１ ジェノバ・プロジェクト
ジュノンのエアポートは相変わらず閑散としたもので、やはり相変わらず艤装の整わない飛空艇と数機の輸送機(ゲルニカ)ばかりが、真っ平らなコンクリートの滑走路上で羽を休めているだけだった。
ルーファウスは癖になってしまいそうな溜息を、ようやくのことで抑えつけていた。
パルマーはロケット計画を進めることにかなり前向きな姿勢を示しているが、ルーファウスはまったくそのつもりはない。自由資本経済のもとでならともかく、神羅の独裁下では、科学技術の飛躍的発展をアピールしたところでたいした経済効果は求められないだろう。それよりも、航空機の開発と空輸の発展をこそめざさねばならなかった。
彼はこれからロケット村へ赴き、飛行機をそっちのけで無愛想な鋼鉄のかたまりに群がっている技術者たちに大きく喝を入れてくるつもりだった。飛行機を大量生産し、空を埋めつくすほど空路を整備し、いずれ、とろとろと地上を走る列車や、ましてチョコボ車など時代遅れにしてやる。
とはいえ、その憤りもすぐには晴らせそうもない。彼は展望窓から離れ、苦々しげに室内へと向きなおった。
よれよれの白衣を着た宝条は、そのポケットに両手を突っこんだまま無言で佇んでいる。
その横ではツォンが彼を警戒するように視線を外さず、懐に片手を突っこんだまま動こうとしなかった。その指はおそらく、すぐに拳銃を抜き取れるよう物騒なところにひっかけてあるのだろう。
「ニブルヘイムなどで、なにをしていたのか聞こうか」ルーファウスは再び溜息を抑えながら髪をかきあげた。
宝条はきょとんとして呆けている。なにを言われたのか理解できないというように、不思議そうに眼鏡の奥から彼を見つめてきた。
タークスの課長は初老の男から目を離さずに報告する。「ニブルヘイムでは例のソルジャーと遭遇しました」いつもどおりの落ち着いた口調だったが、その声がわずかに震えていることにルーファウスはすぐ気づいた。「私の推測でよろしければ申しあげますが」
「言ってみろ」どうせ宝条からは、わけのわからない言葉しか出てこないだろうからな。
「ジェノバ・プロジェクト」ツォンは低く、だがはっきりとその言葉を絞り出す。「おそらくジェノバ細胞を埋めこんだ人間をあちこちにばらまき、同調させて、なんらかの行動を起こさせる計画でしょう」
ルーファウスが眉を寄せると、宝条が嘲弄するような声で笑った。
「違う、違う」と老科学者は首を振り、ついで、まるで動物園の熊のように腕を上下させる。「それはジェノバ・プロジェクトではない。わしのコピー計画のほうだ」
ルーファウスはデスクに片手をついて寄りかかり、その指で表面の樹脂をこつこつ叩いた。「なにを目的とした計画だ？」
「リユニオン証明だ」
「再統合(リユニオン)？」
「そうとも」科学者は誇らしげに頷く。「ジェノバ細胞にはいろいろと特徴があってな。ソルジャーのように肉体的な機能を向上させるほか、分裂してもまた融合しようとする習性がある。コピー計画はそれを証明しようとしたのじゃ」
「なんのために」
「もちろん、人間社会の同期的管理を可能にするためだ」
ルーファウスは首を傾げながら目線で詳しい説明を促がす。
だが彼のその合図を受けるまでもなく、科学者は夢中になって説明したがっていたらしい。「ジェノバ細胞の性質を考えればすぐにわかるだろう。再統合(リユニオン)しようと、ばらばらになった分身たちを呼び集めることができる、そのネットワーク性。それにわしは目をつけたのだ。それを利用すれば、有機物であっても非常に合理的な個体管理ができる。あれを媒介にして、人はそれぞれがはみ出すことなく、完全に統一された文明を創りあげることができるというわけだ。争いもないし、不公平もない。なにしろ、すべてが同じ意志のもとで同じ目的を持つようになるのだからな。ちょっとジェノバ細胞を強化してやれば、モンスターだとて団体行動を取り、実際、コンドルフォートにまっすぐ飛んでいったではないか」
ツォンがそれとわかるほどに身震いした。ルーファウスもうすら寒い思いをしていたが、この説明だけでは実際的な想像が働かなかったぶん、軽い眩暈だけですんだ。
