１
シド・クレイマーは温厚な人物だと言われていた。近所の漁師たちはそう太鼓判を押してくれる。自分でも鷹揚さには多少の自信はあった。
そして彼は魔女と承知でイデアと結婚し、このグッドホープ岬で慎ましい静かな暮らしを楽しんでいる。
少なくともつい半年前までは、その岬の家での暮らしは静寂とともにあったのだ。
ところが、イデアが突然スコールを引き取り、サイファーやキスティスを連れて帰り、エルオーネを預かってき……シドがびっくりして目をまわしているうちに、彼女は孤児院をやると言い出したのだ。おかげでいま、家の中はちょっとした託児所だった。
いや、この生活が不満というわけではないのだ。もともと会社勤めは肌に合わず、民間伝承や神話の研究書に埋もれて過ごしてきたシドは、運よくちょっとした論文でなんとか大学の客員教授となり、時間はあり余るほどあった。その時間のほんの少しを、子どもたちのために使うことにはさして異論はない。それに身寄りのない子どもを引き取って育てるのはとてもいいことだと思うし、実子に恵まれない彼ら夫婦にとって、その可愛らしい存在は慰めにもなったものだ。
なにより、イデアはとても嬉しそうだった。彼女が幸せならば、シドはそれでいいと思うのだ。
生まれつき魔女として育ち、両親の愛さえあまり充分に与えられてきたとは言えない彼女。その彼女が子どもたちを育てたいと言い出したのは、本人にとっても非常にいい傾向だった。
ただ……。
「シドさーん、サイファーとキスティスがまた喧嘩してるの！」
あの声はエルオーネだ。シドは読んでいた歴史書をぱたりと閉じ、腰をあげて書斎から出た。
そう、ただ、子育てがこれほど大変なものだとは思わなかったというだけのことだ。
スコールは引き取った当時は生後数か月というところで、ようよう首が据わるか据わらないかという状態だった。不器用なシドが抱こうとすると、あれやこれやとイデアは注意してきたものだ。そんなふうに、おっかなびっくりでしかさわれないというのに、風呂に入れてくれ、ミルクを飲ませてくれとイデアに指図され、シドは初めての経験にうろたえまくっていた。
やがてシドがなんとか子どもの世話に慣れ、スコールが掴まり立ちできるようになった頃、とっくによちよち歩きになったぐらいの子どもが、もうふたり増えた。どちらもやんちゃで、たがいに遊んでいるところを邪魔しあっては、わんわん泣き出すほど元気だった。
エスタから来たという大男がエルオーネを連れてきたのはその直後だ。正直に言ってシドにはありがたかった。彼女はすでに十歳近くになっており、掴みあいを始める赤ん坊たちを引き離すぐらいのことはできる。また年齢の割にはしっかりした少女でもあって、しばらくの時間ならひとりで子守りを任せておけたのだ。
そのエルオーネが彼を呼ぶということは、彼女には処理できない事態になっているということだろう。
シドは居間に入り、部屋を見渡した。積み木が転がり、人形も縫いぐるみも哀れなほどぐったりと散らばっている。サイファーとキスティスが両抱えほどもある布製のブロックをひっぱりあい、膠着していた。そういう状態に至るまでにどれほど暴れたのかは一目瞭然だ。
そのそばでは、スコールを抱きあげて避難させていたらしいエルオーネが為すすべもなく立っていた。
「イデアはどうした？」
「お友達のお出迎えに行くって」
友達？ 魔女として育った彼女には、そう呼べる知りあいはほとんどいないはずだ。
シドは怪訝にしながらもサイファーを持ちあげようとした。だが赤ん坊は思いもよらない力でブロックにしがみつき、同じぐらいの力でしがみついているキスティスが、半分ぶらさがる恰好で引きずられてしまう。
やれやれ。シドはかたわらのモーグリ人形を引き寄せ、キスティスの目の前で振ってみせた。だが、いつもその手に乗るもんかと、彼女はますますブロックに手足を絡ませる。
