LONG AGO

１

　リムは生まれたときからリムだったわけではなかった。
　大人たちの話を聞く限りでは、彼の名前が決まったのは十五年ほど前、生まれてから十五年経ったころだという。
　なんでそんなに長いあいだ名前がなかったの不思議だが、それで特に不便を感じたこともなかったし、名前がないということに気づきもしなかったので、べつに構わないと思う。
　でも名前で呼ばれるようになってから、自分がほかの兄弟とは違うんだということに気づいた。といっても、自分のほうが優れてるとか、逆に落ちこぼれだとかいった違いではなく、自分には兄さんがいて、彼らは似てはいるけど自分と同じものではない、そんな程度の認識だった。
　彼は兄弟のうちのひとりではなく、リムになった。でも、まだなんだか借りものの服を着てるような気分でいる。
　たぶん、それはすべての生きものが持つ感覚なんじゃないかとリムは考えた。だってぼくは、「ぼくがリムだ」って言って生まれてきたわけじゃないもんね。教えられて知り、繰り返しそう呼ばれて身に着いてくるものだ。
　いちばん上の兄さんはレトといった。父さんのさらに父さんの名前から取ったんだそうだ。兄弟のなかじゃ、いちばん大きくて尻尾も長い。だからとっても早く走る。星の形に焼いたミントクッキーが大好きで、おみやげもの屋さんからかすめ取っては、あっというまに見事に逃げ切る特技があった。
　すぐ上の兄さんはルゥって呼ばれている。リムにはこの兄さんの本性がよくわからなかった。なにを考えてるのか想像がつかないからだ。大人たちの言うことがわからないとか、難しい本が読めないとかいうわけではなく、本当に理解不能。ルゥはレトにつきあって悪戯するが、おとなしく捕まって素直に説教を受けることもあれば、手品みたいにその難を逃れるときもある。一度などは、自分で割ったお皿なのに、いつのまにかリムが割ったことになっていて、リムは言いわけもできずにお母さんの尻尾でお尻をいっぱい叩かれた。だがルゥはときどき優しくなるし、好物のはずのアイスクリームをリムに分けてくれることもある。
　ちなみにリムはショコラケーキが大好きだった。チョコレートにちょっとばかりピーナッツが入ってると、もっと嬉しかった。でもまだ子どもだから、お酒の入ったケーキは禁止されている。
　そんなわけで、リムとふたりの兄さんは、シルドラ・インの女将さんが作ってくれたそれぞれの好物を頬張ってごろごろとしていた。
「レト、ルゥ、リム」
　その声に、三匹の子どもたちはぱっと飛び起きた。
　赤い毛もつややか、かんざしでたてがみをきれいに押さえておしゃれした彼らの母親だ。彼女は当然ながら、お母さん(ムト)と呼ばれていた。
「まったく、あんたたちときたら、お菓子ばっかり食べてごろごろして。そんなことじゃ立派な一人前の戦士になれませんよ」
「いいじゃないか」と彼女のあとからドアを押して、父さんが入ってくる。「私だって、小さいときは甘やかされたものだ」
「だから、あなたはわたしのお父さんに頭があがらないのよ」
「え、いや、それとこれとは……」父さんは途端にしどろもどろになって、そわそわと尻尾を動かす。「だいたい、クラウドは関係ないだろ。そもそも血が繋がってるわけでも――」
「なによ、クラウドがいなかったら、わたしは生まれてなかったの。この子たちだっていなかったのよ。あなた、ひとりで年取って寂しく星に還るつもりだったの？」
「えっと……」父さんは脈絡を失ったように目を白黒させ、最後には天井を振り仰いだ。「いつのまにそんな話になったんだろう？」
「とにかくこのままじゃ、この子たちもぐうたらな甲斐性なしになっちゃうわ。ここは一発、びしっと躾けてもらわないと」
「躾けてもらうって」父さんは天井から母さんに目を向けた。「誰に？」
「クラウドに決まってるでしょ」
「でも、クラウドはあんまりコスモキャニオンには長居しないぞ。ウータイでもここでも彼はまだ有名人だから、なにかと面倒だって言って」
「べつに、どこへ連れてってもらっても構わないのよ」母さんは首を振りながら体を返すと、父さんを押しのけるように部屋を出ていく。「ようするに、わたしはこの子たちを安心して預けられる人に預けたいだけ」
「なんで預ける必要が？」
「わたしが旅行にいけないじゃないの！」
「だから奥さん……」
　リムとふたりの兄さんは、ぱたんとドアが閉まるまで両親の会話を聞くともなしに聞いていた。
「なあ」と、いちばん上の兄さん――レトがぼんやりと口をひらいた。「クラウドって誰？」
「母さんの父さんって言ってたよね」ルゥが頷く。
「じゃあ、ぼくたちのお祖父ちゃんか？」レトが首を傾げる。
　リムはとっても嬉しくなった。だって、お祖父ちゃんというのはとってもいいものなんだって、谷の人間の子どもたちもそう言ってる。玩具くれるし、お小遣いくれるし、いっぱいお菓子もくれるんだって。
　クラウドって人が来たらきっと、いっぱいショコラケーキを食べさせてもらえるんだな。