IT HAPPENS ALL THE TIME

　寝入りばなに起こされることほど不愉快なものはない。
　それは大抵の場合、誰かにふられたザックスの雄叫びだったり、ウータイの宗教かなにか知らないが、いきなり腹の底から奇声を発するシュウの日課だったり、今日も大将から一本も取れず不機嫌なクラウドに、間違って誰かがちょっかいを出し、ぶっ飛ばされる音だったり、まあさまざまだ。
　ところが、今夜は少し違った。
（チョッコボ、チョチョコボ、チョッコッボー）
　ジャックはさすがに半眼でむくりと起きあがった。
　神羅第一放送、明日のお天気で黄色い鳥が出てくるときにいっしょに流れてくるテーマソングを、それはそれは低く、誰かが口ずさんでいるのだ。
　ジャックは部屋を横断し、ドアをあけた。ちょうどそこを通りがかっていたのはディークだ。
「まるで大将が地の底から這い出てくるような調子で歌ってたのはおまえか」ジャックは不機嫌に訊ねた。
「風邪をひいたんだ」片手に錠剤のアルミパックをちらりと見せ、ディークは応える。
「嘘をつくな」ソルジャーが風邪なんぞひくか、阿呆。
　ディークは親指で斜め前の部屋を指し示す。「クラウドだって、たまには熱を出す」
「ありえねえよ」思わずきっぱりとジャックは言いきってしまった。
　ディークはしばらく眠そうな目をジャックに当てていた。「いま、百度あるらしいぞ」

　華氏温度です。摂氏では三十八度。

　ジャックは自分の頬をひっぱたいて眠気を追い払い、さらにこめかみをこする。「なんだ、ほんとの話か？」
「おれはふざけていないぞ」
　じゃあ、あの歌はなんだ。俺の幻聴か？
「おい」と、クラウドの部屋からザックスが身を乗り出していた。「薬取りに行くのに、どんだけ時間かけてんだ。さっさと持ってこい」
「夜中だからよ、ゆっくり静かに歩いてたんだ」
　だから、あの歌はなんなんだよ？
　クラウドの部屋は薄暗くしてあり、靴もシャツもズボンも、そこかしこに脱ぎ散らかされていた。少年が片づけなかったのではなく、おそらくは強制的に着替えさせられたせいだろう。そうと推測したのは、散らかしかたがザックスの部屋そのものだったからだ。
　ベッドの上では、ザックスに片手で押さえつけられ、息切れしながら文句を吐いているチョコボがいる。「ひと晩寝れば治る。おれ、薬なんか飲みたくない」
「いいから、おとなしく飲め」ベッドからずり落ちかけるのを、サボテンダー柄のパジャマをひっぱってもとに戻しながらザックスが言い聞かせる。「とにかく、熱下げなきゃな。ディーク、まだか？」
　ディークは用法が書いてあるのだろう紙を広げていた。「待てよ、いま用量を確認してるんだ」
「一錠でもいいからよこせって」強引に薬を奪い取ると、ザックスは手早くアルミパックを引き剥がし、チョコボに突きつける。「ほれ」
　きゅっと唇を引き締めて、意地でも口をあけるもんかとクラウド。
　ジャックは横から手を出し、その鼻を摘まんだ。押さえつけるのと薬を持っているのとで、ザックスにそこまで余裕がなかったからだ。
　抗議の唸り声をあげながら、それでもクラウドは口をあけようとしない。さすがはあの大将にいじめられつづけてるだけあって我慢強いこと。だが、結局は息をせざるを得ないだろう。
　やはりこらえきれず、一瞬呼吸をした隙に、ザックスは少年の口へ薬をねじこんだ。やれやれ、本物のチョコボだってこれほど手はかからないぞ。
「ちくしょう」お返しの一発がザックスの顎に炸裂したものの、クラウドは息を止めていたため余計にふらふらになったらしい。少年はばたりと枕に沈みこんだ。
