１
ティファがそのチョコボに再会したのは、魔晄都市ミッドガルの底辺、七番街スラム近くの人気(ひとけ)のない駅だった。
空をプレートで覆いつくされた薄暗いスラムにはごちゃごちゃと廃棄物が積みあげられ、その駅も廃棄車輌置場の横にあって、どこが線路なのかもわかりづらい中にある。普段は駅員がひとり佇むだけのプラットフォームは、あちこちコンクリートが欠けてみすぼらしく、街灯がひとつと壊れたベンチがひとつあるきりだった。
ここから出発する列車は、この大都市ミッドガルを大きく螺旋状にまわりながら各スラムや上層街を繋ぎ、最終的には壱番魔晄炉へと到達する長いレールの上を走っていく。
だが、スラムの住人が上層街へ行くことは稀だった。列車に乗るにはＩＤカードが必要で、スラムで生活している人々はほとんど市民として登録さえされていない。カードを偽造するか、各区画ごとにあるセンサーをうまくかわすかしなければ列車に乗ることもできなかったのだ。
そのため、スラムにはスラムの市場(いちば)がある。それがウォールマーケットだった。モンスターだらけの荒野と草原を突っ切って到着する商隊の、数少ない品物を取り引きし、上層街からの流通品を割高に、捨てられたガラクタからのリサイクル品を安く、その市場では扱っている。
ティファも切り盛りしている酒場のメニューを維持するためには、定期的に六番街スラムのウォールマーケットへ行ってさまざまなものを買ってこなくてはならなかった。今日もバターと小麦粉、ベーコンや卵といったものを求めてきた帰りだ。
六番街からの帰り、やたらしつこい若者たちのグループを得意のザンガン流拳法で叩き伏せ、持っていた卵を割ることもなく勝利を得た彼女は、ちょっとばかり機嫌よく歩いていた。
そうして列車墓場駅にさしかかったとき、彼女は黄色いつんつん跳ねた羽毛のようなかたまりを見つけたのだ。
それは壊れたベンチのわきにうずくまるようにあり、そのそばでは駅員が前屈みになって首を捻り、野良犬が背中を丸めてその羽毛をふんふんと嗅ぎまわっていた。
ティファは思わず駅のほうへと足を向けた。こんなところにチョコボがいることが、とても不思議だったからだ。
チョコボというのは人が乗りものとしても利用する大きな黄色い鳥で、その大きさゆえか飛ぶことができず、しかし、ものすごく速く走ることができる。野性のものが人里に現われるのは稀なことだし、卵から人工的に育てたチョコボはレースやチョコボ車として非常に重宝されているので、手放す者はあまりいない。
このチョコボを拾って、もし運よく手懐けることができたらと、彼女はちょっと打算的に考えていた。きっと、とても便利だわ。ウォールマーケットの高い品物で我慢しなくてもカームやグラスランドのほうまで買い出しに行けるし、餌付けに成功すれば、どんな力仕事だってやってくれるに違いない。
ティファが近づいていくと、駅員が、「可哀相に」と呟きながら離れていった。野良犬が彼女の足のまわりをまわって、とても悲しそうに鳴いている。
ティファはチョコボの前にしゃがみこんだ。
なんだ、チョコボじゃないわ、これ。
彼女がてっきり黄色い鳥だと思っていたのは、ぼろぼろになってぐったりした人間だったのだ。十五、六歳ほどの少年だろうか。金色の髪がつんつんと元気よく跳ねているので、それが羽毛のように見えただけだった。ちゃんと手も足もついており、埃まみれの紺色のセーターと同色のズボンを身に着けている。
しかし、相手の状態を見れば、急に興味をなくしたからといって放っておくわけにはいかなかった。どこからか長旅をしてきたのか剥き出しの腕も顔も泥だらけで、半分ほど瞼の閉じた目は虚ろに地面を見つめており、投げ出された足はぴくりとも動かない。手には大きな剣があり、これだけは誰にも取られまいとするかのように抱きすくめる恰好でしっかりと握っていた。
「あの」と彼女は声をかけてみる。「どうしたんですか？」
俯いていた顔がかすかにあがった。金色の前髪が揺れ、そのあいだから青い目がゆっくりとひらいていく。
少年は彼女を見あげ、まばたいた。ゆっくりと、何度も。
「具合、悪いんですか？」ティファはもう一度言ってみた。
少年の返答は意外なものだった。
「ティファ？」と彼女の名前を口にしたのだ。
もちろん彼女は驚いた。金髪の男の子なんて知りあいには――昔、隣に住んでいた男の子ぐらいしか知らないのに。
ティファの脳裏に故郷の光景が鮮やかに浮きあがってきた。ずっと西のほうにある彼女の育った小さな村。金髪の男の子はちょっと変わっていて、あまり喋ることのなかった幼なじみだった。おばかで不器用だったから、みんなから仲間外れにされていたけど、喧嘩は強くて、いつもひとり、山の中で遊んでいたあの子。
「ティファだろ？」目の前の少年は立ちあがると、もう一度、彼女の名前をはっきりと言った。「おれ……クラウドだ」
ティファは眉を寄せ、記憶にある幼なじみの名前をなんとか思い出した。「クラウド？」
少年は頷く。「ああ」
「ほんとにクラウド？」彼女は爪先から頭のてっぺんまで、なにかを確かめるように彼を見まわした。
ティファの知っている幼なじみのクラウドは、無口であまり笑わず、無表情に佇んでいることが多かった。黙って立っていればそれなりに可愛らしいお人形さんのような男の子だったが、じつのところ、なにかあると相手構わず殴りかかったり咬みついたりの暴れん坊だった。けれど、ティファに対しては一種、尊敬するような、あるいは恐れるような目で、こそこそしていたようにも思う。
