UTILITY MEN

　そのチョコボは素晴らしいチョコボに育っていた。
　きらきらと波打つように輝く羽毛、太く頑丈な脚には、毎日の手入れがなされたつやつやした爪がしっかりとついている。嘴は強力な武器であるにもかかわらず傷ひとつなく、さらに磨きがかけられて光沢さえ放っていた。
　そして特筆すべきは、この鳥はチョコボには珍しく目の色が青なのだ。海を映した透明なガラスのようなそれは、角度を変えると、ときおり油膜を張ったような虹色に輝くようでさえある。
　スコールは満足だった。これほど美しく輝く鳥はどこにもいないだろう。このチョコボを、俺が自分の手で育てたなんて信じられないほどだ。
「ジュニア、よく聞け」スコールはその金色の羽毛を撫でながらチョコボに囁くように言葉を聞かせていた。「おまえは俺のチョコボだ。世界でもものすごく優秀な、究極の金チョコボなんだ。なにしろ、クラウドの名前をもらっているんだからな。世の中の常識的なチョコボの範疇には収まらないなにかがある。わかるか？」
　チョコボはおとなしく、じっっっっ、とスコールを見つめ返してきた。ああ、この吸いこまれそうな青。おまえを手に入れて、俺は本当に幸せだ。
　これ以上の幸せを求めれば、なにか悪いことが起こるんじゃないかとも思える。だが俺はどうしようもなく欲張りで、そのうえ、ひとつの考えに囚われてしまうとそれしか目に入らなくなる性分なんだ。そのことはリノアのお墨付きももらっている。
「おまえは特別なんだ、ジュニア」スコールはさらに囁いた。「だから、きっとジャンクションだってできる。生まれてこのかた、そんなことをやったことはないと不安に思うかもしれないが、大丈夫だ、一度コツを掴んでしまえば、おまえはちゃんと覚えるはず。そうしたら、いつでも召喚獣として俺といっしょにいられるんだぞ」
　金チョコボは相変わらずまっすぐスコールを見つめていたが、やがていきなり身震いすると、ふいと横を向いてしまった。まるで、「興味ないね」とでも言っているようだ。
　その仕種が、ヴィンセントなどに言わせれば、「昔のクラウドにそっくり」だという。昔というのがどのくらい前のことなのかはわからないが、クラウドは意外にもこんなクールな性格をしていたのだろうか。
　ジュニアはあまり身動きせず、普通の鳥のように始終きょときょとしたりもしない。かといって動作がのろいわけではなく、特に餌となると正確無比に目的のものを素早く片づける。あまり味わってはいないようなので、これもいまのクラウドとはちょっと違うよな。
　クラウドにそっくりで、クラウドに似ていない、俺のクラウドJr.。
　まあいい、こうして前置きを長くしても無駄だ。実践あるのみ。スコールは振り返った。
　そこはチョコボ舎だった。落ち着いたベージュ色に統一された扇形の空間で、湾曲した壁の上方には大きくガラス窓が取られて陽光が燦々と降りそそいできている。清掃システムが完備され、寝藁も定期的に新しいものに取り替えられるし、エアコンディションも行き届いている。退屈すれば訓練施設のモンスターたちとも遊べるし、餌も訓練施設担当管理人が決まった時間にきちんと出してくれる。
　もともと畜舎は校舎の外に造られていた。当時はクラウドの個人的な施設としてとりあえず建てたといったあばら家だったが、二羽のちびチョコボに加え、スコールのジュニアが生まれて以後、当然ながらチョコボブームに火が点いたのである。外のあばら家同然だった畜舎に生徒たちが殺到し、無遠慮に、チョコボだろうと遊びに来たちびドラゴンだろうと、居候しているアンジェロだろうと、構わず撫でまわして大騒ぎを繰り返したのだ。
