IT HAPPENS ALL THE TIME

　穏やかな日の夕暮れどき、談話室に入ってきたディークの開口一番。「チョコボが行き倒れてたんだけどよ」
　ジャックはテーブルに肘をつき、雑誌をめくりながら応えた。「いつものことだろ。そのうちアレンが回収しに来るから放っとけ」
「いや、おれ、拾ってきちまったんだけど」
　ずざさあ！
　なんだ、いまの潮騒は。
　怪訝に顔をあげると、ボードやクィン、ほか数名のソルジャーたちが壁や窓に張りついて青い顔をしている。
　首をめぐらせると、ディークがクラウドを小わきに抱え、テーブルを挟んでジャックの前に立っていた。金髪のぼさぼさ頭はぐっすり眠っているようで、がっくりと垂れている。
「頼むから」ボードが彼らに指を突きつけ、さらに後ずさりながら叫んだ。「そいつからナイフ取りあげてくれ、拳銃もだ！」
　いっせいにこくこくと頷くソルジャーたち。おまえら、いちおう最精鋭の兵士なんだぞ。なにを恐れてるんだか。
「取りあげろったってよう」ディークがのんびりと応える。「握っちまってるんだが」
　無言の悲鳴が部屋の空気を震わせた。
　だから、何度もしつこいようだが、なんでおまえらが眠ってる子どもをそれほど恐れなきゃならねえんだ？
　また視線を移すと、クラウドは半眼でこちらを見ていた。正確にはジャックの手もとだが、どうやらまだ寝惚けているらしい。
　じーーーーー。その視線から音まで聞こえてくるみたいだった。
「おおい？」ジャックはその顔を覗きこもうとした。
　どか。
　ジャックが読んでいた雑誌に軍用ナイフが突き立てられる。
　悪かった。なんでか知らないが、俺が悪かったよ。彼は椅子の背にすがりつくように避けていた。確かに、こいつはナイフを取りあげてから寝かせなきゃいかん。いまのは、俺がソルジャーじゃなかったら避けてる暇なんかなかったぞ。絶対、手の甲に突き立ってるぞ。流血もんだぞ。
「腹減った……」呟くと、クラウドはまたがっくりと眠りこんだ。その手はテーブルに突き立ったナイフを握ったままだ。
　そりゃな、ひらいていたページにはジュノンの人気一番店のメニュー、ラムチョップの写真がでかでかと載ってたさ。だからって、俺の手までいっしょに食おうとすることはねえだろ。ジャックはそろそろとナイフに手を伸ばし、細い指を慎重に外した。
「でかした、ジャック」ボードが本気で安堵したような声を出し、忍び足で近づいてくる。
「まったく、物騒なもん拾ってくるなよ」クィンがディークに文句を言いながら、眠っている子どもからさりげなく拳銃を取りあげていた。剣にまで手をつけないのは、さすがにそこまで丸腰にできないというところか。「よっしゃ、これでとにかく安全だ」
　無害とわかれば、ソルジャーたちはこのチョコボを構いたがる。まあ、気持ちはわからんでもない。あとで、アレンだとかザックスだとかに蹴り飛ばされるけどな。とはいえ、「玩具じゃねえ」とか言って、結局遊んでるのは御三方だった。
　クラウドが第一部隊(ザ・ファースト)に来てから二か月ほどが過ぎている。最初のミッションもそれなりに経験し、大将に鍛えられ、アレンに見守られ、ザックスに可愛がられして、このチョコボの子どもは順調に……かどうかは知らないが育っている。いまではある程度の波晄も扱えるとあって、こいつで遊ぶのも命がけだった。
　談話室には片隅にタタミとかいうものが敷いてあった。なんだかいう植物を乾燥させて織りこんだもので、ウータイ出身のシュウが持ちこんだのだ。靴を脱がなきゃならないから面倒だが、ザブトンを重ねて寝転ぶと、これが結構気持ちいい。彼らはそこにチョコボを転がした。
　まあ、どうでも遊んでくれてていいんだけどよ、でかい図体で寄り集まるな。鬱陶しい。
「しかし、相変わらずちっこいなあ」腕を組んで見おろしながらボード。
「細いてんだ。もっと食わせろ」と、もうひとりが呟く。
「無防備に寝るよな、こいつ」
「悪戯したくなるんだけどよ」
