Prologue

１

「さあ、次は誰だ!?」バッツはそう叫んであたりを見まわした。
　ところどころ小石の混じった草原には点々と学生服姿の少年たちが倒れ伏して転がっている。
　生意気だと難癖をつけられたり、どこそこのグループの傘下に入れと強要されたり、そういったことはいつものことだったので、バッツもいつものように反撃し、いつものように勝利を収めたところだ。
「まったく、おれに敵うもんかっての。なんでいつもいつも、勝てない喧嘩吹っかけてくるかなあ？」
　バッツは少し物足りない気分で自分の制服の裾を払った。ポケットに入っていたものがその途端に抗議の鳴き声をあげ、ひょこりと顔を出す。
　黄色い羽毛に包まれた頭がくるりとまわされ、くぇっ、とバッツを睨みつけてきたものだ。
「ごめん、ボコ。べつにおまえを叩いたわけじゃないって」
　バッツは苦笑しながら小さなチョコボ頭を撫でてやると、空を見あげた。青い空が広がり、風はなく、白い雲はゆったりと浮かんでいる。
「それにしても退屈な世界になっちまったなあ……」
　次元の果てでエクスデスを斃して以後、戻った世界はまったく変わってしまっていた。国境が引かれ、それぞれの社会には枠組みがあり、文化だ、教育だ、経済だと、やたらと複雑だ。
　たかだか二十歳の若造などは学校でも行っていろと放りこまれ、バッツの学力不足からそれは高校という場所だった。便利で平和な世界の中で育った十代後半の少年少女といっしょに、バッツはこの世界のことを一から勉強しなおさなくてはならないという状態にある。
　不思議なことに、それまでいっしょに冒険してきたはずのレナやファリスは当然のように親父さんと住み、バッツもそこに居候していることになっていたりする。クルルは近所の小学生だ。ガラフというお祖父ちゃんとともに住んでいるという。
　おれだけ、なんかおかしな次元スリップしてきちまったみたいだよな。バッツはポケットに入ったチョコボを見おろした。
「ボコ、おまえも、こんなにちっちゃくなっちまってさ……」
　くえ？　と鳥は首を傾げる。
　まあ、この世界じゃ人を乗せて走る鳥はそういないから、こういう修整がかかったのかもしれない。
「けど……どこでも自由に旅ができない世界ってのは、おれの性に合わねえよな」
　同意するようにボコが鳴いた。
　と、バッツは背後、少し小高い土手のようになったそのむこうから何人かの気配を感じ取る。
「やべ、先公たちだ」バッツは駆け出した。
　ことあるごとに絡んでくる学生たちを相手にするのはまだいい。殴られればお返しするだけですむしな。だが、あの《先生》という連中はどう挑発しても暴力には出てこないし、こっちが頭来て殴ったりなんかすると、さらに説教をおっかぶせてくる。やりにくいったらありゃしない。
　あの面倒な《大人》たちに捕まる前に逃げるほうが楽だった。……まあ、その場を逃げても、あとでなんだかだと生徒指導室に閉じこめられるんだけどさ。
　バッツは草っぱらを横切って川べりに出、しばらく流れに沿ってから橋へとさしかかった。
　その真ん中にガタイのいい男が仁王立ちになっている。
「ギルガメッシュ」バッツは思わず拳を作って構えた。「そこ、どけよ」
　レナやファリス同様、このギルガメッシュも、もとの世界の彼ではなかった。それでも、ことあるごとにこうしてバッツの前に現われるのは、そういう運命なのかもしれない。
　ギルガメッシュは釘バットと鉄棒を両手にそれぞれ持ち、無言で威圧してきた。
「ったく……」もとの世界の記憶もないくせに、どうしておれに、しつこくつきまとうんだか。
「いつまで……」とギルガメッシュは重く口をひらいた。「こんなところで、おちゃらけているつもりだ」
「なんだって？」
「遊んでばかり――ふざけるのも大概にしろと言っている」
「おれはいつだって本気で遊んでるじゃないか」
「本当に？」
　バッツはどこか違和感を感じて眉を寄せた。この世界のギルガメッシュとはなにか違う……？
「いずれ……風が吹こう。近いうちにな」
　そう言い捨てて、その巨体がゆらりと輪郭をぼかす。
「ギルガメッシュ？」
　かすかな青いきらめきを残してその姿がかき消えると、わずかな風が渦巻いてバッツの横を駆けすぎていった。
　彼はまばたいて橋の前後を確認するように振り返り、人影もなにもないのを認めてから首を捻った。「いったい、なんだったんだ？」
　くぇぇ……とボコが不安そうに鳴いた。

