WILD CARD

１　雨

　雨が降っていた。
　スラムとはいえ、せっかくミッドガルの分厚いプレートの下に住んでいるのだから、こうした天気には無縁でいたいのに、上層からの排水機構は遠慮なく水を垂れ流してくれる。もしかしたら壊れているのかもしれない。
　ティファはマリンを寝かしつけたあと、のろのろと看板を下げに外へ出た。この天気では、今夜の客の入りはあってなきがごとしだろう。
　この七番街はスラムの中でも比較的安全な場所だ。ティファのような女の子がひとりで店をひらいていても充分平穏に暮らしていけるほど。
　だがこうした天気には、ひっそりと静まり返ってしまう。いつもなら子どもたちが野良犬といっしょに、なんやかやと走りまわっているガラクタ置き場は、いまは鉄くずやドラム缶が寂しげに折り重なって山を作っているだけだ。広場でたむろしている若者たちのバイクは、いまはどこか雨宿りできる場所へと移動していったらしい。
　まあ、たまにはこんな静かな日もあってもいいわね。これでまたジョニーとかが来さえしなければ、マリンのお昼寝も時間延長できるんだけど。
　黒ずんだ廃材の余りで作った営業中の看板を手にかけたところで、彼女は店の正面に立つ人影に気づいた。
　その人は雨のなか、灰色の毛布みたいなものを身体に巻きつけ、ぼんやりとこちらを見あげていた。たぶん、このあたりの住人ではないだろう。またどこかから流れてきた難民かもしれない。
「あの、どうしました？」彼女は階段の上から話しかけた。たとえ彼が無一文でも、スープぐらい分けてあげられる余裕はある。
　人影は身じろぎし、ゆっくりとこちらを振り仰いできた。青い目をしている。
　彼は片手をあげ、深くかぶっていた毛布を肩まで落とした。
　きれいな人。金色の髪に白い顔。でも男の人だよね？
　彼は降りそそいでくる雨に目を細めながら彼女を凝視していた。
　やがてその視線に耐えていられる自信がなくなって、ティファは顔を伏せた。
　その耳に、「ティファ？」とおぼろげに確認するような低い声が飛びこんでくる。
　彼女はまた彼のほうへと首をめぐらした。「あの……？」
「おれ……クラウドだ」
　ティファはしばらくのあいだ、その名がなにを意味するのかほとんど理解できなかった。「……クラウド？」
「ああ」
　金髪碧眼、彼女の憶えている幼なじみよりもずいぶんと背が高くなったし、声もすごく低い。でもあの子どもがあのまま成長したら、きっとこんな二枚目になっただろう。
　彼女はポーチをおりた。相対すると、自分よりも背が低かったはずの男の子の顔を見るためには、少し見あげなくてはならなくなっている。離ればなれになっていた年月の、なんと長かったことだろう。
「クラウド？」と、もう一度確認してみる。
　彼ははっきりと頷いた。「久しぶりだ」
「本当ね」ティファは懐かしさに目を細めた。いろいろ話したいことが胸を突いて出てきそうになる。彼にはいっぱい聞いてほしいことがあった。
　マント代わりにでも旅をしてきたのだろう、ぼろぼろになった毛布をやや邪魔そうにしながら彼は身じろぎする。「あれから……どうなったのか心配だったんだ。無事でよかった」
「……クラウド？」ティファは彼の手を取ろうとしていた動きを止め、怪訝に眉を寄せた。
「おれ……」クラウドはひたいをこすった。
　ティファはその金色の髪が雨にぐっしょり濡れて、彼の白い顔に貼りついていることにようやく気づく。いったい、どのくらい長いあいだ雨の中にいたのだろう。「ごめん、あの、とにかく店に入って。服ぐらい乾かせるわよ？」
　彼は彼女のあとについて酒場へと足を踏み入れてくる。
　濡れた毛布を床に落とすと、背中にしょった大きな剣が現われた。ティファは目を瞠って、細い身体つきには不似合いなその武器を見つめたものだ。
