１
エネルギー弾が魔法障壁にぶつかり、オレンジ色の光を円状に放って散ってゆく。そして次の砲弾が間(ま)をおかずに同じような紋様を空に描き、曇った夜空は炎と熱で明るく照らし出されていた。
激突する砲弾の炎が強すぎて、むろん星など臨めない。しかし硝煙と大気の揺らぎを遮って、その空を覆いつくす艦隊の影は黒々と浮かび、ナブディス王宮を睥睨していた。
ナブラディア王国、王都ナブディス――
急速に版図を拡げつつあるアルケイディア帝国の脅威は、この十数年で、この古き伝統ある王国にも忍び寄っていた。隣接する小国が次々帝国に呑みこまれ、ランディス共和国までもがその武力に屈したのちは、ナブラディア国内も動揺が収まらなくなった。
しかし王家は古く、誇り高く、たとえアルケイディアに対抗するためとはいえ、ロザリアなどの新興国――レイスウォール王の時代から血脈を保ってきたナブラディア王家にとっては、ロザリアもアルケイディアも正当なガルテア連邦の後継ではない――の援助をよしとせず、同様にアルケイディアと同盟を結ぶことなど論外であった。
王家は大国に挟まれ、不安定な民心をひとつにまとめようと、第二王子ラスラと隣国ダルマスカの王女との婚儀によって同盟を強化した。ダルマスカはナブラディアと同様、レイスウォールの血を汲み、古くからガルテアの地に君臨してきた王国である。伝統ある血脈の王族同士、その華やかな結婚式とそれに続く祭典。それらは一時的にせよ、ナブラディアの民を喜ばせたものだ。
それが一か月前のこと。
以後もアルケイディア帝国の脅威はますます大きくなり、経済も逼迫、ダルマスカとの同盟があるとはいえ軍備増強も遅々として進まず、その中で親ロザリア派の高官たちが、機密漏洩――つまりスパイの疑惑で投獄された。それはすぐにアルケイディア帝国の工作と判明はしたものの、時すでに遅く、国内ではロザリア派の者たちが不満分子をまとめ、武装蜂起したのだ。内乱はたちまち国内を混乱させ、アルケイディア工作員の煽動もあって、民も貴族もすべてが、誰が敵なのかわからないままに武器を取るというありさまだった。
そしてその内乱を口実にロザリアがナブラディアに艦隊を派遣、それを非難する形でアルケイディア帝国軍が介入した。なし崩しに国土全体が戦場と化したのである。
ロザリア帝国の派遣軍はアルケイディア軍に撃破され、ナブディス王宮は混乱した市街と上空の大艦隊に挟まれ、ただひたすら頑なに魔法障壁を張って最後の防衛線を守っていた。
しかしアルケイディア軍は、大艦隊で上空を包囲してしまうと、地上部隊を投入。混乱した市街を瞬くまに制圧し、王宮の正門をも突破した。ナブディスの誇る魔法障壁も地上には張れないのだ。またアルケイディア軍の最精鋭、ジャッジと呼ばれる集団は、強固な鎧を身にまとい、武力優れた者で、非情とも言えるほどの厳格な軍規で統率されている。敵前逃亡や寝返りが続出し、士気の下がったナブラディア宮廷の親衛隊では、その一糸乱れぬ攻勢を防ぐことはできなかった。
そのジャッジたちの先頭で、二本の大剣を振るい、いまなお向かってくるナブラディア兵を薙ぎ倒していくのは、ジャッジ・ゼクトだった。ジャッジを束ね、アルケイディア国内では法を司り、裁判官とその執行権とを持つジャッジ・マスターと呼ばれる将である。
「俺のあとをぞろぞろついて楽をするな。まだ抵抗している門を内側からあけさせろ。それと、西郭門がまだ手勢が足りんようだ……王はまだ見つからんのか」そう叫びながら、ジャッジ・ゼクトは次々と王宮の扉をひらいていく。「追いつめた敵をあまり刺激するなよ。これ以上、我が軍の損害を出すな！」
ナブラディア王宮はどっしりとした古い壮大な宮殿で、華美さと荘厳さを混ぜあわせたガルテア様式の特徴が顕著だ。巨大な宮殿の構造をしっかりと支える玄武岩の柱や、壁に磨かれた大理石、黒曜石は、幾何学的に組みこまれ、細長くいくつも並ぶ窓の枠は、ひとつひとつ丁寧に彫りこまれた文様で飾りつけられている。
広間ごとの扉は大きく、人ひとりが手で押してあけられるものは少なかった。それらには必ず魔法が使用されていて、その気になればナブラディア王宮は何年でも籠城することができただろう。
しかし古い魔法は、新しい科学という力に対抗するすべはない。それらはレイスウォール王の時代から――それ以前からも――連綿と受け継がれてきた進歩のない力だった。人間たちの隆盛に合わせて築きあげられたものではなく、神に授けられた宝物なのだ。ナブラディア王国は魔法に満ちた国だった。
ゼクトには、この王国を攻めることになんのためらいもなかった。彼は神の力とやらを否定したい人間だったからだ。このイヴァリースにはさまざまな神があるが、そのどれもが彼には苛立たしい存在にしか思えなかった。
そしてその神の力を振りかざし、傲慢な振る舞いをする預言者や神官たち――ナブラディア王はその代表とも言えるべき人物だった。血統を誇示し、アルケイディアやそのほかの国々を新興国として見くだし、強硬な姿勢でアルケイディア帝国の版図拡大を非難した。
世界は動いているのだ。人間はもう、神の力をあてにせずとも歴史を積みあげていくことができる。
