ずるずると床に坐りこんだ。
　やっぱり星の上ってのは天界と違うよな。こうして夜と朝に挟まれていると、ちゃんと時間が……。
　ザックスはしかし、閉じようとしていた目を訝しげにあげた。
　耳にかすかに、ずるずるとなにかを引きずって歩いているような音が聞こえてきたからだ。
　そして振り返ってみた廊下の、わずかな明かりが波打つように動くのも見えた。
「なんだ？」ザックスは鉄格子の隙間から首を伸ばすようにして、なにがそこを通ろうとしているのかと目を凝らしてみる。もっとも、格子は小さくて頭が抜けるわけでもない。それでも彼は懸命に目を横へ寄せた。
　ずるり、ずるりと、まるで病人が床を這うかのようにそれは不規則な衣擦れの音をさせ、その分岐路を通りすぎていこうとしている。
　ぼろぼろに腐食しているような感じはあるが、それがまとっているのは豪華な毛皮のマントだった。縁取りの金糸はほつれているものの窓から漏れる月の光にきらきらと輝き、襟もとのふさふさのファーは泥汚れと水滴にまみれている。
　やはり泥だらけの金髪は頭の上でふたつに縛られ、兎耳のようにぴんと立っていた。どうやらその人影は女性かもしれないと思われたが、ザックスにはそうと確信が持てなかった。なぜなら、その体型が素晴らしくまんまるだったからだ。贅沢三昧をしてきた高貴な貴婦人か、でなければこの大陸でしばしば見かけるカバの身体をした亜人かだが……。
　ちらりと光に照らされたその顔を見て、ザックスは思わず声をかけずにおこうときっぱり思ってしまった。
　いや、たかだか美醜の問題で差別する気はないけどさ。でも、その、やっぱり気力の減退はしょうがねえ。
　とにかく彼女の麗しいかんばせは……うーん、あんまり見たくなかったかも。
　うっかりちらりと目を逸らしてしまった隙に、そのご婦人はまた影の中へとずるずる這っていってしまった。窓から洩れる光に照らされた床から床へと必死で渡り歩くようにそれは通りすぎていく。
　ザックスはしばらく格子を握りしめ檻に凭れたまま、いま見たものがなんだったのかあらためて頭の中で整理するように考えた。「えっと……あのとっても個性的な顔と体格……どっかで見たような――」
　ふと脳裏にチョコボ頭がうきうきと画用紙に向かっている姿が思い浮かぶ。「ああ、そうだ、幻獣界にいるとき、クラウドが退屈だって言って似顔絵を描いてみせてくれたことがあったな。たしかアレクサンドリアの女王さまだっていう……あれ？」
　たいしてこの世界に興味のないザックスでも、一年以上も前にアレクサンドリアのブラネ女王が崩御したことは聞いている。いまの女王がガーネットという可愛い女の子だという噂も、いちおうは耳にしていた。
「ってことは……なんだ？　どういうこと？」
　ザックスはごりごりと檻にひたいをこすりつけながら疑問符をあたりにまき散らした。もちろん、暗く湿った無人の地下牢でそれに答えるものがあるわけではないのだが。