　相変わらずなにを考えているかわからない仏頂面は、彼女の憶えている喧嘩っ早い男の子と同じだった。だがその雰囲気、その大きな武器が、それに物騒さを加えている。
　彼はそんな彼女の様子には気づかず、ざっと店の中を見まわした。「セブンスヘブンという酒場はここなのか？」
　ティファは返事をするまでに少し間(ま)をあけてしまった。「あ、ええ。わたしの店だけど」
「ティファの……そうか」
「どうして、ここのこと？」
「荒っぽい仕事なら、ここに来ればいいと教えてくれたやつがいたんだ」
「荒っぽい仕事って……ひどいわね」ティファは顔をしかめた。確かにここはアバランチのアジトだけど、いちおう酒場は平和な庶民のために開放しているはずよ。でもウォールマーケットあたりじゃ、そういう認識なのかしらね。「仕事探してるの？」
「べつに……」彼は軽く肩を竦める。「ミッドガルには着いたばかりで、まだ勝手がわからなくて」
　ティファは幼なじみの体格を確かめるように彼をゆっくりと見つめまわした。「その教えてくれた人、ここでどんな仕事ができるか言ってたの？」
「さあ？」クラウドは濡れた髪をかきまわす。「ただ、危険絡みの仕事のほうが手っ取り早く稼げるから」
「あのね」ティファは苦笑した。「クラウドだから教えるけど、ここはテロリストのアジトなの。仕事っていったら、どんなものかわかるでしょ？」
「まあな」彼はわずかに眉を寄せた。「ティファ、もしかして忘れているのか？」
「え？」
「おれはソルジャーだぞ？」
　ティファは思わず、どきんと跳ねあがった心臓のあたりを押さえた。「ソルジャーって……クラウド」
「五年前、言ったよな？」
　違う。
　叫ぶもうひとりの自分を裏側に押しこめ、ティファは曖昧に笑った。「うん……約束、守ってくれたんだ」
　怖かったから、嘘をついた。
　彼の言うことが正しいのだと思いこもうとしたのは、たぶん最初は寂しさから。幼なじみだからと、懐かしさにしばらく、そばにいてくれるかもしれないと期待していたから。そして、ここでそんなはずはないと言おうものなら、彼とは二度と会えなくなる。そんな気がしたから。
　せっかく出会えた初恋の人。
　たったひとつ残された故郷の思い出。
　でもおかしいよ、クラウド……。
　わたしたち、七年ぶりなんだよ？
　彼女は無理やり笑顔を作った。「お腹すいてない？　わたし、すごく料理がうまくなったのよ」
　魔晄の眼が疑うように、からかうように細められた。
　……雨は窓ガラスを叩いていた。
　ティファはゆっくりと目をあけた。光が眩しい。
　しつこく雨音が部屋の中に侵入してきている、そんな天気のはずなのに、眩しくて涙が出る。
　ティファは覚醒を自覚した。強く緩く瞼を動かして、こわばりをほぐしていく。わたし、どれだけ眠っていたんだろう。ずいぶん……お腹がすいている。
　どうせなら、なにか食べている夢でも見たかったな。モンスターのゲテモノ料理でもいいから、もう少し楽しい夢を。
　彼女はのろのろと身を起こした。筋肉ががっちりとかたまっていて、ほんのわずかな動きでも、みしみしと軋んだ。ごわついたシーツが剥き出しの肩をこすり、痺れるような痛みが走る。
　何枚も重ねてきていた衣服はほとんど剥ぎ取られ、彼女はいま、清潔な下着だけの姿だった。肩、上腕、腹や太股、たぶん足の先のほうまで身体じゅうをぐるぐると包帯が巻かれているようだ。右腕には点滴のチューブがぶらさがっている。両手の先にひんやりと沁み入るような収斂剤(アストリンジェント)の冷たさが感じられて、彼女は手のひらをあげてみた。白い包帯でふたまわりも太くなったそれは、ものを掴める状態ではなかった。火傷でもしたかな、とぼんやりと考えた。
