The Land of the Covenant

１

　晴れ渡った空の下、バラムガーデンは平穏の中に佇んでいた。
　スコールは、ハムエッグとチーズパン、それにごぼうサラダをこんもり盛ったトレーを片手に、クラウドの寮部屋へと向かった。
　クラウドが朝食の時間になっても来ないし、セフィロスに訊いても、もう起きているはずだと言うし、焦げていないハムエッグはクラウドのお気に入りだったから、少し心配になったのだ。
　ただ、あらためてクラウドと顔を合わせるのは少し気が重かった。なにしろ、ザックスと最後までいっしょにいたのは自分なのだ。彼がライフストリームというところに入っていくのを止めなかった、あるいは止められなかったわけだし、ヴィンセントには一太刀も加えられなかった。強引についていってその結果なのだから、悔しいというより申しわけなさが先に立つ。
　ドアの前に来てスコールは少し躊躇した。だがここでまわれ右をしてもなにもならないだろう。とにかく朝食を届けるという目的がある。それにクラウドのことだから、取っつきにくいこともないはずだ。
　そう自分を鼓舞して、彼は声をかけながらドアをあけた。ノックをしないのはいつもの習慣だ。
　ふたり部屋の共同スペースには誰もいなかった。スプリングがだいぶ傷んできたソファにもチョコボは転がっていない。だがシャワーの音がしていたので、スコールは朝食をテーブルに置き、少し待つことにした。
　しかし、しばらく待ってもシャワーの音に変化はない。
　スコールはバスルームの扉をノックしてみた。「クラウド？」
　返事はなく、水音も変わらず。
　彼は逡巡しながらドアをあけた。
　中から簡易錠はかかっておらず、それは呆気ないほど簡単にひらく。
　足を踏み入れようとして、床が水浸しであることに気づいた。
　慌てて目を走らせれば、ドアの左わき、バスタブの中にクラウドが坐りこんでいる。カーテンは引いてもいないし、本人はパジャマのままだ。
「クラウド！」スコールは水を撥ねあげ、水の中に沈みそうになっているチョコボ頭を引きあげた。
　バスタブから溢れているのは水で、お湯ではない。まだ残暑の残る秋とはいえ、寝起きに冷たいシャワーでもあるまいに。どういうつもりなんだ、くそっ。
　クラウドはなにも反応しなかった。青い目はちゃんとひらいているが、焦点はどこかぼやけている。
　スコールは意外に重い彼の身体をバスタブから引きずり出し、ソファまで連れていった。それから内線電話を取りあげ、保険医のカドワキ先生を呼び出す。クラウドに医者なんかと、女医はぶつぶつ言いながらもすぐに行くと約束してくれた。
　スコールはバスルームに戻って水道を止めてから、いささか手間取りながらも乾いたバスタオルを何枚もひっぱり出す。乱暴にチョコボ頭を乾かし、びしょ濡れのパジャマの上から何枚も重ねてくるみこんだ。寝室からぐしゃぐしゃになっていた毛布を持ってきて、さらにクラウドをぐるぐる巻きにする。
　本当はこういう場合、濡れた衣服を脱がすほうが先なのだが、クラウドの身体が氷みたいに冷たく、死人のようにまばたきさえしなかったので、スコールは動転していたのだ。なにか間違ってるような気がすると思いながらも、彼は部屋の中を捜索しはじめた。体温計となにか役に立つ薬がないかと期待したのだ。しかし、クラウドファミリーの塒(ねぐら)にそんなものがあるはずもない。
　把手の取れたマグカップや、つぎはぎだらけの花瓶、安全ピンで耳の部分を留めてあるウサギの縫いぐるみなど、片っ端から手に取って放り投げているうち、カドワキ先生が駆けつけた。
　女医は短くスコールに叱責の言葉を投げつけると、彼に指示して代わりのパジャマを出させる。