「では、ソルジャーたちもそのようにして管理してきたのか？」
宝条は途端に不機嫌そうに唇を歪める。「あれらのサンプルは失敗作だ。わしの言うことも聞かなければジェノバにも反応しやせん」
「つまり、ソルジャーたちが勝手にふらふらと、どこかに行くことはないということですか？」ツォンがわずかに安堵の混じった声で口を挟む。
「なにを言っとる。勝手に自分の意志で行動するから手に負えんのじゃないか」
ルーファウスはひたいをこすった。「とにかく、その実験は即座に中止しろ……ところで、ジェノバ・プロジェクトというのはなんだ」
宝条はふんと鼻を鳴らした。「ガストという理想主義者が古代種を復活させようとして立ちあげたものだ……クローニング技術を駆使しただけの意味のない実験だった」
「そのジェノバ・プロジェクトで造られたのがセフィロスですね？」ツォンが確信的に言った。
「まあそうだな」宝条はちらりと横目でタークスを見やってから、「ガストは化石から採取したジェノバ遺伝子に欠損があると見て、ありとあらゆる動植物の遺伝子を継ぎ足してみたが、どれも失敗に終わった。ジェノバとほかの生命体とを合わせようとしても、ジェノバのほうが融合後、すぐに模倣を始めてしまうからじゃ。ジェノバ本来の姿を再現しようにも、カエルだのフナだのに変わってしまう。わしはすぐにそれと気づいた。ジェノバ遺伝子に欠損があるわけではない。あれは近くの情報伝達可能な有機体を取りこみ、どんなものであれ二重螺旋を形成するため、自在に分裂融合が可能な状態を保っているのだ」
「それが古代種なのか？」ルーファウスの脳裡には、ぐにゃぐにゃしたゼリー状の蠢く物体が浮かんでくる。吐き気がしてきた。
宝条は鬱陶しそうに手を振った。「古代種だろうが現代人だろうが、そのようなことは関係がない。ようは、あの化石から採取したものが素晴らしい能力を秘めているということなのだ」
「その割には古代種のゲインズブール母娘に執心していたようですが」ツォンが苦々しげに言う。
「あたりまえじゃ、おそらくあれは、ジェノバが人間という生態系として安定した形であろうからな。あれらのデータを取り、分析できれば、すぐと本格的な同期システムができあがろうものを」
「安定……？」
「モンスターと同じだ」宝条はまるで、呑みこみの悪い生徒を目にした教師のように苛々と髪をかきまわす。「あれらは子を産み、まあほとんどは産みっぱなしだが、中には子育てをする種もあるだろう」
ルーファウスは顔をしかめた。すると、モンスターというのはこいつが造ったのか。ジェノバ細胞を埋めこみ、魔晄漬けにした動植物を放置し、繁殖するがままにしたと？ そしていずれは、それを人間で実行するつもりだったのか。「……セフィロスは安定していなかったのか」
「ソルジャーは失敗作だと言ったろうが」宝条は相変わらず苛々と髪をかきまわす。「ああそうとも、あのセフィロスめ、ジェノバ本体にすぐに再統合(リユニオン)すると期待しておったのに、単なる人間になりくさって……せっかく受精卵のうちにジェノバ細胞と融合させたというのに……いや、だからこそ免疫ができたのかもしれんが、あれが失敗とわかってから、わしは成人男子の何人かに細胞を埋めこんでみた。それらもやはり、ほとんどが失敗作だった……いくつかの例外を除けばな」
「例外？」
「そうだ」宝条は嬉々として興奮したように続ける。「わしはその成功例のサンプルから、いろいろなことを知った。かなり長い時間を要したがな。ある種の人間はジェノバに反応して、すぐさま再統合(リユニオン)を開始しようとするのだ。実際、細胞を注入してみなければわからないところもあるが、事前に適性はわかるようになった。魔晄エネルギーとの親和力と流動性がその指標になる」
「親和力……？」
「総じてニンジャはその親和力が強いと言われていますね」ツォンが解説しようとするかのように淡々と告げる。「ソルジャーでも、魔法を使うさいにはその力が魔力を左右するとか」
