SOLDIERS

１　置手紙

　ぽかぽか陽気の秋の午後。珍しくスモッグの少ないミッドガル。小春日和というにはまだ早いが、そう言いたくなるほどの陽射しだった。
　ザックスは例によってデスクの上にひたいを載せ、いつも以上に完璧に熟睡していた。
　その安逸な睡眠から彼を蹴り飛ばしたのはセフィロスの怒鳴り声だ。もっとも、それはザックスに向けて発せられたものではなかった。
「チョコボのＩＤカードを使うなと言っておるだろうが！」
　ザックスがびくんと飛び起きると、目の前を黒いファイルが横切っていった。それは執務室の入口へとまっすぐ飛んでいき、ちょうどそこに立っていたベアーズ少佐に当たる――かと思われた。
　しかし、さすがはクマさんである。ファイルの角が彼のひたいに命中するかと思われた矢先、彼はチョコボの縫いぐるみを着た湯たんぽ――クラウドの部屋にあったものだ――を掲げて防いだ。ファイルの角を正面から受けたのは、可哀相に、チョコボの間抜けづらだ。
　ファイルがぱたりと床に落ちる乾いた音が、どこか虚しく響いた。
　ザックスは溜息をついた。「なに、クラウドがどうかした？」
　ベアーズ少佐がひとりでここに来るということは、大抵、クラウド絡みで事件があったとか、予定が変更になったとか、あるいは少佐自身が急遽、休日を取ることになったとか、そんなものだ。
「それはこちらが訊きたいことで」と彼は、むっつり言った。
　セフィロスが椅子をぐるりとまわし、少佐を正面に見据える。「どういう意味だ」
「午後の訓練に連れ出そうとしたところ、この置手紙があるきりで本人の姿がどこにも見えません」少佐はピンクのイチゴ柄のメモ用紙を広げてみせた。
　なんでイチゴ柄なのかはあまり考えなくていい。だいたい、クラウドが自分でそんなファンシーグッズを買うわけはないし、どうせ神羅ビルの受付嬢からのプレゼントかなにか、成り行きでもらい下げたものだろう。
　ベアーズ少佐が問題にしているのは、そのメモに書かれたふたつの……ふたつの……。ザックスは悩んだ。文字と言っていいんだろうな、あれ。

　おれは行く

　そのふたつの単語、全部で三つのアルファベットだけ、なんとか読める文字で書いてある。というか、目的語はねえし、もちろん前置詞もねえ。たぶん、時制なんぞ頭から考えてないだろう。そのうえ、こんな単純なものさえぐにゃぐにゃに見えるっていうのも、ある意味、器用だぞ、クラウド。
　セフィロスはベアーズ少佐の手に掲げられているメモを長いあいだ睨みつけていた。
　しばらくしてから、やっと眉をひそめる。「どこへ？」
「それがわからないから、ここに来たのです」
「……俺たちが、あれの行動を理解できるとでも？」
「できませんか？」
「できん」
　ザックスは手をあげた。「なあ、午後の訓練ってソルジャー特化訓練だろ。そっちに行ったんじゃないのか？　もう、場所は覚えているはずだし」
　少佐は首を振った。「午前中は確かにあちらにおりました。教官の話によると、跳び箱がとべないので昼に食いこんでまで居残らせたそうなんですが」
「それで拗ねたってか？」ザックスは半信半疑だった。「だいたい、あいつが跳び箱とべないって、そんなわけねえだろ」
「うむ」とセフィロスも頷く。「ダンベルが持ちあがらんというのならともかく、飛んだり跳ねたりするものでクリアできないものはなさそうだがな。毎朝、あれほど俺を正確に蹴りつけていくのだ」
「単に助走距離と踏み台の位置の問題ですがね」
「なんだそりゃ？」ザックスは訊いた。
「無理やり周囲の候補生たちに合わせて歩幅を大きくするので、どうしても踏み台に辿りつくときに中途半端に足が余るのです。その結果、手前か行きすぎかのどちらかで踏みこんで間に合わず、跳び箱そのものを蹴りつけ分解してばかりで」
　チョコボが一生懸命走る。跳び箱の手前でつんのめる。ぶつかると思った瞬間に身体を捻り、まわし蹴りを跳び箱に叩きつける。どんがらがしゃんと分解する跳び箱と怒鳴る教官の声。なにか勘違いして、「勝った」とガッツポーズを作るクラウド。
　それらのことをザックスは一瞬のうちに想像してしまった。
「跳び箱はともかく、昼ごはんを食べられなかったというのが気になるのですよ」ベアーズ少佐は真剣に訴えた。
「それは……」セフィロスが唸る。「深刻な事態だな」
　こらこら、わざわざ深刻にするな。
「常に時報と同時に食堂に飛びこんでいたあの子が……ああ、不憫でなりません」
　不憫って……。ザックスは瞑目した。なんかさ、幸、不幸の判断基準が、おれら、どんどんずれてきてねえか？
「まさか」ベアーズ少佐は、むっつりしたクマそのものの顔でセフィロスに迫った。「たった一度、昼ごはんを食べられなかったために、人生を悲観して……」
「馬鹿な」
「一笑できますか？」
「………」セフィロスは沈黙した。
　だからさあ……。ザックスは吐息を抑えた。昼飯の一度や二度のことで、なんだって天下の英雄がそんなまじめな顔になるわけ。
　彼らは微妙な沈黙の中にいた。
　窓からの陽射しがみるみる弱くなり、ミッドガル特有の曇り空が戻ってくる。
　深刻な顔をした佐官と将官の周囲もそれとなく暗く重い雰囲気に染まりかけた。
　そこへ内線のブザーが鳴ったのである。
　セフィロスは少佐を見つめたまま右手だけを動かし、マイクを繋いだ。「なんだ」
『タークスのヴェルドです』
　クマさんの顔から視線を外すと、セフィロスはいやそうに眉を寄せた。