１
クラウドがショーウィンドーから離れるのを、セフィロスは非常に長い時間待っていた。
やわな防弾ガラスのむこうには黒い大きな単車がポーズを取って鎮座している。デイトナGTX2000。馬力とそれに伴なう排気量ともども迷惑な代物だ。特にセフィロスにとっては召喚獣よりもたちが悪い。
なぜなら、クラウドがここ数日、この無愛想な鉄のかたまりに恋しているからだ。
デイトナという名前がなぜいまだに残っているのかなど考えても仕方がない。とにかくクラウドは夢中になってしまっている。
召喚獣なら、少年がどれほど可愛がり、甘やかし、羨ましくなるほどなでなでしていようと、セフィロスのひと睨みで退散してくれる。ばれるとあとでひどい目に遭うが、ともかくも対処のしようはあるのだ。
だが無機物相手にはそうはいかなかった。
そのうえクラウドときたら、食事中であってもぼうっとこいつのことを考え、口になにを入れても反応がないとくる。普段はあれほどうまいまずいとうるさいのに。最近では、ザックスがうっかり鍋に落としてしまった胡椒瓶さえ噛み砕こうとしたほどだ。
くそ、二輪免許に身長制限がなかったことが悔やまれる。なぜこうも、やすやすと交付してくれるのだ、エスタ政府め。
そしてなぜ、こんなところに車輌販売の新規出店などする馬鹿がいるのだ？
さらに忌々しいことはザックスの阿呆だ。
「クラウドが物に執着するなんて滅多にないことだろ。いっしょに貯金の方法でも考えてやったらどうよ？」などと暢気なことを言ってきたものだ。
貯金ならいくらでもある。というか、こっそり株で儲けてしまったへそくりをセフィロスはかなり溜めこんでいた。もっとも、クーデターのことも鎖国のこともいち早く知っていたから、よほどへたなところに投資しない限り儲からなければおかしい。
ようするに、金額の問題ではないのだ。
問題は俺がつまらんということだ。
クラウドが相手をしてくれないので必然的にセフィロスは暇になる。そして暇になればなったで、ザックスが仕事を言いつけてきたりするのだ。
英雄と呼ばれていた俺がなぜ、こんな境遇に甘んじていなければならん？ ザックスについでとばかりにメモを渡され、醤油と豆腐と納豆と味噌と、豆製品ばかり買いあさるのが俺の宿命なのか？
昔は、「いい子だ」と囁くだけで黒マテリアを持ってきてくれたあの素直なクラウドは、いまでは俺を付属品扱いだ。こうして長時間待たせながら、なんとも思ってはいないだろう。
見ていろ。いずれ召喚獣どもを引き離し、超究武神覇斬を封じたうえで――
「セフィロス」
クラウドの声に、彼はぱっと顔を向けた。「なんだ？」
「GTX2000とGTX2000Rと、どっちにしよう？」
セフィロスはひと呼吸のあいだ、なにも頭に浮かばなかった。「……どう違いがあるというのだ」
「性能的にはまったく同じなんだけど、タンクの位置やラインが微妙に違うんだ。それにオプションがやっぱり微妙に違う。まあそれはべつに構わないんだけど」
セフィロスは自分の精神の奥底でかすかな同類愛が湧きあがってくるのを感じた。「クラウド、オプションも大切だぞ」
「そうかなあ。あとでいくらでも付け足せるのばっかりだし」
あとでいくらでも……。
いくらでもだと？
セフィロスはスーパーのビニール手提げを握りしめ、ひとり呻吟した。
「そんなに悩まなくていいよ。あんたが買うわけじゃないんだから。そろそろ帰ろう」と、チョコボ頭が目の前を通りすぎていく。
なんとなく疲労を感じながらセフィロスは頷いた。ぴょこぴょこ揺れるその金色の髪を見つめつつ少年のあとをついて歩く。なぜ後ろを歩かねばならないのかといえば、クラウドの目の前を彼の長身で塞ぐと必ず拗ねるからだ。