「リボンで括ろうぜ」
　本人が起きてたら、おまえら無事じゃすまねえぞ。まあ、わかってて、いまのうちに言ってるんだろうがな。
　眠っているクラウドは結構無頓着だ。突つこうが蹴ろうが、目を覚ますまでは平和に寝息を立てる。しかも丈夫とくれば、文句なしに玩具にできるというわけだ。たまーに無意識の暴力を振るわれるけどな。
　あ、さっそく誰か殴られたな。ジャックは穴のあいた雑誌をめくりながら吐息をついた。まったく、これじゃ読めやしねえ。
「うおーい、クラウド、知らね？」ザックスがドアを蹴りあけて入ってくる。
「だからよ、おまえさん、ドアは手であけろ、手で」ジャックは呟いた。
「足のほうが先に動くんだ、仕方ねえだろ。お、いたいた」ザックスはソルジャーたちをかき分け、タタミの上に乗りあがった。
「ザックス」シュウの憮然とした声が低く漂ってくる。「靴を脱げ」
「面倒臭えよ」軽く流すザックス。「起きろ、起きろ、中尉んとこ連れてってやるから、ほれ」
「中尉？」クィンが聞きとがめた。
　この連中のあいだで階級などほとんど意味がない。意識しているのは、せいぜいがセフィロスの大将ぐらいだろう。ときどき、アレンの階級さえ忘れるぐらいだ。
　したがって、名前でなく階級で呼ぶやつといったら外の人間ということだ。ジャックも雑誌から顔をあげた。「学校にでも連れてくのか？」
「いんや」ザックスはクラウドを逆さまに振りながら応えた。「こいつが懐いてるやつがいて、暇があれば夕食ねだりに行きやがる。そこの奥さんがまた美人でよう」
　人妻には手は出さないだろうが、本当にこいつの目はすぐに女を見分けるもんだ。「狭い基地の中で送り迎えもないだろうに、過保護だな」
　ザックスはさらにチョコボ頭を揺すりながら苦笑するように顔をしかめた。「おれもそうは思うんだけどよ、外に出すのを大将がいやがっちまって。こいつ、ひとりじゃ街にも出してもらえないんだぜ。かあいそうに、女の子とつきあうどころじゃねえよな」
　この場合、外というのは第一部隊(ザ・ファースト)以外の部署を含む。
「ちょっと待て」ジャックは思いきり眉を寄せた。「ここに来てからずっと閉じこめられてんのか、そいつ？」
「まあな」無意識の蹴りを顔に受けながらザックスは頷いた。「べつに軟禁してるわけじゃねえけどよ。だいいち、こう、へとへとになるまで痛めつけられてちゃ、なにもできねえしな」
　ジャックは少し考えてから、ぼろぼろの雑誌を放り投げた。「中尉とやらの官舎教えろよ。帰りは単車(バイク)出してやっから」
「ずりーぞ」ボードが叫んだ。「ひとり、チョコボで遊ぶ気か？」
　途端にソルジャーたちが口々に嫉妬まがいの文句を浴びせてくる。「てめえがまっすぐ帰ってくるわきゃねえだろ」
「デイトナ出したら三時間はぶらつくくせに」
「イケナイところ連れてっちゃだめよーん」
「てめーらよりゃましだ！」ジャックはついに反論した。
　ザックスがクラウドの拳を避けてから、きらりんと光る目を向けてくる。「あんま変なこと教えるなよ？」
「健全、健全」
「どうだか」いきなり背後からかかった声に、ジャックもさすがに首を竦めた。
　振り返ると、アレンが腕を組んで立っている。
「いいじゃねーの」ザックスがはたはたと手を振った。「たまにゃあ、クラウドだって息抜きしなきゃな。おれもさ、どっかしら連れてってやりてーんだけどよ。ほら、おれって、ほかにもサービスしなきゃならねえ可愛い子ちゃんたちが大勢いるじゃん」
「おまえは口説く女の数を減らせ。ふられる確率も減るぞ」辛辣に言ってから、アレンは軽く吐息をついてジャックに向きなおった。「ヘルメットは被せとけよ。こいつは生身なんだから」
　いや、生身とかそれ以前に交通法があるんですけど。アレン、あんたもやっぱりソルジャーだよな。
「それから、二〇〇〇までにはこっちに戻せ」
「なんで？」ジャックは眉を寄せた。そんなに短い時間じゃ、ジュノン郊外までも行けねえじゃねえか。
