IVALICE

〈ビュエルバ魂〉――
　それは人の本性を垣間見せるという。
　たんに酒好きの人が喉から手が出るほどに欲しがるだけの、なかなか手に入らない名酒というだけのことなのだが、しかしその味を一度覚えてしまえば、そして一度泥酔すれば、誰も彼もが普段の仮面をかなぐり捨て、本性を曝け出し、道端に転がることになるそうだ。
　例えば良妻賢母の、優しく子どもたちをおおらかに育てている奥さんがそれを飲めば、すぐさまテーブルの上に乗って仁王立ちになり、夫を罵倒しはじめたりする。また気の弱そうなバンガがそれを飲めば、バーのカウンターでチョコボにちょっかいを出そうとしていた銀髪の男に殴りかかったりするし、むっつり無口な男がいきなり、「ネコちゃーん」と叫んで、うっかり通りがかった黒猫ロボットを追いかけるなど、珍現象が相次ぐのだ。
　普段は抑圧されている隠された願望を解き放ち、醜態を晒したり、意外な面を曝け出すというのは、本人にとってこれ以上ない解放感を味わえるというものだ。酒は素晴らしい文明の所産だった。
　そして銘酒〈ビュエルバ魂〉――
　市場での売却相場はたった二百五十ギル。しかしそれを求める人たちは、その四倍を払ってでも手に入れたがるのだ。
　だが空中都市ビュエルバの名産であるにもかかわらず、住人たちの誰も、どこで、誰が、どんな工程で、その酒を製造しているのかは知らなかった。
　どこかの酒場でこっそりと造られているとか、じつはルース魔石鉱の特別な鉱区でしか醸造できないとか、表向きビュエルバガイドと呼ばれる人々の作る秘密組織の機密事項だとか、あるいは金色のチョコボが運んでくるのだとか、いろいろと噂はあるが、どれとして確認されたことはなかった。
　さて。
　空中都市ビュエルバには〈浮き雲亭〉という、特にモンスター狩りを生業としたハンターたちの集まる大きな酒場がある。飛空艇がターミナルに到着するたびに、その酒場にはどっと人々が押し寄せ、常に満員御礼だ。
　街の各所に配置されているビュエルバガイドという案内人に訊ねても、この街いちばんの酒場は〈浮き雲亭〉だと紹介してくれるだろう。ハンターたちの求める賞金首――通常、モブと呼ばれる凶悪モンスター――の情報もいくらでも拾えるし、なにより酒場といえば、酒と食べもの、休息と喧嘩を楽しむ場所だ。しかも地図にはそれ一軒しか記されていない。繁盛するのはあたりまえだ。
　だが、どうだろう。もしかしたら地図にはない街路があるかもしれない。遠くから見ればただの壁でも、そこを通りすぎた途端に道が現われるという、不思議な通路を持つ墓もあるのだ。
　ミリアム遺跡のそれは、うっかり通路に踏みこんだら最後、オイルタワーというプリンモンスターの亜種がうじゃうじゃと現われて歓迎してくれるが、この空中都市ビュエルバ採掘作業員居住区の片隅にある隠された通路の奥では、小さな酒場が客を迎え入れてくれるのだ。
　その酒場はセブンスヘブンといった。知る人ぞ知る、幻の名店である。
　黒髪の美人女将と小さな女の子が切り盛りする、ささやかながらも暖かい雰囲気のある酒場だ。あらゆる種類の酒が常に用意され、ミルクシェーキからキツいカクテルまで、ティファという若い女将はなんでもシェイクしてくれる。彼女の作る料理はどんなモンスターでも躾けられるほどだ。
　居住区から隠された通路の入口には、ミクリオという子どもがいつも立っている。その少年はこの道を見つける人を選別してくれていた。細かいことを気にしないでいられる神経の太い人か、あるいは酔っ払っている人なら、少年は喜んで店まで案内していく。案内されたその人は、ひと晩じゅういい気分で飲み食いし、そして朝には、すっきりと軽くなった心と財布を胸に帰路に就くのだ。