　ティファはあたりを見まわした。白い壁にかこまれた、なんの個性もない病室。硬いパイプベッドだったが、マットレスも毛布も清潔だ。小さな窓には鉄格子が嵌まっていて、ガラスを叩く雨の音はそこから聞こえてきた。
　彼女は枕に背を預け、そのままこの白い部屋に溶けてしまいたい気分になった。自分の身体がどうなっているのかとか、窓ガラスを激しく叩いている風雨がどのくらいのものなのかとか、あれからどうなっているのかとか、すべてのことが彼女にはわからず、そしてわかろうという気力も起きなかった。
　それでも、じわじわと涙がこみあげてくる。
　……あの人、もういないんだ。
　それだけが、彼女が理解できたことだった。
　いつか自分の前から消えてしまう。そんな予感は常にあったように思う。
　強くてぶっきらぼうだけど、優しくて、約束を守ってくれたわたしのヒーロー。わたしの理想そのままの夢の人。
　怖かった。
　真実を突きつけて、あなたは誰と訊くのが本当に怖かったのだ。
　彼が頼もしく見えるとき、そして別のもののように見えるとき。彼女の気持ちは何度、天国と地獄を往復したことだろう。
　助けてと、何度叫びたくなったことか。
　でも、もう逃げられない。
　逃げる必要もなくなった。
　もう、すべては終わってしまったから。
　……クラウド。
　五年前、セフィロスといっしょにニブルヘイムに来たソルジャーは、あなたじゃなかったの。
　あの小さな村に神羅の兵隊が来た。それだけでも、わたしたちには大変なニュースだったんだよ。それが神羅の英雄とソルジャーだって聞いたら、わたし、いても立ってもいられなくなって家から飛び出した。
　あなたは絶対にソルジャーになって帰ってくるって、わたしすっかり信じこんでいたから、きっとあなただって疑わなかった。でもセフィロスといっしょにいた男の人は、あなたじゃなかったの。
　黒い髪、大きな身体、そのくせ、きらきらと魔晄の眼を輝かせて人懐こく笑う明るい人。
　彼はザックスといった。
　強くて大きくて、女の子にはとても優しくて、ちょっとお調子者だった。ときどき保護者みたいに叱ってくれもしたわね。
　そうだね。仕種とか、少しクラウドに似てたかな。
　ううん……たぶんクラウドが似てたんだね。
　セフィロスに仕事の邪魔をするなと怒鳴られて泣きたくなるたび、あの人、「頼むから泣かないでくれ」って困った顔をしたわ。「おれが慰めてやるわけにはいかないんだからよ」って。
　わたしね、クラウドのこと、あの人にだけは打ち明けたんだ。パパにも仲よしの友達にも絶対に気取られないように、わたし、クラウドのことずっと待ってたんだよ。でもザックスは人をひっかけるのがうまくて、すぐにばれちゃった。あの人、それから機会があるごとに根掘り葉掘り、しつこくクラウドのこと訊いてきたわ。
　そのせいかな。あの人、ほかの女の子は平気で軽くデートに誘うのに、わたしには遠慮していた。「あんたを慰めたりお茶に誘ったりするやつはほかにいるんだから、おれがあんたに手を出すわけにはいかないんだ」って。変なところで律儀な人でしょ？
　その代わり、わたしが寂しがっていると必ず笑わせてくれた。
　わたし、彼に甘えていたの。彼が散歩がてらモンスター退治に出かけるというときには必ずくっついていった。彼も仕方ないなと苦笑しながら、「んじゃ、ガイドでも頼むか」なんて軽く受けてくれたわ。
　懐かしいザックス。
　それでも本格的なミッションには、さすがにわたしを連れていきたがらなかったね。どんなにお願いしても、同行の神羅兵はあたりまえのようにそばに置いていたのに、わたしのほうは絶対に御山の奥へいっしょに連れていってはくれなかった。
　ジェノバの眠っていたニブル山。ソルジャーの世界。
　わたしには足を踏み入らせてもらえなかった魔晄炉。