「なんで、そんなに薬飲むのいやがるかね」ジャックは泣きそうなぐらい顔をしかめているクラウドを見て笑った。「毒じゃあるまいし」
「効きすぎるんだとよ」ザックスはベッドからおり、毛布をぞんざいに直しながら呟く。それから、ぐしゃりと乱暴に金髪をかきまわした。「おーお、ほんとにもう、おねんねしちまってるよ。可愛いねえ」
「ザックス、用量が違うんだけど」ディークがぼそりと呟く。
「なんだ、足りねえか？」ザックスが振り返った。
「十五歳以下、半錠」
　一瞬、沈黙の薄暗い部屋を、チョコボがとっとっとと駆けていったような気がした。
「……以下？」ジャックは眉を寄せる。「以下ってなんだ、普通、未満で表示されてねえか？」
「……ちょっと待て」ザックスが、青いというよりも、どす黒い顔色になって訊く。「どこでもらってきた、この薬」
「科学部門、ジュノン支部」
　ジャックは思わず叫んだ。「ほんとに風邪薬なんだろうな!?」
「ってえか、なんでそんなところでもらってくる？」ザックスの声は震えている。
「たまたま、医者らしいのが通りかかったもんだから、症状言って出してもらったんだ」ディークはひらひらと紙切れを振る。「ソルジャーでも熱を出す例があるんだとかなんとか」
「まさか、ソルジャー用の解熱剤……？」それも神羅科学部門お手製……てえか、なんでそんなものを作るんだ、科学部門？
「ど……」ザックスがますます青くなって喘いだ。「どうするんだよ、おれ、んなわけのわからねえの飲ませちまったじゃねえか！」
「いちおう、睡眠剤が入ってるそうだが」
「ソルジャーの身体に効く、強力このうえない睡眠薬ってわけだな」ジャックは弱々しく笑った。「それも倍量」
「てめえ、冷静に事態を分析してんじゃねえ！」叫びながら、ザックスはぐっすり寝入っているクラウドを揺さぶった。「起きろ、クラウド！　頼む、目をあけてくれ！」

＊＊＊

「クラウドが休む？」アレンが心底驚いた顔で振り返った。
　その反応は予想できた。これまで怪我はしょっちゅうでも、病気知らず、絶対腹壊しそうなモンスターを平気で食ってきたチョコボのこと、病欠なんて天変地異の前触れどころか、そのものと見なされよう。
「風邪だそうで」ジャックはなるべく上官と目を合わせないよう、さりげなく周囲を見まわした。
　その視界の隅で、セフィロスが火を点けかけた煙草とライターを持ってこちらを睨みつけているのがわかる。いや、だからよ。俺のせいじゃねえんですってば。
「あのチョコボなら、少なくとも自分で連絡を入れてきそうなものだがな」アレンが怪訝そうに呟いた。
　ぎくりと、ジャックの背中が凍る。「あー、ザックスが薬飲ませて寝かしつけてたから、その……」
「子どもじゃあるまいし、そこまで世話を見ているのか、あいつは？」
　そうだよな。クラウド自身、ひと晩寝りゃあ治るとわめいてたのに、無理やりあいつが例の薬を突っこんだんだ。あいつのお節介がいちばん悪い。なのに、なんでここにいねえんだよ、馬鹿野郎。ここで怪しげなものを飲ませちまったなんてばれたら、いったい俺はどうなるんだ。
　ザックスめ、この斜め後ろから突き刺さってくるレーザー並みの大将の視線から逃げたな。
「セフィロス」アレンが咎めるような目で大将に向きなおる。「熱があるなら仕方がないだろう。ふらふらの子どもを、どうやって訓練させるというんだ」
「ふん」くるりと窓へ椅子をまわし、煙を吐くセフィロス。
　ああ、今日はもう、この執務室にはぜってえ近寄らねえぞ、俺。見まわせば、不運にもこの部屋にいたソルジャーがふたり、身を縮めるようにして端末の陰に隠れていた。
