LONG AGO
Saint Valentine
凍るほどに寒風の厳しい深夜、バレンタイン司教の家に訪問者があった。
教会ではなく司教館のほうのドアを直接叩いたということは、ちゃんと深夜であることはわかっていて、それでもこの時間に彼を叩き起こす必要のあるふたりだったのだろう。
フードをすっぽりとかぶり、寄り添うように立っているそのふたりを、司教はとにかく家の中に招き入れた。
真夜中の暗い司教館、蝋燭の明かりの中で、彼らは非常に印象的だった。天使でも降りてきたのではないかと、バレンタイン司祭は目を疑ったほどだ。
金と銀の一対とも言える髪の色の組みあわせもさることながら、その透明な青い目と、不思議な力を秘めたような碧い目と、思わずその場に立ちつくして見入ってしまいそうだ。そのうえ、かなりの美男美女だった。
そして彼らは多少切羽詰まった様子で、結婚させてくれと頼んできたのである。
しどろもどろに説明される事情を聞く限りでは、親や周囲に反対されているわけではないらしい。だが先月、金髪の彼女のほうの父親が逝去し、銀髪は明日にでも戦争に行かなければならない身、にわかにひとりぼっちになってしまう彼女を放っておけず、せめて家族として認めてもらい、心の支えにしたいのだと。
司教は情にほだされやすい人間だった。もちろん聖職者は誰にせよ人情をもって人々に接し、愛を訴えなければならない。ときおり神の愛と男女の愛の違いが事態を混乱させることはあっても、基本的に世界のすべては愛でできているのだ。
彼は聖堂へふたりを通し、結婚式を執り行ない、証明書を出してやった。
◇
「おれ、嘘つくの、すごく緊張した」クラウドが自分の胸をさすりながら、まだ緊張の残る声でそう呟いた。「まだどきどきしてるよ」
「うむ、おまえに言いわけ以外の嘘がつけるとは思わなかった。しかも緊張に震える声が、なんともうまい演技になっていたぞ」セフィロスは軽く首を振った。「しかしいまの時代、どこもかしこも混乱しているな。戦争が終わるまでは結婚禁止だなどと、妙な法律を出しおって」
「この家だってさ、家族でないとふたりで住んじゃいけないなんて」
「だから夫婦になったのだ。このさい、その関係を楽しもうではないか」セフィロスはちょっと機嫌がよかった。なにしろ一時しのぎとはいえクラウドと家族になれたのだ。彼は新妻の肩をしっかりと抱き、古くはあっても、しっかりした造りの煉瓦の家へと踏み入った。「さあ、ここが俺たちの――」
「考えてみれば、夫婦じゃなくても兄弟だってよかったんじゃないか、おれたち？」
くるりと振り返って見あげてくるクラウドをセフィロスは真正面から見おろした。ずいぶん思考速度が遅いとはいえ、ちゃんと気づくようになったか。ちっ。
大家さんに証明書を渡して、この家を手に入れたかれらである。もちろんクラウドはいま、普通の町娘と同じエプロンつきのスカートを穿き、派手なつんつん頭をスカーフでくるんでいるので、見た目は完璧な美少女だ。新婚夫婦だと言っても誰も疑いもしなかった。
「クラウド」セフィロスは厳かに言った。「この期に及んで四の五の言うな。俺たちはすでに結婚してしまったのだ。宣誓したとおり、死がふたりを分かつまでともに生きねばならん」
「二、三度、分かたれてるような気がするんだけどなあ」
セフィロスはめげずにチョコボ頭を抱きしめた。「クラウド、ともに生きるのだ」
「はいはい、これがおれの運命なんだろうな」クラウドはしっかりと抱き返してきて、よしよしという具合にまわした手で背中を軽く叩いてくる。
むむ、もうちょっと……なんというか……。これでは、でかくなった息子が久しぶりに会えた母親に甘える図ではないか。
「とにかくさ」クラウドはセフィロスの腕に埋もれたまま、もごもご言った。「ザックス捜さないと」
セフィロスはやっと彼を放した。「ふん、ふらふらと女についていったあげく、捕虜だかスパイだかと間違えられてとっ捕まるなぞ、間抜けにもほどがある」
「あんた、心配じゃないわけ」
「たかだか捕縛されているだけだろう。なにを心配するのだ」
「たかだか縛られてるぐらいで、どうしてあいつが逃げ出してこないのか心配じゃないのかってこと」クラウドは両手を広げてぐるりと家を指し示した。「国境も結構厳しいし、助け出したあとの隠れ家にって、この家借りたけどさ」