　わたし、なにも知らなくて、なにもわからなくて、ただ疎外感ばかり持て余していた。
　いつだったか、あの神羅屋敷の前で、わたし、セフィロスに怒られたよね。「なにも知らん小娘のくせに出しゃばるな」と吐き捨てて、さっさと屋敷の中に消えていった長身のソルジャー。いまでも憶えている。
　怒りと惨めさに震えたわたしを、ザックス、懸命になって落ち着かせてくれた。それでも、あの人もセフィロスの言葉を訂正したりはしてくれなかった。「あんたになにかあったら、おれら、自分を責めなくちゃならなくなるんだぜ」
「だって、ソルジャーってすごく強いんでしょ？　守ってくれるんじゃないの？」
「間に合わないときだってある」
「でも……」
「あんた、あれだけいた神羅兵が、みんな無事におうちに帰ったとでも思ってる？」
「それは……」
　村に逗留していた神羅兵は、最初のミッションでほとんどいなくなってしまっていた。山に入って帰ってこれなくなった十数人の男たち。
　いつもとは違う厳しい顔のザックスに、わたし、たじろいだものだ。冗談ばかり言って笑わせてくれる優しい年上の男の人なんて、村にはそんなにいない。それなのに、彼がパパみたいに梃子でも動かないような態度を見せるから、わたし、びっくりしたわ。
　そんなとき突然、屋敷のほうから陶器やガラスやいろんなものが割れたり壊れたりする音が響いてきて、わたし、それまでの惨めな気分がいっぺんに吹き飛んだ。ザックスはそれに追い討ちをかけるように、「あんたに対する態度には、あの大将も反省させられてるからさ。今回は勘弁な」とおどけ顔に戻って、わたしのぎごちない笑いを引き出してくれたね。
　ザックス。
　あなたがクラウドだったらよかったのに。わたし、ときどき、そんなことまで考えたんだよ。

◇

　ドアが大きく二度鳴った。ピッ、という軽い電子音とともにそれがひらく。
　一歩中に入ってきたルードは、ちらりとティファのほうへとサングラスの目を向けてきた。「……気がついたのか」
　ティファは応えなかった。ルードは親指を立てて背後を指し示す。「クラウドのことについて話したい……社長が」
「いまさら、なにを？」ティファは皮肉な笑みを浮かべた。
　だが、ほかにやることもない。本当にいまさら、どんなことであれ、誰のために抵抗なんかする必要があるのだろう。
　点滴を外してもらい、ガウンを羽織って、彼女はルードのあとについて歩いていった。
　ここはジュノンの神羅施設らしい。ミッドガルの本社とは違ってずいぶん無骨な壁と床だと思った。エレクトロニクスをふんだんに使っているところはあの会社らしいけれど。
　電子キーでひらくドア。そこかしこに使われているセキュリティシステム。カードがなくては、たとえ神羅の制服を着ていても自由には出入りできないＶＩＰ専用の部屋。
　ルーファウスはジュノンの港を一望できる最上階の部屋で、大きな椅子に坐っていた。背後の広い展望窓に映っている海は一面の大時化の中だ。
　ルードに促がされて、彼女はふかふかのソファに坐った。捕虜か、あるいは囚人の待遇にしてはずいぶんとサービス満点だなどと、また皮肉りたくなる。
　レノがあとから入ってきて、バレットを突き飛ばすように彼女の隣に坐らせた。痩身のタークスは同僚とこそっと短く応答を交わすと、ルーファウスにひとつのファイルを渡す。ソファのほうまで戻ってくると、彼はバレットのわきでポケットに手を突っこんだ、だらけた姿勢で立った。
　しばらくのあいだ誰も言葉を発しなかった。バレットが居心地悪げに身じろぎするのを、ルードが背後から肩に手を置いて押さえる。
　ルーファウスは音を立ててファイルを閉じると、大きく溜息をついた。「……生きていようと死んでいようと、よくも我々を悩ませてくれる。嵐雲(クラウド・ストライフ)とはよく言ったものだ」