　だが、いかにも神経質そうで口うるさそうな、「こんな設定はないはずだ！」と重箱の隅を突つくような人には、いきなり目の前で消えてみせたりして脅かし、追い返すのだ。ようするに、この少年は幽霊だったりする。
　そんな特異な場所の隠し通路の、さらに奥にある店……はっきり言って客など見込めない。本当に商売になるんですかと、どこかのロボットの飼い主ではないが疑いたくなるほどだ。
　その日の午後、幽霊少年の横を、黒髪の若女将――ティファが通りすぎていった。「店番はマリンに頼んであるから、ミクリオ、変な人は入れないでね」彼女はグローブを嵌めながら、にっこりと笑いかけていく。「じゃ、よろしく」
　ティファはときどき、こうして店を子どもたちに任せ、ルース魔石鉱へと出かけていくのだった。
　じつは、こんな場所にこんな特異な店をひらいておきながら、それでも充分に生活していける彼女の秘密が、ルース魔石鉱に隠してあったりする。
　ところで、このビュエルバが飛空艇でしか出入りできないという辺鄙な場所にあるにもかかわらず、大都市としてみなに目されている理由が、このルース魔石鉱だった。
　豊富な魔石が採れるということで、ビュエルバの財政は砂漠の王国ラバナスタにも匹敵する。この資源を取引材料として、この都市は大国アルケイディスとも折りあいをつけているのだ。採掘作業のためにさまざまな働き手が集まってくることも、この街を賑やかにしている要因である。
　しかし、魔石から滲み出す魔法のエネルギーにはモンスターが群がるものだ。当然ながら魔石鉱には多くのモンスターが棲息していた。こうしたモンスターたちは、どれほど大がかりな駆除を行なったとしても、いつのまにか、もとどおりに生態系を確保しているものである。
　ティファはその物騒な魔石鉱へと、しかし慣れた足取りで堂々と入っていった。
　坑道に棲息するモンスターは大抵、弱肉強食である。強いものは奥のほうの魔石のエネルギーの濃い場所に腰を据え、弱いものはそのおこぼれを与るように入口近くを徘徊する。もっとも、魔石のエネルギーが乏しくとも、ときどき通りすがりの人間やらバンガやらが、うっかり食べものを落としていったりする（あるいは食べものになったりする）ので、彼らはそれほど気にしていないようだ。
　うろうろとしているスケルトンやスカルアーマーは、骸骨のモンスターである。ティファの拳一発、あるいは蹴り転がすだけで、すぐにばらばらの白骨死体になってくれるから、彼女もあまり相手はしなかった。蝙蝠モンスターのスティールは、ぱたぱたと羽音が鬱陶しいが、意外と臆病な連中だ。二本足のマンモスといった図体の大きなスレイヴは、当然ながら動きも遅いので、余裕で引き離せる。
　ティファは坑道入口からすぐに伸びるオルタム橋――ビュエルバは空中の浮遊大陸の上にあるので、魔石鉱はその浮遊した岩塊の中を掘り進んでいるのだ。したがって、坑道のあちこちで岩の切れ目に出くわし、こうした橋が架けられて安全な道が確保されている。もっとも、この橋や通路をどうやって造ったのかは謎だ――を通っていく。
　橋のむこうの第一運送路をまっすぐ、運搬トロッコのレールに沿って進んでいけば、第二運送路、そしてタッシェ橋へとさしかかる。ここから先は、鉱夫たちもあまり入りこまない区画になる。なぜなら、これまでよりずっと強いモンスターがテリトリーを主張しているし、もっと単純な理由を言えば、掘り散らかしすぎて複雑怪奇な迷路になっているからだ。そしてこのタッシェ橋には、「俺を斃さんと先に進むのは無理だぞ」とわざわざ忠告してくれる門番が、たまに立ちふさがることもある。ギルガメッシュという六本腕を持つ大男だ。
　だがいまは、その門番は留守だったらしい。ティファは橋を支えるいくつかの柱の、そのうちのひとつの陰に、ちらりと犬の姿を見つけた。
「レッド？」彼女はその犬に声をかけた。
　獣は丸まった背のむこうから、ゆっくりと疲れたような身ぶりで振り向いてくる。「ティファ……」