くそ、せっかくの新居、せっかくの新生活だというのに、クラウドはあのハリネズミのことで頭がいっぱいだ。
「仕方がない」セフィロスは懐から紙片を取り出した。「いちおう調べておいてやった。ザックスをしょっぴいていったのはアマゾネスの部隊でな。辺境警備から式典のお飾りにと、いろいろ活躍している」
「アマゾネスって」
「女だけの軍団だ」
クラウドはちょっと考えこんだ。
セフィロスはその彼の顔を覗きこむ。「ザックスが逃げ出さんわけがわかったか？」
「……うん」
＊＊＊
ザックスは格子のあいだから、むくつけき看守のつるんとした禿頭を恨みがましげに睨みつけていた。
そりゃさ、こういう境遇だからサービス満点のホテル並みとはいかねえかもしれねえけど、いきなり、可愛い姉ちゃん兵士から、ごっつい拷問係みてえなタコ坊主に代わることねえだろ。ちくしょう。ああ、昨日まで天国だったのに！
「なあ、アマゾネスの姉ちゃん、どうしたの？」
「うるさい、黙って捕まっていろ」
取りつく島もねえや。「なあ、おれ、いつここから出られるんだ？」
「戦争が終わるまでは無理だな」
だから、それはいつ終わるんだよ。ザックスは重く溜息を落とした。そろそろ潮時かな。とっとと逃げ出してクラウドんところ帰ろう。あいつ、おれが急にいなくなったから心配してるだろう。
ザックスは懐から隠しておいたスプーンを取り出した。錆びやすい安物の金属製だが、なにかの役に立つだろうと脱獄用に取っておいたのである。もちろん、モルタルでできてるわけでもない石壁を、懇切丁寧にほじくり返すような根性はザックスにはない。
それを壁にちょっと突き立ててみる。がり、と音がして、壁はびくともせず、スプーンは曲がらなかったものの多少傷がついた。
よし、ちっとばかり魔法を集中させても、もちそうだな。
ザックスは魔法が苦手である。ほかのふたりのように、でたらめにぽんぽん炎を呼び出せるわけではない。なにか焦点がないと、なにも出てこないか暴走するかのどちらかだ。
スプーンはその焦点のために使うのである。しつこいようだが、ほじくり返そうなどとザックスに思いつくわけがなかった。
さて、と気合をこめて魔法をかき集めていると、牢の外がにわかに騒がしくなった。複数の靴音と鍵のあけられる金属の音が暗い湿った室内を行ったり来たりしはじめる。
「おう、新入りだ！」誰だか知らないが男の兵士の声がした。
「司教どのか？ 聖職者がどんな悪いことしたのさ」
「どっかの誰かの結婚を認めてやったんだとさ。このご時世に」
「あー、もう一度確認する。名前は？」
「ヴィンセント・バレンタイン」
懐かしくも聞き覚えのある陰鬱な声を耳にして、ザックスは壁に当てていたスプーンで思いきり壁をかいてしまった。
さすがに不快な音が鉄格子を越えて響いてしまう。
「なにをやっとるか！」タコ坊主の看守が飛んできて格子をあけると、あっというまにザックスの手からスプーンを取りあげてしまった。「まったく、油断のならんやつだな！ 今度から食事も手で食え！」
「そんなあ」再び厳重に鍵がかけられた格子からザックスは両手を突き出し、ついでに頬っぺたも押しつけて、はみ出させながら懇願した。「なにも、そいつで脱獄しようと思ってたわけじゃねえんだよう、ただほら、壁になんにもねえから落書きしようと……あ、ほんとにヴィンセントだ」
赤マントの幽霊はザックスの隣の牢へと押し出されながら、じろりとこちらを睨みつけてきた。「なぜ、おまえがここにいる」
「まあ、いろいろと不幸な事情があってさ」ザックスはさらに頬っぺたを、むに、とはみ出させた。ヴィンセントの姿は隣の牢の中にすっかり溶けこんでしまって、わずかに見える部屋の暗がりからは見分けられない。「あんたのほうこそ、どうしたんだよ。ニブルヘイム跡の地下で引きこもってたんじゃなかったか？」
「このあいだ、クラウドが来て掘り返していったのだ」鍵の閉まる音とヴィンセントの低い呟きが重なる。「あいつは来るたびに、私の健康状態を心配するふりをしていやがらせをしてくれる」
いや、クラウドのことだから、本気で心配してあんたの住処を明るくしてやったんだと思うんだけど。
「ひとこと文句を言おうと思って追いかけてきたのだが、この町の空き家になっていた司教館で休もうとしたら、このとおりだ」
「まだそんな嘘をつきおって」兵士のひとりが割りこんだ。「おまえの名前はバレンタインだろう？」
「そのとおりだ」
