FUNNY GANG

１

「なにしてるの？」ティファは何気なく、普通に、自然に、また、あたりまえにそう訊ねただけだった。
　それなのに金髪の少年はびくうっと飛び跳ねるようにして素早く退がり、後ろにあった給水塔のポンプに頭をぶつけている。
　その場で凍りついたように動かず、手を頭にやることもなくじっと痛みに耐えているその少年に、ティファはさらに詰め寄っていった。
「いつも離れたところにいるよね。今度、いっしょに遊ぶ？」
「………」
　ティファは彼のほうに一歩近づいてみた。
　金髪の少年はポンプの下に潜りこむように一歩退がる。
「………」
「………」
　ティファはポンプを横にまわって、もう少し彼のほうに歩み寄ってみた。
　少年はポンプを抱きしめるようにして、彼女の歩みに合わせてぐるりとまわる。
　機械の隙間から夕陽の赤い光が洩れて、彼の金髪をオレンジ色に輝かせた。
　可愛い子なんだけどな。でも、やっぱり変。みんなが言ってるとおりだ。
　その少年は彼女の家のお隣に住んでいる。そのことは彼女も知っていた。同じくらいの年だってことも大人たちの噂話からそれとなく聞き知っている。だが、いっしょに学校に通っているわけでもないし、いっしょに遊んだ記憶もない。
　ただ、ときどき、男の子たちはこの子を取りかこんでいた。大抵、そういうときには喧嘩騒ぎになっていたけれど。
　むっつりと無口で無表情で、気味が悪いとお父さんは言ってたっけ。なに考えているのかわからんって。でも、そんなこと、ストライフのおばさんには面と向かって言わないんだ。ちなみにストライフのおばさんは、年を取っても蹴り技健在の元気なご婦人だった。お父さんは、もしかしたら彼女を恐れているのかな。
　でも、その息子がいま恐れているのはわたしみたいなんだけど。
　金髪の少年は相変わらず青い目をじっとティファに据えたまま、ポンプにしがみつくようにして立っている。白い顔はこわばったように無表情で、唇はきゅっと緊張の一線を崩さない。
　わたしにいじめられると思ってるのかな。いじめてもいいけど、もうすぐごはんだし。
　ティファはまだしばらく少年を見つめてから、ふいときびすを返した。まあいいや、変な子に関わるの、よそう。
　彼女は家に向かって歩き出した。
　夕刻のニブルヘイムでは大抵、みな急いで家に帰るのに夢中だ。夜には狼の遠吠えが聞こえてきて、巨鳥も上空を散歩しはじめる。村におりてくることは滅多にないが、それでも太陽の光がなくなれば、それらの獣の世界が身近に迫ってくるように感じられるものだ。
　ティファは空を振り仰いだ。真っ赤な天蓋に一番星が貼りついている。
「ティファ、だよな？」
　ふと背後から漂ってきた自信のなさそうな声に彼女は足を止め、目をおろしながら振り返った。
　いまだ給水塔の陰にぽつんと立っている金髪の少年。
　彼女はまばたいてから、ちょっと首を傾げた。「あなたはクラウドでしょ。お隣さん」
「おれ、クラウドだ」彼は頷いた。「でも、ティファはティファだよな？　あのティファで、ティファじゃなくなってないよな？」
　……？
　ティファは振り返った姿勢のまま、困惑して立ちつくした。「わたしはティファよ」
「本当に？」
　この子、わけわからない。やっぱり無視するほうがいいな。ティファは帰り道のほうへと向きなおった。
「おれ」クラウドがぽつりと呟いた。「ここにいるから」
　ティファはまたついつい振り返ってしまう。「みんなと遊べば？」
「おれ」クラウドはちょっと声を大きくして叫んだ。「ここにいる。明日も、ここにいる」
「わかった、明日ね」ティファは軽く吐息をつくと、今度こそ家に向かってきっぱりと歩きはじめた。
　クラウドのその言葉が、もしかしたらふたりで話したいことがあるという意味なのかなと考えたのは、夜、ベッドに入ってうとうとしはじめた頃だった。