　さすがに可哀相だとスコールとクラウドは嘆願を募り、生徒たちに署名をお願いして（脅して）、校舎の内部、SeeDや訓練生以外ではなかなか近づけないだろう訓練施設の奥に、この新しいチョコボ舎を造ってもらった。かなりの予算をまわさなければならなかったためのシド学園長の胃痛はともかくとして、最新の自動設備にかこまれたそこは、チョコボにとって天国と言ってもいいだろう。
　いまスコールはそのチョコボ舎の出入口に鍵をかけ、誰も彼の邪魔をできないようにしていた。彼とジュニアのほかに生きものはいない。ただひとり、エルオーネを除いては。
　彼女は降りそそぐ窓からの陽光の中で不安そうに立っていた。
　スコールは彼女に頷いてみせる。「エルオーネ、頼む」
「わたしは無理だと思うけど……」彼女はなにかを恐れるように首を振った。
「何事も試してみなければわからないことだってある」スコールはきっぱりと言った。「エルオーネの時間能力を応用してジャンクションをやってみるぐらい、きっと大丈夫だ。ジュニアも忘れていることを思い出せるかもしれない」
「それは忘れているんじゃなくて、知らないって言うのよ」エルオーネはぶつぶつと繰り返した。「ああ、これがクラウドにばれたらと思うと……この、いわばタイムジャンクションは二度と使うなって、あれだけ説教されたっていうのに、わたしはどうしてここにいるのかしら？」
「エルオーネ」スコールは彼女を見つめた。「あんたがガーデンに来るのだって珍しいのに、この機会を逃したら、いつジュニアにジャンクション訓練をさせられるかわからないんだ」
　彼女は溜息をつき、軽く手を振る。「わかってるわよ。ええもう、わたしもスコールには甘いわ。これからは自覚しとく。さっさと終わらせて、すべてなかったことにしましょう」
　スコールはジュニアの首に手をまわし、黄金の頭を無理やりこちらへ向かせた。ほかの人間がそんなことをしようものなら、たちまち突かれ蹴られ、死ぬほど咬みつかれるだろうが、スコールにはさすがにおとなしい。このジュニアは、スコールが卵から育てた、それはそれは忠実な黄金チョコボなのだ。
　ジュニアはこのときも、「面倒だな」というような青い目で彼を見つめたが、なにも抵抗しなかった。
　エルオーネが、まだクラウドにばれたらとしつこく文句を言いながらも、自分の中のなにかに集中するように目を閉じる。スコールは深呼吸して気持ちを落ち着けた。
　誰かの記憶にジャンクションすることは、スコールには経験がある。もっとも、当時はそれと知らずにラグナの過去を覗いていたのだが、ふいに襲ってくる倦怠感と睡魔にも似た精神の剥離感が、その経験には伴なっていた。このチョコボのジュニアも、そんなふうにして俺の中に入ってくるのだろうか。
　スコールがふわふわの羽毛にひたいを寄せると、ジュニアはうっとりしたように薄膜のような瞼を閉じ……。
　ばたーん！
　鍵のかかっていたはずのチョコボ舎のドアが、大きく吹き飛んだ。
「なんで閉めてるんだよ。レノが入れなくて困ってるだろ！」
「えっ、クラウド!?」
　怒鳴り声とエルオーネの驚愕した叫びが重なる。さらにジュニアがひと声鳴いて羽をばたつかせた。スコールはぎくりとして身を離し、振り返る。
　おなじみ人間型金チョコボ、クラウドが、二羽の小さなチョコボ――レノとティファ――を足もとに随え、大股に舎内に入ってくるところだった。
　彼は、スコールとジュニア、そしてエルオーネをさっと一瞥すると、怪訝そうに眉を寄せる。「なにやって――」
　その問いかけを、しかしスコールは最後まで聞くことができなかった。
　ぐるりと失調感をおぼえ、思わず怒られると身構えたために狭まった視界が、ぼんやりとかすんでいく。