　全身赤い毛で覆われ、ふさふさのたてがみを持つ犬か狼かといった姿のその獣は、彼女の知りあいだった。レッド13、あるいはナナキという名前なのだが、みな13を省いて、「レッド」と呼んでいる。
「どうしたの、元気ないわね」彼女は狼のそばにしゃがみこんで、たてがみを撫でてやった。
「そりゃ」とレッドは後ろ脚で、じゃらじゃらと首から伸びている鎖をひっかいてみせる。その先は柱にしっかりと巻きつけられていた。「こんなもので拘束されてたんじゃね。ねえ、おいら、いつまでこんな境遇に甘んじてなけりゃならないんだ？」
「しょうがないでしょ。クラウドとギルガメッシュでペット取り替えブームになっちゃってるんだから」
「おいら、ペットじゃないよう」レッドはほとんど泣きそうになっていた。「ギルガメッシュもどうして、こんなところに住みつくのかなあ。世界じゅうの剣を集めるっていって、盗賊まがいの真似をするのは……まあ褒められたことじゃないし、しかも、こんなところで待ち伏せしたって効率悪いよ。うまく剣を取りあげられたら骨付き肉をくれるって言うんだけど、相変わらずクラウドしか通らないじゃないか。クラウドから剣を取りあげるなんて、そんなこと、なぜかできっこないし、おいら、一生骨付き肉にありつけないような気がする」
「そう気を落とさないで」ティファは頷いた。「とりあえず、もうちょっと我慢しててちょうだい。ギルガメッシュに会ったら、今度はケット・シーと交換できないか打診してみるから」
「彼は、猫は好きじゃないみたいだよ。きっと犬派だ」
「じゃあ、チョコボはどうかしら」
「やってみる価値はあるかもね」
　ティファはレッドのたてがみを撫でて慰めてから、さらに奥へと進んでいった。
　第九鉱区採掘場を北へ抜ければ、第十一鉱区採掘場になる。似たような構造の薄暗い迷路のような坑道を、しかしティファは迷うこともなかった。もう、ここはおなじみの場所なのだ。蟷螂と蟹を足したようなモンスターのキラーマンティスが、うろうろして坑道を狭めていようと、彼女はそれらを押しのけ、踏みつけ、通り抜ける。
　古いトロッコ車のレールが伸びる場所まで来ると、あとは楽だった。放置されたトロッコに乗れば、彼女の苦手な飛竜モンスターのアイロネートが浮遊するラッシェ橋を、一気に駆け抜けてくれるからだ。一歩踏み外せば真っ逆さまに海に落ちるという場所にある長い橋を、猛スピードのトロッコで駆け抜ければ、そこは第五鉱区採掘場になる。
　石段をあがってさらに第六鉱区、またその明かりも乏しい迷路をくねくねと行けば、ついにその奥の作業準備区、彼女の目的地に到着する。そこには彼女の大事な収入源があった。
　密造酒である。
　そりゃもう、酒を隠すといえば洞窟でしょ。密造ワインを洞窟に隠しておいたら、ブランデーになったっていうエピソードだってあるんだし。
　しかし彼女は、その入口で足を止めた。
　かすかに陽光の洩れる出口が、彼女の立つ場所とは反対側にある。その先はやや突出した岩棚になっていて、もちろんその下は空中だ。こんなところに待ち伏せる敵など、ギルガメッシュ以外いるはずもない。
　彼女は出口から視線を移し、薄暗い坑(あな)の岩壁をぐるりと見渡した。隅に寄せられ、うずくまるようにしてある壊れたトロッコや採掘のための作業機械。これらはもう、動かないが、ひときわうず高く積まれたくず鉄の山の陰には、彼女がこっそりと作りつけた棚があるのだ。ちょっとばかり、ここをうろうろしただけでは見つからないよう、カモフラージュも完璧のはずだった。
　だがいま、その前に人影が転がっている。黒いズボンにくるまれた足が投げ出され、ぐったりと横たわっている青年。
「クラウド？」彼女は目を見ひらいた。
