りばあす

エアリスの場合

　クラウドは走っていた。
「こっち、早く、早く」と急かしてくるのは、つい先刻出会った花売りの娘だ。
　ここは五番街の外れにある寂れた教会だった。いや、ほとんど教会址と言ったほうがいい。ステンドグラスの嵌まった縦長の窓の列には厚く埃がこびりつき、祭壇は子どもたちの遊び場にされていて、泥団子と小石が供物になっていた。並ぶベンチはほとんどが朽ち、床板もところどころ穴があいている。
　しかしそれでも、天使が住処とするには充分な静謐さと清楚さがあった。
　それはおもに、祭壇の前にある花壇のせいだ。ぽっかりと大きく割れた床板のあいだ、そこに積まれた土の上に黄色い可憐な花々が咲き誇っている。
　それらを育てているのは、栗色の髪をピンクのリボンでまとめた娘だった。彼女はエアリスといった。
　彼女とは以前に八番街で出会ったことがあり、あのときは大騒ぎの渦中だというのに花を売りつけてきて、クラウドもずいぶんしっかりした娘だと感心したものだ。いまも、屋根から突然落下してきたクラウドに、驚きはしただろうが狼狽せず、落ち着いて声をかけてきた気丈さには脱帽する。
　とにもかくにも、不思議な娘だった。
　タークスの男が兵士を連れてこの教会に踏み入ってきたときも、彼女は慌てず騒がず、スカートを翻しつつ、こうして奥の抜け道へとクラウドを案内していく。
　彼らは司教部屋を通りすぎ、こちらはすっかり崩壊の兆しを見せている裏の住居へと入りこんだ。
　中二階にあたるその入口で、エアリスは少し困惑して立ち止まる。そこは床がほとんど消失し、かろうじて残っている階段も、ちょっと足を載せれば崩れてしまいそうなほどだった。
「急ごう」クラウドは促がし、彼女を先にある階段のほうへと向かわせた。
　やはりあちこち腐った板が、彼らの体重で悲痛な叫びをあげる。だがエアリスは、器用に頑丈なところを選んで跳び歩いていった。クラウドは何度か階段を踏み外しはしたが、どうにか上階に辿りつく。
「ここから、どう行く？」彼は訊ねた。
　エアリスは頭上を指さす。「上の屋根からスラムの路地まで、瓦礫を伝って逃げられると思うの」
「わかった、走れるか？」
「だいじょぶ」エアリスはにっこり笑った。
　壁伝いに屋根へあがる梯子をめざしていると、下から先刻のタークスの声がした。「いたぞ、あそこだ！」
　ちらりと覗き見ると、教会からの入口に立つ赤毛の男がいる。そしてその背後から、ばらばらとライフルを構えた神羅兵が数人流れ出てきた。
　タークスの男が再び叫ぶ。「撃て！」
　クラウドは咄嗟にエアリスを突き飛ばした。
　彼女は、彼らから見ればちょうど陰になる梯子段のむこうへと転がった。クラウドの足もとに銃弾が撃ちつけられる。エアリスを突き飛ばしたおかげで、わずかに崩れた体勢になった彼は、それでも壁ぎわへ跳ぼうと床を蹴った。
　だが、着弾が集中したためか、ちょうど体重を支えきれないほどに板が腐っていたためか、彼の足もとの床はなしくずしに崩れてしまった。
　しまったと思ったときには、彼は空中に放り出されていた。
　だが、五番魔晄炉からここまで落下してなんともなかった身だ。いちばん下の階まであちこちに身体をぶつけながらも着地し、勢いを殺すために、いったん転がって起きあがる。
　中二階から神羅兵たちがこちらへ銃を向けてきた。ぱんぱんと連続して撃ちこまれる弾を、クラウドはまた二転三転して避ける。
　と、エアリスの声が響いた。「クラウド、少し待ってて！」
「はあ？」彼は思わず頭上を振り仰いだ。
　ピンクの影が天井の梁を走りすぎていくのが見える。
　ぼんやりと口をあけて頭上を眺めているうちに、兵士のひとりが中二階からおりてきた。
　クラウドは急いで剣を構える。
　どかっ。
　上から降ってきた、とても重そうな樽を脳天に受け、兵士は昏倒した。
「だいじょぶ？　成功した？」エアリスが梁の上からこちらを覗きこんでくる。樽を落としたのは彼女なのだ。
「あ、ああ……」クラウドは、抜いた剣をどうしようか迷いながら頷いた。「ありがとう、エアリス」
　とにかく、彼女と合流しなければならない。クラウドは部屋の隅にある階段のほうへと向かった。そこから中二階にあがり、先刻の階段を使って屋根裏まで、なんとか兵士たちを振り切っていかなくては。
「クラウド、しばらく待ってて！」
　再びのエアリスの声に振り仰げば、彼女はまた屋根の梁の上を走り、なぜかそこに積んであったらしい樽のひとつをごろごろと転がしている。
「わ、わかった……」クラウドは階段を数歩あがったところで立ち止まった。
　正面から神羅兵がおりてくる。
「ええい！」彼女の掛け声とともに樽が落下してきた。本当に重そうだ。中身はたぶん、ワインかなにかだろう。ここの教会の司教が隠していた年代物だと思う。
　その樽といっしょに転がり落ちてくる神羅兵を避けて、クラウドは駆けあがった。
　タークスの男が鞭を構えて待ちかまえていたが、そのわきをすり抜け、足払いをかけて階下へ突き落としてやる。
　さらに、もうひとりの神羅兵を跳び越え、彼は、もうひとつの階段へと突進した。
　が、最後の一兵は根性のあるやつだった。踏み抜いた床板に軍靴を食われても、それを脱ぎ捨てて、しつこく追ってきたのだ。
「クラウド、行くわよ！」
　とどめとばかりに樽が落ちてくる。
　が、そのときはクラウドも青ざめた。まるで自分の上に落ちてくるかと思うほど、微妙な位置だったからだ。
　樽はいったん、階段の上、それもクラウドのほんの目と鼻の先に落ち、しばらくじっと止まったあと、ごろりと転がり出した。
　銃を構えかけていた兵士が、それに巻きこまれ轢かれて果てる。
「……助かったよ、エアリス」クラウドは茫然と呟いた。
「早く早く、こっちよ」彼女は天井から叫んだ。
　彼らは大きな穴から屋根へと出て、そこから下を覗きこんだ。
「ふふふ」エアリスはとても愉快そうに笑った。「まだ捜してるね」
　クラウドはちらりと彼女を横目に見る。「初めてじゃないな、やつらを撃退するのは？」
「……まあね」
「タークスだよ、あいつらは……ソルジャーの人材を見つけ出して、スカウトするのが役目だ。多少強引でもな」
「ふうん？」
「でもどうして、あんたが狙われるんだ？」
「うーん、べつに……」彼女は首を傾げ、少し考えた。「あ、わたし、ソルジャーの素質があるのかも！」
「そうかもな」クラウドは頷いた。
　あの中身のいっぱい詰まった樽を動かし、投げつけるその腕力、しかも的確に狙いを外さず、タイミングもばっちりだった。確かに素質があるのかもしれない。
「だからって、捕まりたくないでしょ？」エアリスはぴょんと立ちあがった。「それじゃ、行くわよ」
　タークスを手玉に取る彼女は、逞しいのひとことに尽きる。
　だがそれでも、ボディーガードは必要……なんだろうな。