１ 壱番魔晄炉
世界一の大都市だというのに、聞こえるのは重々しい機械の音だけだった。
円形に並んだ八つの魔晄炉と、いくつもの機械塔に支えられた巨大なプレート、その上に魔晄都市ミッドガルは聳えている。魔晄炉の供給する電力をふんだんに使って飾り立てた、高度技術の結晶のような街だ。しかし、多くの街灯とネオンが光の乱舞を繰り広げているというのに、どこの街路もなんとなく薄暗かった。ましてこの壱番魔晄炉など、都市の北の外れにあるので尚更だ。
列車は車輪を軋ませながら駅へと滑りこんでいった。民間人が利用できる一般の駅ではなく、神羅軍の搬入出専用の小さな施設だ。プラットフォームには青い制服の兵士たちが幾人か整列し、厳かに列車を迎えていた。
列車が停まるか停まらないかのうちに、その屋根から、またデッキから、十数人の男たちが跳びおりる。神羅兵たちのあいだに動揺が走るが、彼らが事態を理解するよりも早く、男たちは兵士を殴り倒し、ナイフで斬りつけ、瞬くまに地に伏させていった。
襲撃者たちに混じってプラットフォームに降り立ちながら、クラウドは聳える魔晄炉を見あげた。高く大きな塔がライトアップされてその存在を強調している。そのまわりではヘリや飛行機の誘導灯が踊っていた。夜空は黒と灰色の濃淡(コントラスト)で、いかにも質量がありそうに見える。その下で生きるものを窒息させるかのような圧迫感が不安と倦怠感を運んできて、すっかり慣れてしまったはずの背中の剣を重く感じさせた。
ミッドガル――強烈なライトと薄闇の共存する大きな立体都市。不意に無常感に近い疲れがさざ波のように押し寄せてき、彼の足取りを鈍らせる。
列車はその扉から、さらに男たちを吐き出しつづけていた。クラウドの背後からも、ばらばらと何人かが降りてくる。彼らは手に手に武器を持ち、荒々しい靴音をプラットフォームに響かせて走っていった。
「よう、新入り」誰かがクラウドの肩を小突いてくる。「ビビってんじゃねぇぞ」
げらげら笑いながら別の男も叫んだ。「いじめてんじゃねえよ！ なにしろ、あのでかぶつで花火を拵えようってんだからな。てめえだってビビりまくってるんだろうが、ええ？ 新入りを構ってるヒマぁあるのか？」
「そっちこそ、そんな大口あけてると、そん中に弾ぁ食らっちまうぜ」
「坊主、初めての仕事だってな？ その剣はまともに使えるのか？」また肩を叩かれた。
「ま、ぶるぶる慄えて隠れてるんだな。俺たちの足手まといにならねえようによ！」
そうして追い越していく男たちは、みな屈強そうだった。傷だらけの顔や腕、隆々たる筋肉を覆う肩鎧(ショルダーガード)や皮のジャケットはあちこちすり切れ、持っている武器も使いこまれている。彼らの中にあっては中肉中背の、むしろ痩せぎすなクラウドなど、ひ弱な青二才以上には見えないことだろう。
プラットフォームを抜け、通路に倒れている神羅兵を跨ぎ越え、クラウドは魔晄炉へ続くゲートへ向かった。門は閉まっており、その前にテロリストたちが集まっている。大声は出していないが、それぞれが威勢のいい冗談やからかいの言葉などをかけあい、ざわざわと落ち着かなげだ。クラウドは彼らの後ろで立ち止まった。
ひとりの男が彼の気配に気づいたのか、振り返ってにやりと笑った。「よ、俺はビッグス、いちおうはアバランチのメンバーさ。あんたは今朝入ってきた新入りだろ？」
「……クラウドだ」
「よろしくな」と言ってビッグスは右手をさし出してきたが、クラウドは一瞥するだけで応えなかった。黙ったまま、もう一度、夜空にぼうと聳える魔晄炉を見あげる。