　くだらないこと言ってるわね。
「セフィロスの分身か……それも完璧な」
　バレットが髭づらを歪める。「あいつも黒マントのひとりだったってわけか？」
　ルーファウスは肯定も否定もしなかった。ただ苦々しげに顔をしかめただけだ。「ジェノバは……」と低く呟くように言う。「相手の記憶を読み取り、自在に変幻する」
　だから、なに？
　ルーファウスはゆっくりと立ちあがった。ばかでかいデスクを大きくまわり、今度はそのデスクに腰をもたせかけ、軽く足首を組む。「ジェノバの能力のひとつには、情報記憶のバックアップとしてたがいに器となり、受け継いでゆくことが含まれる。喩えて言えば同期システム(ミラーリング)というやつだ。本来のリユニオンというのはそのことだったらしいのだが、宝条がなにを勘違いしたか、肉体変化のデータのみを追いかけた。そのためにストライフは失敗作として放置されたわけだ」
「放置……」バレットは唸った。「失敗なら、ソルジャーみてえに強かったのはどういうわけだ？」
「ソルジャーだろうとコピーだろうと、肉体的には同じことだ。体内にジェノバを抱えさせられ、操られやすいかどうかの違いでソルジャーになるか否かが決まる」そこで若い社長は忌々しげな苦笑を閃かせた。「宝条は結局、馬鹿のひとつ覚えのように同じことを繰り返していただけだ」
「その馬鹿のひとつ覚えのために犠牲になったうちのひとりってわけね、あのクラウドは」ティファは軽く笑った。
「……参考までに言うとだな」ルーファウスは別のファイルを取りあげ、ぱらりとめくった。「きみたちが監禁室でゆっくりしているあいだに、コスモキャニオンからいろいろと情報をもらった。こういう事態になっては対立など無意味だと気づいたのだろう。そのうえでタークスが神羅の記録を片っ端から漁ってくれた」彼はちらりと肩越しに窓の外を振り返ったが、一瞬浮かんだしゃれこうべのような笑みはすぐに消える。
　バレットの小声の悪態を満足げに受け止めながら彼は続けた。「クラウド・ストライフ。ニブルヘイム出身。七年前、十四になる年にＳ奨学生として幼年学校に入学、飛び級(スキップ)を重ねて、わずか一年で卒業資格を取得。三十五期生、首席だ」とちらりとティファを窺ってくる。
　彼女はまた軽く息をつくような笑いを洩らした。「それがなに……わたしの幼なじみは、ものすごく喧嘩が強かったわ」
　ルーファウスは、「なるほど」と呟いて、また淡々と続ける。「十六になるまで軍属としてソルジャー第一部隊に配属。これは記録が消されているから推測にすぎないがな。生身のうちからソルジャーどもに徹底的に仕込まれたというわけだ」
「それで？」ティファはむしろ肩透かしを食らったような気分になっていた。ただ優秀で、セフィロスに気に入られていた、そんな簡単な話ってわけ。
「ところが」ルーファウスは肩を竦めた。「クラウド・ストライフという者がソルジャーになったという記録はない」
　ティファはぼんやりと顔をあげた。
「きみたちはだいぶ誤解しているようだが」と、ルーファウスは少し気分を害したような溜息をつく。「いくら神羅でも、未成年にジェノバ細胞を与えたりはせん。肉体年齢を止めてしまうとなればなおさら、成長期の子どもを使うことはまずありえんのだ」ルーファウスはまたファイルに目を落とし、「おそらく五年前、ソルジャー適性検査前後に、なんらかの事故でもあって死亡したと思われる」
　そう。死んでたの。でも、それもいまさらでしょ。
「だったらよ」バレットが混乱したように叫んだ。「オレたちがクラウドって呼んでたやつは、いったい誰なんだ？」