「ソルジャーだのニンジャだの、そんなものはどうでもいいんじゃ！」宝条はヒステリックに叫んだ。「親和力が弱く、流動化率が抑えられてしまえば、被験体はただのソルジャーに成り下がる。流動化が激しすぎれば植物人間となり、いずれ生命活動も停止してしまう。わしの実験に必要なのは、自己の意志がなく、ジェノバが操りやすく、それでいて最低限の生命維持のために活動できる程度のサンプルなのだ」
「では、クラウド・ストライフはあなたの実験の産物ではないのですか」ツォンが堅い口調で訊いた。
「ストライク？」
「ニブルヘイムに現われたソルジャーのことです」
「ああ、あやつか……」宝条はしばらく顎を撫でさすりながら考えこみ、やがて、「知らん」と言った。
ツォンが傍目にもわかるほど怒気を抑えている。「……あなたの言(げん)によれば、彼がセフィロスを殺したということでしたが？」
「知らん」宝条は繰り返した。「わしはその現場を見たわけではない。ただ……ただ……」怪訝そうに眉を寄せ、宝条は再び自分の記憶の中に埋もれていくように見えた。やがて、「ああ……そうか、思い出した」とぼんやり呟く。「魔晄炉で虫の息だったソルジャーがおったな……あやつだったか？ とにかく、いちおうの被験体にはなるかと思ってジェノバ細胞を埋めこんでおいたがな。耐性ができあがってしまっているソルジャーでは、サンプルにならんと思って忘れておったが」
「つまり、そいつはニブルヘイム事件の生き証人というわけだな？」ルーファウスは口を挟んだ。
「それがどうした？」
ルーファウスはじろりと老科学者を睨みつけた。「そうやってジェノバ細胞を与えた者は、ほかにもいるのか？」
「まあな……当時、あの場にいた者にはほとんど全員」
「そのリストを部下に作成させろ。拒否も遅滞も許さん」
宝条は押し黙った。
「それから」ルーファウスは厳しい口調で続けた。「おまえの身柄を拘束させてもらう。これ以上、ジェノバだか古代種だか知らんが、人間社会をかきまわすな」
ちらりとツォンに視線をやると、彼は宝条の腕を引いて司令室を出ていく。老科学者はおとなしく引かれるまま、ドアが閉まるまで肩越しに無表情な爬虫類に似たその目を向けていた。
ルーファウスはひどい疲労を感じて、大きな司令官席に身を沈めた。不意に自分の年齢が恨めしく思う。もしジェノバ・プロジェクトというものが始まっていた頃から、この椅子に坐っていたらと考えずにはいられなかった。同期システムだと？ 完全統一行動を取る文明社会の実現だと？ 馬鹿なことを。親父め、いったいなにを考えていたんだ。
古代種の復活など……人の遺伝子を模倣する化物に、この星を明け渡そうというつもりだったのか。
デスクに両肘をついて頭をもたせかけ、何度も溜息をついていると、ツォンが戻ってきた。ルーファウスは顔をあげずに告げる。「宝条の実験台になった連中を片っ端から捕らえて拘束しろ。全員だ」
「……クラウド・ストライフもですか？」
その気乗りのしなさそうな声に、ルーファウスは目だけをあげて眉をしかめてみせる。
ツォンは首を振った。「セフィロスを殺したらしい男ですよ？」
「こだわるじゃないか。あの大ボケ科学者の言うことが正しいとは限らんだろうに」ルーファウスは苦笑を閃かせてから、ツォンが怪訝そうに身じろぎしたのを受けて、すぐに真顔に戻った。「例えば……俺はそのセフィロスを知らない。五年前といえば、俺はまだ成人前だったからな。軍人どころか社会人にさえなっていなかったのだから、あたりまえだろう。ところでストライフはいくつだ？」
「……多くても二十歳かと」
「それなら五年前は十五歳かそこらのはずだ。そんな子どもにセフィロスが斃せるのか？」
「………」
「そもそも宝条の言うとおり、やつがソルジャーだったのなら、なぜ人事記録がない？」ルーファウスはたたみかけた。「ソルジャーになれるのは成人男子だけだろう？」
「基本的には」ツォンはためらうように頷いた。「特に戦闘技術の優れている者で、それと希望するのであれば、十八、九でも処置を受けたこともあるようですが」
「あらためて訊くが」ルーファウスはひとことひとこと区切るように言葉を吐いた。「ストライフは本当にソルジャーなのか？」
「それは間違いないと思うぞ、と」