ゼクトは一枚岩でできたような重厚な扉を前に、顔をしかめた。「これもまた、大げさな扉だな」
複雑な文様と金箔、銀箔の豪華な縁取り、表面にはびっしりと浮彫があり、石化した蔦が絡まって封印しているようにも見える。実際にそれは、魔法で堅く閉ざされた扉でもあった。
さすがにこうした魔法の封印を解くには、こちらにも魔法に長けた人間が必要だった。仕方がない。
ゼクトは同行させていた魔道士を振り返り、軽く顎を振るようにして促がした。
戦場だというのに長いローブに身を包み、始終俯いたような姿勢の男たちが、のそりと動いて扉の前に立つ。この男たちは軍属ではあるものの、本来はドラクロア研究所の人間だった。アルケイディア本国帝都にある軍事科学研究所といったところか。おもに魔石を研究しているため、飛空艇などで構成されるゼクトの部隊とは、切ろうと思っても切れない関係にある。
いま扉の封印を解除している魔道士たちは、このために連れてきたわけではなかった。今回の侵攻作戦において、ドラクロア研究所のチームを同行させることは、総司令官ヴェイン・ソリドールからの指示でもあった。
なにをするつもりなのかは知らんが……。
ゼクトは魔道士たちの眠りを誘うような呪文の声を聞きながら、ちらりと横を見やった。
横手には別の大広間に続くらしい扉があり、そこは半開きになっていて、陰にひとりの兵士がうずくまっていた。兜を脱いでおり、吐き気をこらえるように片手で顔を覆っている。見たところ、その兵士は若く、そうした光景も珍しくはなかった。
しかし床に転がっている兜からして、その若者はジャッジに属する兵士だ。司法局直下の特殊騎士団であるジャッジは、現在、ナブラディア攻撃の上位指揮権を持っており、いくら新米といえど、一般兵士を統率指揮する責務がある。
「むこうでは、なにをしている」ゼクトは思わず、誰にともなく訊いた。
そばにいたジャッジが即座にそちらへと足を向け、扉のわきでうずくまっていた若者を引きずり立たせた。「なにをしとるか」
若者は汗と涙で汚れた顔をあげた。「すみません……」
「状況を言え」
息を整えるように深呼吸すると、彼は半分扉のひらいた部屋のほうを指し示す。「隣の大広間で……おとなしく投降するよう勧めていたんですが……先輩たちが切れて……」
視線をやれば、隙間から見える暗がりのなか、かろうじて見わけられる床の上に、どうやら大量の血と死体が転がっているらしい。どれほどの人数が暴れたのかはわからないが、部屋の狭さから、この経験のなさそうな若者が逃げ出したのも頷ける惨状ではあったのだろう。
部下のジャッジは、しかし容赦がなかった。「抵抗するなら斬る！ あたりまえだろうが、戦争だぞ、これは！」
「でも……あんな……」と、若者は顔をしかめる。
「敵に同情してどうするか！」
「すみません……」
「情けないではすまんぞ。ようするに貴様は、上官の命令を拒否して戦いもせず、こんなところに、うずくまっていただけということではないか。ジャッジとしてあるまじき――」
「しかし、あれは命令ではなくて――」
「もういい、やめろ」ゼクトは口を挟んだ。そして若者に軽く手招いてみせ、「おまえはいっしょに来い」
「ジャッジ・ゼクト！」
「こんなところで軍法会議をひらいていても仕方がなかろう。あとで処分を考える。とにかく、ナブディスを完全に陥とすことだ」そして部下たちに細かい指示を与えたあと、彼は謁見室へと急いだ。
魔道士たちが取り組んでいた扉はすでに封印が解除され、魔石の力で重々しくひらいているところだ。この大扉を越えれば、ナブラディア王が立てこもった謁見室、そのあとに続く王宮深部まで一直線だった。
そうした状況で、確かに若者の臆病さを責めているような暇はなかった。かといって放置しておけば、若者をいじめるのに夢中になって、ほかのジャッジまでもが動かなくなるだろう。またそれ以前に、そうした光景を見ているのが非常に苛立たしかったのだ。
鉄鋲を打ったブーツで磨かれた大理石の廊下を行きながら、ゼクトはふと若者を見おろす。「おまえ、名は？」
「あ、はい、レダスです」と若者は、小走りに彼のあとをついてくる。
「なぜジャッジになった」その問いは、興味があったからではなく、ほかに会話を繋げる適当なものがなかったからだ。
「父の命令で……あ、父はべつにたいした高官ではなくて、政民ではありますけど――その……」
ゼクトは苦笑した。アルケイディアには血統によって地位を継承する習慣はないが、厳格な身分制度が存在する。表向き、才覚さえあればどんな地位に就くこともできるが、その制度も長年のあいだに腐食しつつあった。政民の多くが子息をジャッジにしたがるのも、一族の地位を高めるためだ。本来なら厳しい審査を通らなければならない司法総局の職員でも、多くが高官、裕福層の子息で埋まりつつあった。
「ジャッジになりたくなかったのなら、なにになりたかったのだ？」
「いまから考えると、ただの反抗だったみたいで……」
「言ってみろ」
「空賊……です」
ゼクトは兜をかぶりなおしながら、かすかに口もとを緩めた。「すべての束縛を断ち切って自由の身に、か。確かに憧れるな」
ジャッジマスター・ゼクトと彼を取りかこむ一団の兵士魔道士は、広い荘厳な回廊をまっすぐ突き進んでいった。