　誰しも、秘密をこっそり実践しようとしているときにこうしていきなり乱入されれば、心臓が悲鳴をあげるものだ。まして、いちばん秘密にしておきたかった相手にばれたとき、その相手が世界最強チョコボでは、スコールとて立ちくらみを起こしても不思議はなかっただろう。
　だが倒れると思わず目を閉じた彼は、しかし倒れなかった。瞬くまに襲ってくる倦怠感と静寂。
　まずい、エルオーネのジャンクションが逆流したらしい。俺のほうが流された。
　といって、彼にはどうするすべもない。
　周囲の物音がぷつりと断絶し、上下左右の軽い失調感ののちに、ふわりとした重力を身体に感じた。
　ふわふわと頼りなげな地面。
　そして唐突についてくる花の香り。
　スコールはおそるおそる目をあけた。
　そこは一面に広がる花畑だ。
　空の色はあやふやだが、大地はすべて初々しい若草に埋めつくされ、黄色や薄いピンク、紫、そして白い花々が咲き誇っている。
　それらは地平線も永遠と思われるむこうまで続いていた。
　ここは……？
　俺はいったい、誰の記憶に入りこんだんだ？
　いや、これは記憶なんだろうか。
　幻想的な風景、現実味を欠いた永遠の花畑。
　記憶というよりも、理想をミニチュアにして大事にしまっている宝物。聖域。そんな感じがする。
　この想いの主は誰だろう。クラウドだろうか？
　スコールはにわかに罪悪感に駆られた。誰のものにせよ、偶然とはいえ、こんな大事な場所に来てしまった自分が本当に馬鹿だと思ったのだ。
　それでも、かつてリノアと約束したあのイデアの花畑にも似て――とても安らぐ。
　ふと、かすかな風の感触。
　背後に人の気配がした。
　だが、誰だろうと振り返った途端、スコールは再びの失調感に襲われる。見えたのは、ピンクの色彩が急速に流れるように薄れていくところだ。
　明るかった花畑が消失し、スコールは暗闇の中に放り出された。
「そこまでだぞ、と」
　聞き覚えのない男の声がして、スコールは急いで視線をめぐらせた。だが上下左右のない闇は、その視線を虚無に吸いこむばかり。
　と、髪をひっぱられ、スコールは上を――上と思っていたほうを――向かされた。
　そこには、ひとりの痩身の男が逆さまに現われていた。黒い上着に白いシャツはだらしなく裾をはみ出させ、やや猫背に立っている。細身の身体に細い顔。両方の目の下には、その細い輪郭をさらに強調するように赤い刺青が入っていた。赤毛にはサングラスを差しこんでいて、襟足は細く括り、その先はまるで猫の尻尾のように背中に垂れている。
　誰だ？
　スコールは怪訝に顔をしかめ、身じろぎした。途端にぐるりと重力が変化し、赤毛の男の立っている場所が下になる。当然、スコールは肩先から地面（大地があるとすればだが）に落ちた。
「つう……」
　軽く呻いて身を丸めれば、上から赤毛が覗きこんでくる。「ライフストリームで怪我なんかしねえぞ、と。ほれ立て、すぐ立て。とっとと帰るぞ、と」
「ライフストリーム？」スコールは訝しげにあたりを見まわしながらのろのろと立ちあがった。「なにもない」
「そりゃ、おまえさんがライフストリームのイメージを持っていないからだな、と」赤毛は軽く鼻を鳴らした。「むしろなにも見えないほうがいいし、なにも聞かないほうがいい」
　なんだそれは。スコールは赤毛の男を見やった。背丈は自分と同じくらいか、相手のほうが少し高いかだ。赤毛は上着の両裾をかき分けてズボンのポケットに手を突っこみ、ぶらぶらと歩きはじめた。
「あんた誰だ？」
「レノだぞ、と」
　そう聞いてすぐさま頭に思い浮かべたのは、クラウドの横でてれんと坐っている小チョコボの姿だ。
　だるそうに歩くさま、のんびりとマイペースっぽく、だがどこか抜け目のない雰囲気……似ているといえば似ている。
　だが……。「レノはチョコボだろう？」