　アレンは横目でじろりと彼を睨んでくる。「こいつの身の安全のためだ。それに明日はミッションだからな」
「あい」
「ミッション……なに？」クラウドがザックスの首を絞めあげながら、ようやく目を覚ましたらしい。
「ジャックがデイトナに乗せてくれるってよ」背負い投げの要領で少年を放り出すザックス。
　ちゃんと足で着地してから、クラウドはまるでチョコボそのものの仕種で大きな青い目をくるりとさせ、ジャックに向けてきた。「ほんとか？」
　ジャックにとってその反応は意外だった。表情が乏しいからよく知らないやつにはわからんだろうが、このきらきらした目は非常な興味を示している。しかし、こいつ、乗物酔いする体質じゃなかったか？　まあ、バイクは別だとか、そういうのもいるしな。
「おまえ、単車(バイク)好きなの？」クィンが懐疑的に訊ねた。
「好きだよ」即座に応えるクラウド。どれほど好きなのか、それ以上説明しないあたりはやっぱりチョコボだよな。
　それから彼は、少し怪訝そうにきょろきょろとあたりを見まわした。「おれ、ナイフとか外した？」
「ここ、ここ」クィンとそのほか一名が慌てて投げた。隠したままだと、それこそ少年の機嫌が悪くなるからだ。
　アレンがなにか言いたげにクィンたちを睨んだが、武装を勝手に外した理由には思いあたることもあったのだろう、なんの説教もせずにすませた。
「とにかく」シュウが急須に湯を注ぎながら呟いた。ウータイの民族衣装でも着ていればさまにもなるのだろうが、官服姿できちんと正座して両手で茶を入れている様子は、とても一騎当千のソルジャーとは思えない。「いいかげんに靴を脱げ、ザックス」
　黒髪のソルジャーは相変わらずタタミの上に堂々と立っていたのだった。

＊＊＊

　マックス・ローウェル中尉は補給大隊に所属する教育管財部の一管理者だった。教育といっても新兵訓練のための補給物資を手配管理する部署で、幼年学校ともソルジャー部隊ともまるきり関係がない。そんなところの士官、しかも相当に年も離れている人間とクラウドが、どうして夕食をねだれるほどの親密さなのかは不思議だ。どうやら、クラウドが放校処分になったとかならなかったとか、まあ、ややこしい事情もあったらしい。
　いずれにしても、幼年学校を出てすぐにソルジャーどもに誘拐されたこのチョコボにとって、この幹部は唯一、世間と繋がるための命綱にもなるだろう。
　そう考えていたジャックだが、官舎から出てきたクラウドを見て、少し認識を訂正したほうがいいかと思った。
　クラウドは官舎ビルから出ると、すぐとデイトナにまとわりついたものだ。年相応に子どもらしく興味津々の目で単車(バイク)を撫でまわす姿は、やはり少年だと思う。しかもメシ食ったばかりで、えらく機嫌がいい。それはいいんだけどよ。
　少年はいま、見慣れた灰色の制服でも野戦服でもなく、ザックスのおさがりのどでかいトレーナーをかぶっていた。袖をまくりあげても指の先がちょこっと見えるぐらいで、サイズがめちゃくちゃ合っていないのだが、まあ、これは仕方がない。けどよ、おまえ、そのピンクとブルーのラメで彩色された髪に、なんでちっちゃなリボン散らしてるんだ？
「すみません、少佐」かたわらで中尉が申しわけなさそうに呟いた。「洗えば落ちると思います。うちの女房もそこまで見境なしじゃないはずですから」
　ようするに、クラウドはこの男の奥さんに玩具にされたらしい。クラウドもよくおとなしくいじられたもんだ。もしかして普段から、あのアンバランスな髪型は彼女の自信作なのだろうか。
「いや、本人、気づいてねえからいいけどよ」ジャックはまた溜息をついた。気づいてたら絶対にデイトナぶっ壊されるぐらい暴れているはずだ。「あんたの奥さんも命知らずだよな」
　まるで女房に逆らうのも命知らずなんだと言わんばかりの中尉を横目に、ジャックは鮮やかなチョコボ頭にヘルメットを嵌めこんだ。いきなり視界を狭まれて、クラウドは一瞬、反撃しそうな素振りを見せたが、すぐにおとなしく留め金を締めはじめる。