「でけえよな」同じように塔を見あげながら、ビッグスが呟くように言った。「だけど、こいつを爆破できればニュースになる。大勢の人間が星の命について、もっともっと考えるようになるのさ」
確かに魔晄炉は大きい。どこの魔晄炉もそうだ。おそらく、地中から噴きあがるエネルギーを溜めこんで加工するには最低限必要な大きさというものがあるのだろう。特にミッドガルには、これほど巨大なものがあと七つもあるのだ。こんなものにかこまれ、始終見おろされて生活している住民たちからすれば、この魔晄炉がすべてを支配していると感じていても不思議はない。神羅打倒を掲げるテログループなら、まずは魔晄炉を閉鎖させることが第一と考えるのも当然だった。
しかし、とクラウドは吐息を抑えて首を振った。神羅のほうは、このでかぶつのひとつやふたつ粉々にされたところで、なんの痛手も受けはしない。魔晄エネルギーで作られている電力の供給が停止したとき、困るのはあの会社ではなく、むしろ住民たちのほうだからだ。今日(こんにち)では全世界の人間がこの魔晄エネルギーに頼って暮らし、神羅はその生命線を完全に握っていた。魔晄エネルギーを得るためなら、住民たちは神羅の足もとに生贄さえ投げ出すだろう。
アバランチの正員はゲートのほうへ顎をしゃくって、上機嫌に喋りはじめた。「このゲートロックの暗号を手に入れるの、苦労したんだぜ。なにせ、神羅の重要機密だもんな。ジェシーの腕をもってしても、何重ものセキュリティをくぐり抜けるのは難しかったのさ。ところが今回は、思わぬところに味方がいたんだ――誰だと思う？」なにか期待するような目でクラウドの顔を覗きこむと、ビッグスはまたにやりとする。「市長なんだ！ 驚いたろ？ だけど、考えてみりゃ当然だよな。大都市ミッドガルの市長が神羅の下でぺこぺこしてなくちゃならねえんだからよ。だいたい、いくらでかいといっても、神羅はただの企業で――」
よく喋るやつだとクラウドは思った。「あんたたちの事情なんて興味ない。どうせ、この仕事が終わったらお別れだ」
ビッグスはむっとしたようだったが、それでも一瞬間(ま)をおいただけで再び口をひらく。「俺たちの活動は、これからが本格的になるんだぜ。これはその手はじめだからな――ワクワクするだろ？ まあ、こんなことでいちいち緊張してたら、続く作戦もこなせなくなっちまうな。へへっ、だけど、いつかは俺たち、すべての魔晄炉を――ミッドガルだけじゃねえぞ、世界じゅうのだ――ぶっ潰してやるんだ！ そう考えると、なあ、身震いしてくるじゃねえか」
「……べつに」
「おいおい、俺たちで星を救うんだぜ？――いいか、神羅は魔晄エネルギーをがんがん吸い出してやがるんだ。あ、魔晄エネルギーってのは、この星の中に流れる……ええと、星の血液みたいなもんだ。人間が血と肉でできてるように、星もそうなってるんだってよ。だから、そいつを無駄に使いつづけてると、いつかは星も死んじまう。そうだろ？ だから、誰かがそれをやめさせなくちゃならないんだ。なあ、わかるだろ？」
「興味はないと言っている」
今度こそ、ビッグスは不貞腐れたように口を尖らせた。「……わかったよ。なんだい、ティファの知りあいだって聞いたからよお……少しは俺たちの――アバランチの考えてることに賛成してくれてるのかと思ってたのに」肩を竦め、前へ向きなおって彼はぶつぶつと繰り返す。「俺の勘違いってわけだ。悪かったな――お、バレット」