「あの教会にいる司教の名前はバレンタインで、近ごろ、こっそり結婚式を挙げてやったらしいではないか。いまはどんな冠婚葬祭も禁止だとおふれが出ているというのに、その法を破り、あまつさえ言い逃れしようとは」
「だから、私は聖職者ではないというに」ヴィンセントはむっつりと反論している。「だいたい、嘘をつくなら名前から変えるだろうが。馬鹿正直に本名を名乗って言い逃れするのは、チョコボぐらいしかやらんぞ」
しかし兵士はそれ以上聞く耳を持たず、みなそろって牢から地上へとあがっていく。残ったのはタコ坊主の看守だけだった。
その靴音を聞きながらザックスは格子に凭れ、再び訴えてみる。「スプーン、返してくれねえ？」
タコ坊主はしかし、こちらに背を向けて椅子に坐り、耳のないふりをしたらしい。反応はなかった。
「スプーンとは？」と、代わりに訊いてきたのはヴィンセントの声だ。
「おれの心の拠りどころだった小さな真鍮のスプーンだよ。先がとんがっててさ」
「……意外にまめなのだな」ヴィンセントの声は低く漂ってくる。「ところで、おまえはなぜこんな暗いところに住むことにしたのだ」
べつに住んでるわけじゃねえし、昨日までここは天国だったんだよ。「可愛い姉ちゃんが兵士だって言うからさ。んじゃ、おれ、喜んで捕虜でもスパイでもなってやるよっつったら、本気に取りやがって。そんなわけで、おれ、スパイ容疑かけられてるのよ」
「ばかばかしい」
「人違いでとっ捕まるほうもばかばかしいことだろうが」
「まったくだ」ヴィンセントの声にわずかな苛立ち。「だいたい、どこをどう見たら私が聖職者に見えるのだ。まあ確かに徳の高さはあるかもしれんがな」
「セフィロス並みには」
「貴様、呪いをかけられたいのか」
「徳の高い人物なら普通、示す扁のほうを使うぜ」ザックスは格子に背中をもたせかけ、ずるずるとしゃがみこんだ。「なあ、そのおまえと間違えられた司教ってどうなったんだろう？」
「さあな。私があの教会に行ったときには誰もいなかった。慌てて荷造りした跡があったから逃げたのではないか？」
「んで、代わりにあんたが棲みついたってわけね」
「ひと晩だけしか過ごしていないというのに、住んだとは言えんだろう。そういえば、なかなかいい具合に静かな教会だったな。棺桶さえあれば塒(ねぐら)にしてもいいかもしれん」
＊＊＊
「バレンタイン司教？」クラウドは洗濯物を干すふりをして、主婦連合のみなさんと話しこんでいた。
スカートを穿いてスカーフを巻くだけで誰も彼が男だとは疑わないらしい。クラウドはあっというまに主婦たちの連合に加盟させてもらえたのだ。いまはこの家の庭先が会議場になっていた。
「そうなのよ。峠のむこうに寂れた教会があったでしょ。このご時世に結婚式やってしまったんですって」
「最近はいろいろと法律が厳しいから、みんな内縁ですませてるっていうのに、そのカップルも、どうして結婚にこだわったのかしらね」
「あら、でもロマンチックよう。禁じられた結婚式をあえて挙げようなんて」
「その司教、どうしたの」クラウドはそっと訊ねた。
「それがね、今朝がた逮捕されちゃったの」
「なにも悪いことしてないのにねえ」
「結婚したカップルのほうはどうなるのかしら？」
「あら、神さまに認められたんだから罰するわけにはいかないでしょ。だから司教さまが捕まったんじゃない」
「あそこの司教さま、情にほだされやすいかただったから」
「その場その場で流されやすい人だったわ」
「ああ、可哀相に」
そろそろ子どもたちを学校に叩き出さないとと、主婦連合はばらけていく。クラウドは絞りすぎて棍棒のようになった洗濯物を持ったまま、家の中に引き返した。
「なあセフィロス」
「聞こえていた」セフィロスはソファに長々と寝転がり、知恵の輪をやっている。「だからなんだというのだ。たかが司教ひとりの命運に、俺たちが責任を感じる必要はないぞ」
「でもさ、セフィロス」
「だいたいあの司教、名前が悪いな」セフィロスはくりんと輪をまわし、するりとふたつに分けた。「あのような名前を選んだところからして運の悪さは決定的だったのだ」
「でもさ、セフィロス」
「なんだ」
「ザックス救出の動きもなく、一日じゅう寝てばっかりで、あんた……」
「む？」
「たまには家事ぐらいやってよ」クラウドは洗濯物をさし出した。
