１ 待ち伏せ
子どもたちが走りまわるさまは、まるで四本の脚をてんでんばらばらに動かしている小鹿のようだった。一生懸命に細い手足を不器用に使い、甲高い嬌声を発して、彼らは広場をぐるぐると駆けつづける。
赤い狼はそれを眺めながら軽く吐息をついた。人間の、特に子どもというのは苦手だ。こっちがちょっとおとなしくしていると、不躾にも泥だらけの手で毛を撫でてこようとする。しかも本人に断わりもせずにだ。そのうえ、むこうが飽きるまでは絶対に解放されず、しつこくしつこく、まとわりつくものだから、うざったいといったらありゃしない。
まあそれでも、ときどき残飯を漁りに来る野良猫よりは、おいらはまだましな境遇だろう。あの三毛猫はストレスで背中のところにいくつか禿げができてしまっていた。
あいつらは毛のある生きものになら、なんにでも興味本位で近づいていくらしい。もっとも、こっちが狼や大型犬に似ているものだから、大人たちのほうは、あの連中がおいらといっしょにいることを快く思っていなかった。彼らにしてみれば、大きく尖った牙や頑丈で鋭い爪が、間違って子どもたちの肌に赤いすじでも残したらと心配で仕方がないようなのだ。
失礼な話だ。人間たちが考えているほど、おいらは子どもではない。爪はよっぽど神経に障ったときぐらいしか剥き出しにはならないし、どのくらい強く咬めば痛いかぐらい、もうとっくの昔に学習している。だいたい、いくら頼まれたとしても、あんな馬鹿らしい遊びにつきあえるものか。
狼は欠伸を噛み殺しながら、そそり立つ岩壁を見あげた。穏やかな午後の陽射しが、奇妙にそびえあがる岩壁群を橙色に輝かせている。あちらこちらに風化した穴があいているが、人間たちはそれらを自然の恩恵と言って住居として活用していた。ロープを張り、梯子をかけ、廊下を造り、家具を運び入れ、弱い岩質のところには補強用の板まで貼りつけている。
おいらは不思議に思う。人間というのはどうして、そこまで手間隙かけてまで、こんなところに住みたがるのだろう。
「ナナキ」
呼びかけられて、狼は首をめぐらした。車椅子をころころ転がしながらブーゲンハーゲンが近づいてきていた。何人かのスーツを着た男たちが少し離れたところに立っている。
「じっちゃん」と、ナナキは前半身だけをゆっくりと起こした。
「わしらはこれから出かけるが、ひとりで留守番できるだろうな？」老人は狼の横まで来ると、たてがみをぐりぐりと撫でてくる。
「そういうときは留守を頼むと言ってほしいよ」彼は子ども扱いされたことに憤然と抗議した。「でも、じっちゃんひとりで大丈夫かい？ おいらもいっしょに行っちゃだめ？」
ブーゲンハーゲンはわずかに首を振った。「いや、おまえには少し危険なことになるかもしれんのでな」狼がますますむっつりとして睨みつけると、老人は苦笑しながら続ける。「貴重な種族の最後のひとりを、そう簡単に危ない目に遭わせるわけにはいかん」
「じっちゃんは、おいらは戦士の一族だって言ってただろ」
「それでも連れていくわけにはいかんのじゃよ。行き先はニブルヘイムじゃからのう」
ニブルヘイム？ ナナキは首を傾げた。「それ、どこだい？」
「教えたら、すっ飛んでいってしまうだろうが」ブーゲンハーゲンはくすくすと笑った。「四、五日で帰ってくるから、おとなしく待っておりなさい」
「また子ども扱いする」
結局、なんのかのと食い下がるナナキをかわして、ブーゲンハーゲンは出かけてしまった。いっしょにいたのは、なんとか製作所という会社の連中だ。ナナキはあの男たちは好きになれなかった。特にあの黒い服の無表情なやつ。調査課(タークス)のバレンタインとかいったっけ。
まあいい、じっちゃんに心配をかけるのも大人げないからな。今回はおとなしく居残り組に入ろう。それに留守番に飽きたら、またゴンガガあたりまで狩りをしに行けばいいことだ。
子どもたちのやかましい声がひときわ高くなり、ナナキは耳をぴくつかせた。見ると、誰かが蹴りそこなったボールがこちらへと、ころころ転がってくる。ボール遊びをしていたふたりの子どもはたがいに目くばせしあい、どっちが取ってくるべきか、いまにも口喧嘩を始めそうだった。
