１
目の前にぶらさげられた同族の小さな女の子に、ナナキは左目を大きく瞠った。
眠そうに短い前脚を懸命に動かして顔を洗おうとじたばたしているその子狼は、どう見てもまだ生まれたばかりだ。
彼がしばらく声も出ないで立ちつくしていると、クラウドが彼女を左右にひと揺すりしながら首を傾げた。「気に入らないか？」
「いや……」ナナキはようやく声を吐き出した。「気に入るとかいらないとかの問題じゃなくて……どこから持ってきたの、これ？」
「嫁さん、欲しかったんじゃないの？」
「嫁さんって……だって、まだ赤ん坊だよ？」
「そりゃそうだよ。生まれたばかりなんだから」
「だからさ……」言いかけて、ナナキは軽く溜息をついた。まあいいや、クラウドのやることにいちいち理由や原因を問いつめても迷路に嵌まるだけだ。
こうしてふらりと足を向けてくれるってことは、まだおいらのことを憶えていてくれるってことで、それだけでもなんとなく嬉しい……かな？
「言っておくけど」クラウドはナナキの隣に腰かけながら釘を刺すように続けた。「口説き落とすのはあと五、六十年待てよ？」
ナナキは咳きこんだ。いくらなんでも赤ん坊に向かって求婚なんかしたりしないよ。だいたい彼女、まだ言葉もわからないじゃないか。
ふわふわの赤い毛、尖った耳、太い脚は普通の狼以上に立派に育つだろうことを予想させる。女の子だからたてがみはないが、尻尾は一人前に光っていた。彼女は牙も歯もない顎をふがふがと動かしつつも、とろとろと眠りつづけている。
クラウドは彼女をナナキの前に置いた。「言っておくけど、返品は受けつけないからな」
「そこらのよろず屋で買ってきたわけじゃないんだろ？」ナナキは呆れた。「なんなの、その言い種！」
「いや、あんたの種族の記憶までライフストリームを探るの大変だからさ。気に入らないからって取り替えるわけにもいかないんだ」
「ライフストリームって……」ナナキはまばたいた。っていうか、クラウド、どんどん人間離れしてきてないか？
「おれがどうやってザックスとかセフィロスとか再生したと思うんだよ」
「せふぃろすう!?」ナナキは思わず飛びあがった。「ザックスのことは知ってたけど、なんでセフィロスまで再生するんだよ！」
「……ごめん。でも、おれのせいじゃないんだ」クラウドはちょっと虚ろな目を空に向けた。「大空洞で、どぼん、と星の中入ってさ、正確にあんたの種族の完全な記憶を探して……実際残ってたのはその子だけだったんだけど、そのとき、だいぶ深いところまでひっかきまわしちゃったらしいんだよな。なにがどうなったのかわからないんだけど、あいつ、おれの匂いを嗅ぎつけやがって……勝手についてきちゃったんだ」
「………」匂い？
「おれ、思いきり放り投げて見なかったことにしようと思ったんだけど、ぼけっと間抜けづらで、じーっと見つめられてさ……そうなると、なんか情が移るじゃないか」
なんでそんなに簡単に移るんだよ。「クラウド、とどめ刺したんじゃなかったの？」
「刺したよ」クラウドは両手を合わせ、ぽきぽきと指を鳴らした。「超究武神覇斬、手加減なし、すっきりきっぱりと。ただ、灰にまではしなかったんだ。それが原因かもしれない」
「………」もしかしたら、セフィロスに同情すべきなのかな。
「そういうわけで」クラウドはナナキのひたいを突つきながら立ちあがった。「その子は再生できる最後のひとりなんだ。大事に育てろよ」
「おいらが育てるのか？」
「ほかに誰がいるんだ」
だってクラウドは？
「ああ、しばらくはミルクで間に合うかな。歯が生えてきたらキノコとか柔らかい魚身とか……あんた、憶えてない？」
「憶えてるわけないだろ」ナナキは泣きたくなった。「クラウドは憶えてるっていうの？」
「おれの憶えてる最初の食事、キュビルデュヌスの生肉だ。あのバッタはまずかった」
「わかった……もう訊かない」
「じゃあ、頑張れよ」クラウドは手を振って歩き出した。「子ども、生まれたら知らせてくれ。見に来るから」
「五、六十年先にはどこにいるつもりさ？」
「さあ？」
それじゃ連絡のしようがないじゃないか。
クラウドはいつもそうだ。ふらふらとどこへ行ってなにをしてるか、あまり話してくれないし、コスモキャニオンに立ち寄るときも、いまみたいにひどく突然にということのほうが多い。
あんまり長くひとつところにいても面倒なことのほうが増えてくるせいだろう。例えばあの大きな剣とか変わらない容姿とか、それにあの魔晄の眼がなにを意味するのか知っている人間もまだいるしね。特にあのセフィロスを引き取ったならなおさらだ……というか、いったいどういう生活してるんだ？
ナナキは知らなかった。
クラウドのこの訪問が、彼の自由で平和な生活の終わりを告げるものであったことを。