ゲートを背に、ひとりの巨漢が進み出てきた。大勢の荒くれ者を前にしてさえ、彼の巨体は並み外れて見える。筋肉を否が応にも目立たせる黒い肌に、短く刈りこんだ黒髪、ごつい顎を覆う剛(こわ)い髭――そしてなにより目がいってしまうのは、その右手にある機関銃だった。彼の肘から先は生身の腕ではなく、黒光りする無骨な鉄のギミックアームとなっている。
腕の神経をトリガーと直結して、自在に弾を発射することのできるハンドガン――珍しくはないサイバネティック技術だが、しかし、彼のつけているような不恰好なものは骨董品と言ってもいいほどだ。いまではもっと自由の利く美しい義手が、いくらでも開発されているはずだった。
そのバレットが腕を組んで睨みつけると、ざわついていた男たちは次第に沈黙していった。やがて、上空を飛ぶヘリのローター音が聞こえてくるほどの静寂が訪れる。
「いいか、神羅にひと泡吹かせるチャンスだ、思う存分に暴れまくれ！」巨漢は破(わ)れ鐘のような声で怒鳴りながら、組んでいた腕をほどいて振りまわした。「Ｂ、Ｃ班は警備兵とガードロボを攪乱しろ。オレたちＡ班は、中央制御柱(コントロール・コラム)をめざす」
クラウドの横で、ビッグスがにわかに緊張して背筋を伸ばした。
バレットがクラウドのほうに生身の指を突き出してくる。「新入り、おまえはＡ班に入れ」そしてあらためて戦闘集団全体をぐるりと見まわした。「野郎ども、気合い入れていけ！ 作戦開始だ！」
男たちが歓声をあげるのを聞きながら、クラウドは再び吐息を抑えた。あのバレットという男は、テロリストのリーダーというより山賊の親分と言うほうが当たっている。夜襲をかけるというのにゲート前で大声で喚き、集まった男たちもまるでお祭り気分だ。
だが、仕方がない。仕事は仕事だ……どれほど杜撰な作戦であろうと、彼らが目的を達成するまでは、報酬ぶんの働きはしなくてはならないのだ。クラウドは肩の剣帯をひっぱって、武器の重さをもう一度確かめた。
ひとりの女がゲートの前で端末を操作していた。背の低い華奢な女だが、肩にはいくつもの機器を吊りさげ、腰にも工具やコード類を縛りつけている。おそらく電子機器担当要員なのだろう。
「ＯＫ、バレット」彼女が呟くと同時にゲートがひらきはじめた。
クラウドは最後にもう一度、魔晄炉の巨大な影を見あげた。眩しい光と闇黒の迷彩色――空には星ひとつ見えなかった。
がらがらと重い車輪の動く音と、金属のこすれる甲高いいやな音が鳴りやむか否か、男たちは魔晄炉へと突進していった。
裏門とはいえ、警備員の数は皆無ではない。車回しのむこうにアーチ型の入口が見え、その前に数人の兵士たちが銃を構えて警戒している。男たちは素早く駆け寄り、その兵士たちを電撃棒で片端から殴りつけていった。そのあいだに別の団体が詰め所に飛びこみ、警報を鳴らそうとしていた男をひっぱり出す。ややあって、建物わきのガレージから神羅兵がまばらな射撃を開始したが、テロリストたちは怯むことなく、勢いに任せて彼らを押し倒していった。
彼らのめざす炉本体は、魔晄エネルギーの余剰熱漏洩を防止するため、何重もの壁とフロアにかこまれた都市プレートの内側にあった。入口のアーチを過ぎると、男たちは通路を走り抜け、分岐点で立ち止まっては短い合図を交わし、各集団に分かれて散らばっていく。
クラウドはバレットの巨体を視野に入れながら通路を進んだ。ビッグスが弾帯を重そうに揺すりつつ彼を追い越していき、バレットの横に並ぶ。ふたりはＴ字型の分岐路で立ち止まり、モニターを取り出してひとことふたこと話しあってから、右へ折れていった。
クラウドもそれに続いて扉をくぐり抜け、薄暗い階段にさしかかった。油の臭いが鼻を突き、両わきに迫るコンクリート壁と金属床は彼らの靴音を何十倍にも拡大して撥ね返してくる。