　ジャック自身も背中を丸め、そそくさと出ていくことにした。アレンが疑問のありそうな目で見送っているのは充分承知している。頼むぜ、クラウド、今日じゅうに目を覚ましてくれ。でないと、第一部隊(ザ・ファースト)は全滅だ。
　談話室に飛びこみ、とりあえずほっと胸を撫でおろす。
　それもつかのま、ジャックは途端にソルジャーたちに取りかこまれた。
「チョコボ熱出したって？」クィンが真っ先に飛びついてくる。
　ボードも興味津々の顔だった。「まじかよ？　ふつー、馬鹿は風邪ひかねえって言うじゃねえか」
「そりゃ、おまえだ」
「見舞い行こうぜ、見舞い」
「あほう、風邪ぐらいで押しかけんなよ」
「おめえらが雁首並べちゃ、チョコボの風邪もこじれるだけだって」
「ジャック」シュウがのそりと出てきた。無言で突き出してきたのは、のっぺらで大きな酒瓶。なかには琥珀とも赤茶ともつかない色の液体が入っており、正体のわからない形の黒っぽいものが浮いていた。
　ジャックは眉を寄せた。「なんだよ、これは？」
「イモリの焼酎漬け。風邪によく効く」
「てめえが飲め！」ジャックはウータイ人を蹴り倒した。
　さらにその背中を踏みつけ、彼はあたりを見まわす。「ディークはどこだ、どこに逃げた？」
「あいつなら、少し前に出てったぜ」
「なにから逃げたって？」
「なんでもねえ！」ジャックはソルジャーたちをかき分け、廊下に脱出しようと試みる。「とにかく、俺は今日、訓練だ、訓練。ソルジャー棟から消えるからよ、よろしく！」
　ソルジャーたちの魔晄の眼が、なにかあると確信したように光るのが見えた。やばい、やばいよ。俺、藪を突つきまわってるような気がする。
　訓練施設に行くと見せかけ、官舎に帰ってクラウドの部屋に飛びこむと、すでにザックスとディークが顔をそろえていた。
「クラウドは？」ジャックはちらりと窓ぎわのベッドのあるほうへ視線を投げた。毛布からはみ出しているのは金髪とサボテンダーのパジャマ。ああ、やっぱりまだお目覚めでない。
「ディークと相談してたんだけどよ」ザックスが声を低めて囁いた。「とにかく、誰にもこいつを見せねえようにしねえとな」
　ジャックは大きく頷いた。
「どうせあいつら、見舞いとか言って押しかけてくるに決まってる」ディークが呟く。
　ジャックは二度頷いた。「で？」
「空城作戦だ」ザックスは拳を握って気合いを入れる。
　なんだか話が変な方向に転がりかけているのは俺の気のせいか？　「なにをするつもりなんだ？」
「まず、クラウドを隠す」ザックスは言いながら大股にベッドに近づき、毛布で少年をぐるぐる巻きにしはじめた。「おれの部屋に移して静かにさせとくんだ。そんで、連中がこの部屋に来たら、医者行ってるとかなんとかごまかしつつ」
「ごまかしつつ？」なんだか、せこいな。
「ばれそうになったら口を塞ぐ」
「あ？」
「なあに、おれとおまえとディークと、三人がかりなら誰が相手でもなんとかなるさ」ザックスはクラウドを肩に担ぎながら、自棄になったような物騒な笑みを浮かべる。
「大将が来たらどうするんだ」ジャックはぼんやりと呟いた。
「……来るのか？」ディークが囁くように低く訊ねてくる。
「いや、わかんねえけどさ。相当、不機嫌だったし」
　ふたりはげっそりと顔を見あわせた。「おれら、明日まで命あるかな」
　とにかく肝心のチョコボをザックスの部屋に移そうと、三人はそろりと廊下に忍び出る。
　が、ジャックはその首を誰かに絞めあげられた。
「なーにを隠してるのかなあ？」目の前でボードがにやりと笑っている。その横にクィンが立っているところを見ると、俺を絞めあげてるのはシュウだろう。
「その荷物、なんだ、ザックス？」クィンが指を突き出した。
