１
「なぜだ、クラウド！」
ザックスがなんでも屋に帰ってきた途端、セフィロスのその叫び声が飛び出してきた。
チョコボドアを後ろ手で閉めながら視線をめぐらせれば、セフィロスがクラウドを壁ぎわに追いつめている。「なぜ明日がだめなのだ。せっかくおまえのために、《荒野でバレンタイン日帰り旅行》を計画してやったというのに！」
「だからさ……それ、明日じゃなくてもいいだろ」
「いいや、バレンタインデーという特別な日に、おまえとふたりきりで過ごすことこそ意味があるのだ！」
ザックスはそっと溜息をついた。
セフィロスが数日前からあれこれと画策していたのはザックスも知っていた。それもクラウドに悟らせず、態度にもまったく出さずに完璧に準備を調えたってこともな。なにしろこの御仁、事務所の端末を使うのはいいが、こそこそと履歴を消したりなんぞしない。劇場、レストラン、ホテルと何十か所にもアクセスしていれば、このバレンタインデーという一大イベント前に、なにを企んでいるかはおのずと知れる。
おれとしては、セフィロスがそんな世俗的なイベントごとを知ってたってほうが驚きだ。まあ、自分の金を使う限りは、どれだけ豪華絢爛なディナーを用意したって構わねえけどよ。
しかし、どうやらクラウドにはふられかかっているらしい。ふたりは少し声を落とし、ごにょごにょと押し問答を続けている。
視線を転じてキッチンのほうを見やれば、お手伝いのレイザーが一心不乱にキャベツを刻んでいた。三つの特大ボウルに積みあげられたそれを見ると、たぶんキャベツ三個ぶんの千切りができあがっているようだ。
ザックスはそれらを半分感心し、半分呆れて見つめた。「よく刻んだもんだな。今夜はトンカツか？」
レイザーは俎板の上で手を止め、サングラスを指で押しあげる。顔の向きはまだキャベツに注がれていたが、横目でザックスを睨んできたらしい。「あいつらの痴話喧嘩が終わるまで俺は出ていけないんだ。ひたすらキャベツを刻むしかないだろうが。しかもこんなに使いにくい包丁で、どれだけの労力になると思ってる？」
「すまんな。明日は休んでいいぜ。おれも出かけるし、あいつらもなんだかんだといっしょにいるだろうから」ザックスは肩越しに親指を立て、金銀コンビを指し示した。「ところでおまえ、誘うような子がいるのか？」
レイザーは再び千切りしはじめた手を、またまたぴたりと止めた。包丁を握った右手とキャベツを押さえた左手をそのままに、しばらく動かずにいる。
やがて、彼は目にも留まらぬ速さでザックスの喉もとに包丁を突きつけてきた。「てめえ、こんなところに不本意にも閉じこめられている俺に、バレンタインデーのために花束を用意する暇があると思ってるのか？」
「いや、花束ぐらい、いつでも買えるだろ」
「レストランは？ プレゼントは？ だいたい、肝心のデートの相手が用意できるのかよ？」
「わかった、わかった」ザックスは両手をあげ、あとずさりでキッチンを出る。「もう、訊かねえよ――おおい、メシにしようぜ」
メシのひとことでクラウドはセフィロスを蹴り倒し、自由になってソファにダイビングした。「腹減った！」
「クラウド……」まだひたすらチョコボ頭に食いさがるセフィロス。
「だから」首を絞められる両手を引き剥がしながらクラウドは唸った。「明日の夕飯のことより、今日の夕飯だろ！」
「ただの夕食のことではないというに」セフィロスは手を放し、クラウドの隣に坐りこむ。「まずは昼前から出かけて軽くブランチを取り、映画館で《プルルン》を観るのだ。なかなか人気の作品で、《さよならプルルン》とやらいう続編も製作中だ」
「映画って寝ちゃうんだよ」
「では、《プルルン》はやめにして、《魔女の騎士》はどうだ」
「それ」ザックスは口を挟んだ。「おれらがロケ手伝ったやつだろ」
「そうだったか？」
ザックスは頷いた。「ちゃんと、クレジットに代役としてラグナの名前がある。ちなみに、おれたちは《なんでも屋》としてひと括りにされてたな」
「あんなに苦労して演技指導したのに……」クラウドがぶつぶつ呟く。
苦労してたか？ まあ、それよりなにより、あんなでたらめに撮ったものをよく編集したもんだよ。
そうして話しているあいだにも、レイザーが夕飯をせっせと運んでテーブルの上に並べていた。仕事にもだいぶ慣れたようで、三分も経つ頃にはすっかり食卓の用意は調っている。もっとも、本日の夕食、メインディッシュは山盛りのキャベツというところか。トンカツは薄く、その山頂にちょこんと乗っかっているだけだった。主食はどんぶりによそった白米だ。
「わあ、キャベツごはんだ！」とクラウドは、それでも嬉しそうに箸を割る。