「家事は主婦の仕事だ。おまえこそ、たまにはまともな食いものを作ろうという気はないのか？」セフィロスは起きあがりながら、さし出された棍棒のようなそれを取りあげた。「うっ……こ、これは！」
「なんだよ」
「俺のコートではないか！」セフィロスは洗濯物をじっくりと検分した。「確かに俺のコートだ。なぜこうも小さく、ぎゅうぎゅうに絞ってくれるのだ、クラウド？」
「ぎゅうぎゅうに絞らないと乾かないって、隣の奥さんが教えてくれたんだ」
「おまえの力でぎゅうぎゅうにするな！」セフィロスは懸命に洗濯物をほぐしはじめた。「むむむ、ほどけないではないか。なぜだ、ただ捻ってあるだけだというのに……これでは、広げてもあちこちまばらに伸び切ってしまっているに違いない」
「同じもの、五、六着は持ってるだろ」
「これはよりにもよって、いちばんのお気に入りだったのだぞ」
クラウドはしばらく考えこんだ。やがて首を捻る。「同じものなのに、どういう違いがあってお気に入りだったんだ？」
「縫い糸の幅や、金具のちょっとした角度や、繊維の並びかたや、そのほかいろいろ、同じように見えてもまったく違うのだ！」
そういえば、ヴィンセントも同じような理屈で同じマントばっかり溜めこんでたなあ。親子って似るのかも。
クラウドは彼らが親子だとの思いこみをあらためて強くした。そうするとおれ、ヴィンセントのこと、お父さんって呼ばなきゃならないのかな。
クラウドは諦めの混じった頷きを返した。「わかったよ」
「わかったよ？」セフィロスはじろりとクラウドを睨みつけてくる。「それだけか？」
「ご、め、ん」クラウドは大声で応えてから、セフィロスをひっぱって戸口へ押し出した。「おれ、掃除やらなきゃならないんだ。どっかで遊んできなよ」
「俺が邪魔なのか！」
「隣の奥さんに聞いたんだけどさ」クラウドはセフィロスの背中を押しつづけながら言った。「亭主は元気で留守がいいんだって。あんまり家の中にいると奥さんのほうが出ていくもんなんだってさ。おれ、出かけていい？」
「むむ、新婚生活二日目にして別居はまずい。勧告に従うことにしよう」セフィロスは出ていった。
確かに、あんなでかい亭主がソファを占領してるまわりで仕事するよりは、いないほうがずいぶん気分がいいや。
ところでおれ、なんで主婦やってるんだ？
………。
………。
………。
そうだ、今日の夕飯、どうしよう。おれ、作れないしなあ。いまの文明じゃレトルト食品なんてないし、セフィロス、パンと水で我慢してくれるかな。
騙され、言いくるめられて結婚したことも、なんのために結婚したのかもすっかり忘却の中に埋もれてしまい、いまはただ、主婦ってなんでこんなに忙しいんだろうと思いながらモップを取り出すクラウドであった。
＊＊＊
「ところで」と、ヴィンセントが壁越しに声をかけてきた。「おまえが捕まっているというのに、セフィロスはともかく、なぜクラウドも駆けつけてこんのだ？」
「たぶん、セフィロスがあの手この手を使って引き止めてるんだろ」ザックスはぐっと拳を握った。「ほんの一時のことであれ、きっと新婚気分を味わいたいがために、あのチョコボなクラウドをだまくらかして、どこかの家でおままごとに興じてるに違いない」
「そうとわかっていて、なぜいつまでもこんなところに」
「だからさあ……」ザックスは振り返り、黴臭い石壁を睨みつけた。
そのとき、じめついた地下牢には似つかわしくない爽やかな声が彼の耳を打つ。「お父さん、お仕事ご苦労さま！」
足音もほとんど立てず、ゆっくりと入口から姿を現わしたのは金髪の可愛らしい少女だった。
看守が立ちあがる。「おお、娘よ、もう食事どきか？」
「お父さん？ 娘？」ザックスは鉄格子に取りついて彼女をじっくりと見つめた。
か、可愛い！ あのアマゾネスたちに比べたらなんという清楚さだ！
「今日はサンドイッチしか持ってこれなかったわ」彼女は片腕にバスケットを持ち、空(あ)いているほうの手であたりを探るようにゆっくりまわしていた。
目が見えないのかな。「そのサンドイッチ、お父さんのぶんだけかい、お嬢さん」と、ザックスは声をかけてみた。
ちょっとびくっとして立ち止まったものの、彼女はすぐに怪訝そうに首を傾げる。「ああ、囚人のかた？」
看守が急いで娘を引き寄せ、抱きしめる。「おれの娘に勝手に声をかけるな！」
「まじに娘？ 養女とかじゃなくて？」