　一瞬、ジャックとザックスディークのあいだで交わされる視線の合図。
　ザックスがクィンを蹴り飛ばし、ディークがボードに足払いをかける。ジャックは跳ねあがり、シュウの顎に頭突きを入れながら背後の壁に叩きつけた。
　包囲が解けた隙を突いて彼らは駆け出した。
「……の野郎！」ボードの怒鳴り声が彼らの背中に叩きつけられる。
　魔法の気配にジャックも対抗した。「防御(マバリア)！」
　炎が至近距離で膨れあがり、ジャックの張った壁に激突して消える。
「んなところで魔法合戦するんじゃねえよ！」ザックスがエレベーターに転がりこみながら叫んだ。
　続いてジャックとティークが滑りこむと、そのすぐあとをシュウの片腕がドアを押さえる。ディークが剣を抜いてその隙間に刃を走らせた。シュウの腕はさっと消える。
　ドアが閉じ、下へと動き出すエレベーター。すぐ一階に着いた。
「ジャック、デイトナ出せ！」ザックスは叫びながらロビーに転がり出ていく。
　外に飛び出すまぎわ、追手どもがすがってきた。
　シュウにタックルをかまされ、ザックスがよろめく。転倒する前にクラウドをジャックに向けて放り投げ、チョコボの安全を確保したのは褒めてやろう。
　ジャックはさらにディークに荷物を投げ渡し、クィンの顔面に肘鉄を打ちこんだ。
　再びディークからジャックへとチョコボが投げ返される。彼はそれをしっかり肩に担ぎ、ほかのふたりが追手を遮っているあいだに車庫へと駆けこんだ。
　カバーを引きちぎらんばかりに剥がし、後部に荷物をおろすと、差しっぱなしにしてあるキーを捻る。ちくしょう、こういうときに限って、なかなかエンジンがかからねえ。ああ、メットはクラウドが投げちまったんだっけ。しゃあねえ、いまは交通課より、ソルジャーたちに追われるほうが厄介だ。
　エンジンがかかるとギアを入れ、アクセルを思いきり捻って急発進する。車庫のドアを半分蹴り倒しながら、ジャックは基地の外へ向けて回頭した。
　と、シュウがバットのように酒瓶を振りまわしてくる。てめえ、なんで、んなもん、いつまでも持ってやがるんだ？
　それは首が折れそうなほどまともに顔面に入ったが、ジャックはこらえた。折れた鼻がごそごそともとに戻る不快感をこらえ、後ろの荷物が転がっていないことを手で確認しながら、彼は基地の門を突破する。
　門衛についていた警備兵が驚いた顔で見送ってきた。官服からソルジャーと知って発砲はしなかったものの、ライフルを構えていたのはさすがに兵士と言うべきか。すぐと、ザックスとディークが追いついてきた。
　ディークが身軽さを生かしてデイトナの後ろに乗りあがった。彼がクラウドを押さえながら落ち着くのを待って、ジャックは運転に集中した。
　ザックスが叫んだ。「海だ、海のほうへ行け！」
「なんで！」
「街んなかで暴れられるか！」
　ってことは、まだ追ってきてるんだな、あいつら。ジャックは街路を急角度に曲がった。
　正面に野菜をいっぱい積んだトラック。悲鳴をこらえ、ジャックは滑りかけるハンドルを必死に締めて路肩とそのあいだをすり抜けた。ディークの足がガードレールに当たったようだが、たいしたことはないだろう。
　バックミラーでは野菜をなだれ落としているトラックが蛇行しつつ、クィンやボードのほうへ突っこんでいくのが見えた。シュウが無表情にそれを避け、大根を拾いあげながら駆けてくる。
　海まではまだ距離がある。
　と、ザックスが剣を抜き、コンクリート道路を削るように突き立てて止まった。
　振り返ると同時に、彼は大剣(バスターソード)を薙ぐ。
「おいこら！」走りながらジャックは肩越しに叫んだ。
