DISSIDIA CAMPUS

１

「えー、そんなことないよ！」
　不意に聞こえたオニオンの不満げな叫び声に、セシルはカオス神殿の上階に向かいかけていた足を止めた。
　手にはベヒーモスのバラ肉の角煮をよそった碗がある。月の渓谷でもたびたび見かけるモンスターだが、クラウドはこの肉なら安心して食べるのだ。スコールはちゃんとした料理か携帯カロリー食品以外に口にすることはないし、ティナは菜食主義で、たまに魚は食べるがタコは大嫌い。
　そんな感じで、記憶をはっきりと保持していないとはいえ、それぞれの世界のさまざまな基本的な習慣は彼らの好みに多少の影響を与えているようだった。バッツはサバイバルに慣れ、フリオニールはその気になれば泥水をすすってでも飢えを満たす。大都市やそれなりに文明の発達した世界から来たスコールやティーダはきちんと味付けして皿に盛ったものが好みだが、ティーダは飢えていればなんでも腹に収める一面もある。また、同様に大都市での生活も知っているはずのクラウドは、なぜか調理が乱雑であろうとなんだろうと大抵のものは食べた。チョコボ料理もおなじみのものらしい。チョコボ肉のリングイネが懐かしいと言って、バッツとボコにダブルキックを浴びせられたこともあった。
　それでもなんのかのと、ＲＰＧに関係する彼らは共通してシチューは好きだ。ジタンさえもブリ虫が入っていなければなんでも食べると、ご相伴に与かることが多かった。セシルもついつい、作るものは煮物が中心になってしまう。
　そんなわけで、今日は角煮を作ってみたよとクラウドのところへ持っていく途中だったのだ。なぜ味見係がクラウドなのかは誰も問わない。セシルにしてみれば、まずくても、「うん、まあまあ」と曖昧な返事をしてしまうフリオニールや、お腹に入っているものの密度によって味覚が変わるティーダよりも、いちばんわかりやすい安定した反応をしてくれるのがクラウドだというだけのこと。
　そうして結局、ふたりで過ごしてしまうことが多い彼らだった。それに、クラウドはセシルがパラディンの姿でもあまり遠慮はしない。宿敵の毒気に慣れているせいか、セシルの暗黒面も気にしないでいてくれるのだ。
　そのクラウドが上階の瓦礫の陰でいつものように空腹をごまかすために転寝して待っているだろうと思いながら、しかし、セシルは上階へ行く足を返し、柱の陰、ティアマットの絵画が掛けられている場所のほうへとちょっと寄り道してみた。
　そこで立ち話をしていたのはオニオンとジタンだった。ジタンは尻尾を困ったようにゆっくりと横に振り、オニオンは拗ねたように口を尖らせ、上目遣いでジタンを睨んでいる。
「どうかしたかい？」とセシルはふたりに声をかけた。
　ジタンが振り返った。「いや、べつにたいした話じゃないんだけど……って、パラディンになってるし」
「気にすることないよ」セシルはにっこりと笑ってみせた。
　なぜかジタンは引きつったように笑ったが、その反応とほぼ同時にオニオンが、「話は終わってないだろ」と憤然とジタンを向きなおらせた。
「なんの話？」セシルはオニオンの帽子の大きな羽根飾りを数えるように見つめた。ティナがこの子のあとについて歩くのが好きなわけはなんとなくわかる。
「ライトの年齢のことだよ。ぼくは絶対、みんなよりずっと大人だと思ってるんだ」
　セシルは首を傾げた。「ふうん？」
　正直、どうでもいいことで口論していたんだなとは思ったものの、オニオンにとっては憧れのＷＯＬがいちばんでいてほしいと思うのだろう。それが、たとえ本人の能力には関係のない年齢の問題であっても。
「いやさあ」ジタンがぽりぽりと頭をかいた。「オレは二十歳ぐらいだろって言ったんだけど」
「二十四か、それ以上だよ」
　セシルはまばたいた。「どうして？」
　オニオンはぱっと目を輝かせ、おそらくＷＯＬが華麗な剣技を駆使して戦うさまを思い浮かべたのだろう。「必要なこと以外はなにも言わないし、寛大だし、なによりあの揺るぎなさ！」
「ああ、そう……」セシルは思わず浮かびそうになる笑みを懸命に抑えこんだ。
「セシルはどう思う？」オニオンが同意してくれるよねといった顔でセシルに向きなおった。
「僕？」セシルは軽く首を傾げた。「うーん、そうだな」とちょっと間(ま)をおいてから、彼は頭上――この上にいるだろう最年長と判明している人物を示すようにした。「悪いけど、ジタンに一票。僕と同年か、行っててもクラウドと同じだと思うよ？」
「ええ？」
　不満げなオニオンに、セシルは宥めるように笑いかけてやった。「よく考えてごらんよ、ライトがそんなに年長だったら、クラウド以上に何年も留年してることになるよ？　憧れの光の戦士なのに、それでいいのかい？」