シドがそのままの姿勢でかたまったとき、エルオーネの腕の中でスコールが泣き出した。
ああ、どうすればいいんだ。せめて、もう少し年の離れた子どもたちが三人というのなら、やりようもあるのだが。いったいイデアはいつも、どうやってこの子たちをおとなしくさせているのだろう。
そう、彼女が世話をしているときは、子どもたちはものすごくおとなしかった。というよりも、彼女に甘え、彼女を取りあいながらも喧嘩はしない。イデアは秘密裡に魔法でも使っているのではないかと、シドはときどき疑問に思うことがあった。
いやいや、彼女はそんなことで魔法を使いはしない。そもそも彼女いわく、魔法はそれほど便利なものではないという。なにかを傷つけるだけだとも言っていた。
と、スコールがぴたりと泣きやんだ。
ぶらさがっていたキスティスが手から力を抜き、ぱたりと床に落ちる。サイファーもブロックを手放し、シドの腕の中で身じろぎした。
「あ」と、エルオーネが玄関へと身体を返した。「まま先生、帰ってきたかな」
シドはサイファーを抱えたまま、足もとにはキスティスを随え、エルオーネを追って玄関へ足早に向かった。子どもたちがどうしてイデアの帰宅を知るのかは不思議だが、とにかく機嫌の悪い彼らを宥めるのに彼女ほど適任者はいない。
だが玄関の戸をくぐってきたのはイデアだけではなかった。
まずシドの目に入ったのは金髪の少年だった。ぼろぼろの荷物を背負い、服も少しばかりすたれていたが、本人は少女めいた顔立ちで美人と言ってもいい。もっとも、少年にその表現は当てはまらないだろう。だが美少年というには、その言葉の持つ儚げな印象はまるでなかった。むしろ逞しく育った野生児という雰囲気だ。
そして彼の後ろには背の高い男がふたりいた。彼らも少年と同じように、どこかの戦場から来たといったほどのありさまだ。長い銀髪の整った顔立ちの男のほうが年上に見えた。多分にそのがっしりとした肩や胸が、いかにも百戦錬磨といった戦士の様相を呈しているからだろう。
その彼に負けず劣らず頑丈そうな黒髪の男は、こちらもやはり二枚目だった。ほかのふたりに比べれば遥かに豊富な表情ができるのだろう彼が、迎えに出たエルオーネに向けてまず最初に微笑みかける。「よう」
以前からの知りあいだったのか、エルオーネは飛びあがって喜んだ。スコールを放り投げんばかりに床におろすと、ぱっと金色の少年に抱きついたものだ。
「クラウドだ！」エルオーネは確認してから、いったん身を離して彼の後ろを覗きこむ。「黒いのと銀色のおじちゃんたちも、久しぶりだね」
「おいおい」黒髪ががっくりと肩を落とし、銀髪がわずかに不機嫌そうに彼女を睨みつける。「クラウドはおじちゃんではないのか。その差はなんだ」
「もちろん年の差だよな」クラウドと呼ばれた少年はエルオーネの頭を撫で、置いていかれて寂しげにしていた赤ん坊を見おろした。「あっ、スコールが立ってるじゃないか！」
少年はエルオーネを押しのけながら家の中に入ってくると、幼児の前でしゃがみこんだ。そして片手を軽く伸ばし、ちょいちょいとさし招く。「おれのこと憶えてるか？ おいでおいで」
「犬猫ではないんですが……」シドは思わず呟いた。
サイファーをぶらさげ、キスティスを足に装備しているシドを、少年が振り仰いでくる。あれ、人がいた、とでも言いたげな表情だ。
イデアが身じろぎした。「シド、クラウドにザックスさん、それにセフィロスさんよ」
金髪と黒髪、銀髪の順番で紹介され、彼らは名前に合わせてそれぞれ短く頷く。
「ふうん、シドっていうんだ？」少年が青い大きな目で彼をじっくりと眺めあげてくる。
「シド・クレイマーです」彼はぎこちなく会釈した。
「じゃあ、イデアの旦那さんだね」言いながら、少年は彼女のほうへと顔を向けた。
彼らは彼女とはずいぶん親しげだ。シドはなんとなく面白くなかった。