　しかし、大抵の場合、ザックスの攻撃は途中では止まらない。どでかい波晄を撃ち出す彼の姿をジャックはバックミラーで眺めつつ、巻きこまれる商店やビルに同情をおぼえた。
　シュウがザックスの攻撃を跳び避けて大根と酒瓶で応酬するところを最後に、ジャックは大通りへと飛び出す。
　乗用車が一台、急ブレーキをかけたらしい。それにつれてバイクが数台、転倒していた。中には街灯に突進したものもあったようだ。こんな事故を大量生産して、俺、いったいなにやってるんだろうな。
　どうにか方向転換を終えて走り出すと、「そこまで！」とクィンが横路地から飛び出してくる。
　彼は正面から駆けあがるように車体に乗ってくると、ヘッドライトとハンドルに足をかけてバランスを取りながらジャックの首を絞めあげてきた。「停めろや。でなきゃ、その荷物の中身、拝ませてもらうぜ！」
　くそ、前が見えねえ。
　ディークがおそらくクラウドの体勢を安定させようとしているのだろう、身動きする気配がしばらく続いた。と思うと、ジャックの肩越しにクィンの手を捕まえる。
　と、クィンはジャックから手を放し、掴まれた腕のまま、彼の肩を踏み台にしてディークに蹴りを食らわした。
　視界を塞いでいたクィンの姿がなくなったことで、ジャックの目に正面に立ちふさがる屋台のパラソルが映る。ちくしょう、いつのまに歩道に乗りあげてたんだ？
　パラソルを撥ね飛ばし、広げられていたカフェのテーブルや椅子を蹴散らかして、ジャックは車道に戻った。
　どうも車体が軽くなったと思ったら、クィンもディークも遥か後方に落ちている。クラウドは無事だった。毛布の端がシートの下部についている金具にしっかり結びつけられている。ディークがそうしていったのだろう。
　ちょっとやそっと飛ばしたところで落ちる心配はないが、ところで俺は、どこまで走ればいいんだ？
「そこのバイク！」サイレンを鳴らしながら一台の青い車が追ってきていた。後方から拡声器で怒鳴ってくる巡邏隊(パトロール)。やっぱり出てきたか、交通課。「交通法規を無視しまくっている、おまえだ！」
　わかってます、わかってますとも。でもよ、なんとなく停まれねえんだよな。ここで捕まったが最後、アレンにはしっかりばれちまう。
「なに……」スピーカーの声が途切れ、なにやら相談しているらしい沈黙。俺の官服から身許を推測したな。あーあ、連絡行かなきゃいいけど。
「停まりなさい！」わずかに丁寧になった口調で再び叫んでくるパトロール員。「神羅の模範となるべきソルジャーがそのような違反行為を――なんだ!?」
　バックミラーでザックスがパトカーを蹴りつけているのが見えた。おいおいおいおいおい。
　ついでにシュウまでもが、いまだに大根と酒瓶を持ったままザックスの加勢をしている。いったいなにやってるんだ、おまえら。興奮しすぎてなにか見失っていないか？
　と、進行方向横手の小さなビルの屋上から跳びおりてくる人影ひとつ。浮遊(レビテト)をかけつつ車道におり立った彼は、両手を広げてデイトナを待ちかまえていた。どこをどう通ってきたんだ、ボード！
　ジャックは車体を傾げ、ほとんど転倒するように方向を変えると、中央分離帯を越えて反対車線に入り、そのまま突っ切って細い路地に入った。まったく、つきあってられるかってんだ。
　ごみバケツを撥ね飛ばしながら駆け抜けていくジャックの耳に、さまざまな急ブレーキの音や悲鳴、パトカーのサイレンと、なにやらがなっているパトロール員の声が聞こえてくる。
　ほんとに俺は、なにをやっているんだ？
「チョコボ、見っけ！」とボードが叫びながら横に並んできた。
「しつこい！」ジャックは怒鳴りつけ、足を横に投げた。しかし、それは空振りに終わる。