　そして翌朝にはすっかり忘れていた。なぜなら、その日は友達の誕生パーティーがあったから。
　学校から帰ってすぐさま用意してあったプレゼントを抱え、その友達の家に行き、ケーキとお菓子とお茶やジュース、ゲームやおしゃべりに興じているうちにたちまち一日は過ぎていく。
　昨日のクラウドの言葉を思い出したのは家の玄関のポーチに足を踏み入れたときだった。
　あ、と振り返れば、家の前にひろがる広場のその真ん中にぽつんと取り残されたような給水塔が見える。夕陽の光もほとんどなくなったその中でうすぼんやりと建っているその塔が、まるで泣いているように見えたものだ。
　だから思わず彼女は走ってしまった。
　伸びあがる給水塔の黒い影は、頭上に輝きはじめた星の天井を羨ましげに振り仰いでいるようだった。
　ティファはその足もとをぐるりとまわってみた。だが、クラウドは見あたらない。薄暗いせいで見落としたかと、彼女は自分よりも背の低い細い少年の影をもう一度捜してみた。
　待ちくたびれて帰っちゃったかな。もっと早く思い出してあげればよかった。でも、約束したわけじゃないし……もしかして彼の中では約束になっちゃったのかな。どうしよう。
　クラウドの家は知っていた。なにしろお隣だ。
　ティファはまた給水塔を振り仰いだ。無骨な巨大ポンプは全体が金属のかたまりだが、点検のためか、ところどころ作業場が木の板で組んである。そのまっすぐな影が、もう完全に夜空になった星の光を切り取っていた。
　と、その端でちらりと動くものがあった。細い二本の足だ。
　クラウドは給水塔の上に登っていたらしい。地面の上を捜しても見あたらないはずだ。
　ティファは何度か深呼吸してから、しかし、彼を大声で呼ぶのはやめておいた。その代わり、自分も上に登ってみようと考えたのだ。
　給水塔に登るには細い梯子しかなかった。友達の誕生パーティーのために水色のワンピースでおしゃれをしていた彼女は、ちょっとだけ躊躇したものの、覚悟を決めると思いきってその錆だらけの鉄棒を握る。
　どうにかよじ登ってみれば、クラウドは足場の狭い板の上、それも端のほうにちょこんと坐って両足をぶら下げていた。青いシャツに緑色の半ズボン。わたしよりもひとつ年上で、もうすぐ十四歳って聞いてたけど……ちっちゃいわね。
　ティファは細い足場の上を慎重に歩きながら彼のそばに近づいていった。「お・ま・た・せ。なーに？　話があるって」
　クラウドはちょっとびくっとしたように身じろぎしてから、金色の頭をゆっくりとまわして彼女を振り返ってきた。話ってなんだとでもいうような、きょとんとした目だ。
　……用があったんじゃないのかな。
　ティファはその場で坐りこんでクラウドと同じように足をぶら下げてみた。あらためて見おろすと結構、高い。こんなところにひとりで登ってこれるなんて、もしかしたら意外と逞しい男の子なのかな。
　振り仰げば星空が迫っていた。天蓋にいっぱいに散らばった星々の光の粒が、いまにも頭の上に落ちてきそうなほど。ティファは思わず見とれていた。
　夜って、こんなにきれいだったんだ。
「おれ……」ふと、クラウドの声がどこからか漂ってくる。
　目をおろせば、だが、クラウドは先ほどと変わらず足をぶらつかせ、やや俯きかげんに背を丸めているだけだ。
　もうひとつクラウドは足を振ってから、やっと続けた。「ミッドガルへ行くよ」
　ティファは驚いてまばたいた。こんなにちっちゃいのに、もう出稼ぎ？　あ、いえ、わたしよりひとつ年上だったんだっけ。でも、大丈夫なのかな。みんなの話じゃ、この子、ものすごいおばかだっていってた。雇ってくれるところ、あるのかしら。
　だが、ティファは遠慮のない言葉は控えた。「……男の子たちって、みーんな村を出てっちゃうね」
