１ 降格
あ、しまった。
その呟きがザックスの頭の中を駆け抜けたのは、しっかり上官をぶん殴ったあとだった。
いや、だってよ、しょうがねえだろ。頭に来ちまったんだし。
神羅はいま、ウータイとの戦争の真っただ中だった。西大陸に上陸侵攻して早二年、ハイデッカー総指揮の軍隊はのろのろと蟻のように進んでは蛇のように後退し、いわゆる膠着状態が続いている。
このさい、ハイデッカーを更迭して、各地の治安維持に動いているセフィロスを代わりに総指揮官に据えようという動きが持ちあがっていた。
んで、おれら第三機動隊も出動ってときになってよ、この馬鹿隊長、歩兵隊を押しつけられて、くさってたんだよな。まあ、確かに間抜けな編成だとは思うぜ。よりにもよって機動隊に歩兵部隊を組みこみやがるんだからな。一般兵、ソルジャー混成とはいえ、まがりなりにも機動隊っていうからには機動力がものを言う部隊なんだ。装備一式以上担いでのろのろ戦線を確保していくのとは、ちっと毛色が違う。
それに関するぼやきまではまだいい。おれも上はなに考えてんだって呆れたもんな。けどよ、この馬鹿野郎、いざとなりゃ歩兵隊をおとりに使えるなんて方向に思考を切り替えやがったんだ。
ついでに足手まといだのぐずだのって汚い単語を聞かされた日にゃ、殴るしかねえだろうがよ。
しかし、こいつの間抜けづらったらねえよな。部下は黙って命令に従うと信じて疑ってなかったって顔だ。父ちゃんにも殴られたことねえのにと、いまにも喚き出しそうだぜ。
「ソルジャー2nd・ザックス！」上官は悲鳴みたいな声で叫んだ。「貴様、降格だ！」
言うと思った。
「そんなにあのくず連中が可愛けりゃ、おまえが面倒見ればいいだろう。いや、ついでに軍曹にしてやる。あいつらの仲間に入れてもらえ！」
おかげでおれはまた歩兵部隊に戻って戦場に行き、実戦経験の乏しい小隊長どのの補佐をしなきゃならねえってわけだ。しかも、わざわざおれが殴った上官のいる第三機動隊の下でこき使われる予定だし。
「どうせなら別の歩兵隊に配属してくれりゃいいのに。それに、降ろすにしても曹長ぐらいにしてくんねえかなあ」ザックスはぶつぶつこぼしながら、ミッドガルは神羅カンパニービル、治安維持本部に出頭したのだった。
二階級降格じゃ、這いあがるのに時間かかっちまうよ。ってか、思いっきり私怨ぶちまけてるってのに、人事のやつら、よくも決済しやがって。
もっとも、どれほど頭に来ただろうが殴ったこと自体を反省していないからこその処置なのであるが、しかし、本人は気がついていない。
それにしても、ソルジャー2ndのくせに下士官だなんて、きっとおれだけだろうなあ。ちぇっ、幹部になったから1st試験受けようと思ってたのに。下士官じゃ受験資格ももらえねえし、どうすっかなあ。
今度の上官がもう少し気の合うやつならいいんだけどな。そしたら、ちょこっと手柄立てただけで、なんとか准尉に返り咲けるかもしれねえ。このご時世、のんびり昇級試験受けて階級をあがっていくやつなんていねえし、おれは勉強なんてごめんだしよ。だったら現場で活躍しねえとな。そのためには、このおれを充分使いこなせるやつでねえと。
ザックスは辞令を第一〇五歩兵小隊の隊長のところへ持っていった。
あんたんところに配属されたぜ、よろしくな、ですむと思っていたのに、今度の上官もやたらとくどくど喋るのが好きなやつだった。どうやら、うだつのあがらん中隊の下にいるよりも、ソルジャーが指揮する機動隊の直下に組みこまれたのがひどく嬉しいらしい。あんた、あの隊長はごみぐらいにしか見えてねえんだぜ。威張るなっての。