「俺に、芋虫のように葉っぱばかり食わせるつもりか」セフィロスは頂上の揚げ肉を睨みつけてから、隣を振り返った。「む、クラウド、トンカツにマヨネーズはなかろうが」
「そういうあんたこそ、醤油だけでキャベツ食べるのか」
「なにを言うか、シンプル・イズ・ベストだ」
「わけわかんねえし」ザックスは生ソースをたっぷりとかける。
レイザーはあたりまえのようにタバスコを振りかけていた。キャベツがみるみる赤くなっていく。「まったく、醤油だのソースだのマヨネーズだの、よくもそんな甘いもので食えるもんだ」
なんていうか、こいつもちょっと、わからねえやつになってきてるよな。
野菜の匂いを嗅ぎつけて足もとに寄ってきたちびドラゴンに、ザックスはキャベツの千切りを分けてやった。「ところで、あんたの予定としては、映画が終わったらどうするつもりなんだよ？」
セフィロスはひらひらしたトンカツを摘まみあげながら、わずかに眉をひそめた。「俺の趣味ではないが、エスタ独立記念楽団が魔女記念会館でバレンタインコンサートをやるのだ」
そいつはクラウドの趣味でもねえと思うけど。
ちらとチョコボを見やれば、レイザーが一心不乱に刻んだキャベツを、クラウドは一心不乱に消化している。こいつなら、キャベツ十個ぶんぐらいまるごと食えるだろうな。
「クラウド、無視をするな。曲目に《Eyes on me》があるのだぞ。どうだ、ん？」セフィロスはこそりと囁きかける。
だが、チョコボはまだ一心不乱にキャベツの山を削りつづけていた。当然、聞いていない。
セフィロスは溜息を抑えながら自分の夕飯に向きなおった。「それから、荒野の真ん中で豪華なディナーと行くつもりなのだ」
「どうやって荒野の真ん中で？」レイザーが、訊きたくはないが訊かずにはいられないといった口調で言った。「普通ならモンスターのディナーになっちまうだろうが」
「ふっ、世のなか、普通のディナーではつまらんという人間が多い」セフィロスは意味もなく勝ち誇ったように顎を反らした。「そういう人間のために、荒野に食卓を設え、広大な景色を臨みながら優雅に食事というサービスを用意するレストランもあるのだ」
「どこのレストランだよ、それ……」ザックスは虚ろな笑みを浮かべた。
「とにかくだ、なにもやらずとも感動映画が観られて、最高のオーケストラで《Eyes on me》を聴くことができ、モンスター料理を食べ放題だというのに、なにが不満だ！」セフィロスはクラウドの肩を掴んで揺すった。
「そうじゃなくて」クラウドは揺すられながらもきれいにキャベツを平らげ、あらためてセフィロスと組みあう。「おれだって男なんだ。バレンタインには、あんたやモンスターと喧嘩するより女の子とデートしたいもんなんだよ！」
「……なんだと」セフィロスは思わずといったように硬直し、クラウドを放してしまった。
「そういうわけで、明日はみんな、ばらばらで過ごそうな！」クラウドはなにやら後ろめたそうにそそくさと駆け出し、あっというまに外に出てチョコボドアを閉めてしまう。
そのドアのむこうから、クラウドの捨て台詞がくぐもって聞こえてきた。「捜さないでくれよっ！」
なにを考えてるのか知らねえが、早寝早起きがモットーのチョコボよ、なぜ夕食後に出かけてっちまうんだ？
ザックスはもしゃもしゃとキャベツを噛んだ。「あいつ、なんか挙動不審だな」
「そういえば」セフィロスがむっつりと言う。「ルナティック・パンドラの件以来、おかしいと思わんか」
と、そのとき、ぎゃふんというような吼え声が聞こえてきた。振り返ってみれば、レイザーがちびドラゴンを揺すっている。「おい、なに白眼むいてんだ。そんなにタバスコ嫌いだったか？」
ザックスは自分のキャベツをさらにもしゃもしゃと口の中に押しこんだ。「頼むから、クラウドにはそのタバスコを食わせんなよ」
「俺はキャベツを食わせたんだ！」
「キャベツのタバスコ漬けと言わんか、それは」セフィロスもようやくレイザーの皿に載っているものに気づいたらしく、さすがに眉を寄せる。それには赤いキャベツが載っていたのだ。キャベツの緑色はどこにも見あたらなかった。
「俺は野菜が大嫌いなんだ！ 野菜の葉っぱ臭さがある限り、口にはできねえ！」
「その割に、うちじゃヘルシーメニューが多いよな」ザックスはまだキャベツを消化しつづけた。いつまで食ってりゃなくなるんだよ、このキャベツ。
「普通は粗食と言う」セフィロスが、もう食べる気も失せたというように箸を放り出す。「せめて、このハムカツのようなトンカツはなんとかならんのか」
「やかましい」ザックスはキャベツの千切りを鬼神の頭に浴びせてやった。「まともなキャベツ――いや、まともなトンカツが食いたかったら、ちっとはまじめに仕事しろ！」