「やかましい！」看守は娘をさらにザックスから遠ざけるようにじりじりと退がる。「いいか、おれの娘に指一本触れてみろ、即刻処刑にしてやる！」
「お父さん、そんな乱暴なこと言っちゃだめよ」
いいい、いい子だなあああ。ザックスは感動していた。
「余計なことかもしれんが」と、幽霊がのっそりと口を挟んだ。「娘さんの目はどうかしたのか？」
「珍しいことでもない。ここいらのモンスターにブラインをかけられただけだ」看守はまた半歩退がる。「放っといてくれ」
「私がおまえたちの言うとおりの聖職者なら、奇蹟を起こせるかもしれんぞ。ちょっと見せてみろ」
エスナで治すつもりか。「あんた、それは詐欺って言わないか」
「黙っていろ。私は平穏無事な無罪放免に持ちこみたいのだ」
「お、おれは一介の看守で」タコ坊主はどもりながら言った。「あんたを無罪にしてやれるとか、そういうことはちょっと保証できないんだが」
「いいから、見せるだけ見せてみろ。でなければ夢見が悪いではないか」
「いつだって悪夢の中にいるくせに」ザックスは突っこんだ。
「やかましい」
だいぶ怯えていた看守だが、やがてそろそろと娘を押し出してきた。きっとドラゴンの威圧に負けて生贄をさし出す気分だっただろう。
ヴィンセントはもったいぶって娘の顔を撫でまわしたあげく、あっさりとエスナで治してやった。
「まあ、見えるわ！」娘は喜んだ。
「てわけで」ザックスは鉄格子のあいだから彼女に声をかけた。「おれとつきあわない？」
「わたし、こちらのかたのほうが好みなの」とヴィンセントの手を両手で握りしめ、うっとりとしている彼女。
あ、そう。ザックスは項垂れた。
「バレンタイン司教！」
にわかに靴音が響いてきて、数人の兵士とひとりの立派な坊さんが入ってきた。
「裁判の結果を申し渡す。即刻処刑――」
「私は裁判に出ていないぞ。欠席裁判など無効――」
「黙れ、法に背き、神の名のもとに禁じられた結婚を認可したこと、これはおまえの罪だ！」
「うっ」ヴィンセントはわずかによろめいたらしい。「私の罪だと……」
「そうとも、おまえは罰を受けるのだ！」
「私への罰……」
ザックスは冷ややかにそのやりとりを聞いていた。まったく、その乗りやすい体質をどうにかしないと、あんた、いずれ本当の幽霊になっちまうぞ。
「ああ、これも私の罪……」幽霊は黒々と重い暗雲を背負いながら、警吏たちが手招くままに牢の外へと出ていった。
「司教さま……そんな」娘が泣き崩れる。
ザックスはぼりぼりと頭をかいた。「看守さんよ、おれは出てくぜ。いいだろ」
看守はぼんやりと頷いた。
＊＊＊
セフィロスが家に帰ると、新居はもぬけの殻だった。
あちこちの部屋へ飛びこみ、納戸やクローゼット、冷蔵庫まであけて金色のチョコボ頭を探したあげく、たっぷり一時間ばかり立ちつくしたのは言うまでもない。
なんということだ、こんなに早く破局がこようとは！
やはり、コート一枚のことであれほど厳しく叱ったのがいけなかったのか？
それから三十分ほど経ってから、彼はようやくテーブルの上に残された紙片に目が行ったものだ。
せふぃろすへ
食べるものがない。おれは行く。
………………どこへ？
どこへ行ったというのだ？ いや、そもそも食べるものがないなどと……まるで俺が稼ぎのない能なし亭主のようではないか！
ああ、こんなことならクラウドの好きなものをごっそり買いこんでおくべきだった。
そもそもクラウド、これでは三行半にもならんぞ。実家に帰るとでもいいから行き先くらい書いていけ。だいいち、セフィロスの綴りも発音記号だけで書くことはないだろう。いいかげんスペルを覚えてほしいものだ。いや、それよりも、このミミズののたくった字は、まるでミドガルズオルムが暴れた跡。ああ、そんなことで文句を言っても始まらない。ともかく、クラウドはどこだ。
セフィロスは混乱したまま外へ飛び出した。
くそ、どこへ行った。
いや、落ち着け、これまで長いつきあいだったではないか。腹を減らしたクラウドがどこに行くかシミュレートしてみるのだ。
辺境の土地ならモンスターのところに喧嘩を売りに行っているだろう。うまくすれば一匹や二匹仕留めて食い散らかしているに違いない。
だがここは街だった。ちょっと歩けば屋台の並ぶ市場がある。
そしてクラウドには主婦らしく一家の家計を握らせていた。我ながら無謀だとは思うが、それが普通の家庭というものだからだ。