はあ、なんでおれって、こういうのばっかりに当たるんだろう。女性士官ていねえかなあ。相手が女なら、性格がどうだってうまくやってける自信あるんだけど。
着任の歓迎、挨拶から小隊における公私生活全般にわたっての諸注意、曹長の紹介、ザックス自身の仕事の内容、などなど。くどくどくどくどくどくど。
やってられっかよ。
しかし、我慢だ、我慢。
1stになるためには、まず幹部にならねえと。幹部になるためには……ああ、ちくしょうめ、軍隊なんか、でえっ嫌えだ。
ようやく解放されたのはザックスの忍耐力が使い果たされる直前であり、すっかり夕刻になってしまった頃だった。
んでもって、早朝には出発とか言いやがるんだよな。ガールフレンドたちに別れを惜しむ暇もありゃしねえ。
とはいえ、兵舎に帰る気にもならず、いつものとおり五番街をぶらつくザックスであった。
ミッドガルは数年前に完成した人工都市で、現在は最高潮とも言うべき繁栄を誇っている。市場は大きくなり、どっしりと安定して、娯楽を提供する店も劇場も盛りだくさんだ。世界各地から人々が押しかけ、どんどん街は膨れあがっていく。ここいらにないのはウータイ料理の店とチョコボだけだろう。
もちろん神羅系列の店が大半を占めるものの、酒場にレストラン、喫茶店、服飾店や書店、小物類や道具屋、各ショールームにあれこれの情報サービス業。
果物屋に菓子屋、花屋……。
と、彼の目の前に小さな黄色い花が突き出された。
「はい」と声をかけてきたのはピンクのリボンで長い髪をまとめた可愛い子ちゃん。やはりピンクのロングスカートと上着をひっかけているが、大人の女性というにはまだまだ趣味が幼すぎる。
「よう、エアリス」ザックスは立ち止まり、彼女に向きなおった。「こんなに遅くなっても、まだ商売か？ 子どもはもう、帰れよ」
「もう、すぐ子ども子どもって。これでもスラムじゃ大人の部類に入るんだから」彼女は口を尖らせ、しかめっつらをしてから花を籠に戻した。「そりゃ、わたしはまだ十五歳で、ザックスから見れば全然魅力のない小娘でしょうけど」
彼女は花売りだ。こういう繁華街でバスケットひとつ持って声かけてるからって変な商売をしているわけじゃない。純粋に、ただ花を売ってるだけだ。
それも本物の花を。
そこらに立派な店舗を構えている花屋ってやつに置いてあるのは、ほとんどが造花だ。でなければ温室でしか咲かないような熱帯性のものしかない。しかし、彼女は自分で花を育て、それを売って生活していた。
魔晄炉ができはじめてからこっち、ここいらあたりじゃ滅多に花なんか咲かなくなっちまった。よっぽどいい土を持ってきて、こまめな手入れしていないと双葉だって芽吹きやしない。エアリスもかなり苦労して育ててるだろうに、一輪一ギルから十ギル程度で気前よくばらまいていた。もっと高く売りつけてやってもいいと思うんだがねえ。
「魅力ならあるけどな」彼は彼女の頭を軽くはたいてやった。「けど、色気がねえの、色気が」
「最初はそっちから声をかけてきたくせに」彼女は言ってから、しかし、すぐに眉を寄せた。「ところで、今日はどうしたの？」
「あん？」
「ザックス、元気ないもの」
鋭いね、この子は。「まあね、左遷させられちまったからさ」
「左遷って……どこか行っちゃうの？」エアリスは不安げに首を傾げた。「やっぱり戦争？」
「ウータイまでな」彼はまた彼女の頭をはたいた。「心配すんなよ。ちゃっちゃっと終わらせて戻ってくっから」