　暗い空間を裂いて、電気的な光がスコールめがけて襲ってきた。思わずガンブレードを手にして、彼はそれを目前でかろうじて押さえこむ。
　というか、俺はいつのまにガンブレードを持っていたんだ？　チョコボ舎には持ちこまなかったと思うんだが。
　かすかに電気をまとったロッドでスコールの剣をぐいぐいと押しこみながら、赤毛の男――レノが不機嫌に囁いた。「おれはチョコボと違うんだぞ、と。おれはチョコボじゃない、断じてチョコボじゃないんだぞ、と！」
「だが現実世界ではチョコボだろう？」どうでもいいが、結構強いな、こいつ。
「あのちびチョコボの中に、おれがいるなんて思うな」レノはロッドを撥ねあげるようにしてスコールの剣をはじき、さらに両手で周囲をぐるりと示してみせる。「ライフストリームにゃ、ちょっとしたきっかけで、こうして擬似人格がちょこまか生まれては消えてくんだよ、と。それがわかっていながら、あの馬鹿チョコボ！　なんだって、よりによっておれの名前をチョコボなんかに！」
　憤っていながらチョコボを連呼する赤毛の男を、スコールはじっと眺めていた。本当は好きなんじゃないのか？
　ともかく、よくわからないが、この男はチョコボのレノではなく、しかしここにいるのはクラウドが原因らしい。「チョコボに名前をつけると、その名前の人物が復活してくるのか？」
　レノはくるりと振り返り、じろりと睨んできた。「なにかに名前をつけるって行為はな、そりゃ適当につけるやつもいるが、大抵、名付け親の思いが反映されてくるもんだぞ、と。ライフストリームの不思議ってやつでな。おまえさんのジュニアだって青い目になっちまっただろうがよ」
「ジュニアが、なんの関係がある」
「あれだけ卵の時点から、クラウドだ、おまえはクラウドになるんだ、青い目の究極の金チョコボになるんだなんて囁かれりゃ、そのとおりになるしかねえだろうが、と」
　そうか……あの目は突然変異かと思っていたが、俺が原因だったのか。おれの希望を汲み取ってくれるなんて、やはりチョコボは偉大だ。
「青い目のチョコボがどうしたの？」
　突然、降って湧いた声とともに、スコールの目の前にはレノと並んで黒髪の娘が立っていた。タンクトップで惜しげもなく二の腕を晒し、短いスカートは身体のラインにぴったりとしている。さすがにスコールも、すらりとしたカモシカのような足に目が吸いつけられた。
　どうにか視線を往復させてあらためて顔を見れば、結構美人だ。ちょっとリノアに似ているかもしれない。
　集中しそうになる興味を胸部から逸らしつつ、スコールは彼女を見つめた。「今度は誰だ？」
「ティファよ」
「チョコボの？」
　電光石火、鳩尾に重く鋭く拳がめりこんだ。
　スコールは身をくの字に折り、だがどうにか膝をつくことだけは免れる。
　やはりこれはあのティファだ。やたらと暴力的な……いや、クラウドに言わせれば、これでもおしとやかなんだろう。なんだろうが……うう、これがクラウドの嫁さんなのか。
　引いた拳をにぎにぎとほぐしながら、ティファはレノを振り返った。「これが例のあれね、レノチョコボの子分？」
「いや、本人はクラウドの上司だって言ってるけどな、と」
「いずれにしても、チョコボと張りあってる時点でなにか間違ってるわ。だいたいセフィロスだってクラウドを部下としてまともに扱えた試しがないのに、あのクラウドがペット以外のものになれると思って？」
「いや、それは違う」レノがきっぱりと言った。「帰巣本能もなく、お使いに出したら行ったきり戻ってこねえってのに、ペットになれるわけもねえぞ、と」
「つくづく、運び屋なんて仕事がよくつとまったと思うわ」ティファが溜息をついた。
「不思議なことに荷物ははきちんと届くんだよなあ」ぽりぽりと頭をかきながらレノはスコールに向きなおってきた。「というわけで、こっちも届けてやらんとな、と」