とにかく食べものを買う金を持っているのだから、わざわざ苦労して川で魚を捕まえているなどということはないはずだ。
セフィロスは町の中心へと足を向けた。
＊＊＊
クラウドは買物籠を腕にぶらさげ、調理しないでも食べられるものを探していた。
パンにチーズ、ケーキにクッキー、ビスケット。そればかりでは栄養も偏るのでソーセージも買うことにした。フォークに突き刺して煖炉の火で直接焼けばいい。フライパンや鍋を使う必要もなかった。
それから野菜だな。キャベツぐらいならセフィロスもまるかじりしてくれるだろうし、セロリも水菜も洗ってそのまま食える。
なんだ、あんまり心配することなかった。味がないだけで食べられないものなんてそれほどない。物足りなかったら塩胡椒で我慢すればいいしな。あ、塩も胡椒も買っていかないと。生活始めたばかりで、なんにもそろってないんだもん。いろいろ物入りだな。
クラウドは八百屋でキャベツを小脇に抱え、ラディッシュと水菜とを籠に突っこんでもらった。おまけでトマトをもらえたのが嬉しい。
割と主婦気分を楽しみながら、クラウドは市場をあとにしようとしていた。
しかしふと、彼の目に留まったのが仕立て屋だった。
この時代風潮では既製服はあまり売っていない。彼が目にしたのは、仕立て屋の看板代わりとばかりに入口にかけられている黒いコートだった。
気にすることないと思うんだけどな。ああいうの、いっぱい持ってたし、一着ぐらいなくなってもあんまり不便じゃなさそうだし、でも……。
クラウドは首からぶらさげた財布をちょっと見おろした。
うん、余裕はある。というか全部セフィロスのお金だけどさ。おれに任せるって渡してきたんだから、おれが好きに使っていいんだよな。
よし。
クラウドはキャベツと食糧でいっぱいの籠とともに仕立て屋に突進した。
＊＊＊
セフィロスは仕立て屋の前を走りすぎ、焼き菓子の並ぶほうへと突進していった。
しかしチョコボ頭は見つからない。
なぜだ？ 絶対に、このあたりで珍獣見物の人だかりがあると思っていたのに。クラウドが普通に女の子の格好をしているからといって、目立つことに変わりはないはずなのだ。
飴玉の瓶を並べている屋台を通りすぎ、揚げパンや揚げじゃがのスナック類の店も素通り、パウンドケーキを片手に群れる子どもたちのあいだを押し通り、肉や魚介類を売っている店もいちおう覗いてみた。パン屋にもいないし、八百屋にもいない。まさかあれが宝飾類に興味を示すはずもなし、どこぞで女子ども、おばちゃんおじちゃんにひっかかってるかと思えば、そうした光景も見あたらない。
セフィロスは市場から大通りへと抜け出てしまった。
老若男女、さまざまな人々が大勢そこかしこを歩きまわり、ペットの犬や蜥蜴がテリトリーを主張して吼えあっている。石畳の道は埃っぽく、建物の前では打ち水をする人影も見受けられる。
しかしクラウドはいなかった。
いったい、どこへ走っていったのだろう……いや、もしかしたらすれ違ったか？
引き返し、もう一度家を確認するかどうか迷うセフィロスの耳に、ぼんやりと人々の会話が飛びこんできた。
「火あぶりだって」
「広場で処刑があるってさ」
「聖職者らしいよ」
「あ、それ、バレンタイン司教じゃないか」
む？
セフィロスはその固有名詞に思いあたることがあった。クラウドはちょっとばかり彼のことを気にしていたな。まさかただ見物に行くわけではないだろうが、無視することもできないはずだ。
彼は一縷の望みを託し、広場へと向かった。
＊＊＊
ザックスはタコ坊主の看守とともに、観衆のいちばん前で薪が積みあがっていくのを見つめていた。
円形広場のその中心、ロープを張ってそれ以上近づかないよう観衆と刑場とを区切ったその中心では、十字架に張りつけられたヴィンセントが空を仰いでぶつぶつなにか言っていた。
たぶん、「ああ、これが私の罪、私に与えられた罰なのだ」とでも呟いているのだろう。クラウドの蹴りがないと、あの浸り具合はもとに戻せねえんだよな。
まあいい機会だから、素直に焼かれてくれ。少し熱い思いをすれば、二度と悲劇の運命とやらいうシチュエーションに酔ってふざけることもしなくなるだろう。というか、しなくなってくれると嬉しい。こういう疲労を伴なう馬鹿な場面て、笑うに笑えねえんだよな。
「ああ、お許しを、お許しを」とザックスの横では、看守父娘がなにやら祈っている。