「それは……うーん」オニオンは素直にはごまかされてはくれなかった。納得できず、じれったそうにもじもじと俯く。「でもさ、あんなに背が高くて、かっこよくて……」
「背の高さや見た目は関係ないんじゃないかな。食文化の違いと同様、それぞれの世界の基準がまた違うと思うよ」セシルはジタンを示してみせた。「僕たちの基準から見れば、ジタンは十六歳とは思えないほどだし」
「ちぇっ、どうせオレの世界は亜人が多くて、平均身長や頭身が極端に低いよ」ジタンはぶつくさと呟いてから、セシルの手の中にある碗を覗きこんだ。「お、うまそうじゃん」
「ベヒーモスの角煮だよ。クラウドに味見してもらってから、みんなを呼ぼうと思ったんだけど」
「いつだってオレが味見してやるっていうのに、なんでクラウドばっかり」
「じゃあ、今度、名乗りをあげてくれよ。一日寝込むことになっても実験台になってくれるというなら」
　ジタンは白い目でセシルを見あげてきた。「……よく生きてるな、クラウド？」
「そういえば、雷魚のフリッターはさすがにあのチョコボ頭を逆立たせていたね。半日は帯電していて、僕たちも迂闊に近づけなかったっけ」
「そこまでされて味見役を辞退しないクラウドもクラウドだけど、セシル――あんたの辞書には反省とかないのか？」
「辞書ってなんだい？」
「ごめん、文学系は鬼門だったよな」
　そのとき、オニオンが突然、ぱっと駆け出した。「ぼく、クラウドにも訊いてくる！」
「ありゃ」ジタンが年少の級友の後ろ姿を見つめながらまた頭をかいた。「あの件以来、クラウドには懐いちまって……オレらには生意気なのに」
「まったくね。僕の判定じゃ気に入らないというわけだ」セシルはぽつりと呟いた。
　ジタンが尻尾をぴんと立てる。「……忘れてた、いまあんた、パラディンだっけ」
「それがなにか？」
「いや、なんでもないよ。まあ、その、お手柔らかに」
　ジタンとセシルはオニオンを追うようにしてのろのろと上階へあがっていった。
　このカオス神殿は時に忘れ去られたか閉じこめられたといった静謐な雰囲気を持つが、なぜクラウドがこの教室を好んで昼寝場所にしているのかは誰も知らない。ただ、星の体内を避ける理由は誰もが暗黙のうちに了解していることだ。
　セシルたちがあがっていくと、クラウドはちょうどオニオンに揺さぶられて、寝惚けながらも身を起こしたところらしかった。
「ん……」ともごもご言いながらオニオンナイトの帽子を手探りしている。「ふさふさだな――毛並みがよくなったんじゃないか、レッド？」
「なに言ってるの、ぼくだよ、オニオンナイトだってば」
　クラウドは帽子の羽根飾りを握ったまま、ようやく目をあけたようだ。「……なんだ」
「目が覚めた？」オニオンナイトはクラウドの手を外すと帽子を両手で直した。「ね、ライトって何歳？」
　クラウドは無表情に何度かまばたいた。誰でも起きぬけにそんなことをいきなり訊かれては、反応が遅れるのは仕方がない。「……知らないな」
「じゃあ、何歳だと思う？」
「俺より年下なら、ぶっ飛ばしたいところだが」クラウドはガラスめいた目を一瞬、きらりと光らせたが、オニオンが気づかないうちにもとの無表情に戻った。「たぶん、同じくらいじゃないか」
「ええ、クラウドも？」
「ティーダと同じということはないだろうから……ちょうど十九歳がいないし、そのくらいでいいだろ」
「そんな単純に決めないでよ」クラウドの前で膝をそろえるようにして坐りこんだオニオンナイトは、むうっと頬を膨らませる。「ぼくが子どもだからって、適当にあしらって逃げようとか考えてない？」
「あしらうもなにも、本人に訊け、そんなことは」
「本人は憶えてないだろ」
　クラウドはがりがりとチョコボ頭をかいた。「ああ、そうだったな」
　セシルは彼らに近づきながらベヒーモスの角煮の入った碗をクラウドに差し出した。「オニオンは、ライトがもっと大人だといいと考えているんだよ」
「なるほど」と碗を受け取りながらクラウド。
「やっぱり馬鹿にしてる？」オニオンは胡坐をかいて腕を組んだ。「ぼくはさ、いろいろと考えてるけど、考えすぎてなかなか動けないときもいっぱいあるんだ。でも、ライトはそんなことないだろ。悩みがないわけじゃないだろうと思うんだけど」
　セシルとジタン、そしてクラウドは互いを見あった。
「ライトに悩み？」とジタンが眉を寄せる。
　三人の奇妙な表情にもかかわらず――クラウドは変わらなかったが――、オニオンは腕組みしたまま溜息まじりに首を振った。「悩み事があるなら相談に乗るよって言ってみたけどさ。『ありがとう、私は大丈夫だ。きみはきみの為すべきことを果たせ』って、かっこよくてさあ。あれって、やっぱり大人の余裕ってやつ？」
