The education of the child
粉ミルクの問題
今日は粉ミルクというものを手に入れた。
いつもいつも、ミズ・ストライフの家で牛のミルクをもらっていたのだが、赤ちゃんも大きいし、この白い粉だけでも充分だと言われて、譲り受けてきたのだ。
どうでもいいが、どうしてこういう商品の説明書きは、やたらと小さい文字でびっしりと書いてあるのだろう。結局ろくに読めず、よくわからなかったので、私は先日購入した『初めての赤ちゃん』という本をおおいに頼ることにした。
まず、哺乳瓶を煮沸消毒しなければならないらしい。哺乳瓶はいちおうある。やはりストライフ家からのおさがりだが、過去ミズ・ストライフも使ったという年代物だ。
だが煮沸……煮たり沸かしたりするのか？ この哺乳瓶は、セフィロスに必要がなくなったら、きちんときれいにして返さなくてはならない。ミズ・ストライフが、自分に赤ちゃんができたら使うのだと言っていたのだ。あまり破壊するような真似はしたくないのだが……やらなくてはならないというのなら、仕方がない。
イン＆ヤンに鍋を押しつけ、水を汲みに行かせるかたわら、私は手順をじっくりと頭の中に入れた。
やりかたはいくつかあるが、煮立ったお湯の中に哺乳瓶を入れるか、高温で蒸すか……ふむ、火で直接炙ってはいかんのだな。鍋に入れて蓋を閉め、はじめちょろちょろ、なかぱっぱ。じゅうじゅう吹いたら火を止めて、赤子泣いても蓋取るな。
……ああいかん、このあいだ読んだ『おいしい米の炊きかた』とごちゃごちゃになってしまった。
セフィロスが、腹が減ったと、ぎゃんぎゃん喚いているが、この作業が終わるまでは我慢してもらうしかない。
イン＆ヤンがやっと水をいっぱいにした鍋を持ってきたので、私はアルコールランプの上に石綿を立て、鍋を炙って湯が沸騰するまで待った。
沸騰してきたので、私は哺乳瓶を放りこんだ。おおそうだ、吸い口もいっしょに入れなくてはならん。それも放りこみ、私はもう一度、粉ミルク缶にある説明書に取りかかった。
ふむ、お湯に対しての分量が書いてあるな。私は鍋に入っている湯の体積をひと目で推し量り、きっちり十杯、備えつきの軽量スプーンでミルクを入れた。
ふむ、なかなか甘ったるいいい匂いがしてきた。
「あら、なに作ってるの？」
振り返れば、地下研究室の入口にミズ・ストライフが立っている。この神羅屋敷は放置されて久しく、いまはモンスターの安全な棲処となっているというのに、この娘はどうやって無事に通り抜けてくるのだろう。
「なにか用か」私は素気なく言った。
「赤ちゃんに玩具持ってきたの」と彼女は、小さな三つの車輪のついた複雑なパイプで組みあげられたものを、ひょいと手にぶらさげてみせる。「三輪車」
「そうか」私は鍋の蓋を閉め、セフィロスを抱きあげて彼女のほうへ放り投げた。
ミズ・ストライフは投げられたものをいったん蹴りあげ、ちょうどよく片手に落ちてくるようにわずかに立つ位置を変える。相変わらずの足技だな。
セフィロスはそれまでうるさく泣いていたのだが、ミズ・ストライフの腕の中に収まった途端、硬直したようにぴたりとすべての活動を停止した。驚いたのか、彼女を恐れているのか、どちらともわからんが、おとなしくなったのならそれでよし。
「ほらほら、嬉しいでしょ。ヴィンセントは、こういう玩具のことなんかなんにも考えてないもんね」ミズ・ストライフは、手足を縮めてかたまっているセフィロスを強引にサドルにまたがせていた。
私の見るところ、セフィロスは、その三輪車を動かすことはできないだろうと思う。なぜなら両足がペダルに届いていないし、ハンドルも握れないだろうからだ。
「おや」ミズ・ストライフの声が一オクターブ下がった。「あたしの贈りものが気に入らないの、坊や、ん？」
セフィロスはびくびくと両手を伸ばし、どうにかこうにかハンドルを握ろうとしていた。だが握るためにはサドルからおりなくてはならず、おりたらおりたで立っていられない。
私はいちおう助け船を出してやった。「きっと、その玩具は高尚すぎるのだ。セフィロスはまだ赤ん坊だからな」
「そう？ 乗れるようになるのって、どのくらいなの」
「二十歳ぐらいではないかと思う」
ミズ・ストライフは二十歳になったセフィロスが三輪車で遊ぶ光景を想像しようとしたらしい。やがて厳かに頷いた。「わかったわ。二十歳になったら乗ってみせてちょうだいよ」
セフィロスはこくこくと頷くと、ほっとしたように身体じゅうから力を抜き、床に転がった。
ミズ・ストライフは三輪車とセフィロスをまたいでヴィンセントの隣に来ると、鍋の蓋を取った。「なに作ってるのよ。豆乳鍋？」
「似たようなものかと。入れたのは粉ミルクなのだが。果たして、これで煮沸消毒になるのか」
「よくわからないけど、鍋にしては具が……」ミズ・ストライフは眉を寄せた。「ちょっと、なに入れてるのよ。これは、あたしのおさがりの哺乳瓶じゃない」
「いや、だから――」
「食べれないものを入れるんなら、闇鍋にしなさい」ミズ・ストライフは、熱い熱いと言いながらも哺乳瓶を鍋からすくいあげ、あたりを見まわした。「どこかにお肉とかお魚とか野菜とかないの。キノコでもいいわね」
私とイン＆ヤンは彼女の指図するままに食材を集めた。研究室の隅に生えていた茸をいくつかと、干からびたワカメ、育ったジャガイモなどが見つかる。魚は無理だったが、肉はファニーフェイスで代用した。
そうしてぐつぐつと煮立つミルク鍋を、私たちはおいしくいただいたのだが、キノコの食べあわせが悪かったのか、ミズ・ストライフがいきなり笑い出し、小一時間、腹を抱えて部屋じゅうを七転八倒しはじめたものだ。
私はきれいに平らげられた鍋を洗いながら、ふと本来の問題が解決していないことに気づく。
笑いながら転がっているミズ・ストライフのむこう、寝返りを打てるようになったセフィロスが、彼女からできるだけ離れようともがいているのを私はじっと見つめる。
そう、私はあの赤ん坊の食事を作っていたはずなのだ。
それがなぜ、私たちが食べてしまうことになったのか。私はいったい、なにを間違えたのだろう。またひとつ罪が増えたような気がする。
私は疲労感に打ちのめされ、再び煮沸消毒やらいうものをする気力もなくなった。
粉ミルクの缶蓋をあけ、セフィロスを拾いあげ、そのふたつを実験用作業台に向かいあわせにして置いた。
「好きなときに好きなだけ食え。それでいいな？」
セフィロスはじろりと碧い目で私を見あげると、小さな手を缶に突っこみ、その手についた粉ミルクをぺろぺろ舐めはじめる。
うむ、なかなか利口だ。
ミズ・ストライフに逆らわずにいることも学習したようだし、そろそろ外に連れていって散歩させるのもいいかもしれんな。
いっそのこと、早いうちから英才教育を施すか。三歳にもなれば、アルテマを使えるようになるだろう。
愛しいルクレツィアの代わりにセフィロスを立派に育てるのだと、決意も新たにした私の背後では、イン＆ヤンが、笑い疲れて瀕死の呻き声をあげているミズ・ストライフに鎮静剤をさし出していた。