ふん、とナナキは鼻を鳴らした。へたくそめ。取りに来たければ勝手に取りに来ればいい。そう思いながら寝そべりなおそうとした彼だが、尻尾だけがうずうずと動き、腹のそばまで来たその丸い物体を軽くはたいていた。ボールはするすると滑っていき、わずかに弧を描くように、いっぽうの子どもの足もとに到着する。
自分の意思に関わりなく動いた尻尾を横目で見つめ、彼は深い溜息をついた。興味深い現象だが、これはたぶん条件反射というものだろう。
◇
「尻尾がなんだって？」
クラウドの声に、彼は目をあけた。瞼の裏で空気のかたまりが軽くはじけたような覚醒感が彼を襲う。いささか面食らって顔をあげると、スプリングのはみ出したソファに坐って靴紐を結びなおしているソルジャーと目が合った。
レッドは少し重くなっていた頭を急いで振る。耳飾りがかすかに鳴った。「いや、夢を見ていたらしい」と伸びをするついでに立ちあがる。
部屋の中に視線をめぐらすと、埃っぽい板張りの細長い空間に、壁ぎわに寄せられた食器棚と金髪の青年が腰かけている大きめのソファ、そしてふたつの急ごしらえのベッドが目に映る。ベッドといっても、マットレスの上に薄汚れたシーツをかぶせただけのものだ。どうやら普段は物置として使われている部屋らしく、照明のようなものは入口の小さな角灯だけだった。細長い換気孔代わりの窓からは、すでに朝日の黄色い光が侵入してきている。
レッドは首をまわして疲れが取れているのを確認した。なにしろ昨日はずっとバギーの後ろでじっとしていたものだから、疲労というよりは凝固していたと言ってもいい。
「起きたなら、ティファの手伝いをしてやってくれないか」もういっぽうの靴をいったん脱いで中の泥や砂を床に落としながら、クラウドが呟くように言った。
「ああ、わかった」と応え、レッドは人の形をしたシーツの山を見やった。顔をしかめながら、その大きさがバレットのものでは到底ありえないと確信する。「……どうしてユフィが、あんたのベッドで寝てるんだ？」
クラウドは苦笑とも言えない笑みを洩らした。「明けがた《夜這い》に来て、途中で力尽きたらしい。ドアのところで丸まっていたから、とりあえず放りこんだだけだ。風邪でもひかれて寝こまれても、またあとあと面倒だからな」
「言えてる」レッドは咳きこむように笑った。「まったく、起きていても寝ていても問題の多いやつだ」
尻尾をひと振りしてから、レッドはドアの隙間に鼻を突っこみ、部屋の外へと抜け出した。廊下と呼べるほどのものはなく、向かい側に娘たちが泊まった部屋のドアがあり、左手はすぐに階段になって床が落ちこんでいる。
レッドは軋む階段を慎重におりていき、居間でパンを食べ散らかしているバレットの横を通り、外へと踏み出した。湿り気を帯びた空気が鼻を撫でまわしてき、彼はくしゃみを連発する。
「あ、レッド、おはよう」エアリスがその頭に黒い毛のかたまりを載せたまま、よたよたと近づいてきた。どうも昨日の筋肉痛がまだ足に残っているらしい。クラウドに作ってもらった《武器》を杖代わりにして、彼女は少し上りになった坂をしんどそうに歩いてきた。
「おはよう」と狼は呟くように返し、くしゃみで緩んだ鼻をすすりあげた。「ティファはどこだい？」
エアリスはすぐに後方に腕を投げた。「車のところ」そして村長の家にちらりと視線を向ける。「バレット、起きてた？」
「ああ」と答え、レッドは頭を上下させて彼女を眺めた。「だいぶ、ふらふらしてるけど、大丈夫か？」
「だいじょぶ」彼女はにっこりし、「昨日の疲れは取れたんだけど、今朝、ちょっとね」
「なにかあったのか？」
「稽古してたの」彼女は憮然とした口調で呟いた。
「稽古？」
「棒術の稽古」エアリスはそこで肩を落として、げんなりした顔をする。その頭から黒い猫がずるずると滑り落ちた。ケット・シーはついでとばかりにその肩から地面へと跳びおり、レッドの背中へと移動を始めてくる。「村のなか、二周ぐらい走って、いろんな柔軟体操したんだけど、わたし、それだけで疲れちゃって……それでもティファってば、まだこれを使わせてくれないのよ」と彼女は、手にしていた棒で軽くとんとんと地面を突いた。