「オニオンは、《そういう大人》に憧れてるんだね」セシルは頷いた。
「そりゃ……誰だって何事にも迷わない強い意志とか持ちたいじゃないか」
　オニオンの言葉にかぶさってクラウドが静かに呟いた。「確かにウォルは、なにがあろうとまっすぐに進む。悩みがあってもまっすぐに進むことしか知らないから、ずるずる悩むこともしない」
「だよね！」オニオンは嬉しそうに言うと、ぴょんと跳びあがるようにして立ちあがった。「ぼく、これからライトに防御技を教えてもらうんだ。覚えたら、クラウド、相手してよな！」
「いや、それはやめたほうが――」とジタンが慌てて手を振ったが、オニオンはとっとと走り去っていってしまった。「間違ってＥＸで打ちこまれたら、おまえ――」
「あの子はクラウドのガードクラッシュのこと忘れてるね。楽しみだ」セシルはほのぼのと微笑んだ。
　クラウドが面倒臭げに溜息をつく。「やりあう前にアクセサリでディフェンスをあげさせておくさ」
「って、手加減する気、全然なしだし」ジタンは冷や汗を押し隠しながら、心の中でオニオンに向かって合掌したらしい。
「それにしても、悩まずに進めるっていうのが大人だと思ってるのかな？」セシルは思わず微笑んだ。
「さあな」クラウドはベルトの小物入れから、しゃきんとナイフを取り出し、ベヒーモスの角煮に突き立てた。そのまま、まるで超究武神覇斬を振るうようにあっというまに肉をばらばらにすると、ひとつずつ突き刺して食べはじめる。
「でも、オニオンの気持ちもわからないでもないんだ、オレ」ジタンが横から手を出して肉を摘まんだ。「実際のところ、いろんなことに慣れて動じなくなるってのは何歳ぐらいなんだろうなあ」
「不惑というのは四十代だね」セシルは答えた。「オニオンの言う、堂々としてて、なにがあってもそれなりに対処していけると言われるのは」
「うあ、それじゃオレ、あと何年悩んでかなきゃならないわけ」
「悩むのも青春だよ」セシルは笑った。
「青春……」クラウドがジタンに食糧を奪われるまま放置しながら遠い目を向ける。「あったかな……？」
　その話題はそろそろまずいかとセシルは考えた。放っておくと、クラウドはやつあたりをしに星の体内へ突撃をかけていきそうだからだ。
「ジタンは」とセシルは彼の尻尾を見おろした。「ずいぶんオニオンについては世話焼きだね。いつもバッツと暴れているだけかと思っていたよ」
「まあ……なんとなく弟みたいでさ」ジタンは軽く肩を竦めた。「前に、あんなに生意気じゃないけど、やっぱり自分の考えをこうと決めたら梃子でも貫くってタイプの、そういうのいたような気がするし……」
「僕も、生意気なのと賢いのと双子をぼんやり憶えているよ」セシルも頷いた。「こっちが世話を見ているつもりで、じつはずいぶんと助けられていたと思う」
「そうだよな。やっぱ、そういう存在って貴重だって」ジタンは頷き、クラウドから完全に食器を取りあげて残飯整理しながら、もぐもぐとチョコボ頭を振り返った。「なあ、クラウドには？」
「油断すると懐からなにか掠め取っていくのとかいたな」
「……ほかには？」
「俺は……」クラウドはわずかに目を伏せ、ちょっと不機嫌になったように見えた。「俺より年下はあんまりいなかったような気がする……いや、チョコボファームに誰かいたな。宿屋でも――おじさんとかおっさんとか言われて、むかついたような気がする」
「クラウドって、もとの世界にいたときのほうがひどい扱い受けてるんじゃないか？」ジタンが慰めるように尻尾でチョコボ頭を撫でた。
「………」そうだったのかと、どーんと項垂れたクラウドだ。「俺は……おっさんだの、おじさんだの、坊主だの、少年だの、果ては変な人とか、ダサいとか、さんざん……うう、思い出した」とクラウドはぱっと顔をあげ、青い目を輝かせる。「俺の――俺の名前。ポチだったはずだ！」
　びっくりして、ジタンが一歩退がる。
　確信を持って拳を握ったクラウドに、セシルはパラディンフォースを浴びせて正気に戻してやった。「破邪の光よ！」
「うわああ！」ジタンはさらに跳び退がった。
　しかし、瓦礫の壁に叩きつけられて、それでもむくりと何事もなかったように起きあがったクラウドは、軽く首を振っただけだ。「……すまなかったな。俺は俺の現実を生きなければ」
「よろしい」
「はあ……一瞬、どうなることかと」ジタンが胸を撫でおろす。
「だから、ね？」セシルはにっこりとジタンを振り返った。「最年長っていっても、クラウドって面倒臭いだろう？」
「まあ、そうかな」ジタンはこくこくと頷きながら空(から)になった碗を返してきた。