「あんな奇蹟を起こせる聖職者さまを処刑だなんて」娘もすっかり泣き腫らした目で悲運の人を見つめていた。「こんなことをして、どうか天罰が来ませんように」
うーん、ヴィンセントが死ぬことより天罰が怖いのか。
「ザーックス！」と彼はいきなり、後ろから首を絞められた。
このおれに気配も気づかせないとは、セフィロスかクラウドだな！
案の定、振り返れば銀髪の長身がそびえていた。
「貴様、いつ脱獄してきた」セフィロスは忌々しげに囁いてくる。
「人聞きの悪いことを言うなよ。ちゃんと看守どのに出してもらったって」
「あんたたち、なにを暢気に……おや」タコ坊主がじろりとセフィロスを睨みあげてから、ふと眉をひそめて彼を指し示した。「あんた確か、アマゾネスの隊長といっしょにいたな」
ザックスはぴんときた。「あんた、おれを牢にぶちこんでおいて、なにを画策してたんだ？」
「ふん、成功しない計画など報告する義理もない」
「おままごと、うまくいかなかったんか」
「なぜ知っている」
「図星か」おれを遠ざけといて、あんたがなにをするかなんてお見通しだっての。
「くっ……」セフィロスはいったん目を逸らしてから、ヴィンセントのほうを指し示した。「司教だと聞いたからやってきてみれば、あれはヴィンセントではないか」
「そのとおり」
「いつ、あいつが司教になった」
「いや、人違いらしいんだけどよ、同じ名前を名乗ったもんだから」
「ああ」セフィロスは頷いた。「確かバレンタイン司教と言っていたな」
再びザックスはぴんときた。「あんた、クラウドだまくらかして結婚でもした？」
「やかましい」
「あんたな」ザックスは観衆を区切るロープを引きちぎり、セフィロスの首に巻きつけ、絞めあげた。「たまたまヴィンセントが身代わりになったからいいものの、あんたのおふざけで司教がひとり死ぬところだったんだぞ！」
「い、いや、そもそも、俺が計画を実行しようというときに結婚に関する法律が変わるほうが悪い」セフィロスはロープと首のあいだに指を入れ、骨が折れるのを防いだ。
「だったら踏みとどまるとか我慢するとか、ちょっとは学習しやがれってんだ！」
そのとき、観衆がどよめいた。
振り返ると、焚火のまわりに数人の男たちが立ち、すでに火を移しはじめている。
乾燥した空気はあっというまに薪を燃えあがらせた。
雲ひとつない晴天に向かって濁った灰色の煙が立ち昇っていく。
「あっ、ヴィンセント！」
その声に、ザックスもセフィロスも処刑場面から彼らの横手へと視線を移した。
クラウドがキャベツを肩のあたりへ持ちあげながら、群衆の中で揉まれつつ広場の中央へ顔を向けている。頭に巻いていたらしいスカーフはすっかり後ろにずりさがって、目立つ金色が輝いていた。
「なんでヴィンセント、燃やされてるんだよ？ あいつ、火は弱点じゃなかったか？」
「いや、吸血鬼じゃねえって」ザックスは応えながらチョコボ頭をひっぱった。
「いてて」クラウドはたたらを踏みながらこちらを振り返る。「あ、ザックスだ」
「ザックスだじゃねえだろ。おまえ、なにしてんの」
「買いもの」
「買いもの？」驚いたような声を出したのセフィロスだった。「家出したのではなかったのか？」
「ちゃんと書いただろ。食いものがないからって」それからクラウドは、セフィロスをあらためてというように見あげた。「もしかして、まだ怒ってる？」
「いや！」セフィロスは急いで首を振り、逃げないうちにとばかりにクラウドを抱きしめる。「俺が悪かった。コートひとつのことであんな言いかたをするつもりはなかったのだ」
キャベツと籠で手がふさがっているのでクラウドは反撃ができないでいるらしい。チョコボ頭を腕にくるまれたまま彼――傍目から見れば彼女――は呟いた。「あのさ、怒ってないならいいんだ。でもおれ、代わりのもの買ってあげたからさ。それで赦してくれよ」
「代わりだと？」セフィロスはチョコボ頭を放した。
クラウドはいったんキャベツをひとつセフィロスに預け、籠の中から大きな包みを取り出す。「はい、プレゼント」
「クラウド……」キャベツとともにその包みを受け取り、セフィロスは感動で言葉も出なかったらしい。
どうでもいいが、おまえら、いくらヴィンセントだからって、人が焼かれてる前でそういうことするなよ。
「このような形で俺たちの愛を確かめることができるとは……」
大きく両手を広げ、優しく抱きしめようとしたらしいセフィロスだったが、その手に残ったのはキャベツだけだった。