＊＊＊

　バッツの居候しているレナの家は、どこからどう見ても普通の一般市民の分譲住宅だ。バッツの憶えている世界では、たしかレナは王女さまで、当然、その親父さんといえば王さまのはずだろう。だが、この世界ではなぜだか、ちょっと育ちのいいお嬢さまというにとどまっているレナとファリスだ。親父さんも町の実力者という程度。
　それでも、天涯孤独のバッツが保護者も後見人もなしに高校に入ることができたのはこの親父さんのおかげだった。この世界では、親がいるのといないのとではずいぶんと人生が変わってしまうらしい。
　その人生の三分の一を親や学校に拘束され――
　バッツは慌てて首を振った。そういうことは考えちゃいけない。そもそもこの世界では、子どもがひとりで放り出されたら生きていくのも難しいということになる。学校も家庭も子どもを守るためのもの。
　わかってる。
　わかってるけど――おれには……。
「バッツ」
　玄関をくぐったところで振り返れば、ファリスが腕組みして立ち、こちらを睨みつけていた。
「あれ……もう、連絡来ちゃってる？」バッツは曖昧に笑ってみせた。
　喧嘩騒ぎを聞きつけた教師連中が、また家に注意をよこしてきたんだろう。そのたびにファリスは面倒をかけるなと殴ってくるし、レナは心配する。親父さんはなにも言わないけどな。
「今日は」とファリスは拳を見せつけながら迫ってきた。「半殺しにさせろ」
「待て待て！」バッツは慌てた。「なんで？」
「レナを泣かせた」
「は？」
「おまえはついに放校だそうだ」
「はい？」
「それでレナが泣いてる」
　バッツは困惑して顔をしかめた。「けど、おれ――」
　ファリスはしかし、殴らなかった。横手のドアがひらいて部屋からレナが出てきたので、しぶしぶというように一歩退がったのだ。
「バッツ」レナは俯きながら、ひと息、間(ま)をおいた。「……もう、お父さまの取り成しも効果なくなったの。やっぱり、あなたにはこういう生活は合わないんですって」
「……そうかもな」バッツは遠慮がちに頷いた。「その、ええと、ごめん」
「わかってたはずなのにね」
　ファリスがレナの横に並んでまた睨みつけてくる。「もとの世界に戻りたいか？」
「……あ？」
「この世界はおまえが望んだもののほんの一部だ。けど、それだけじゃ足りないんだろ」
　そのファリスの言葉の最後のほうは、ぼんやりとしたものになった。それと同時にバッツの足もとがぐらりと揺れ、周囲は暗い闇の世界になったのだ。
　どういうことだ、これ？
　いままでの生活――学校とか、家とか――幻だったってことか？
　それとも、おれのほうが……いや、そんなはずはないだろ。たとえあの生活が幻だったとしても、それを作り出すだけのおれの想いがあった。
　おれが望んだもの……家？　家族？　定住？　望まなかったといえば嘘になる。だから――
　無から――すべては無から生まれ、無へと還る――
　バッツの脳裏にエクスデスの声が響いたような気がした。
「違う。想いから生まれるもの、想いがあるところ、それは無じゃない。なにもないわけじゃない！」
　幻を追いかけていたとしても、おれは確かにそこに在った。
　ふっと、しっかりした重力の感触が彼の全身を襲ってきた。
　再びの眩暈に似た感覚をやりすごすと、そこにはコンクリートの狭い道が、夜のなか、街灯に照らされている。
　月も星もないのに道は見える。
　考えてみれば不思議な世界だ。こっちのほうがよっぽど幻想的だとも思える。
「この世界も居心地はよかったのかもな」バッツは頷いた。「夜でも明るいし、子どもは生活の心配なんかしないで遊んでいられるし、モンスターもいなくて生命の危険がほとんどないしな。食べものは店に行けばあるし、水に不便することもない。風邪ひいても病院に行けば薬もらえるし、毎日ベッドで眠れる。玩具もゲームも漫画も退屈しないでいられるぐらいあるし、とにかくなにより、コンビニは本当に便利だ」
　バッツはそこで俯いて目を閉じた。「でも……」
　やっぱり違うんだ。
「おれは、おれのいるべき場所へ行かなきゃな。ひとりでも、風が呼ぶままに――」
　バッツは独り言を呑みこんだ。
　青白く照らされたコンクリートの道、その先に浮かぶ白い影。
　天女のような女神だ。なぜかそう思った。
　清冽な光と、黄金の光と、そして生命の青い光。それらをすべて身にまとうようにその女性の影は輝いていた。
　金色の髪が光になぶられるように揺れて舞い、儚げな顔がかすかに微笑む。
　そして彼女は手招くように軽く手をあげると、そのまますうっと溶けるように消えた。
　この先へ来いというのか？
　そう考えたとき、ふわりと風が背中を押してきたような気がした。
「行っちゃうの？」
　幼い声に目をおろせば小さな子どもがそこに立っていた。
「……ごめんな、クルル」バッツは少しためらいがちに言った。
「いいの。バッツはバッツだもんね。気にしないで」
　ああ、いつだったか、おれがファリスにいった言葉だ。憶えてるぞ。
「やっと目を覚ます気になったか」
　今度は野太い声。振り返ればギルガメッシュの巨体が聳えていた。
「よう……」バッツは苦笑した。
「ディシディア学園へ行け」
　突然なにを言われたのかわからず、バッツはまばたいた。「……は？」
「学校だ」とギルガメッシュはいちばん内側の腕を胸前で組む。
　そういえば、こいつは腕が何本もあったんだっけ。そんなことを思い出しながらバッツは彼の言葉を繰り返した。「学校？」
「そう、おまえが世界の勇者として世界に飛びこんでいけるかどうか、それを試す場だな」
「はあ？」わけわかんねえぞ、それ。
「今日び、なんでも資格が必要なご時世だ。いわば主人公の資格を取りに行くというところか」
「待て待て、資格って――てか、なんだ、その、主人公？　なんかごちゃ混ぜじゃねえか？」
「どうせ、でたらめな世界だ。構わんだろう」
「構わんて……」
「現実的世界の習慣にすっかり染まってしまったようだな」ギルガメッシュはふんと鼻を鳴らした。「そのくらいの荒唐無稽さを受け止められんで、幻想世界での自由気ままな冒険などおぼつかんぞ」
「いや、そりゃ、おれは自由に旅をするのが――」言いかけてから、バッツは肩の力を抜いた。「ああ、わかった、わかったよ、どこだろうと飛びこんでいくさ」
　幾重にも頭に巻いた布の隙間でギルガメッシュはわずかに笑ったらしい。肩が少し震えた。
　バッツは彼を見あげた。「おまえは行かないのか、ギルガメッシュ？」
　ギルガメッシュはまた肩を震わせる。「いずれな」と呟くと、おもむろにきびすを返したものだ。「必要になったら参上してやるとも……いつでも、どこでも」
　歩き去るようにして、しかし、その足音は聞こえず、距離も遠ざからないうちにその巨体は闇に溶けて消えた。
　バッツは髪をかきまわしながら顔をしかめた。「なんだよ、召喚獣みたいなこと言いやがって」
　そうかもよ、とボコがくっくと喉を鳴らすように鳴いた。
　バッツは腰布に埋もれるようにしてぶら下がっている小さな黄色い鳥を見おろす。
「おまえはまだ、ちっちゃいままだなあ、ボコ」
　うん、とチョコボは頷く。
「てか、おれの服もいつのまにか変わってるし……」
　いまバッツのまとっているものは薄布を合わせたような軽いもので、腰には幾重にも布が巻かれ、幅広のベルトで押さえられていた。足を包むのはズボンではなくぴったりとしたスパッツ、それに軽くて丈夫そうなブーツ。短剣をベルトにぶら下げ、マントを押さえる肩鎧も小ぶりの軽量タイプ。制服とかいうブレザーよりは遥かに動きやすいものではあるものの、以前の旅装とも異なる。なにより、いつのまにこんな服に着替えさせられたのかとちらりと疑問も湧いた。
「まあいいか。全部、幻想なんだ。だったら――」
　バッツは相棒のチョコボの頭を撫で、一歩を踏み出した。
「思いっきり遊んでやるさ、な、ボコ！」