それにしても、こうして見おろしているといつも疑問に思うことがある。
こいつのつむじは、どうなっているのだ？
その頭がぴたりと止まった。セフィロスも止まったが、ついつむじ探しに夢中になっていたので、彼が足を止めた理由に気づくのに少し時間がかかった。
「ジャンク屋、珍しいじゃないか」クラウドが軽く手をあげる。「穴蔵から出てくるなんて、なにかあった？」
セフィロスはやっとクラウドの頭から目を外し、ショッピングモールをぶらぶらとこちらへ歩いてくる小男を見つけた。「ほう、歩けるとは思わなかったな。その足、退化したものと思っていたが」
「あんたじゃあるまいし、人間の足はそう簡単に羽根にはならないよ」クラウドが振り返ってくる。
「そろそろ、おまえに羽根が生えてきてもおかしくないと思うが」セフィロスは引きつりながらも応戦した。「可愛らしい悪魔の尻尾もついでにな」
「そういうのはヴィンセントに見せてもらえばいいだろ」
ジャンク屋は髭づらを歪めた。「相変わらず仲がいいな」
官邸下のスラムに巣食っているこの男は、彼ら三人がエスタに来たときからの顔なじみだ。最初はクラウドを女と勘違いしていたらしいが、幸いにも当人にばれないうちに認識を訂正することができたらしい。
そのせいか知らないが、俺やザックスが情報を欲しがればえらくばか高い閲覧料を呈示してくるくせに、クラウドが相手だと、ときどき無料奉仕することがあった。それが惚れた弱みなのか、天下の最強チョコボに逆らいたくないためなのかはよくわからない。ザックスはなぜか、あまりに仁義にもとるといって、クラウドにジャンク屋への出入りを禁止したものだ。
「どうなのかなあ」クラウドが腕組みし、少し考えるように首を傾げた。「ほら、夜店で釣った金魚って結構しぶといのいるじゃないか。朝起きてみると、まだ生きてるんだ、こいつ、って感じ？」
ジャンク屋が複雑な顔でセフィロスを振り仰いでくる。「ずいぶんでかい金魚だな」
「俺には手も足もある。魚のように目の前にぶらさがっている餌にも簡単には食いついたりせんぞ」おまえが餌になればいいものを。
「けどさ、おれ、言葉どおり、あんたを釣ったんだよ。憶えてない？」
「………」なんだと？
「まあ、ライフストリームで再生したばかりの頃だから無理ないか」クラウドはなにかをかきまわすように右手を動かす。「ナナキの嫁さんもらいに大空洞行ったときにさ、ひっかかったんだよ、あんた。おれ、しょうがないから連れて帰ったんだ。ザックスといっしょに育てようと思ってさ。でもちゃんと記憶戻ったし、変な性格なのは治らないし」
セフィロスは茫然と立ちつくした。なぜ自分がここにいるのか非常に疑問だったのだが、そういう経緯があったとは初めて知った。
そうか、俺はクラウドに釣られたのか。このチョコボに……頭の外側も中身もチョコボ並みの少年に、モナカ皮ひとつ、一ギル程度で遊ぶような夜店の金魚のようにビニール袋に入れられ、ぶらさげられて（そこまでは言われてないが）。英雄と呼ばれたこの俺が……いかん、腹が立ってきた。
「まあ、金魚だろうと綿飴だろうと構わねえけど」ジャンク屋がそっと、しかし強引に口を挟んで話題を戻した。「俺がわざわざ出てきたのも、なんでも屋のあんたたちに頼みてえことがあったからなんだよ」
「あれ？」クラウドは首を傾げた。「店にザックスいなかったか？」
「それがよう、そのまあ、ザックスには丁重にお断わりされてな」
「だったら、おれも断わるよ？」