「べつに心配なんかしてません」彼女はつんと横を向いてみせる。「じゃあ、六番街のマリアや七番街のカレンにも伝えておくわ。どうせ彼女たちにまで挨拶する暇はないでしょ？」
「できりゃ、三番街のミーナにも」
エアリスはバスケットの底でザックスの頭を叩いた。「もう、忙しい忙しいって言ってるくせに、どこでどうやって女の子口説いてまわってるのよ。もっとも、わたしは友達が増えるからいいけどね」
「いや、なんで女の子同士で仲よくできるのか、おれのほうが不思議なんだけど」
「みんな、ザックスなんかとっくに眼中になくなってるわよ」
「ひでえ」ザックスは背後にあるカフェに親指を立てた。「ま、ここで会えたんだから、とりあえず一杯飲んでくか？ ケーキはどうよ」
「残念。わたし、もう帰らなきゃ。不良青年と、いつまでもつきあってられないの」いっ、と歯を剥き出しながら、しかし、彼女はすぐにまじめな顔に戻った。「ほんとはもっと奢らせたいんだけどね。今日は家にツォンが来るんだ」
ああ、タークスの使いっ走りね。
彼女と彼女の母親は、なぜか神羅へ招致されている。その理由は彼女も話してくれないが、何度となく調査課のあの黒い制服とは彼女の家でお目見えしたものだ。
「わかんねえなあ。神羅に生活の面倒見させて適当に贅沢すりゃあいいじゃねえか」ザックスはあたりをぐるりと示してみせた。「スラムに住むんじゃなくて、こっちにあがってこれるし、苦労して切り詰めなくたって」
「そういうの、いやだな」
ザックスは軽く肩を竦めた。
「わたしはお母さんと、お花と、そうね、たまにこうやってザックスとお話できればそれでいいし」
「毎日でもデートしてやるって」
「ザックスの約束はあてにならないもの」彼女はくすくす笑いながら手を振る。「じゃあね、無事で帰ってくるのよ」
駅のほうへと駆け去っていくピンクの影を見送りながらザックスは吐息をついた。
不思議な少女だとは思う。出会ったとき……もちろん、スラム育ちであちこち身体の線に乏しい子どもを、ひっかけようなんて気持ちで声をかけたわけじゃない。
ただ声をかけたくなっただけなんだ。
可愛いことは可愛いが、たいして目立つ容貌じゃないし、あの年でピンクの服を着てるんだから、子ども子どもしてるのは一目瞭然だ。お持ち帰りなんかしたらそれこそ犯罪者だし、それでなくても、カフェに連れこむだけでも咎められそうなほど、なんというか、清純そのものだった。
ところでザックスは、そうしたおきれいな女の子はあまり好きではなかった。それなのに彼女には声をかけてしまったのだ。いまだにどうしてそんな気になったのか彼にも首を捻ることで、それでもまだ清く正しいおつきあいは続いている。
おかげでミッドガルに戻ってくるたび、部屋に花が一本、また一本と増えていく。おれみてえな男が兵舎に花瓶飾ってるんだぜ。笑っちまうよ。
そうしてぼんやりしていたら、今度は後ろからいきなり首を絞められた。「聞いたぜ！ また降格だってな」
なにやかやと、こういう繁華街には神羅兵がうろついているものだ。そしてザックスが知っている顔など五人にひとりはいる。
彼はその腕を振りほどき、相手を蹴り出した。「うっせえな、今度もまたまた、あっというまに昇格してやるって」
「てか、今度は階級まで下げられたって話じゃねえか」
「まあな」
「大丈夫なのか？ まったくおまえ、殴る癖さえなけりゃ、いまごろは幹部でもベテランクラスなのに」
「言うなよ、虚しくなるから」
ザックスはそれから出会う知りあいを片っ端から捕まえ、そのまま酒場に流れこんでいった。
こうなりゃ、降格祝いだ。