「クラウド……これはないだろう」
「あれ、キャベツ、嫌いか？」
「いい……」と炎の中から唸るような声が低く、それは低く響いてきた。「いいかげんにせんか、貴様ら！」
ザックスは刑場に向きなおった。「やっと正気に返ったみたいだな」
すでにヴィンセントの姿は炎の中にあり、揺らめく影しか判別しない。しかし声ははっきりと響いてきたのだ。焼かれる苦しみや痛みに慄えるものではなく、恐怖に縛りつけられた呻き声でもない。
それが観衆たちを驚愕させたものだ。
どっと、どよめきと悲鳴があがり、人波が左右に大きく揺れる。
「なんだ」クラウドが買物籠を抱えなおしながらまばたいた。「助けてほしいなら、そう言えばいいのに。オーディン」
稲妻が走り、雷鳴が轟いた。
ぽつぽつときたかと思うと、あっというまの集中豪雨。たちまち火刑の炎は小さくなっていった。
「なぜリヴァイアサンを使わん？」セフィロスが顔をしかめる。
「みんな流されちゃうだろ。やっぱりまずいよ」クラウドは頭上にバリアでも張っているのか、少しも濡れずにいる。ザックスはその中に入れてもらえなかった。
どこからともなく雨の中を悠然と騎乗して現われた騎士は、すらりと剣を抜き、ひと呼吸ののち、六本足の馬に拍車を当てる。
観衆の頭を飛び越え、オーディンは剣を横に薙ぎ、薪とヴィンセントが張りつけられている十字架を根もとから断ち切り、あっというまに駆けすぎていった。
暗雲とともに去った召喚獣。
十字架とともに、ばたりと薪の外に倒れるヴィンセント。
息を呑む観衆。腰を抜かして地面に這いつくばった警吏たち。
「き、奇蹟だわ……！」看守の娘が両手を祈るように合わせて呻いた。
父親もこくこく頷いている。「きっと愛の力だ」
なぜそうなるんだ。
「そうとも、これは愛の力だ」セフィロスが力説した。「決して魔法ではない」
まあ、この世に魔法があるなんてあんまり宣伝したくねえからな。ザックスは黙っていることにした。
しかし愛というその言葉は次々に人々のあいだを連鎖していき、大きな轟きとなって広場を満たしたものだ。
その中でクラウドがぽつりと呟いた。「おれが召喚したんだけどな」
「まあいいじゃねえか」ザックスは慰めるようにチョコボ頭を撫でてやった。
＊＊＊
さて、それからどうしたかといえば、彼らはしばらくのあいだその町に滞在しつづけ……たわけではなかった。
ザックスが戻り、ついでにヴィンセントも現われてしまえば、擬似新婚生活をする必要などないことに、いくらクラウドでもさすがに気づく。
なにより、でかい男たちが三人そろって居間でくつろいでいるというのに、なんで自分だけ家事をやっていなければならないのかと、はたと疑問に思った途端、今度は本当に家出したクラウドであった。
アルテマとフレアでぼろぼろになったセフィロスが、凝りもせずに妻の行方を追ったのは言うまでもない。
ザックスがしょうがねえなとつきあい、誰もいなくなったあと、ヴィンセントはニブルヘイム跡に戻った。
……ところで、バレンタイン司教はどうなったのか。
彼がその場の雰囲気に流されるままに結婚を認めてしまったことの結果を考えて、早々に逐電していたのは、ヴィンセントの推測どおりである。
しかし国から出ることはかなわなかった。
辺境警備の任務にあたっていたアマゾネスたちが彼を見つけ、捕縛したのである。
そしてそのときの彼女らのあまりの乱暴さを司教は嘆かわしく思い、根気強く説教を続けた結果、いまでは彼女らの専任司教として大切に扱われていた。
なにしろ、司教の言うとおりに女らしい立ち居振る舞いを勉強した彼女らの、五人に三人は立派な旦那さんを見つけることができたのだ。
そんなわけで、司教はいま、彼女らのさらなる道標となるべく恋占いのやりかたを勉強中である。
バレンタインデーの由来について。諸説さまざまです。バレンタインと呼ばれる聖職者は二、三人ほどいたそうですが、年代もエピソードもまちまち。ただし、全員二月十四日に殉職、あるいは処刑されているとのこと。中でも有名なのは、兵士の結婚が禁止されている戦時中に法を破ってふたりを結婚させてやったという説らしく、警吏（判事？）の娘の目が愛の力で治ったというエピソードも、この説に付随していることがしばしばのようです。
| THE END. |
| UTILITY MEN contents |