　ザックスやボードみたいにむさっくるしい連中を乗せたくなかったので、この単車(バイク)にはタンデムシートなんかつけていない。後ろに乗るクラウドにはくっついててもらうしかねえな。
「なあ、どっか改造してる？」クラウドがジャックの後ろに跨りながら訊ねた。
「ちょこーっとな。ミッションに入っちまうと手をかけてやれねえからよ、あんまいじってねえ」ギアを確かめてキーを捻りながらジャックは応えた。
　中尉が軽く手を振って挨拶したらしい。クラウドもそれに応えようと片手をあげた。
「じゃあ、また隊――」走りはじめにクラウドが声をあげたが、それが途中で切れたのに気づいたジャックは、ブレーキをかけて背後を振り返った。
　チョコボ転がってるよ。「おい……ちゃんと掴まってろよな」
「ジャックが急に走らせるからだ」メットの中にこもった声がむっつりしている表情を想像させた。
　走ってきて跳び箱の要領で跳び坐ると、クラウドはしっかりと車体に両手を突っ張るようにして身体を固定する。少年が細いとはいえ、それでも滑りそうだったので、ジャックは自分の身体にしがみついているように言った。
　どうにかこうにか走りはじめ、ジャックはジュノンの町を大きくまわる海側の道路を選んだ。
　一般部隊の官舎からソルジャー棟までは基地内を歩いていけるのだが、それではデイトナまで出して迎えに来た意味がない。同僚たちの非難はともかく、とりあえず街を見せてやらんとな。あまり時間的余裕がないから本当に見せるだけで終わりそうだが、今度はあらかじめ充分時間を取って遊ばせてやろう。まだ十五歳なんだからよ。少しは外で放し飼いにしておかないとだめだ。いまだって非常識な野生児なのに、この調子で世間ずれしまくったら将来が怖い。
　運搬船の出入りする埠頭をまわっていくと、桟橋近くの突堤でシュウが立っているのが見えた。たぶん瞑想でもしているのだろう。ニンジャでなくとも、ウータイのあの民族のやることにはよくわからないところがある。理解しようとすると生活を根底から変えなきゃならねえ気がするしな。
　見なかったふりをして通りすぎようとしたが、クラウドが目ざとく彼を見つけたらしい。仕方なく停めてやると、チョコボはヘルメットを脱ぎながらシュウの立つ突堤の端へと駆けていった。
「なにやってるんだ？」
　滅多に足音を立てないとはいえ、クラウドが近づいてきたのはわかっているだろうに、シュウは瞑目したまま応えなかった。
　こういうとき、クラウドがなにを感じているのかよくわからない。同じようにじっと動かず、相手の返事を待つことしばし。ウータイ人とチョコボと、根比べのような時間が過ぎて通る。
　ジュノンの港は西向きだった。この突堤からは海と水平線にほとんど隠れた太陽しか見えない。もっとも、この素晴らしく寂しげな風景を楽しんでいるやつはひとりもいないけどな。ジャックは煙草に火を点け、デイトナのわきにしゃがみこんでいたし、シュウは目を瞑っている。クラウドはそのシュウを見あげている。どうでもいいけどよ、ふたりともどうしてそう長時間動かずにいられるんだ。
　やがて、クラウドのほうが口をひらいた。「寒くないか？」
「心頭滅却すれば火もまた涼し、だ」シュウがよくわからん応えを返してくる。
　いや、滅却しなくても、おまえさんはソルジャーで代謝が半端じゃないだろうが。寒暖はあまり感じないんじゃねえのか？
　クラウドは変わらぬ表情で、それでもしばらく言葉の意味を考えたらしい。「涼しいのか？　寒くないの」
　シュウは片目をあけ、金色の頭をようやく見た。ぴくりと眉が跳ねあがったが、こいつもあまり表情は崩さない。そうしながら、じつは内心で可愛いとか考えてるんじゃねえだろうな。
　彼はおもむろに右手をあげ、ぽんぽんとチョコボ頭を二回叩いた。
　そして、それだけだった。
　まだしばらくウータイ人につきあってじっと立っていたクラウドだったが、やがてくるりとジャックに向きなおった。「帰ろ」