狼はくつくつと笑った。基礎体力作りに飽きたエアリスがティファにねだりつき、きっぱりと無視される場面を思い起こすと、もっと大声で笑いたかったのだが、さすがにこの朝の静けさを乱す行為に遠慮が出たのだ。「だけどそれでも、クラウドが指導するよりはまだましなんだろう？」
「たぶん」彼女は肩を竦めてから深呼吸し、「バレット、起きてるって言ってたよね。荷物、運ばなくちゃならないんだ。それとユフィは？」
「まだ寝ていると思うが」
「そんなはずないよ。ティファが起きたときにはもう、ベッドにいなかったって言ってたんだから」
「ああ、そっちの部屋じゃ……」レッドは慌てて言葉を呑みこんだ。
「なに？」
「いや、なんでもない」
エアリスは訝しげに彼を見おろし、やがてその顔は徐々に疑念に変わり、さらに確信へと変化を遂げる。
「……あんの……ユフィ！」叫ぶと同時に、筋肉痛も忘れたように家の中へと飛びこんでいった。
「どうしたん？」と、背中で猫がのんびりと呟く。
やがて怒鳴り声と悲鳴と、なにかがぶつかる音とが立て続けに聞こえてきた。上方の窓が、ばんとひらいたと思うと、そこからユフィが飛び出してくる。空中でくるくると身体を回転させながらニンジャ娘は難なく地面に着地し、跳びおりるわけにいかずに地団太を踏むエアリスを見あげて、「へっへっへーん」と両手を振った。
「そこで待ってなさい！」と指を突きつけてから、エアリスは窓から離れていく。
レッドは自分でも呆れるぐらい冷静にそれらのことを見つめていたが、飛び出してきたエアリスに足蹴にされそうになったときには、さすがに慌ててよけた。
彼女のあとから、なにが起こったのかわからない顔をしているバレットと苦笑に満たない表情のクラウドが出てくる。
「朝っぱらから元気なやつらだぜ」と、巨漢がぼりぼりと頭をかいた。
「まあいいさ、これで全員起きたんだ。出発しよう」クラウドが言い、バレットに荷袋を放り投げ、レッドの背中に毛布をどさりと載せた。その背中でくつろいでいたらしい黒猫の悲鳴があがり、毛布のあいだでじたばたしている感触が背筋にこそばゆい。
村長が出てきて、「すまんが、若いの」とクラウドを呼んだ。彼は先に行っていろというように手を振ると、村長宅へ戻っていく。
レッドは背中の荷物をケット・シーごとひと揺すりして、下り坂をゆるゆると歩きはじめた。
砂だか砂利だかわからない道には、荷車の轍以外の跡はない。しかも道らしく見えるという程度に固められているだけで、菜園だろう、しなびた人参の葉っぱが顔を出している場所とほとんど区別がつかなかった。雨風に晒されて何年も経つといった色合いの材木が積まれている横には、もとは材木問屋の店舗だったらしい、ぼろ小屋が並んでいる。用水路に見えなくもない地面の窪みは小石と枯葉とが埋まっているだけだ。てっぺんが欠けたサイロの足もとでは、痩せた鶏を宥める老人の姿がひとつあった。
「チッ」とバレットが軽く舌打ちをしたのが聞こえたので、レッドは鼻づらをあげて巨漢を仰ぎ見た。大男は首をぐるぐるまわしながら、「ここも、もとは立派に村だったんだろうが」と今度は音を立てて溜息をつく。
「ああ、そうだな」レッドは相槌を打った。「昨夜(ゆうべ)、壊れた魔晄炉を見かけた。たぶん、あの墓はその事故かなにかのときのものだろう」そうして前方へ顎を投げてみせる。
村の入口、というよりも森との境界線近くには、ずらりと並べられた墓標がある。石を削ってきちんと名を刻んだものはごく手前のいくつかに限られており、あとは盛り土に杭を差しこんだだけのものが大半だ。
「ふん、また魔晄炉か……」バレットは苛立たしげに呟き、ハンドガンをぐるりと振りまわしてみせる。「まったく神羅ってのは、どれだけ星を穴だらけにすりゃ気がすむんだろうな」
「私は、魔晄炉など必要だとは思わないが」レッドはずり落ちかけそうになっている毛布を整えるため、軽く跳ねた。「人間には文明的な生活とやらが必要なんだろ」