小刻みに重なりあうその足音の中で、不意にどったんばったんとリズムを乱した音が響いてきた。振り返ってみると、横幅のある身体を上下左右に大きく揺らしながら、背の低い男が一段飛ばしに階段をおりてきているところだ。その後ろを、電子機器担当の女が重そうな端末セットを抱えて追いついてきていた。
男はクラウドの視線に気づくと、息を切らしながら会釈らしきものをした。「おれ、ウェッジっす。あっちにいるのはジェシー」と背後の女を指さし、苦しそうに笑顔を作る。「おれ、とろいっすけど、よろしく頼んます」
クラウドは思わず脱力して、走る速度を落とした。自己紹介など必要ないと言っているのに、どうして誰も彼も握手を求めてくるのだろう。
前方でバレットがなにか怒鳴り、ウェッジは転がるように慌てて先へ走っていった。
代わって、ジェシーという女がクラウドの横に並ぶ。「あせらないで」と彼女は幼さの残る顔でにこっと微笑み、「バレットが不機嫌なのは気にしないでいいからね。あれはいつものことなのよ。だいたい、娘のマリンちゃんがいるとき以外――」
「ジェシー！」バレットがまた叫んだ。「さっさと来い！ おまえが先行してエレベーターのセキュリティをなんとかしねえと、オレたちゃ、なんにもできねえんだぞ！」
「はいはい」彼女は重い機器を担いでいるとは思えないほど軽やかに走っていった。
クラウドたちが広いフロアを横切ろうとしたとき、遠くで銃声が起こった。バレットが一瞬足を止め、ちらりと後方を振り返る。「始まったらしいな、急ぐぜ」
ざらついたコンクリート通路がなめらかなタイル床に変わった頃、ようやくエレベーターが見えてきた。先行したジェシーはすでに端末をいじっている。間(ま)をおかず扉がひらくと、ビッグスとウェッジがすかさず飛びこみ、バレットが続いた。
クラウドが中に滑りこむと、ジェシーが最後に乗りこんで操作パネルに一本のコードを挿しこんだ。音もなく扉が閉まり、鈍い唸りを発してエレベーターが動き出す。
バレットはその太い腕を組んで、扉の上にある点滅する数字を睨みつけていた。その剛(こわ)い髭に覆われた顔の上を、赤と緑のライトが走り抜けていく。
「わかっていると思うが――」と、唐突に巨漢が口をひらいた。「おまえをオレの班に入れたのは、信用してるからじゃねえ、その逆だ」
クラウドは応えなかった。この男がそれを期待しているとは思われなかったし、エレベーターがいつ停まるのかも気になっていたからだ。いくら炉の中心部が自動操業で余分な人員が置かれていないとはいえ、警備側がいままでの騒ぎに気づかないはずがない。下に着いて扉がひらいた途端、攻撃される可能性もおおいにあるのだ。
バレットは舌打ちを繰り返してから、また続けた。「てめえをこの作戦に参加させたのは、ティファが頼んだからってことを忘れるんじゃねえぞ。あの娘にゃ、オレたちもいろいろ世話になってるからな。それに、ああ見えても彼女はアバランチのメンバーだ――だが、いくらあいつの幼なじみだからって、リーダーのオレまで、安易に信用するわけにはいかねえんだよ」
「構わないさ。こっちも、あんたに信用してもらいたくて仕事を受けたわけじゃない」クラウドはぶっきらぼうに言った。そろそろ最下層に着く。「だから、無駄な主義主張を喋りまくるのはやめてくれ――聞いている暇はなさそうだからな」
バレットがそれに反応するまもなく、エレベーターが停まった。ビッグスが弾帯にぶらさげていた手榴弾を握り、ウェッジがそのふくよかな身体を壁に押しつける。ジェシーが操作パネルからコードを引き抜いた。バレットが右手の銃を構え、クラウドは膝をついて屈みながら背にある剣の柄(つか)へ手をやった。