「さあな」ルーファウスはまた肩を竦める。「それを調べたところで意味はなかろう。とにかくそいつは、クラウド・ストライフの記憶を持って、さんざん俺たちをひっかきまわし、隕石(メテオ)を呼んだ」
「メテオ？」バレットがまた叫ぶ。「なんだそりゃ？」
「あの北の洞窟であいつが発動させた魔法だ。古代種の遺産らしいが、おとぎ話と笑ってもいられん。実際、この星を砕くことができるほどの巨大な隕石が迫ってきている」
「なんだって……」
　ティファはヒステリックな笑い声をあげた。「いちいち村を燃やしてまわる手間を省いたってわけね。セフィロスも案外、気が短いんだ」
「ふざけるな！」
　その怒号に、ティファは笑顔のまま、声だけを止めた。「ふざけてないわよ。だってクラウドはもう、いないもの。止められる人、ほかに誰がいるっていうの。笑うしかないじゃない」
「それでも俺たちはまだ生きて、ここにいる」ルーファウスは一語一語、区切るようにきっぱりと言った。「たとえ星が滅びを選んだとしても、それに殉じる義務はない。俺たちは星の付属品ではないんだぞ」
「星がそれを望んだのは……」ティファはぴかぴかに磨かれた床を睨みつけた。「きっと人が望んだからだわ」
「セフィロスが、ストライフがそれを望んだんだ。我々ではない」
「そう？」
　それじゃあ、どうして魔晄炉を造ったの。大勢の人が魔晄エネルギーの正体をわかっていながら、それに頼った暮らしを選んできたのはなぜ。スラムは、差別は、戦争は……人を絶望させるのは、なにも天災だけじゃないでしょ。
　でも、それももう、どうでもいいことだわね。
　ティファはソファに背をもたせかけ、ぐったりと項垂れた。「もういいわ。結局、クラウドがいなくちゃ、どうすればいいか、わたしたちにはわからないんでしょ。彼は粉々になったって、セフィロス言ったじゃない」
「ならば、そのかけらを集めるだけだ」ルーファウスはすぐさま告げる。「古代種の娘が死に、セフィロスの死亡、そして本物のクラウド・ストライフの死亡も確認したいま、残るのは、ジェノバだろうがセフィロスの分身だろうが、とにかくあのストライフだけだ」
「あれはセフィロスよ」
「誰でもいい。星に馬鹿げたことをやめさせられる力のあるものなら、モンスターとだって手を組む」
　その必死な口調に、ティファはもう一度顔をあげた。この人、どうしてこんなに一生懸命になっているのだろう。魔晄エネルギーをこれ以上ないくらい無駄使いしている連中の筆頭だったはずでしょ。星のことなんか、どうでもいいはずなんじゃなかったの。
「誰もがセトラになれるらしいわよ」ティファは無意識にそう言った。「どうして、あなたが星を話をつけようとしないの」
「話が通じる相手なのか？」
「正体がわからないから……怖いの？」
　ルーファウスは眉根を寄せて沈黙した。
　ああ、そうね。怖くないはずはないわ。たぶんこれから先、メテオとかいうものが落ちてすべてを終わりにしてしまうまで、わたしたちは星の一挙一動にびくびくして暮らすんだろう。
　ルーファウスは溜息を重ねた。「クラウド・ストライフは死亡している。ジェノバとの関連も見つからない」彼はまっすぐにティファを見つめた。「だが、おまえたちの前ではクラウド・ストライフとして通し、姿も模倣した。おまえの記憶を写したのではないか？」
「わたしの知らないことも知っていたわよ」ティファは足をぶらつかせた。「例えばセフィロスが古代種だとか、ジェノバのこととか。セフィロスといっしょにミッションをこなしたことなんかも、あれこれ話してくれたわ。あれも誰かの記憶？」
「そのあたりはセフィロスのものだろう」
　ティファは首を振った。セフィロスが知らないはずのことだって知っていたのよ。「ねえ、ジェノバって……想像の人物にもなれるの？」
「どういう意味だ？」
「だって、わたしはクラウドを知らなかったのよ」