「だからって、魔晄エネルギーが必要不可欠ってわけじゃねえだろうがよ……」言いながら、しかし巨漢の声は尻すぼみになる。
生活に絶対必要なものとは言い切れずとも、便利な生活には欠かせないのが魔晄エネルギーだ。レッドはミッドガルのきらびやかなネオンと、天へと果てしなく背伸びをしつづけているような摩天楼を思い浮かべた。あんな暗くて狭いところに住む気には彼は到底なれないが、あれだけの人間がそこに居を構えているのだから、たぶん連中にとって住み心地はいいのだろうと思う。そしてその街を維持しているのは、ほとんど魔晄エネルギーだけといっても過言ではないのだ。
墓地を抜けると、赤い屋根のない車と朝ごはんを食べている二羽の黄色い鳥が見えてきた。チョコボたちから餌袋を取りあげようと四苦八苦しているティファもだ。その隣では、エアリスとユフィがまだなにやら口論を続けている。
ティファがこちらに気がついて、「おはよう」と大きく手を振ってきた。
レッドは心持ち歩調を急いで彼女のそばへと駆け寄る。「クラウドは村長に挨拶に行っている。すぐに来るだろうから、エンジンをかけておいたほうがいいんじゃないか」
ティファは彼の背中に積んであった毛布を持ちあげながら頷いた。その下で窒息寸前になっているらしい黒猫を見ると、わずかに吹き出す。「なんでそう、人の背中や肩に乗るのかなあ、ケット・シー？ ちゃんと四本の脚があるでしょうに」
「ええやんか。このほうが楽なんやから」放り出されまいと、黒猫は毛皮にしがみつく。少し爪が食いこんだので、レッドは小さく抗議の唸り声を出した。
「すっかりレッドの背中が気に入ったみたいね」エアリスがつまらなさそうにこちらを振り返ってくる。先ほどまで彼女と喧嘩していたユフィは、出発と聞いてさっさとチョコボの背中に跳びまたがっていた。
「とにかく乗って、乗って」ティファがまるで学生たちを引率する女教師よろしく、ぱんぱんと手を叩く。そうしながら自分は運転席に滑りこみ、エンジンキーをまわした。大型の獣が身震いするような唸り音を立てて車が振動しはじめる。
バレットが狭苦しそうに後部座席に収まるのを眺めてから、レッドは自分も乗りこもうと座席に前脚をかけた。
ふっと、森の気配が静まる。
レッドは浮かした前脚を地面におろし、聞き耳を立てた。車のエンジン音、ユフィの乗ったチョコボがうろうろする足音、それ以外に物音は聞こえてこない。
「どうしたの、レッド？」と、エアリスが助手席からこちらを見おろしてくる。
「しっ」彼は牙のあいだから空気を勢いよく洩らすことで合図に変えた。
相変わらずなにも聞こえてこない。それがおかしいのだ。朝だというのに、鳥のさえずりも小動物の動く気配もない。
彼は村のほうへと首をめぐらし、同時に二匹のチョコボがやかましい声を立てながら、なにかを威嚇するように羽を動かした。
横手の森から、でたらめな数の銃声。車のタイヤわきを、レッドの足もとを、土を蹴散らかして銃弾が横切っていった。エアリスが助手席の中で身を低くしながら叫び声をあげ、ティファが誤ってアクセルでも踏んだのだろう、車のエンジンが空回りする唸り音。レッドは驚いて、その場でぴょんぴょん飛び跳ねた。
森の中からばらばらと青い制服が流れ出してくる。二十人以上いるだろうか。ティファが驚愕の声を短く洩らし、バレットが腕のハンドガンに送弾する音がかすかに響いた。
「神羅兵？」暴れてまわるチョコボの上で、ユフィがきょとんとしたような声を出した。
「観念しなさい、テロリスト！」甲高い女の声が響いて、短い金髪の小柄な黒服が青い兵士たちをかき分けて颯爽と前に出てくる。「年貢の納め時よ。おとなしく手をあげて」と彼女はえらそうに、両手を腰に当てて胸を張った。
レッドはちらりと村のほうを透かし見た。こいつらが潜んでいることに気づかなかったのは間抜けだが、よっぽどなにかの機械で匂いが洩れないシールドでもしていたのだろう。だが、こいつらもひとり忘れている。
