１
ラグナは落ちこんでいた。
そんなことを言えば、ウォードはもしかしたら慰めてくれるかもしれないが、キロスには新手の冗談かと言わんばかりの目を向けられるに決まっている。
そんなわけで、ラグナはいま、ひとり孤独に落ちこんでいた。
ここはトラビア渓谷と呼ばれる、Ｌ字型に伸びる険しいヴェーン山脈のほぼ真ん中だ。北にはトラビアがあり、まっすぐ南へ行けばモルドレッド平原、そこからさらにノルテス山脈を越えればエスタシティがあった。
ラグナはそのエスタへ入りたかったのだ。いや、確かに一度は国境を越えたような気もする。それなのになぜ、こんな北のほうでうろうろしているんだ、おれは？
ガルバディアのウィンヒルからまっすぐ東をめざし、大陸横断鉄道は大内海を横切るその真ん中、フィッシャーマン・ホライズンに立ったまでは順調だった。ところが、そこからエスタへ行こうとすると、戦時下ではあたりまえのことながら、ごちゃごちゃと検閲が厳しかったのだ。そんなものにひっかかれば、元ガルバディア兵のラグナたちは即強制送還か収容所行きになってもおかしくない。したがって、彼らは持ち前の機転で――エスタ兵に化けたり、モンスターに化けたり、まあいろいろと――ウェストコーストから大塩湖を避けながら、ひたすら東をめざしたのだ。
ところが、どこをどう間違ったのか、ここは明らかにかなり北だった。
この生来の方向音痴が恨めしい。これまでは、なんとかなる、いずれ出るところには出ると張り切ってきたが、さすがに前向きな彼でも、こんなところに迷いこんでしまっては反省することもある。
ああ、エルオーネ……元気でいるだろうか。
おじちゃん、一生懸命追いかけたんだけどよう……。
はああ、と溜息をつき、ラグナは膝を抱えて顎を載せた。
それに、ガルバディアのウィンヒルに残してきたレインのことも気にならないわけではなかった。口ばっかりつっけんどんな、あの気の優しい彼女。ああ、会いてえよう……。
いやそれでも、エルも大切なんだ。攫われたあの子を助けて、みんなでレインのところへ戻らなくちゃな。だが……果たしてエルは無事でいるんだろうか。
うだうだと空のむこうへ思いを馳せていたラグナの目の前を、不意に金色のものが通りすぎた。
そのぴょこぴょこ揺れるものを見て、彼はチョコボかと眉を寄せる。同時にわずかな警戒心が頭をもたげた。こんなところにあの人見知りの激しい鳥がいること自体が奇妙だったし、あの大きさからすると子チョコボだろう。親鳥がそばにいないはずはない。うっかりあの鳥に見つかりでもしたら、どんな目に遭わされるか。
それでもラグナは、びくびくしつつ、そろそろと四つん這いで近づいていった。
岩と岩のあいだに細い道があり、それは急な下り坂を作って崖のほうへと続いていた。いちおうの登山道であるらしく、落下防止のワイヤーのある道へと続いている。
そのチョコボは長い角材をいくつか背負い、その道をとことことおりていた。
いや、チョコボではない。明らかに人間だ。
金髪をざんばらに刈ってその毛先が奔放に跳ねているものだから、あの黄色い鳥の頭に酷似していただけだった。ラグナはほっとして、次にはキロスとウォード以外の人間を見たことに気づいたものだ。
「ちょ、ちょ、ちょおっと待ったあ、そこのチョコボ！」
ぴくりと彼が立ち止まる。うっかりチョコボと叫んでしまったが、やはりあの外見からそう呼ばれることがあるのだろう。ちゃんと自分のことだとわかっているらしく、彼は荷物を肩に載せたままくるりと振り返ってきた。
「……おれのこと？」
低く呟かれる声からすると少年らしい。ラグナは慌てて岩を乗り越え、道に跳びおりて彼のほうへと近づいた。
「そうそう、あんただよ、あんた。ああ、よかっ――」
息を整えているあいだに、ラグナは側頭部に衝撃を食らった。少年の担いでいた角材がぐるりとまわって彼の頭を殴ったのだ。
転倒したラグナは、ずきずきする頭と腰をさすりながら見あげた。金髪の少年は暗雲を背負ってそびえ立っている。
その青い目がぎらりと物騒に光った。「誰がチョコボ？」
ラグナはごくりと喉を鳴らした。「スミマセン、お名前を教えていただけマスカ」
「やだね」
吐き捨ててくるりときびすを返し、またすたすたと坂をくだっていく少年。彼の持つ角材が再び頭の上を通りすぎていくのを、ラグナは首を竦めて避けた。
そうしてラグナは地面に坐りこんだまま、ぴょこぴょこと揺れる金色の頭が坂の下へと消えていくのをぼんやり見つめてしまった。
呼び止める言葉も見つからないままでいると、しばらくして背後からキロスの声がかかった。「ラグナ君、またこんなところまでうろうろと……だから迷子になるんだろう」
振り返れば黒い肌のスレンダーな男が立っている。襟足から縮れ毛を細く三つ編みにまとめ、身体にはぴったり密着したタイプの一種独特な服を着こなした彼は、いちおうラグナの連れだ。
そのあとを、対照的にがっしりとした大男が無言でついてきていた。このふたりとはガルバディア軍時代からのつきあいで、軍を抜けるときも、抜けたあとも、なんだかんだとつるんでいる。
「………」大男が呆れたように首を振りながら黙ってラグナを見おろしてきた。ウォードは昔の負傷がもとで声を出せなくなっていたのだ。だがそれで不便を感じたことはない。なにが言いたいのかラグナにもなんとなくわかるからだ。そのうえキロスは、もっと具体的に理解して代弁するときがある。
「ほら、ウォードも言っている。目に映るものをあれこれと追いかけるから……」キロスはやれやれと肩を竦め、両手を広げる。「本気でエスタをめざす気があるのかね、ラグナ君？」
「あったりきたりよ、エルオーネを助け出すまでは、なにがなんだって諦めるもんか」ラグナは勢いよく立ちあがり、また勢いよく服の埃を払った。「とにかくよう、いまチョコボがいたんだ。いや、チョコボみたいだったが、絶対人間だった。この山脈から出る道を知ってるに違いないって」
キロスが眉を寄せる。「こんな山奥に、なにがいたって？」
「だからチョコボ」
大男がゆっくりと首を振りながら深く濃く息を吐く。
「チョコボに道を訊くつもりかとウォードも言っているが？」キロスが通訳した。
「とにかく行くぞ。なにもないところに鳥は立たねえだろ」
「立つのは煙だと以前にも訂正したはずだがな、ラグナ君」