語尾におかしな癖のある返事はツォンのものではなかった。見ると、司令室の入口から足音も立てずに痩身の赤毛男がぶらぶらとこちらへ歩んでくる。その後ろから、乱れた着衣のその男とは対照的に、きちんとタークスの制服を着こんだ大男が無言でついてきていた。
ルーファウスが眉を寄せると、ツォンが事務的に言った。「私の部下たちです」それから彼は赤毛のほうへと向きなおる。「調査が終わったのか？」
「終わった、終わった」赤毛は気楽そうに片手を振り、すぐにポケットへとその手を突っこむ。「んで、わけのわからん現象に出っくわしたもんだから、速攻で報告しようと思ったんだぞ、と」そうして背後の大男と頷きを交わす。
「わけのわからん現象？」ツォンが眉を寄せた。
「クラウドに会った」
それとわかるほどにツォンが凍りつく。「……どこで？」
「おれたちが行った島でだぞ、と」赤毛はツォンの前で立ち止まると、片足をぶらぶらさせながら溜息をついた。「まあ正確には、あいつとそっくりな偽者だったけど」
ルーファウスは口を挟んだ。「島とは、例のリゾート開発予定地のことか？」
赤毛が肩を竦めることで肯定する。「どでかい階段状ピラミッド(ジグラッド)があってよ、そこを調べてたら黒マントの男が現われた、と」
「黒マント……」
「剥いてみたらクラウドだったぞ、と」
ルーファウスは無意識に指で唇を撫でた。「その頃は……」
「私がニブルヘイムで本人に会っていた頃でしょう」と、ツォン。
「だから偽者だって言っただろ」赤毛はまた肩を竦めた。「あいつみてえな訓練した強さはなかったし、戦闘に慣れてもいない。だいいち……溶けて消えちまった」
ルーファウスは前髪をかきあげながら、あらためて赤毛男を見つめた。「興味深い話だな。おまえがやつを恐れるあまり、幻でも見たのではないのか？」
「おれは現実主義者だぞ、と」気を悪くした様子もなく彼は軽く笑った。「まあ死にたくはないから、あいつともう一度手合わせなんてごめんだけど」
同意するように大男も無言で頷く。
「おまえたちが敵わないからといって、やつがソルジャーだという証明にはならんぞ。なぜそう確信する」
赤毛はまた大男と目を見交わした。「社長さんよ、おれらは強化体だけど、あいつみてえに自分の身長ほどもあるばかでかい剣を片手で振りまわすような芸当はできねえ。なんでかわかるかい？」
ルーファウスは首を傾げてみせる。男は自分の頭を突つきながら続けた。「筋肉も神経組織も強化されてはいても、脳の処理速度がおっつかねえんだ。魔晄漬けになって頭の中から変えちまったソルジャーでなきゃ、あんな細腕でよろめきもせずに斬りまわすなんて、とんでもねえぞ、と」
ルーファウスは音を立てて息を吐いた。「……まったく気分のいい話ではないな」それから彼はツォンに向きなおる。「だが宝条の後片づけをしないわけにはいかない。そのソルジャーを含めて全被験体を探し出し、収容しろ」
「了解しました」と言ってから、ツォンはちらっと赤毛に視線をやり、すぐに苦笑を浮かべた。「ですが、申しわけありません。部下たちには少し休養を取らせなくてはなりませんので、しばらくのあいだ一般部隊を貸していただけますか。できれば対モンスター戦に慣れた部隊がよろしいのですが」
「ああ、構わん」ルーファウスは頷いた。「ハイデッカーに伝えておく」わずかに不安げに身じろぎしたツォンに急いで手を振り、「こちらから部隊を指定して要請しておくから安心しろ」
「ありがとうございます」すぐと引き退がるツォンの様子を見ると、ハイデッカーの管理能力は相当に信用が置けないらしい。
タークスたちを退がらせ、ルーファウスは椅子をまわして再び展望窓から外を眺めた。
とにかく宝条は取り押さえたし、彼の犠牲者たちもいずれは把握することができるだろう。これ以上、わけのわからないことで悩む必要もなくなる。だが……ニブルヘイム事件のことは別だ。
北コレルの魔晄炉事故の件とはまったく事情が違う。非人道的な実験の産物が原因でひとつの村をまるごと焼き払ってしまったなど……たとえ事故だとしても、明るみに出ることがあれば、コスモキャニオンあたりが黙ってはいまい。