　まったくだ。
　埠頭からエルジュノンに入り、砲台の見える海側の道路を少し行ってから商店でひしめく繁華街に入る。基地と違って高さのまちまちな雑居ビルが建ち並ぶそこは、煩雑で常に賑わった界隈だった。兵士たちも大抵はこのあたりで遊ぶことが多い。
　商店街を抜けているとクラウドが叫んだ。「おれ、街に出たの初めてだ」
　ジャックはスピードを落とした。「……まじかよ。おまえ、幼年学校でも休みぐらいあっただろうが」
「休み？」
「……も、いい」
「いっぱい人がいるんだな。みんな、なにやってるんだ？」あたりに首をめぐらせながらクラウドは続けた。喋るところを見ると、興味はそこそこあるらしい。
「そりゃ、買いものとかデートとかよ――だあ!?」
　目の前に人影が滑りこんできたため、ジャックは叫んで急ブレーキをかけた。路上で車体がわずかに滑り、クラウドが彼の背中にぶつかってその反動で転がり落ちたようだ。後続の車が蛇行しつつ、まるで悲鳴のような音を立ててタイヤを路面にこすらせ、通りすぎていく。
「てめえ！　走ってるバイクの前に飛び出すなよ！」ジャックはクィンに怒鳴りつけた。
「いやあ、ぶらついてたら見知った顔がいたもんでさ。つい」クィンはにやにやしながら片手を振っている。
「なにがついだ、なにが。どうせ、このあたりで張ってたんだろうが」
「そりゃ、ジャックとふたりきりでデートなんて、危なくて危なくて」
「てめえ、そこにいろ。轢いてやる」
　これみよがしにアクセルを吹かしてみせると、クィンはヘッドライトに片足をかけて突っ張った。「ところでチョコボ、転がってるぜ」
「あ……」忘れてた。肩越しに振り返ると、クラウドはちょうど立ちあがるところだった。
「デートって、なに」振り落とした文句か泣き言でもいうかと思えばこれだ。少しは痛えとか思わないのか、こいつは。「ザックスがしょっちゅう言うんだけど、特定の日付のことだろ？　なんの作戦があるの」
「おまえ……そりゃ、書類上の意味でだなあ――」ジャックが溜息まじりに言うと、クィンが肩を竦める。「普段の特別な行動ってことさ。可愛い子ちゃんとの時間を作るん(メイク・タイム)だ」
「時間を作れってセフィロスがよく言うけど、それ？」
　ジャックはデイトナのタンクに倒れこんだ。なにが悲しくて、そんなところで大将の名前を聞かなきゃならん。
　クィンもしばらく呆れていたが、ぱちんと指を鳴らして気を取りなおしたらしい。「おし、適当なのひっかけようぜ。実地で教えてやるわ」
「やめとけって」ジャックは慌てて少年の腕を引き、後ろに乗せた。「こんなのを見本にするんじゃないぞ、クラウド」
「俺はまじめに教育してやろうと」
　クィンを無視してジャックはバイクを発進させた。
　ところが、あいつもしつこい。「独り占めすんなよ！」としばらく走っても、相変わらず近くから声がする。
　ったく、こんな街なかでソルジャーの脚力見せんなよ。「クラウド、なんか投げるもん持ってねえ？」
「ぶつければいいのか？」
　そのとおり。頷くと、さっそく実行するクラウド。こういうところは鋭くて便利なんだけどな。そのうえ、射撃にしろ投擲にしろ、こいつの命中率はめちゃくちゃ高い。
　クィンの短い悲鳴と、ガードレールだか電信柱だかにぶつかったような音が背後で起こった。バイクと同じ速度で走っていたところをすっ転べば、そのくらいの事故にはなるだろう。まあいい、器物破損で罰金取られるのはあいつだ。
「で、なに投げたんだよ？」
「メット」
　一瞬、アレンの顔が脳裡をよぎったが、投げちまったものは仕方がねえよな。もう、転がってくれるなよ。
　ぽつぽつと街灯が点り出したアーケードを抜けるうち、ジャックの目に本屋の看板が飛びこんできた。ああ、そういや、あの雑誌、結局、半分も目を通してねえんだっけ。オフロードの隠しスポットの特集だったんだがなあ。