ドアがひらくと思った瞬間、バレットの機関銃が吼えた。狭い金属箱の中でこの騒音は耐えがたいものだったが、扉がひらききったとき、クラウドの目は冷静に四つの影を捉えていた。ビッグスの手榴弾が外へ放られ、爆発する。同時にクラウドは飛び出した。
左右に目を走らせながら剣を抜く。熱気と煙の中で動いている影をひとつ見つけ、咄嗟に剣の平で殴りつける。くぐもった叫び声がし、影はぐらりと揺れて消えた。
煙が薄れていくと、あたりはぼんやりとした光に満ちた空間になった。そこは巨大なバケツ底のような場所で、湾曲した壁が上下に聳えている。エレベーターの前から高架通路(キャットウォーク)が伸びて縦長の空間を走りまわり、あちこちで別の通路と交差していた。
倒れている神羅兵の身体を跨ぎ越え、高架通路(キャットウォーク)のほうへ移動しながら、クラウドは安全柵(フェンス)越しに魔晄炉の底を覗きこんだ。深い地中から湧きあがってくる魔晄エネルギーは、淡く青いその神秘的な輝きを広げている。それは冷たく、そして途方もない力を感じさせた。
魔晄の匂い……。
クラウドは眩暈に似た感覚を味わった。実際には、魔晄エネルギーと呼ばれるそれに物理的な臭気があるわけではない。それは魔晄を知るものの身体と心に植えつけられた記憶ともいうべきもの、既視感とも懐かしさともつかない感覚だった。
ウェッジがそのふくよかな身体に似合わず、するすると梯子をおりていくのが見えた。クラウドは機械的にそれに続こうとした。
ジェシーが声をかけてくる。「そっちは警備関係の端末があるの。わたしたちの担当よ」クラウドが振り返ると、彼女は気軽そうに親指を立てて背後を示した。「あなたはバレットたちといっしょに行ってちょうだい」
見ると、先のほうの梯子へとビッグスが通路を渡っているところだった。バレットが立ち止まって、苛々と足踏みをしながらこちらを睨みつけている。早く来いと、いまにも怒鳴ってきそうだ。
クラウドはジェシーの通る場所を空(あ)けながら、ふといやな予感をおぼえて呟いた。「気をつけろ――この魔晄の濃さだと、どんな化物(モンスター)が出てきても不思議はないからな」
女テロリストの目が丸くなり、ぽかんと口がひらいた。クラウド自身、なぜそんなことを言ったのかわからなかった。魔晄炉に非合法な侵入を果たそうという人間なら、魔晄エネルギーに影響されて凶暴化したネズミの一匹や二匹がうろついていることぐらい、最低限の常識として知っているはずだ。それを、なぜわざわざ忠告する気になったのだろうか。クラウドは軽く頭を振り、バレットのあとに続いて下の通路へおり立った。
高架通路(キャットウォーク)を渡り、梯子を下へ伝っていくごとに魔晄の匂いは強くなってくる。頭の中で、精神(こころ)に刻みこまれた形のないなにかの記憶が悲鳴をあげようとするかのように狂おしく渦巻いていた。ここまで魔晄の力が強いと、洗礼を受けたこの身体に及ぶ影響を無視することもできない。ともすれば、この奇妙な圧力に同調して、勝手に魔力を放出しかねないだろう。
「どうした？」はっとして目をあげると、バレットが苛立たしげにこちらを睨みつけていた。「緊張で神経が焼き切れそうな顔をしてるぜ」
クラウドは軽く息を吐いて肩の力を抜いた。「……気にするな」
巨漢は大きく鼻を鳴らし、どかどかと先へ進んでいった。そしてビッグスが細い通路の上で慎重に歩を進めているところを怒鳴りつけ、急がせる。