＊＊＊

　そこは秩序の聖域と呼ばれている。果てのないように見えて閉じられた空間。
　白く美しく輝く場所ではあれど、それらの輝きは目に優しいものだ。
　なぜかフリルつきの大きな丸い平らなクッションと白檀造りの華奢なテーブルがあるが、気にしないでいい。
　ウォーリア・オブ・ライトはそのテーブルの上で、ティーポットを片手にアッサムブレンドの紅茶を淹れていた。
　そのかたわら、クッションの上でにわかに黄金の混じった白い輝きがひとかたまり現われた。
　眩いそれが徐々に消えていくと、金髪の女性がクッションの上に優雅に坐った恰好で存在を現わす。
　白く儚げな優しい女神。
　ウォーリア・オブ・ライト――ＷＯＬは彼女を振り返った。「コスモス？　どこへ行ってらした」
「ふ……」と彼女は吐息のように声を出し、右手で顔の半分を覆った。「ふあぁぁあ……ああ、ごめんなさい、眠くて」
「また寝ぼけて、どこかの次元に迷いこんだのでは？」
「もしかしたら、そうかもしれません」コスモスは右手をそのまま頬に当て、首を傾げた。「なんだか妙な迷子を拾ったような気がします。夢の中だったような気もしますけど……あれが夢でなかったら、また誰かをうっかり召喚してしまったかもしれません」
　ＷＯＬは少し考えてから納得したように頷いた。「またコスモス組の生徒が増えるわけですね」
「やっぱり、そうなりますか」コスモスは、今度は深く溜息をついた。「こうして無意識に召喚してしまう生徒は、どうして問題児ばかりなのか――ウォーリー、転入生の案内はお願いしますね。わたしはこれから――」
「どうぞ」ＷＯＬはコヨコヨの抱き枕を差し出した。
「お休みなさい」
　コヨコヨを抱きしめ、女神は再び眠りに就いた。

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