　道路わきにデイトナを停め、ジャックは少年を振り返った。まず目に入るのはリボンの散ったつむじだ。やばい。傍から見れば、俺、少女誘拐犯に見えるんじゃねえか？　メットを投げさせたのを初めて後悔した彼だった。
　ジャックはエンジンを止め、キーを抜き取ってバイクから降りた。へたに動かせる状態にしておくと、このチョコボ、絶対にハンドルを握るに違いないからだ。「ちっと雑誌買ってくっからよ。おとなしく待ってろよ」
　おとなしくに強調をこめたのは言うまでもない。ジャックに続いて降りようとしていた少年を、そのまま坐ってるよう重ねて注意し、彼はもうひとことつけ加えた。「いいか、知らないおっさんについていくなよ」
「子ども扱いするな」むくれるクラウド。
　だよな。わかってるんだけどよ、どうしてもおまえ相手だとそういうこと言っちまうんだよ。
「雑誌って、なんの？」
「おまえが穴だらけにしたやつ」
　首を傾げるチョコボを放って、ジャックは菓子屋のわきから雑居ビルに入っていった。ここの三階に、結構古いものでも置いてある本屋があるのだ。
　探し当てるのに少し手間取ったが、目的のものを買って戻ってみるとチョコボがいない。
「おい……」呆れ果てたあと、すぐに脳裡を駆け抜けたのはアレンとザックスの怒り狂った姿だ。あいつら過保護だからなあ……チョコボが一瞬でも迷子になったなんて言ったら、火炎(ファイガ)とソファを投げつけてくるに決まっている。
　あたりを見まわしてみても、それらしい少年の姿はなかった。ああ、いまは官服じゃなくてトレーナー着てるんだっけ。ほっそい手足にぶかぶかの……。そこでジャックは本格的に青ざめた。そのうえ、あのリボンつきの金色の頭。絶対女の子にしか見えねえあれがひとりでうろうろしてたら、ザックスじゃなくても声かけてくるやつがいるんじゃ……。
　ジャックは悲鳴を呑みこんであちこち走りまわった。頭の中は、「やばい」というあせりだけが駆けめぐって、まともに働かない。
　それにしても、ミッションの前だけあって遊びまわっているソルジャーの多いこと。近くの街路をめぐって数組のアベックを引き剥がしまわっていると、何組めかにザックスとそのお相手にぶつかったものだった。
「なにやってんだ、おまえ？」粋に革ジャンなんかひっかけ、いつものぼさぼさ髪を束ねているものだから、ジャックはそう言われるまでザックスだとは気づかなかったものだ。
「げっ」ジャックはすぐさままわれ右をしたが、ザックスはその襟首をがっしりと掴まえてくれる。
「おまえ、いま、クラウドといっしょにいるはずだよな？」
「うおっ……」背後から首をかためられてジャックは叫んだ。「すまん、すまんって、目を離した隙に――」
「目を離した？」ますます険悪になるザックスの声。
「ねえ、ザックス」くるくる巻き毛の可愛い女の子が口を挟んだ。見覚えがないから、昨日今日、ひっかけでもしたのだろう。「この人、お友達？」
「そうそう、お友達」にっこり応えてから、ザックスはジャックを少し離れたところまで引きずっていった。「あいつから目を離したって、なんで」
「だからよ、俺だって買いものってもんがあって……」
「で、あいつをひとり、外にほったらかしにしたんか？」
「あいつが本に興味持つとは思えなかったしよう」
「おまえの買うのは本じゃねえだろうが。どうせ、バイク雑誌とか旅行誌とかだろ」
　悪かったな。てめえだって文字なんか読んだことねえだろうが。
「なんで、あいつをひとりにしとくんだ」ザックスの声はだんだん大きくなってきた。「あいつがどれだけ可愛いかわかってんだろ」
「あれだけ腕っぷしがありゃ、心配することなんか――」
「ねえ！」無視されていた彼女が割りこんできた。「可愛いって誰のことよ？」
「ちょこーっと待っててくれよ、な？」ザックスが宥めるように言って、また少し離れる。「どこで目え離した？」
「バイクに坐らせといただけだって」ジャックは揺すぶられながらも必死に指を突き出した。「あそこのビルの前で……」