「まったくね」ティファは腕組みし、まだ腹をさすって身を縮めているスコールを見おろしてくる。「クラウドの記憶に入ろうなんて命知らず、放っておいてもいいんじゃないかと思うけど、でも変なふうに過去に干渉されたらたまったものじゃない」
「いや、干渉するつもりは……」スコールはどうにか声を出すことができた。
「観察するって行為だけでも干渉することになるんだぞ、と」
　訝しげに眉を寄せたスコールを、レノとティファが両側からがっしりと掴んだ。
「よくわからなかったらザックスあたりに訊くのね。説教とお仕置きとセットで教えてくれるわよ。あの人、根が親切だから」
「苦労性とも言うがな、と」
　彼らは同時に、スコールを前方、やや上のほうに向けて押し出した。あるいは放り投げた。
　ぐるぐると激しい失調感と、視界から消えていくレノとティファ、ふたりの姿。一瞬、垣間見えた青く碧い光の世界。
「クラウドによろしくね」ティファの声が漂ってくる。
「おれのことなんか、とっとと忘れてほしいって言っとけ。二度とチョコボ騒動に巻きこまれたくねえんだぞ、と」
　そう言われても……。
「あんたたちのことを、どう説明すればいいんだ？」スコールは叫んだ。
　だがむこうには通じなかったらしい。すでにふたりの姿はなく、流れていく光と闇の奔流の中で、かすかに囁くようになった声だけがスコールのもとにかろうじて辿りついてくる。
「いつまでもずるずるしてないで、早く可愛い奥さん見つけろって言っといて。このさい、チョコボでもいいから。料理なら伝授するわよって」
「やたらと食いものに飛びつくなって伝えとけよ。うっかり餌付けしちまうやつが気の毒だぞ、と」
　再び静寂に戻ったものの、スコールの周囲は荒れ狂うライフストリームだった。まさに流れだ。方向もなく、ばらばらに渦巻いている精神の、あるいは記憶の片鱗たち。それらが滝壺に嵌まった魚のようにその場をぐるぐると蠢いているような空間。それなのにスコール自身、それらに巻きこまれ、どこか遠くへ押し流されているようにも思える。
　俺はどうなるんだ？　ティファもレノも、「届ける」って言ってくれたじゃないか。どこに届けようとしてたんだ、いったい？
　鋭い痛みを伴なったなんらかの想いが彼のかたわらを駆け抜けていった。いっぽうで重く苦しい呻きをあげる記憶がまとわりついてくる。心臓を鷲掴みにしそうなほど悲しい想いが、きりきりと頭の中に入りこんでこようとしていた。
　くそ、やめてくれ。
　スコールは頭を抱え、身を縮めようとした。
　その目の隅に、ふと一点、明るい光のようなものが現われる。
　それがなんなのか判断する前に、スコールは手を伸ばしていた。ほとんど本能的に、それが彼を捜しているとわかったからだ。
　白い手が彼の腕を掴む。
　スコールは目をあげた。「クラウド……？」
「仕方がないな」呟いた金髪の少年――いや、青年といったほうがいい雰囲気もある――は、青い目を細めて腕に力を入れた。「あんたの事情には興味ないが、ジュニアが心配している。投げるから、無事に出てくれよ」
　ジュニアが？
　ああそうか。このクラウドも先刻のレノやティファと同じなんだ。俺がクラウドのようにと想いをこめた名前に反応して、このライフストリームの中で擬似形成した人格。
　だが俺は、こんなクラウドなんか知らないぞ。
　どこかクールで、褪めた目……。
　スコールはガラスのような青いクラウドの目を見ながら、ライフストリームから放り出されていった。
　まばたくと、そこは燦々と陽の射しこむ見慣れたチョコボ舎だ。
　彼の身体にのしかかるように、金色の羽毛がどっかりと体重をかけてきていた。
「ジュニア……」スコールは深呼吸とともに喘いだ。「どいてくれ、重い……」