制御柱(コントロール・コラム)は文字どおり、炉の中央を上から下まで貫く太い柱だった。最後の通路(キャットウォーク)を渡りきると、ビッグスがさっそく操作卓(コンソール)に取りついてチェックを始める。そうしてしばらくの作業のあと、彼は無線機を取り出した。「ジェシー？」
スピーカーから明るい声が応えてくる。『ＯＫ！ 自動点検プログラムはブロックしたわ。でも、三十秒以内にサブのほうが働きはじめるの……これがどんなものかわからないんだけど……とにかく、気をつけて』
ビッグスは意味のない悪態をつきながら手早く爆弾をセットしはじめた。やがて、「爆発まで十分」と言って立ちあがる。
「さあ……」とバレットが言いかけたとき、上から悲鳴が聞こえた。ジェシーだ。
間(ま)をおかず、ウェッジの叫び声。「バレットさん！」
バレットが舌打ちし、クラウドは彼より先に駆け出した。通路を走り抜け、梯子をひと跳びであがる。
ジェシーは通路(キャットウォーク)の床に手をかけ、必死の形相で梯子にぶらさがっていた。その下の通路でウェッジが銃を構えている。
「クラウド！」彼を認めてジェシーが叫んだ。「変な機械――ガードロボみたいなのが……気をつけて！」
視線を転じると、直角に交差した通路の先、その壁の一部がせり出してきており、巨大なロボットがふたつの砲身をこちらへ向けているのが見えた。蠍のような尻尾――センサーのようなものだろう――があることから、ガードスコーピオンと呼ばれている施設防衛プログラムの詰まった機械(マシン)だ。こんなサブシステムが配備されていたのなら、ネズミが一匹も見あたらないのも不思議はない。とっくの昔に、この機械に駆除されつくしていたのだ。
クラウドはジェシーの腕を掴んだ。「さっさとあがれ」
「痛い――待って」彼女は苦しげに顔を歪めた。「足が挟まっちゃったの……うかつ」
クラウドは彼女の手を放し、跳びおりた。ウェッジが驚いて、急いで銃口を上に向ける。ガードスコーピオンもクラウドの動きに反応し、照準をどこへ合わせるか迷ったように砲身を上下させた。
クラウドは狼狽しているウェッジを梯子のほうへ押し出した。「ジェシーをひっぱりあげてやれ。あれはおれが――」と、唐突な機関銃の音。「――バレット！」
バレットが発射した銃弾は完全にガードスコーピオンの注意を惹いた。目の前の巨大な機械が唸りをあげ、その上部にある二本の砲身が急速に向きを変える。バレットは悪態をつきながら、もう一度右手を構えた。
だが、その機関銃が火を噴くよりも早く、ガードスコーピオンの砲が轟音を響かせた。ビッグスが悲鳴をあげ、バレットが床に身を伏せた瞬間、彼らのそばで手すりが粉々になる。
クラウドは舌打ちし、まだもたついているジェシーの足を肩で押しあげながら叫んだ。「相手をするな、バレット。エレベーターまで走れ！」
「わかってる！」忌々しげな返答だ。
ジェシーが足を引きずりながらなんとかエレベーターに飛びこみ、端末をいじりはじめる。クラウドはウェッジを押しこみつつ中へ転がりこんだ。続いてビッグスとバレットがなだれこんでくる。ドアが閉まる直前、エレベーター前の床が破裂した。
「ひゅう……」と、ビッグスが鋭い息を洩らした。
ジェシーがてきぱきと端末のモニターをチェックしながら呟く。「新たにセキュリティロックされてるわ。エレベーターは動かせるけど、上で警備が待ちかまえてるでしょうね。どうする？」
バレットは歯ぎしりした。「ここにいたって仕方がねえ。むしろ足場があるだけ、上のほうがまだ策(て)があるだろうぜ」
エレベーターが低い音とともに上へ滑り出した。
「攪乱担当の連中はどうしたんだよ、まったく？」ビッグスがぶつくさと呟く。