　そこに倒れていた青年は、彼女の幼なじみのクラウドだったのだ。つんつん跳ねた金の髪はもちろん、チョコボ頭として仲間に親しまれている。見間違えるはずもない。白い肌をして、少女めいた顔立ち、細く頼りなげに見えるが、じつは、仲間の中では最強の戦闘力を誇る。
　といっても、素早さではユフィやレッドに追いつかず、魔力はエアリスのほうが上、命中率はヴィンセントがダントツだし、腕力はバレット、脚力もたぶん、シドのほうが高いかもしれない。賢さはチョコボに劣……いえ、言及はしなくてもいいわね。それにしても、ほんとに最強なのかしら。自分で紹介しててなんだけど、自信がなくなってきたわ。
　ともあれ、ティファは駆け寄ってチョコボ頭を揺すった。「クラウド、どうしたの、しっかりして！」
「ひっく……クェッ」彼はしゃっくりのような声を出した。
　彼女はチョコボ頭をぽとりと取り落とす。「酔っ払ってる……？」
　それにしたって、チョコボの鳴き声でしゃっくりなんて……はっ。
　慌てて見まわしてみれば、彼のまわりにはラベルのついていない透明な酒瓶が十本以上は転がっている。そして、積みあげられたガラクタの奥にある岩の中に嵌めこまれた棚を見あげれば……。
　からっぽだった。
「なんてこと！　隠しておいた〈ビュエルバ魂〉が！」ティファはクラウドの襟首を掴み、激しく揺すった。彼の後頭部が、がつがつと岩にぶつかっているが、彼女は気にしない。「どうしてくれるのよ、わたしたちの一か月ぶんの生活費は！」
「くええ……」クラウドは呻いた。
　だめだわ、すっかり本性が顕われてる。酔いを醒ましてもらわないと、どうにもならないわね。彼女はリミットゲージを溜めはじめた。
　と、クラウドが慌ててぱっちりと目をあける。残念、どうも最近、食らわせすぎたみたい。気配だけでファイナルヘブンの予兆を感じ取れるようになっちゃったらしいわ。
「ティファか」彼はのそのそと起きあがりながら、顔をしかめて後頭部のたんこぶを撫でた。
「ティファか、じゃないでしょ」彼女はからっぽの棚を指し示した。「よくも、こんなところにのこのこ入ってきて、よりにもよって、わざわざ隠してあるお酒を見つけるもんだわね！」
「見つけたのは偶然だ」クラウドは立ちあがり、ズボンについた埃をぱたぱたと払った。「バレットに用があって第二鉱区をめざしていたはずが、ここに――」
「今度からは、ひとりで入ってこないで」
「ああ」クラウドは頷いた。「今日はひとりじゃない。ヴィンセントを連れてきたんだ」
「ヴィンセント？」ティファは眉をひそめた。「どこにいるの」
　クラウドは左右を見渡した。「確かに、そばにいたはずなんだが……いっしょに飲んでいたんだ」
　こんな、ひとつ先の通路には凶悪なモンスターが蠢き、うっすらと暗いところで隠し棚を漁り、キャラかぶりとも言われるほど無口なふたりが、浴びるほどに〈ビュエルバ魂〉を流しこんでいる図……ああ、想像したくない。
　クラウドはヴィンセントを捜そうとでもするように、あちこちのガラクタを持ちあげては放り出しはじめた。
　やがて空中に突出している岩棚のほうへと向かう。
　彼は岩棚のぎりぎりに片足をかけ、その膝に肘を置くようにして下方を見おろした。「もしかして落ちたか？」
「みたいね」ティファも同じようにして身を乗り出した。ここから落ちるのは教会の屋根に狙って落ちるよりも簡単だ。
　彼らはしばらくのあいだ、爽やかな青空と薄い雲の下にうっすら見える海の青い色を見つめていた。

　FF12との関連ポイント★銘酒ビュエルバ魂
迷酒とも言われる？　おいしいお酒。市場価格の四倍を払って手に入れようとしている人がいる割には、そこかしこの道端に落ちているという……。スタイラス邸の奥さん以外には難しい条件はなく（アントリオン討伐を終えないと、奥さんはお酒を飲んでくれない）、お小遣い稼ぎ以上の特典はなし。泥酔した人々の姿を見るためだけに、ビュエルバじゅうを駆けまわることになります。