　視線をめぐらせると、デイトナが停めてある正面のビル、その一階の菓子屋からとことこと出てくるクラウドがいた。その手には箱のようなものを持っているらしい。
　ジャックはザックスに胸ぐらを掴まれたまま、リボンつきのチョコボがデイトナの上にぴょこりと腰かけるのをぼんやり見つめた。「……ええと？」
「な……」ザックスは手から力を抜いた。「なんつー格好してるんだ、あいつ！」そしてぎろりとジャックを睨んでくる。
　彼はまばたきした。「あ？」
「いったいあいつをどこに連れてってんだ、てめえ！」再び胸ぐらを掴まれ、激しく揺すぶられる。
「え？」いや、どこも連れてく暇なんかなかったんだけど。眩暈さえ起こしそうになりながら、彼はようやくザックスの懸念に思い当たった。どこか変なクラブに連れていったとでも勘違いしてるんじゃねえだろうな。「ちょ、ちょっと待て、色塗ったのもリボンかけたのも、俺じゃねえよ！」
「じゃあ、いったい誰だよ？　あのまじめな中尉が、んなことするわけねえだろ」
　その中尉の女房だと言う前に、彼は腹に膝蹴りを食らった。ちくしょうめ、クラウドの手の早さはこいつ譲りじゃねえのか。
　咳きこんでいるあいだに、ザックスはまっすぐクラウドのほうへ駆けていった。道路に車が走っているとか、ガードレールがあるとかいうのは、このさい関係ないらしい。ジャックも自分たちのその行動が交通麻痺の原因になることに思い当たったのは、道路の真ん中に出てからだった。もっとも、置いてきぼりにされた彼女は、さすがに横断歩道をまわってきたようだ。
「あれ、ザックス」デイトナに坐ったまま、膝の上に菓子箱を置いて足をぶらぶらさせている暢気なクラウド。
「おまえ、どこに行ってたんだ？」ザックスは両手を腰に当てて剣呑に訊ねた。
　クラウドはまっすぐに菓子屋を指さす。「店じまいだから売れ残りのケーキをくれるって言われたんだ」それから彼は振り返ってジャックを見た。「遅かったな」
　彼は脱力してしゃがみこんだ。「おまえなあ……」
「ちょっと！」やっと追いついてきた彼女が息を切らしながらザックスに怒鳴りつけた。「この子、誰よ、あたしとのデートをほっぽってまで心配するような関係なわけ？」
　今度はザックスが狼狽するほうだった。「違う違う、こいつはそんなんじゃないって」
「ザックス、この人、前にいっしょにいた人か？」クラウドが興味深そうに彼女を見つめる。
　ザックスが青ざめ、彼女が真っ赤になった。
「最低！」張り手ひとつ。彼女は駆け出していった。おお、あの速さ、ソルジャーでも追いつけるかどうか。
「待ってくれ、誤解だ！」ザックスも去っていった。
　人混みに紛れていく修羅場の男女を、ジャックはクラウドといっしょに見送ったものだ。すまん、邪魔するつもりはなかったんだ。ほんとだぜ。ジャックは心の中で手を合わせた。
　それから、ちらりとリボンをかけた少年を見おろす。「おまえ、知らないおっさんについていくなって言っただろ？」
「おばさんだったぞ」
　ああ、そうかい。エプロンかけたおばさんにナンパされるチョコボの図。想像しやすいな。「おまえ、ケーキなんか好物だったか？」
「いや。でも、甘いものはシュウが好きだ。一度、苦いお茶といっしょにつきあわされた」
　埠頭でひとり、ぼうっと立っていたソルジャーの姿を思い浮かべる。やっぱり、あいつはよくわからねえ。
　チョコボはきょろきょろとあたりを見まわした。「なあ、いま何時だ？」
　ジャックは手首を見おろす。「二〇……」自然と声が途切れた。
　クラウドも青ざめている。「二〇〇〇越えてる？」
「三分ほど」
　ジャックはアレンに怒鳴られるぐらいにしか考えていなかったが、クラウドのほうはなぜか非常にあせっている様子だ。
「すぐ帰る、早く！」と珍しく声を荒げた。
　急かされるままにエンジンをかけ、発進させながらジャックは眉を寄せた。「明日ミッションだからってだけだろ？　そう慌てなくても」