「爆弾セットと同時に解散信号を発信したんだもの。逃げたんじゃないかしら」ジェシーが痛むらしい足を踏み変えながら答えた。「ぐずぐずしてたら巻きこまれるからね」
クラウドは無言でエレベーターの入口に立った。背中の剣を抜き、床に突き立てて精神を集中する。柄(つか)に組みこんである珠が、手の中で淡くかすかに輝き出すのが感じられた。そして体内に力が膨れあがってき、久しぶりの緊張感がそれを歓喜にも似た感覚にまで引きあげる。背後でバレットが声をかけてきたようだったが、彼は応えなかった。自分がなにをしようとしているのか説明するのも面倒だったし、なにより集中を解きたくなかったのだ。彼はじっとエレベーターの扉に目を据える。
エレベーターが停まった。なんの震動もなく、そして扉がひらく。クラウドは左手を広げ、前へ突き出した。
「防御(バリア)！」
叫ぶと、体内を渦巻いていた魔力が手のひらに集中し、眼前の空間に見えない壁を形成した。同時に無数の銃弾が彼らを襲ってくる。中にはエレベーターの壁を壊すほどの強力な弾丸もあったようだが、そのことごとくがクラウドの支える壁にはじき返された。しかし、その轟音と閃光は防ぎようがない。ジェシーが悲鳴をあげ、ビッグスが床に伏せる。
跳弾がひとつ、防壁をかいくぐってエレベーター内を駆けまわった。ウェッジがライフルを頭上に掲げてうずくまる。
やがて銃声が途切れた一瞬、クラウドは剣を構えなおし、エレベーターから飛び出した。正面にいたいちばん手近の兵士に斬りつけ、返す手でもうひとりを薙ぎ倒す。その隣の男を殴りつけ、さらに振り向きざま、左手でその喉を殴打した。
バレットがハンドガンを乱射しながらエレベーターから出てきた。横から兵士たちが飛びかかったが、バレットはその巨体をひと振りするだけで彼らを吹き飛ばす。ビッグスとウェッジがエレベーターの壁越しに援護射撃を始めた。
彼らをかこんでいる兵士はまだ十数人おり、そして出口は遥か先だった。四人の常人を連れて脱出するには安全とは言いがたい。そのうえ、爆発まであとどのくらいの時間が残されているのか……。
クラウドは再び力を身体に満たした。そうしながら、ふたりを斬り倒して、じり、と移動する。しかし、彼の定めた射線上にバレットの巨体が割りこんできた。クラウドは舌打ちし、タイミングを失って暴走しかける魔力を、どうにか抑えつける。
「バレット、伏せろ！」黒い巨体が躊躇しながらも言うとおり動いたのを確認するが早いか、彼は魔力を放出した。「氷結(ブリザド)！」
鋭い冷気が空中に凝固し、兵士たちを凍りつかせながら走り抜けていった。その衝撃で腕を粉々にされた者、凍った身体が倒れ、そのためにまっぷたつに割れる者、足を砕かれ、声もなく床に落ちる者……。悲鳴はわずかだった。ほとんどの者が、なにが起きたのかわからないままその場に崩れていく。
それでもまだ敵は数名残っていた。クラウドは再び大剣を構える。
残った兵士たちは怯えたようにかたまり、クラウドを警戒してじりじりとあとずさった。
「ま……魔法……!?」
「ソルジャーか!?」
その叫びに、神羅兵ばかりかアバランチの面々も凍りついたように動きを止めた。そのあいだにクラウドは残ったうちのふたりを斬り倒し、さらにもうひとりを拳で気絶させる。
バレットが彼の横に滑りこみ、背後から銃剣を突き出そうとしていた兵士を殴り倒した。
そして、ぎりっ、とクラウドを睨みつけてくる。「……ソルジャーだと？ てめえ……神羅軍のエリートが、どういうつもりだ!?」