　待てよ、チョコボって、見えてんのか？　どうにかハンドルを固定しつつ肩越しに振り返ると、ばたばたとはためく毛布のあいだから鮮やかな金髪が覗いている。
　まじに俺、誘拐犯に見えるぞ、これは！
　ボードがシートに手をかけ、デイトナを無理やり停めようとひっぱった。ジャックの蹴りが飛ぶたびにその手は外れるが、ボードもしつこく食いさがるものだ。
　今度はジャックの上着が後ろからひっぱられた。同時にボードが悲鳴をあげてすっ飛び、彼の身体が横手の煉瓦壁にめりこむ。
　なんだ？　なにがどうなったんだ、俺の後ろに誰がいる？
「……おれ、眠いんだけど……」
　振り返れば、黄色い頭がのろのろと左右に揺れている。ジャックは一気に脱力感に襲われた。やっとお目覚めかい、チョコボよ。
　んでもって、ボードの野郎は寝起きと手癖足癖の悪いクラウドの犠牲第一号になったってわけだな。チョコボがナイフを持ってなくてよかったなあ。
「ここ、どこ？」ぼんやりと背中に呟かれるクラウドの声。
　まあ、もっともな疑問だけどな。もうちょっと驚かねえか、普通はよ。
　と、眼前に海。
　その裏路地は海に面した道路に直角に繋がっていた。その道路の海側はごつい鋼鉄でできた突起が縁取っている。津波などの災害や海からの攻撃に備えてシェルターが収まっているのだ。あんな頑丈なものにぶつかれば、俺の大事なデイトナもぺしゃんこになるに違いない。
　ジャックはもちろんブレーキをかけた。車体を斜めにし、足も使ってコンクリート路面を削る。
　がくりと、デイトナはぎりぎりで停まった。
　こっちの道は埠頭に続くだけだから、それほど交通量がない。大事故も起こらず、そのあたりは救いだったな。
　ふうと息を吐き出し、ジャックは後ろを振り返る。「クラウド、熱はどうだ？」
　返事がない。ので、彼はギアを外し、エンジンを止めてから、あらためて身体ごと振り返った。「クラウド？」
　そこにあるのは毛布だけ。おおい、また転がったんじゃないだろうな？　来た道へ視線を走らせるが、あれだけ目立つはずの金髪は見あたらない。
「……ック……ジャック！」と、どこかわからないが声はする。
　バイクから降りてあたりをうろつきまわってみたが、見つけたのは路地からよろめきつつ出てくるボードひとり。
「あのよう」ボードが、痛めのたのだろう背中をさすりながら呟いた。「チョコボ、海に落ちたぜ」
　慌ててシェルター越しに覗きこめば、波と戯れるチョコボ一匹。
「なにするんだよ！」クラウドは意外と元気に拳をこちらに向けて突き出している。
「……泳げてよかったなあ」ジャックは呟いた。

＊＊＊

「馬鹿もん！」
　ソルジャー棟を吹き飛ばすほどの勢いで怒鳴り倒してくるアレンの横では、チョコボがくしゃみを連発していた。
　とにかくクラウドを海から引きあげ、シュウやザックス、クィンとディークも駆けつけたところ、間髪入れずに巡邏隊(パトロール)にかこまれた彼らだった。交通違反、騒乱罪どころか、パジャマ姿の少年までいたものだから、人道的犯罪をも想像させたのは言うまでもない。
　そして即座に第一部隊(ザ・ファースト)のオフィスに連絡が行ったことも。
　もっとも、騒動そのものはセフィロスの大将権限に握りつぶされたが、アレンの叱責まで逃れられるわけではなかった。全員、そのまま執務室に連行され、事情聴取を取られる破目になったのだ。