「慌てるよ！　セフィロスとひと晩、つきあわなきゃならないのに！」
　交差点の真ん中でデイトナが横滑りした。頼むから、曲がろうってときに爆弾発言するな。なんとか転倒を防ぎ、ジャックは加速した。信号の色が変わっていたように見えたのは、たぶん気のせいだろう。背後で連続してなにかがぶつかる音も、幻聴だ、幻聴。
　基地に飛びこんで敷地内にもかかわらずデイトナを転がして官舎に着くと、クラウドは完全に停まるのも待たずに跳び降りた。
　ジャックは彼が残していった菓子箱と雑誌を抱えながらあとを追う。
「おい、待てよ！」五階にあるクラウドの部屋へ続く廊下に転がりこみながらジャックは叫んだ。曲がり口でディークと鉢合わせし、ちょうどいいとばかりに荷物を押しつける。
「ああ、街はどうだった――」
　ディークの挨拶を無視し、ジャックは金髪のトレーナー姿を追った。「待てって、ひと晩大将につきあうって、どういう意味だよ？」
　しまった、大声で言うことじゃなかった。
　背後で、ディークがかたまってケーキを落とすのが目に見えるようだった。ついでにぱたぱたとドアが開け閉めされる音が続く。部屋にいたやつら、全員聞いたな、こりゃ。
　自分の部屋で、クラウドはすでに野戦服に着替えていた。「どうせ輸送機(ゲルニカ)じゃ、おれ、寝るしかないだろ？　だから……ああ、すごい遅刻だ。絶対、あいつ怒ってる。本気で殺しに来る！」
「いや、そこまでやるか？」
「もう、今晩寝かせてもらえないよ！」
　再びの爆弾発言を叫びながら飛び出していくチョコボ。ジャックは追おうとして、少年の脱ぎ散らかしたトレーナーに足をすくわれ、転倒した。
「ちょっと待て」とひらきっ放しのドアにすがりつきながら彼は叫んだ。「おまえ、その格好で行く気か！」
　完全武装した少年の頭にはまだ赤いリボンが閃いていたのだった。

＊＊＊

　エンジン音のうるさい輸送機(ゲルニカ)のなか、相変わらず眠るチョコボ。結局、シャワーさえ使わせてもらえなかったのか、剥がれかけた整髪料がまだらになってその金髪に貼りつき、まだひとつかふたつリボンが残っていた。
　そして相変わらず少年をかこんで、でかい図体で寄り集まっているソルジャーども。
「ぐっすりだな」
「よっぽど、昨夜(ゆうべ)はやられたんだな」
「少しは手加減してやりゃあいいのに」
　シュウがその輪に加わり、手に持っていた紙袋を逆さにして振った。サクラとかランとかを象った髪飾りがどさどさと床にばらまかれる。あいつ、あの帰りにどっさりアクセサリーを買ってきたに違いない。小難しいことを考えているような顔で、なにを想像していたんだか。ソルジャーたちはこぞって金髪に突き刺そうと競いはじめた。
　あんまりうるさくしたものだから、またナイフでも振りまわされたのだろう。悲鳴と怒号があがり、やがて静かになる。
　そしてまたやんやと構い出すのだ。いくら物騒なものを振りまわされ、どれほど肝を冷やそうとも懲りない連中だった。
　ジャックは、結局ふられて不貞腐れているザックスのわきを通りすぎ、コックピットのほうへとのろのろ足を運んだ。
　と、士官用のキャビンからアレンが出てくる。
「ちょうどよかった。これを渡しておく」と一枚の書類を突きつけてきた。「信号無視とノーヘルは握りつぶしておいた。スピード違反の罰金だけ払え」
　ジャックは疲労感に襲われた。「お手数かけまして」
「面白かったと」
「……は？」ジャックは顔をあげ、司令副官を見あげた。
「セフィロスがな。今度は紫にでも染めてみろと言っていた」
　……わからねえ。
　同僚たちもよくわからねえのが多いが、大将がいちばんわからねえ。
　やがて後ろのほうから、銃声がふたつほど聞こえてきた。
　いいかげん、眠ってるチョコボに手を出すなってんだ。
　まあ、そうは言っても、やめられないんだろうがな。

THE END.

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