クラウドは苦々しげに唇を歪めた。確かに彼はソルジャーだった。だがいまは、そんなことを説明している場合ではない。「詮索はあとにしてくれ。さっさと脱出しないと、爆発に巻きこまれるぞ」
バレットは複雑に顔をしかめてから、苛立たしげに右腕のハンドガンを振った。クラウドが最後のひとりを剣の柄(つか)で昏倒させると、ビッグスとウェッジがエレベーターからよろよろと出てくる。ジェシーも足を引きずりながら続いてきた。
弾倉を換えつつバレットが顎を振って合図すると、ビッグスとウェッジがあたふたと出口へ向かって駆け出す。クラウドもそれに続こうとしたが、ジェシーが遅れているのに気づき、急いで引き返した。
「大丈夫か」
彼女は眉をしかめたが、すぐに健気な笑みを浮かべる。「こんなときに迂闊よね……大丈夫、行って」
「走るのは無理そうだな」
クラウドは剣を背中に収め、ジェシーの身体を肩の上に担ぎあげた。彼女が抗議の声をあげるより早く、バレットが戸口から叫ぶ。「早くしろ！」
いくつかのブロックを通り抜けたとき、どこか遠くから鈍い音が重く響いてきた。爆弾の時限装置が作動したのだ。
「急げ！」と、バレット。
クラウドは最後の扉をすり抜け、階段をのぼりはじめた。人ひとり担いで全速力で走るのでは、いくらソルジャーの肉体をもってしても、さすがに息が切れる。
彼らの背後から再び鈍い爆音が連鎖して追いかけてきた。変電器などが誘爆を起こしはじめたのだろう。急がないと、あっというまに炎熱に巻かれて、死ぬよりも先に黒焦げになる。
と、バレットが横から手を出してジェシーの身体を自分の肩へと強引に移した。急に重荷がなくなって、クラウドは思わずたたらを踏む。
「あとはオレが面倒を見る。行け」と巨漢は突き放すように、クラウドの肩をぐいと押した。
もう少しで階段をのぼりきるというとき、熱風が押し寄せてきた。それに背中を持ちあげられるようにして、クラウドもバレットも階段を一気に駆けあがる。フロアへ到着すると同時に身を投げ出し、肩から床へと倒れこんだ。そして炎が、伏せた彼らの頭上を通りすぎていく。
熱風がひとわたりフロアを駆けめぐったあと、今度は逆向きに強風が起こった。膨張しきった空気がいっせいに魔晄炉の中心部へ向かって収縮していくのだ。その風に逆らいながらクラウドは膝を立てて上体を起こし、ホール内に視線を走らせた。ふたりの警備兵が咳きこみながら床を這いまわっているのが見える。そのむこうのアーチ型の扉口は無残な瓦礫と化していた。先に脱出したテロリストたちが破壊していったのだろう。
ビッグスが素早く走り寄り、呻いている兵士を殴って黙らせた。そのわきをウェッジが通り抜け、外へと転がり出ていく。そしてバレットは、ジェシーを担ぎなおしながら無造作に瓦礫を跨ぎ越えた。
「作戦は終了だ！」バレットが、すでに走り出していたビッグスたちへ向かって怒鳴った。「アジトまで解散、検問にひっかかるんじゃねえぞ」そして苦々しげな顔をクラウドに向けてくる。「報酬はセブンスヘブンで払う。昨夜(ゆうべ)泊まった酒場だ。受け取りたきゃ、無事に七番街スラムへ辿りつくことだな」
クラウドは肩を竦めることで応えた。
ひんやりした夜の空気の中へ進み出ると、どっと解放感が襲ってきた。振り返ると、魔晄炉は相変わらずそこに聳えている。しかし、その根もとからは灰色の煙が幾筋も立ち昇り、そのあいだでちかちかと炎のオレンジ色が瞬いていた。上空では何機ものヘリが右往左往し、サーチライトが落ち着きなくあたりを照らしまわっている。
闇黒だった空には滲んだ赤が加わって、ほんのわずかばかり、ミッドガルを明るく染めていた。