　クラウドは首を振る。「おれは、みんなとは違う」
　うん、そうね。
「ただ仕事を探すだけじゃない」クラウドは立ちあがった。足音を立てず、勢いをつけたとも見えないのに動作も素早くなめらかだ。
　そして彼は軽く両手を広げる。まるで夜空のむこうに求めるなにかがあるように。「おれ、ソルジャーになりたいんだ。セフィロスみたいな、最高のソルジャーに」
　絶対、無理。
　英雄セフィロスっていったら、とっても強くて大きくてかっこいい戦士だ。村の女の子たちも、きゃあきゃあ言って騒いでる。それに、簡単にソルジャーになれるなら誰も苦労しないわ。
「セフィロス……英雄セフィロス、か」ティファは呟いた。「ソルジャーになるのって、とっても、とっても、とおおっても難しいんでしょ？」
　クラウドの背中がちょっとこわばったように見える。がーん、と大きな石でもしょいこんだみたいに彼は項垂れ、そのままのろのろと足場を奥のほうへと進んでいく。
　そこからまたわずかに段をのぼれば給水塔の頂上に立つことができた。クラウドはそこへ跳びあがり、また夜空をぐるりと見まわす。「……しばらくのあいだ、村には戻れないな、きっと」
　しばらくのあいだ、か。それがどのくらい長いあいだのことを言ってるのか知らないけど……。ティファは少し考えた。
「ねえ、クラウド」
「……うん？」
　振り仰いで彼の様子を見れば、夜空を背景に青い目がきらきらと星のように輝いて彼女を見おろしてきている。決意のみなぎる口もと、それにまとまりきらなかった髪がぴんぴんとあちこちに跳ねて、なんだかぴょこぴょこ期待に踊っているよう。
　うん、せっかくの大きな夢だもの。この子に絶望を贈るのはわたしの役目じゃないと思う。
　ティファはまたちょっと考えてから頷いた。「ソルジャーになって大活躍したら新聞にも載るかな？」
　クラウドはどうやら期待を膨らませたみたいだった。大きく頷く。「頑張るよ」
　まあ、適当にね。
「ね、約束しない？」ティファは、もう少し目標を大きくしてやろうと思いついて言ってみた。「あのね、クラウドが有名になって、そのとき、わたしが困ってたら……クラウド、わたしを助けに来てね」
　クラウドはきょとんとまばたいた。「はあ？」
「わたしがピンチのときにヒーローが現われて助けてくれるの。一度くらい経験したいじゃない？」ティファは思わぬところで自分の夢がぴったり重なったことに嬉しい驚きを隠せなかった。
　そうよ、どうせ夢なんだもの。大きく出たっていいじゃない。実現しても、しなくても。
　だが、クラウドはいまいち乗ってこない。「はあ？」と相変わらずきょとんとしている。
　ティファは立ちあがり、両手を腰に当てて彼をまっすぐ睨みあげた。「いいじゃないのよ、約束しなさい！」
　クラウドは慌てて頷いた。「わかった……約束するよ」
「よし！」
　ティファは跳ねるようにして起きあがった。
　両拳をしっかり握ってガッツポーズを決めたまま、はたと見まわせば、そこは薄暗いセブンスヘブンの地下だ。隣ではジェシーが寝息を立てていて、列車墓場で拾った板を仕切りに、そのむこうからバレットの鼾が聞こえてくる。
　七年前の約束か……懐かしい夢見ちゃったな。この五年間、思い出すこともなかったっていうのに。
　まさか、あのちっちゃくておばかなクラウドが本当にソルジャーになってたなんて。しかも、あんなに貯めこんでるなんて。
　些細な疑問はいくつかあるけど、とりあえずこの先行投資は無駄じゃなかったってことよね。
　わたし、ずっと彼のそばにいて、しっかり手綱を握っておかなきゃ。
　ティファは伸びをするのと同時に大きく深呼吸した。「今回の作戦にはわたしも行くからね、バレット」
　仕切りのむこうから鼾が返事をしてきたようだった。