　ますますわけがわからない、という顔をするルーファウス。
「わたしの知ってたクラウドは、わたしより背が低くて、伸ばし放題の金髪を後ろで軽く留めてたわ。無愛想で仏頂面ばかりだったけど、とても可愛い男の子だった」
「それで？」
「わたし、二十一歳のクラウドなんて知らないのよ？」
「すまないが、意味がわからん」
「だから……」突然ティファは、ばかばかしくなった。どうしてこんなことを訴えているのだろう。
「つまり……」驚いたことに、ルードがいきなり口をひらいた。「ティファの記憶を写したのならもっと幼いはずだし、セフィロスは十六歳のクラウドしか知らないのでは」
　ルーファウスは唇をひっぱり、わずかに思案した。「では本人か、あれは？」
「うわお」レノがふざけたように目玉をぐるぐるとまわした。「おれたち、本当に知らずにソルジャー科の首席に喧嘩を売ってたのかな、と」
「そんなに大げさに騒ぐことかよ」バレットが毒づく。
「おまえさんはあの科の連中のことを知らねえから、気軽にテロリズムの手伝いなんかさせられたんだな、と」レノが辛辣に返した。
「なんだと？」
「あいつらはな、学生たって学生じゃねえ。読み書きなんかそっちのけで人殺しの技術を身体に覚えさせられるんだぞ、と。カリキュラムといったら、すべて実技とサバイバル。卒業できたなら、ソルジャーの施術を受けてなくたって、魔晄炉のひとつやふたつ、ひとりで爆破できるくらいにはなってるはずだぞ、と」
　ルーファウスはデスクを指でひっかいた。「それでは、死亡したクラウド・ストライフは？」
「証言者の記憶がでたらめだって可能性もあるな、と」
　本物だろうと別人だろうと、ティファの興味はすでに失われていた。結局、あの人はセフィロスになったんだから。わたしのクラウドはもう、どこにもいない。
「まあいい」ルーファウスはまた溜息をついてから、軽く勢いをつけてデスクから離れた。「いずれにしても、おまえたちがアバランチで、神羅の裁量のもと処分される旨、全世界には通達してある。地上波放送はもとより、ネットワーク上のすべてのニュースグループに配信済みだ。それを知ってストライフが出てくるかとも思ったが……無駄だったらしいな。おまえたちがやつの居所に心あたりがない以上、待つ時間も惜しい」そして彼はさっと片手を振った。「明後日には判決をくだす。それまでまた別荘を用意してやるから、そこでくつろいでいてくれ」
「てめえ……」バレットが腰を浮かしかけるが、ルードに押さえこまれたらしい。不完全燃焼の悪態ばかり繰り返し、やがておとなしくなる。
　レノに促がされ、ティファは立ちあがった。明後日なんてわざわざ時間を決めなくたって、いますぐ好きなときに好きなようにすればいいじゃない。
　べつに死にたいわけじゃないけど、死にたくないって喚くほど、わたしの気力は残ってないんだから。
　ただ、ねえクラウド。
　みんなで旅をしたあの日々、楽しかったよね。
　野菜でチョコボをおびき出して、捕まえて、草原を駆けた。
　エアリスが笑っていて。
　ユフィが暴れていて。
　シドやバレットの鼾の合唱、すごかったよね。
　ヴィンセントがモンスターを捕まえてきては、いろいろと調理法を工夫していた。クラウドは味付けなんか二の次だって面倒臭がってたわね。
　レッドはクラウドの背中に甘えるのが好きで、ケット・シーと喧嘩ばかりしてた。
　もう、戻ってこないものばかり。
　だから、ねえクラウド。
　もしできるのなら、あの楽しかった旅のこと、ときどきは思い出してくれる？
　わたしたちが星とひとつになって消えてしまっても、憶えていてくれるかしら。

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