　だがそれだけだった。着替えさせ、ただ単にベッドに放りこんだだけで、カドワキ先生は診察するそぶりもない。
　スコールは顔をしかめた。「なにか、薬とか注射とか」
「クラちゃんにそんなものが効くわけないだろ」女医はむしろ威張るように言って腰に両手を当てる。「少しは落ち着いたらどうだい。ご主人さまが倒れた飼い犬みたいに吼えちゃってまあ、だらしないね」
「俺は……」
「以前、乗物酔いに悩んでそうだったから、万能薬から下剤までいろいろ試してみたんだ。この子は面白いようにけろっとしてたよ」
　スコールは俯き、床を睨みつけた。「そんなに薬が効かないのに乗物酔いはするんだな」
　あっはっは、と女医が豪快に笑う。
「クラウドの場合、気分の問題だ」
　割りこんだ声に振り返れば、柱に凭れるようにして長身の体育教師が立っていた。この部屋はザックスが壁を壊してしまっていたので、仕切りは残骸とも言うべき柱しか残っていない。
　セフィロスはベッドに近づき、クラウドの青い目を覗きこんだ。「ばたばたと騒いでいるから何事かと思えば。放っておけ。命に別状があるようなこともなかろう」
「あんたな」スコールは苛立たしげに彼を睨みつけた。
　カドワキ先生がその幅の広い身体を揺すってセフィロスに向きなおる。「身体と精神的なものとは問題が違うよ。入水するなんて、なにか悩んでるんじゃないかね？」
「入水などと……」セフィロスは鼻を鳴らし、クラウドの頭を軽くはたいた。「朝っぱらから意識を飛ばしとるから、俺がバスタブに放りこんだのだ」
　スコールは身体の陰で拳を作った。「あんたな……」
　そのとき、「はにゃっ？」と間抜けな声があがり、チョコボ頭がわずかに揺れた。
　焦点の合った青い目が左右に動き、まばたきする。「みんな、なにしてるんだ？」
「なにしてるじゃないだろ」スコールはベッドの縁に寄りかかり、力なく床に坐りこんだ。「紛らわしいことを……」
「なんだよ」クラウドは起きあがろうとしたらしい。だが急に顔をしかめ、両手をぎくしゃくとあげて見つめた。「あれ……」
「どうした？」セフィロスが片眉を跳ねあげる。
「なんで身体がかじかんでるんだ？」
「ものすごく冷えていた」スコールはセフィロスを睨みあげた。
「どうして？」
　セフィロスが上からクラウドを覗きこむ。「意識がはっきりすればすぐもとに戻ろうが。細かいことを気にするな」
「そうはいかないよ」クラウドはじたばたと手足を不器用に振りまわした。「これじゃ、朝ごはん食べられないじゃないか」
「もうすぐ昼だが」スコールは諦めに似た感慨をもって溜息をつく。
「あと一品で新メニュー制覇なのに！」
「新メニュー？」セフィロスが眉を寄せる。
「新学期になってからランチが一新したんだ」カドワキ先生が説明した。「これまでクラちゃん、留守にしてたからねえ、ここ数日で、あっというまにほとんど味見してるよ」
「うまいんだ」クラウドはやや遠い目をする。どうやらランチセットを思い浮かべているらしい。「ハンバーグも捨てがたいけど、唐辛子とニンニクの利いたチャーハンとか、フィッシュ＆チップスなんか、魚はでかい切り身のまま天ぷらにしてるんだぞ」
「最後の一品というのはなんだ？」セフィロスが興味深げに訊いた。
「紫蘇入りのたらこスパゲティー！」
「北海サーモンではなかったか」セフィロスは舌打ちした。
「でも、こんなにかじかんでるんじゃ、フォーク握れないよ」クラウドはなんとか起きあがり、手を握ったりひらいたりしている。
「温めてやるから心配するな」セフィロスがすうっと手を伸ばした。
　クラウドが叫ぶ。「リフレク！」
　ほぼ同時にセフィロスも魔法を放った。「ファイガ！」
　跳ね返された魔法は部屋じゅうを駆けまわり、窓もドアも吹き飛ばしたのだった。