　チョコボの腹を力弱く叩きながらあたりを見まわせば、横手、少し離れたところにクラウドがうつ伏せに倒れている。藁の中に上半身を埋めるようにした彼の左右には、レノチョコボとティファチョコボが、それこそ羽毛のかたまりのように丸まって寄り添っていた。
　もしかして、彼らはああしてクラウドを守っているのだろうか？
　あの小さな姿のままちっとも成長しないのは、あのライフストリームが関係しているんだろうか。
「スコール、気がついた！」
　エルオーネの安堵の声に目を移せば、チョコボのむこうで義姉が泣きそうになっていた。
　そしてその彼女の後ろには、そびえ立つふたつの人影。
「ふん、つくづく運のいいガキだな」セフィロスが腕組みしてスコールを見おろしてきている。その碧い目が物騒に光り輝いていた。
　ザックスも同様に腕組みし、こちらはあからさまに怒ったような顔をしかめている。「ふたりとも正坐だ、正坐。そこに直れ！」
　エルオーネが慌てて身体の向きを変え、スコールに並んで膝を折りたたんだ。ジュニアがようやく上からどいてくれたあと、スコールも疲労感に打ちのめされた身体を起こし、のろのろと正坐する。
「おまえらな」ザックスがいったん瞑目し、ぴくぴくと眉を震わせた。「時間をいじくるのは、あれほど危険だって――」
「はうっ!?」
　いきなり間抜けな叫び声とともに藁を撥ね散らかし、金色のチョコボ頭がぴょこんと起きあがった。
「クラウド」セフィロスが駆けつける。「無事か？」
　クラウドは四つん這いになったまま、なんでこんなところで寝てたんだとばかりにじっと目の前の寝藁を見つめていたが、やがて、ぎぎぎ、と奇妙な動きで肩越しにこちらを振り返ってきた。
　スコールとエルオーネは正坐したまま、思わず身体を彼とは反対の方向へ傾ける。
　クラウドは恨めしげな目でさらに凝視してきた。そして低く、それはそれは低く、呪いのように、「……えぇるぅぅぅ」
「ごめんなさい！」エルオーネが正坐したままだというのに数メートルも跳び退がり、その場でひたいを床にこすりつけ、平謝りした。「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、もうしません、絶対しません！　あのお仕置きだけは、どうか！」
　スコールは彼女を見つめた。あのエルオーネがこんなに恐怖に打ち震えるなんて、いったいどんなお仕置きなんだ？
　ひたすら謝り倒すエルオーネと恨みがましく彼女を見つめるクラウドの、世にも珍しく奇妙な図。
　そのかんにも、無事でよかったと、ついでとばかりにセフィロスがチョコボ頭を撫でまわしていて、すぐに目覚めたちびチョコボたちに蹴り倒されており、そしてザックスはどうやら、説教のタイミングを逃してしまったらしかった。

＊＊＊

　不思議にも、クラウドは無言でふたりを睨みつけるだけで説教も暴力もなしだった。
　もっとも、あの青い目でひたすらじっと睨みつけられれば、やましいことのあるスコールやエルオーネには針の筵だ。かえって画竜点睛でもかましてもらったほうが、まだ気が楽だっただろう。
　ザックスは拳骨ひとつずつ。エルオーネのほうは手加減したようだが、スコールに対してはわざわざジャンクションの有無を確認してから、思いっきり硬い拳を降らせてくれたものだ。
　そしてセフィロスの説教がいちばんこたえた。なにしろハイゼンベルク不確定性理論とやらを延々と何時間も講義され、そのかん、スコールとエルオーネは一瞬たりとも正坐を崩すことまかりならなかったのだ。ソルジャーたちが去ったあと、夕食の時間を告げるベルが校舎内に響き渡るなか、姉弟は痺れて立てないどころか、動かすこともままならなくなった足を抱えて、チョコボの寝床に転がっている破目になったのである。