「へたに事態を隠蔽しようなど、おまえたちは反抗期の子どもか！」アレンはシュウから取りあげたイモリの入った酒瓶を持ちながら、その手をぶるぶると震わせていた。おそらくはそれで殴りつけたい気分なのだろうが、部下には本気で暴力を振るわないのがこの上官の褒めるべきモラルだ。「科学部門の怪しげな薬を飲ませたなら、なぜそうと早く報告しない。もしただの睡眠薬でなかったら、どうするつもりだったんだ？」
「すいません」ジャックもディークも、そしてさすがにザックスも項垂れた。もしという事態を想像すると、謝るだけでは収まらないだろう。
「それから」アレンは六人全員を睨みおろした。「街なかで、よくもまあ、ソルジャー能力を披露してくれたものだな」
「俺はデイトナ走らせてただけなんすけど」ジャックは抗弁した。
「おまえは一か月免停だ」きっぱりとアレンが宣言する。
「そんな！」ジャックは思わず声を大きくした。「次のミッションまで何日あるってんです？　それまで、俺のお楽しみが――」
「や・か・ま・し・い」
　たぶん金属の棒ひとつ取り出したなら、たちまち稲妻が落ちるだろうほど、アレンの怒りの帯電量は半端じゃない。沈黙して、解放されるのをひたすら待つしかなかった。
　しかし、「あのさあ」とディークが静かに口をひらく。
　ぎろりと睨まれてザックスのほうに身を寄せたものの、彼は慎重に続けた。「秋に海水浴って、身体によくねえんじゃねえかと」
「誰が泳ぐ話をしている？」
「そうじゃなくて……」と、そろりとアレンの身体越しに指を突きつける。「クラウド、熱出してたはずだし」
　見ると、セフィロスに抱えられたまま、くたりとなっているチョコボ。
「大将、てめえ、なにしやがった？」ザックスが立ちあがろうとしたところ、そのひたいをアレンの手の甲がはたき倒す。
「風邪をこじらせたのはおまえたちのせいだろうが」それからアレンは上官に向きなおった。「熱はどのくらいありそうだ？」
「なんの熱だ？」
　訊き返されて、全員が眉を寄せた。
「体温のことだ、セフィロス」アレンが事務的に説明する。
「ああ」うつ伏せるようにしているクラウドのひたいに手を当てながら、セフィロスは無表情に続けた。「百度ではないか？　昨日もそのくらいだっただろう」
「ちょっと待て」ザックスが低く唸った。「昨日も？　昨日もって言ったか、あんた」
「熱があるとわかっていながら鍛錬させていたのか？」さすがにアレンも咎めるように目を細める。
　セフィロスはまったく動じなかった。「これがあまりにも汗をかくのでな」とクラウドを揺すって抱えなおし、「池に放りこんで身体を冷やさせた。冷やしすぎたのか、動きも鈍くなったから帰したが――」
「冷やすって……！」アレンが絶句すると、ザックスも同時に叫んだ。「てめえが元凶か、このくそ馬鹿大将！」
　以後その日、執務室ではセフィロスからチョコボを取りあげることでひと騒動起こったが、ジャック自身は、アレンの小言が中断したことと、免停云々の話がそれ以上出なかったことでほっとしたものだ。
　チョコボの部屋はしばらくのあいだ見舞いと称して出入りするソルジャーどもで騒がしかったが、アレンがじきじきに見張りに立ったものだから、夜中には誰も通路を行き来しなくなったらしい。
　ジャックは部屋に帰ると、ひどい疲労感に襲われてベッドに倒れこんだ。隣から壁を通してかすかなテレビの音が聞こえてくるが、たいした騒音でもない。
　彼は、すう、と眠りに落ちようとした。
　しかし。
（らっらら、らららら、らっらっらー）
　……なんだってあの明るいお天気予報のテーマソングが、こうまで呪わしいものに聞こえてくるんだろう。
　ジャックはかたく目を閉じ、枕で耳を塞いだのだった。

THE END.

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