「ちょっと待て」セフィロスは思わず叫んだ。「俺がやりたい仕事はことごとく反対するものを、なんだその態度の違いは？」
クラウドは怪訝そうに眉をひそめてセフィロスを仰いできた。「違いって、あんたが率先して仕事引き受けたことなんかないだろ」
「そんなことはない」
「そうだっけ？」
セフィロスは頷きながら、しかし思いあたることがなかったので言及は避けた。だが、だいたいにおいて、セフィロスが受けようという気になればクラウドが断わり、興味なさげに振る舞えばクラウドが喜んで飛びつくというのが、いままでのパターンだったように思う。
「とにかくだ」挫けそうになる気を支えながらセフィロスは言った。「仕事内容も訊かずに断わるというのはあまりにも失礼ではないか。聞くだけ聞いてやったらどうだ？」
「断わるけど話してみろっていうほうが失礼じゃないか」
「いや、聞いてくれるだけでもいいんだ」ジャンク屋がまた強引に口を挟む。「というか、依頼主は俺じゃなくてさ」
「誰だ？」セフィロスは単刀直入に訊いた。
「オダイン博士ってんだけど、知ってるだろ？」
「知っているとも」セフィロスはスーパーのビニール手提げをちぎれそうになるほど握りしめた。「おじゃるおじゃると、バイセージで遊んでいた馬鹿だ」
「へえ、モンスターと遊べる人がほかにもいるとは思わなかったよ」クラウドが感心したように頷く。
いや、あれはモンスターと遊んでいたわけではない。モンスターで遊んでいたのだ。
「で、その人がなに？」クラウドが話を促がした。
「その博士と会って話してくれってことなんだけど」ジャンク屋は両手を軽く広げる。
セフィロスは眉をひそめた。「そんなことで、おまえがわざわざ穴蔵から出てきたというところが気に入らんな。なにか裏があるだろう」
「うう、いや、その……俺の端末が差し押さえられちまって」
「もしかして、どこかやばいところハッキングした？」クラウドがからかうように笑った。
どうやらそれは図星だったようだ。「じつはまあ……ちっと失敗して、ラグナロク一機行方不明にさせちまっただけなんだけどよ」
ラグナロクというのはエスタ科学の誇るべきスペースシャトルの名前だ。大気圏内外で航行可能な、なかなか賢い乗りものである。「航空省に侵入したのか。それでは、ばれたらまずいどころの騒ぎではあるまい」
「だから、まずいどころじゃねえんだ。俺の首にはいま、政府の鎖がくっついてるってわけさ。逮捕されなかったのはオダインが拾ってくれたからなんだけどよ。今度は協力しろって脅されてさあ」
「どんな協力だ」セフィロスはいやな予感をおぼえながら訊ねた。
「俺にはよくわからねえ。ただ、モンスターを捕獲するとか自律エネルギー体がどうとかって話でよう……なんか荒事になりそうだったんで、うっかり、あんたたちぐらいしかできねえよって紹介しちまったんだ」
セフィロスは一瞬ぎくりと身体をこわばらせた。この話をクラウドの目の前でするのは非常にまずい。
横目でそっと盗み見れば、しかしクラウドにはなんのことかわかっていないらしい。きょとんと可愛らしくも首を傾げたものだ。「モンスター討伐の仕事なら、ザックス、いくらでも受けると思うけどな。なんで断わったんだろ」
「いや、討伐じゃなくて捕獲――」
「ジャンク屋」セフィロスは鋭く口を挟んだ。「とにかく、詳しいことはオダインとやらに聞く。俺はいま、この醤油と味噌を可及的速やかに持ち帰らねばならんのだ」
示されたスーパーのビニール袋を見つめながら、小男は気圧されたように頷いた。「ああ、わかった……じゃあ、オダインに言っとくよ。迷惑かけてすまんな。商売再開できたら真っ先に報せるからよ」