　結局、この事件でスコールが得たものといえば、ジュニアはジャンクションできないと判明した、その事実だけだ。
　数日後、スコールは疲労し、なんとなく打ちのめされ、クラウドとジュニアのあいだにしゃがみこんで花を咲かせたコスモスを見つめていた。
　彼らの周囲ではティファチョコボが、だっと走ってはくるりと振り返り、逆向きに走っては花壇の手前で急ブレーキをかけして遊んでいる。レノチョコボはクラウドの頭にちょこんと乗り、昼寝をするでなく、コスモスの群れをじっと無気力に眺めていた。
　このチョコボたちとあのふたりの擬似記憶の姿が、スコールにはときどき重なって見える。細部を観察すれば、ちょっとしたずれやチョコボらしさがその幻想を雲散霧消してくれるが、それでも、もしかしたら、「あのレノなのか？」と問いかければ、「そのとおり」と答えてくれそうなのだ。
　ライフストリームで、スコールを助けたというよりは、クラウドの思い出を護るように現われたあのふたり。
「クラウド」スコールは目の前のコスモスから視線を逸らさず、口をひらいた。「チョコボは召喚獣と同じように契約することは本当にできないのか？」
「しつこいな」クラウドはむっつりと応えた。胡坐をかいた膝の上で頬杖をつき、軽く溜息をつく。頭の上のレノも軽く、鳴き声にも満たないほどに喉を鳴らしてくれる。「召喚獣っていうのは純粋にエネルギー体なんだよ。チョコボみたいに育って、生活して、食わなきゃならない存在が、そんなものになれるわけないだろ」
「そうか」スコールはちょっと納得した。クラウドがごはんを食べずにいられるわけがない。
　しばらくの沈黙。
　スコールはまた口をひらいた。「チョコボは飼い主を守ろうとするものなのか？」
「そんなことはない」えらくきっぱりとクラウドが言い放つ。
　スコールはやっと彼のほうを振り返った。
　クラウドはコスモスを苦々しげに睨んでいる。「卵から育てようと、名前をつけてやろうと、チョコボにはあまり関係ない」
「そうなのか？」
「チョコボにとって特別な人間というのは、単に餌を惜しみなくくれるやつというだけのことだ」
　スコールは反対側へ首を向け、ジュニアを見つめた。青い目のチョコボはそのとおりとばかりに無言でまばたく。
　項垂れ、ますます疲労感を抱えて、スコールは地面に溜息を落とした。「そうなのか……」
　クラウドがその頭をがしゃがしゃと撫でてくる。「あんた、チョコボがそんなに複雑な生きものだと思ってたのか？　あんまり理想を押しつけるなよ、ジュニアが可哀相だろ」
「べつに押しつけては……」
「それにさ、あんた、甘やかしすぎ」クラウドは気に入らないという目でスコールの頭越しにジュニアを睨みつけた。「こいつ、ちょっと肥ってきてるぞ。栄養がいいから羽はつやつやだけどな。あんた、爪も嘴も毎日磨いてやってるって？　チョコボは突ついたり蹴ったりして、自然に磨くコツを覚えるもんだっていうのに。それに、あのチョコボ舎を一歩出ると、暑いだの寒いだの、贅沢だよ」
　確かに俺とクラウド以外には懐かないし、チョコボだというのに炎の洞窟までも行った試しはない。空調がちょっとおかしくなるだけで食欲も減退するし、羽根がちょっと汚れただけでもストレスで元気がなくなる。そういえば、訓練施設、いわばおとなりに住んでいるモンスターたち――アルケオダイノスどころかグラットさえ、このジュニアは突ついたこともないな。
　……箱入りチョコボ、か。
　うん、問題かもしれない。
　スコールはその日、ジュニアのダイエット計画を立てた。

Ｚ：　God bless me!
Ｃ：　Chocobos shouldn't be spoiled.
Ｓ：　Dead right.