１
エスタシティ、天に聳える青いビル群。その中央には、ひときわ抜きん出て高く大きく立派な建物がある。大統領官邸だ。
アデル封印後、鎖国によって世界と切り離されたこの国は、革命騒ぎの波もすっかり収まり、安定した内需拡大を続けている。おおむね、現大統領の支持率は高い。
ラグナもすっかり諦め、任期満了まではまじめにやるかと腰を据えていたところである。
この日、彼はひとつの報告をもらった。
要約した通信文を手にした彼は、しばらくのあいだ、広い執務室のなか、ひとりで静かにパニックに陥ったものだ。
彼のほかに誰もいない閑散とした部屋で、いくら大変だと騒いでもどうしたと訊いてくれる相手はおらず、大げさに頭を抱えていても同情してくれる人はいない。まして、いきなり泣き出したところで慰めてくれる者などすぐには見つからなかった。
そんなわけで、彼はこっそりと友人たちを呼び集めた。
「……帰ってきたんだ」ラグナは囁いた。
キロスはきょとんと琥珀の顔を向け、ウォードはあまり動かない表情筋を懸命に操作して訝しげにしている。
「誰が？」とキロスが訊いた。
「おれが帰ってきたと聞いてパニックする相手ったら、あいつらしかいねえだろ」ラグナはヘルプミーと叫ぶように両手をあげ、天井を仰いだ。「ああ、この数年間、平和で平和で平和で、たとえガルバディアの独立記念日になにが起ころうと、やつらが波間で召喚獣と戯れていようと、はたまたトラビアクレーターでここ掘れチョコボやっていようと、エスタにとっちゃ空のむこうの戦争だったというのに！」
「海のむこうの戦争と言うな、普通は」キロスが眉をしかめる。「しかし、そうか……あいつらが帰ってくるのか」
「………」ついに、だな。とウォードも溜息をつく。
ラグナは大きく頷いた。「半日前に大塩湖の施設が使用されたという報告が入ったんだ。外から入国者があった場合のマニュアルどおり迎えに出ようとした関税官が、やつらの姿を見た途端、飛んで逃げ帰ってきたそうだ」
キロスが首を振った。「やれやれ、またこの都市はスラムに三匹のモンスターを飼うことになるんだな」
「いや、三匹ではなかったらしい」
ふたりはラグナを見つめ、先を促がした。
「ペットを連れていたそうだ」
「なんだそれは？」キロスがさらに顔をしかめる。
「ルブルムドラゴン」
「………」
「………」
「やっぱりそういう反応するよな？」ラグナはデスクに突っ伏した。「どうするんだよう、こんなことなら、ガルバディアとかバラムとかトラビアとか、とにかく世界共通のモンスター保護条約でも決めときゃよかった。他国、他大陸のモンスターを勝手に輸出入するなってな」
「いや、ルブルムドラゴンなら国内のトラビア渓谷にもいるし」キロスが力なく反論する。「だいいち、そんな協定があの三人に通用するか？」
「しねえな」ラグナは身を起こしながら頷いた。
「………」ウォードもしみじみと首を振る。
「ラグナ君」キロスがあらたまって言った。「このさい、障らぬチョコボに祟りなしだ。むこうから挨拶に来るまでは、知らぬ存ぜぬで通そうではないか」
「挨拶しに来たらどうするんだよ？」
「茶ぐらい、出してやってもいんじゃないか？」キロスはわずかに頭を傾けた。「挨拶ぐらいで、そんなに怯えることはないと思うが」
「そう冷静に言われると、まあ、そうかな、うん」ラグナは力なく笑った。確かに、なにをびくびくしていたんだろう、おれ？ あいつらが襲ってきたことはなかったじゃないか。巻きこまれて死ぬ目に遭いそうになったことはあるけどな。うん。
と、デスクのアラームがけたたましく鳴った。ラグナは椅子から飛びあがり、その背に隠れると、恐怖をこめてスピーカーを見つめた。「なんだ、なんだ？」
キロスが無造作にボタンを押す。「こちら大統領執務室――」
彼が言い終わる前に、そこからしゃがれた声が飛び出してきた。『緊急事態です、大統領。モンスターが現われました』
ラグナはキロスやウォードと代わる代わる目を見交わした。
キロスがやはり冷静に訊ねる。「それは人間か？」
『モンスターです！ グラナトゥムとか、ガルセマキラとか……』
「ああ、そっちのか」ラグナはほっと息をついた。
『バリアシステムが故障しておりまして』無線の声は続いた。聞いているうちに、その声の主が機動隊のどこだかの班長だったとラグナは思い出す。『現在バリケードを張っておりますが、あまり効果がありません。すでに市街地の一部に侵入されています』
「いつから故障しているんだ。そんな報告は聞いてないぞ」キロスが苛立たしげに叫んだ。
『つい先刻です』声は訝しげな響きを帯びる。『いちおう、すぐに報告はあげていますが、どこかの補佐官でひっかかっていませんか？』
エスタ政府のあちこちの部署や中間管理部には、補佐官と称する官僚がわんさかいる。キロスやウォードもその名簿に列なっていた。べつに何人いても構わないのだが、彼らの組織にはあれこれと面倒な手順があって、緊急事態のこうした直通報告でなければえらく時間がかかるのだ。
「しゃあねえな」ラグナはキロスに代わってマイクを取った。「どのくらい侵入されたんだ？」
『数えていません』いったん沈黙してから、また声は続けた。『ここから見える範囲では、二、三十匹ほどはいます』
ここからって？ ラグナは眉を寄せた。「おい、おまえはどこにいるんだ？」
『エスタ中央デパートの屋上です』
東区のほぼど真ん中だ。「っていうか、おまえ、どうしてそんなところに登ってるんだ」
『中央デパートはモンスターに占拠されました。我々は、おりるにおりられませんのです！』
「ふざけんなあ！」
キロスとウォードが慌てて執務室を出ていき、やがて全シティに戒厳令と避難令が出され、全警察、機動隊、そして防衛軍に非常呼集がかかった。