しかし緩やかな坂道の上に、クラウドの姿はまだ見えない。ティファが静かにクラッチを切り替える気配がした。とはいえ、彼女もまだ迷っているようだ。
「時間稼ぎなんかしないでね」タークスの女はさらに自慢げに顎を反らす。「あのハンサムなソルジャーを待ってるなら無駄なんだから。先輩たちがふたりがかりで足止めしてるの。あんたたちだけでこの包囲が破れるわけないでしょ」
「なんだか、むかつく」エアリスがぼそっと呟いた。
待ち伏せか。あの村長も一枚噛んでるのかな。レッドはちらりとそんなことを頭の中で考えながら、そろりと足の爪を出し入れした。
たぶんティファも、相手の言葉を聞いて、かえって覚悟を決めたのだろう、「レッド、乗って」と囁いてくる。
狼は一瞬だけ逡巡した。そのあいだに、いきなりユフィの忍術が敵の銃列の前に炸裂する。「疾風迅雷！」
相変わらずニンジャとは思えない騒々しい掛け声をかけながら、彼女はチョコボを駆って、びっくりしてよろけた女タークスの頭上を跳び越えた。レッドもつられたように飛び出す。
「ボクは行きたかないでえ！」ケット・シーが彼の背中に爪を立てながら抗議の叫びをあげた。
重く響くエンジン音と同時にタイヤが軋む音。ティファが車を急発進させたのだろう。もう一羽のチョコボがどうなったのか確認している暇は、レッドにはなかった。
レッドは神羅兵のひとりに跳び蹴りを与えながら、さらにその倒れかかる男を踏み台にして青い制服の壁を躍り越える。地面に着地し、まっすぐ村のほうへ駆け出したとき、バレットのハンドガンの乱射音が聞こえてきた。
「ちょ、ちょっと待ちなさいよ、あんたたち！」女の間抜けな甲高い声が銃撃音のあいだをうろうろしている。「ああもう、鳥も犬もどうでもいいわ、車を追いなさい、車のほうを！」
でこぼこの坂道を駆けあがっていると、ユフィを乗せた――あれは乗っているとは言わないな――チョコボが羽を広げたまま、前傾姿勢で彼を追い抜いていった。たぶんあの鳥は、こっちと競争しているつもりなのだろう。ユフィは村の畑道が見えてくると、その黄色い背の上で立ちあがった。
と見ると、振り落とされる前に自分から宙へと跳びあがる。
「疾風迅雷！」叫んでから、彼女は空中にいるあいだに腕を大きく複雑に動かす。「あーんど、ユフィちゃんオリジナル、血祭！」
よくまあ、舌がまわることだ。とレッドが我ながら暢気なことで感心しているうちに、真空の細かい刃で空気を裂く竜巻が起こる。さらにその渦を巻く空気が急に膨張して、あたりの人参の葉っぱや土くれを薙ぎ倒して駆け抜けていった。
それがめざす先には黒服の男がふたり。サングラスをかけた頭に毛のないのっぽと赤っ毛の細身だ。レッドはどこかで見たような気がしたが、思い出せなかった。もしかしたら神羅ビルで、ちらとでも見ていたのかもしれない。抜剣したクラウドが、彼らを牽制するように少し高くなったところで立っていた。
黒服の男ふたりはぎょっとしたように跳びのき、かまいたちの荒れ狂う暴風を大きくよけた。チョコボが突き飛ばす勢いで驀進してくるのを認めると、赤毛のほうが身を投げ出し、地面に転がってそれから避難する。
今度は自分の足で走りながらレッドの隣に追いついてきたユフィが、かすかに舌打ちした。「よけるなよ！」と喚いて再び腕を振る。
まっすぐ畑のむこうの森へ消えていこうとした竜巻が、ぐぐうと方向を変え、製材所跡のほうへと円を描くようにまわりこみ、黒服の男たちのほうへ向きなおろうとする。忍術というのはそんなこともできるのかと、レッドは左目を瞠った。
が、ひっぱられていた縄がいきなり切れたように、竜巻は土煙を巻きあげて村のほうへと加速した。その軌道上にクラウドがいる。ユフィがさすがにあせったような悲鳴をあげた。
「ふざけるな、馬鹿！」クラウドの忌々しい声が風の唸りとともに逆巻いて流れてくる。剣を横に突き出すようにしながら、彼の左手がわずかに不自然な動きをした。
鋭い凶器と化していた空気が不意にほぐれ、四散するとともに一部がまるで吸いこまれるようにクラウドの持つ大剣へと収束していく。風を絡め、彼は背の高いほうの黒服に向けて打ちこんだ。