いま目の前にいる彼のように、堂々と見つめてきたことなどなかったはずなんだけどな。それに……。
ティファは思いきって言った。「だって、わたしより背が高いよ？」
「ティファ……」クラウドはわずかに眉を寄せ、瞑目した。「五年も経てば、人間、育つものだ」
「五年……」
五年前といえば、故郷がなくなってしまったあの日のことばかり思い出す。中央大陸の西、北部峻厳な山々の裾にうずくまる鄙びた田舎村に、神羅カンパニーの誇る精鋭ソルジャーたちが来たあの頃。
その中には、ソルジャーを束ね、その頂点に君臨する英雄セフィロスもいた。
彼らがなぜ、彼女の故郷ニブルヘイムに来たのかはわからない。けれど、それからしばらくして村は火の海に沈んだ。
当時、彼女は十五歳。村の人たちが次々に殺され、焼け死に、父もセフィロスの凶刃に斃れた。なにがあったのか、なにが起こったのか、少女の理解力ではまるでわからなかったことだ。
いま考えても感情が溢れるばかりで、あの頃の事情や事件の経緯など、まるで整合がつかない。ただ、故郷を失う原因になった英雄セフィロス、ソルジャー、そして神羅カンパニーに対しての憎しみが育つばかりだった。
でも、あのとき、クラウドは村にいたのかしら？ あの事件の二年も前に、無謀にも英雄セフィロスみたいになるんだと言って村を飛び出していったままだったように思うんだけど。もしかしたら、わたしが気がつかなかっただけかな。クラウドってば、小さい頃から気配も感じさせず、いつのまにかそこにいたというときが多かったから……立ち居振る舞い、まるで狼みたいな男の子だったのよね。
ううん、昔は長く伸ばした金髪を束ねていたから気がつかなかったけど、いまこうしてあらためて見ると、むしろチョコボみたいと言うべきかも。
ティファは曖昧に微笑んだ。「そうかな……そんなになるのかな……うん、久しぶりよね」そして気を取りなおすように、今度ははっきりと微笑む。「いままで、どこでどうしてたの？ ちっとも連絡くれなかったじゃない……あ、ごめん、手紙書けなかったのかな」
クラウドが村を出たのは七年前。彼は簡単な算数も指折り計算しなければならないほどのおばかで、当時、十四歳になろうとしていたにもかかわらず、ジュニアスクールにも通えなかった。
だから、彼がソルジャーになると宣言したときには、ティファも、「絶対、無理」と心の中で決めつけたほどだ。
ところが――
「ごめん」とクラウドは言った。「ソルジャーになってから、いろいろ忙しくて」
ティファは思わず彼を凝視した。確かに背は伸びたけど、彼女よりひとつ年上にしては女顔で細っこい。頭の中身がどこまで成長したかはさておき、その体格でソルジャーが務まるのかどうか怪しいところだ。
だが、彼は剣を持っている。それも、ばかでかい。ニブルヘイムに来たソルジャーたちの持っていた剣とほぼ同じだ。まあ、わたしでもセフィロスの剣は持ちあげられたし、もしかしたら意外に軽いのかもしれないけど。
クラウドはその剣をくるりと回転させるように振って背中にぴたりと装着させた。どうやら磁石みたいにくっつけておけるらしい。「でも、いまはソルジャーじゃない。五年前、あのときに神羅からは抜けたんだ」
ティファはこれまでの話を頭の中でまとめた。クラウドは七年前、神羅に入って、ものすごい幸運に恵まれて、めでたくソルジャーになったってことね。そして五年前、わたしが気がつかなかっただけであのニブルヘイムの事件に関係していて、いまは脱走兵ってこと？
でも、なにか変よ。なにがどうとは言えないけど……。
彼女は探るように彼を見つめた。「それじゃ、いまはなにをしてるの？」
「なんでも屋をやっている」クラウドは肩を竦めた。「危険なこと、面倒なこと、報酬次第でなんでも引き受けるぞ。新規客募集中だ」
「そっか」彼女は頷いた。なんだ、独立して働いてるのか……それじゃ、サーカスに売るわけにもいかないわ。ティファは軽く手を振り、きびすを返した。「頑張ってね」
その彼女の手を、クラウドが素早く握って引き止める。「それだけ？」
「ごめんなさい！」彼女は彼の顔を見ないように視線を逸らしながら叫んだ。「いま、うちにはチョコボを飼ってる余裕がないの。誰か親切な人に拾われてちょうだい！」
「……どこにチョコボ？」クラウドは眉をひそめた。
「どこって」ティファは彼に向きなおる。可哀相に、自覚がないのね。「いいの、気にしないで。わたし、チョコボの雛がダンボールに入れられて鳴いているところを勝手に想像してただけだから」
「不思議な想像をするんだな」
そりゃ、黄色いつんつん頭が転がってたら大抵の人はそう思うわよ。ティファは困惑しながら続けた。「しょうがないな、よければうちに来ない？ わたし、酒場やってるんだけど……」
「酒場か……」クラウドの青い目がきらりと光った。
ティファはその瞬間、彼を誘ったことをたちまち後悔する。なにがどうなるかのはっきりとした予感はないが、なにかまずいことを言ってしまったと思ったのだ。
特にクラウドの目が、彼女の持っている買物袋――袋から覗いている卵のつるつるした殻に据えられているのに気づいて、ティファは慌ててそれを背後に隠した。
「ろくな食事は作ってあげられないかもしれないけど！」と急いで叫ぶ。
「そうか」クラウドは残念そうに呟いた。