サングラスの男が素早く左手をかざすと、風のかたまりは彼をよけてその背後の樹木を何本か薙ぎ倒す。まるで彼のまわりにクラウドの使う防御(バリア)のようなものが張られたかのようだ。だがそれでも、圧倒的な気の奔流に逆らえないというように数歩よろめいて後退した。
レッドの横手で黒いものがさっと動き、彼は慌てて跳びのいた。その空間を電気か魔晄エネルギーか知らないが、そんな光をまとった鞭(ロッド)が通りすぎる。痩身のタークスがかすかな舌打ちの音を立てた。
レッドは後ろ脚が地面の感触をおぼえると、すぐにそれを蹴って赤毛へと頭突きをかける。が、敵の反射神経に驚いたのは狼のほうだ。よけられたと認識するや否や、なかば無意識にレッドは体を丸めた。身を捻って、興奮で温度のあがっていた尻尾をその男の顔面に叩きこむ。だがそれも、わずかにかすめただけだったらしい。
「ちっ」と片目を覆いながら、男は身軽に跳び離れた。「予定が狂いっぱなしだぞ、と――と、と、と」
滑稽な呟きとともに二度、三度と地面を蹴る男を追うのは、ユフィと彼女の手に握られた十字手裏剣。「このやろ、冗談じゃない、冗談じゃないよ――チクショウ！」
やたらと賑やかに悪態をつきながら、せせら笑うような表情を浮かべる男を森のほうへを追いつめ、だがユフィの顔はなぜか泣きそうだった。なにが原因か知らないが、彼女は混乱しているらしい。
双方とも激しい動きで、左右前後どころか上下に位置をめまぐるしく変わるので、レッドはユフィの援護をしようにも飛び出す契機がなかなか見つからなかった。クラウドの支援にまわろうかと思いついて首をめぐらすと、彼のほうは大男の腕に剣を当てて動きを抑えているところだ。
そちらへと体を返しかけたが、振り落とされまいといっそう飛び出たケット・シーの爪が彼の背中を引きつらせ、動きを一瞬止める。
そのあいだに大男は火傷をしたかのようにクラウドから身を退き、背をのけぞらせた。不自然な体勢になった敵の隙を逃すソルジャーでもない。サングラスはそのまま一歩踏みこんだクラウドの剣に押されて、さらに後ろへと転がり退く。
そのときふっと、レッドは足もとから、またまわりの空気から、騒々しく蠢いていたものが強制的に抑えられる感覚を味わった。ミッドガル周辺に近づいたときのあの重圧感に似ていたが、あれほど長い時間をかけて沁みついたという空気ではない。まるでいきなり圧縮されたような重さだ。
レッドはいやな予感が駆け抜けるのをおぼえながら、ぞくりと身を慄わせる。いままで忍術や戦いの熱でかきまわされ、煽られて荒れ狂っていた自然の気が、急に静まることなどありはしないはずなのに。
訝しげに左目を細めたとき、ず、と地面がずれた。足もとの土がざらりと流れるような感覚が彼の全身の血液を逆流させる。
同時に空中へと撥ねあげられるほど、地面が突きあがってくるような衝撃があった。耳飾りにつけられていたマテリアが抗議するような光と熱を発する。レッドは思わず悲鳴をあげ、その場をぐるぐるとまわった。
その隣でユフィが地面から逃げるように高く跳びあがる。「な、なんだよ、これ？」もちろん彼女も喧嘩の続きどころではない。
こちらの攻撃がやんだのを見澄ましたように、赤毛の男が後転しながら叫んだ。「逃げるが勝ちだぞ、と」
サングラスの男のほうは揺れる地面を見おろし、それでもソルジャーを警戒して、背中を見せないようにしながら森の中へと消えていった。クラウドはそれを追わず、大剣を地に突き立て、まるでそこからモンスターでも出てくるかのような目で足もとを睨みつけている。
地面はまだ激しく横に揺れ、レッドの平衡感覚を狂わせていた。見えない伝説の巨人(タイタン)でも現われて、ここら一帯を走りまわっているみたいな地震だ。
眩暈を起こすような視界を木々の梢にかこまれた青い空へと移すと、小さな小型ヘリ(スキッフ)の影が横切っていくところだった。
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