IT HAPPENS ALL THE TIME

　じめじめした森林を歩きながら、ジャックはチョコボを振り返った。「クラウド、疲れてないか？」
　少年はうんざりした溜息をつく。「疲れてはいないけど……疲れる」
　矛盾した応えだが、ジャックはその心情を充分理解していた。
　細い身体で熱帯のジャングルを歩いているのだ。しかもジャックがある程度は少年に合わせているとはいえ、ソルジャーといっしょに進みつづけるのは、ただでさえ成長途上の身体にはきつい拷問だろう。
　それなのに。
　その小さな身体は、ザックスのばかでかい図体を引きずっているのだった。
　黒髪のソルジャーは、べつに意識を失っているわけでも重傷を負っているわけでもない。ただ周囲をびくびくと見まわし、クラウドの陰に隠れるようにして膝を折り曲げ、縮こまって歩いているのだ。その腕は、まるでホラー映画を見ている子どもみたいに、自分よりもひとまわりも小さな少年の胴にしっかりとしがみついていた。全体重をかけているわけではないが、それでもチョコボの足は動かしにくくなっているはずだ。
「ザックス」ジャックは立ち止まり、彼を睨みつけた。「いいかげんにしろよな」
「うるせえ、てめえにおれの恐怖がわかってたまるか」
「カエルぐらいのことで大げさなんだよ、ザックス」クラウドが溜息をつき、さっくりと突き放すように呟く。
「言うなああああ！」ザックスが力いっぱい叫んで頭を抱え、その場で地面に潜りこまんほどにうつ伏せた。
「なにがそんなに怖いんだろうな」ジャックもチョコボといっしょに並んで溜息を合唱する。
「ほんとだよ」
「てめえらなあ、おれだって普通のカエルなら、こんなに怖がらねえよ」ザックスは、ほとんど泣き声になって訴えた。「でもな、ここはゴンガガなんだぞ」
「だから？」腕を組み、ジャックとクラウドはそろって彼を見おろした。
「ゴンガガのカエルはな……あいつらは、恐ろしいことに」ザックスは両手を広げ、指を奇妙に折り曲げたまま、ふるふると慄えた。「冬眠しないんだ！」
　………。
　………。
　どこかでモルボルでも凍ったんじゃないかな。
「そりゃ……」と、ジャックはようやく口をひらいた。「こういう気候だし、冬でも餌があるからだろ」
「そうじゃねえええ」ザックスは再び叫んだ。「あいつらは絶対、どこかで一年じゅう、うっかりな旅人を襲っては仲間に引きずりこんでるに違いねえんだ」
「なんだよ、それ」クラウドが眉を寄せた。
「いいか、よく聞け」がしっと少年の肩を捕まえ、ザックスは言い諭すようにまじめな顔で続けた。「おれの祖母ちゃんが言ってたんだ。沼地でカエルにさわられた者はカエルになっちまうんだと。実際、祖母ちゃんの祖父さんの嫁さんの弟は行方不明のまま、そいつが住んでいた場所はカエルでいっぱいになってたんだぞ」
「……それ、ほんと？」
「騙されるな、クラウド」ジャックは鋭く言った。「たんに空き家で、湿っぽい暗いところに卵が産みつけられたというだけのことだ」
「ああ、なるほど」
「信じろよ！」ザックスは言ってクラウドに抱きつこうとしたが、少年は身を翻して跳び離れる。
「ザックス、あんたがカエルを怖がるのは勝手だけど、おれを楯にするなよ。どうしてもというなら、ジャックにしがみついてくれ」
「こんな、ごついのに抱きつかれるのはごめんだ」ジャックは慌てて言った。
　ザックスもほぼ同時に首を振る。「おれだって――」
　そこで黒髪のソルジャーは、ぴきりと凍りついたように動かなくなった。
　ジャックは怪訝に彼を見つめなおし、きびすを返しかけていたクラウドも向きなおる。「ザックス？」
　ジャックは彼に近づき、そのハリネズミのような頭を、とんと突ついた。
　ザックスは、ばったりと倒れた。目が裏返っている。
　その腹の上で、小さなカエルが勝利を誇示するようにぴょんと跳ねた。
「あーあ、ほんとに嫌いなんだな、こいつ」ジャックは溜息をつき、携帯無線を取り出した。「こちらジャック。ザックス脱落です」
『放っておけ』セフィロスの声が流れてくる。
　ジャックは眉を寄せた。大将が無線に出るとは思わなかったのだ。「アレンはどうしました？」
『知らん。消えた』
　ジャックは思わずクラウドと目を見交わした。
　クラウドが横から無線を取りあげる。「アレンがいないと、なんにもできないくせに、あんた、なに悠長にしてるんだ」
『やかましい』
　次の瞬間、ジャングルを縫って、どんと爆発音が響いてくる。おそらくは大将の爆炎(フレア)かなにかだろう。
　そちらのほうへ首をめぐらせながら、クラウドはまた無線を口もとにあげた。「セフィロス？」
『忙しい。切るぞ』
　ふたりで無線機を見つめたあと、彼らは一方向へ同時に足を向けた。そちらには本部を設置したはずの沼地がある。
　ところが数歩行かないうちに、ジャックは嫌な予感をおぼえた。背後になにかいるような、いないような、奇妙な感覚だ。
　隣でクラウドも足を止める。
　またふたりで顔を見あわせ、そしていっせいに振り返る。
　なにもなかった。
　鬱蒼とした熱帯雨林がそこにあるだけだ。ぼうぼうに生えた草と不健康にねじくれた木々。じわりと蒸し暑いそこは、しんと静まり返っている。
　やがて、チョコボが小さな声で呟いた。「……ザックスは？」
　ジャックは黒髪のソルジャーが倒れていたはずの場所を凝視した。そこにいたのは二匹のカエル。
　チョコボが彼の袖を引っぱってくる。「なあ……あの話、本当じゃないの」
「いや」ジャックはわざと大きく首を振った。「落ち着いて考えろ、クラウド。ザックスのあの質量と体重が、どうしたらあれだけ小さいものにできるんだ？」
　クラウドが眉を寄せ、彼を振り仰いできた。「ジャック……もしかして、質量と体積って言いたかったのか？」
「ん、まあ、そうかもな」どうやら、おれもかなり動揺しているらしい。「とにかく、大将かアレンに報告しに行こう」
　彼らはカエルから目を逸らし、そこから離れることにした。

＊＊＊

　ゴンガガはほとんど赤道上にある地方で、サバンナと熱帯雨林で占められる。比較的過ごしやすい乾いた土地には人も住んでいる（らしい）のだが、現在、第一部隊(ザ・ファースト)が展開しているこの森に棲息しているのは、せいぜいがヒルかカエルぐらいといったものだ。藪蚊も飛びまわっている。
　水も豊富なら餌も豊富、人間には暑苦しい場所でも、この土地柄に適化したモンスターはそれなりにいた。どちらかといえば性質のおとなしいものばかりなのだが、どうやら最近、このジャングルを中心に大量発生したものがいるということだ。まだ被害は出ていないが、前調査から帰ってきた一般兵のなかには全身麻痺や嘔吐を催した者もいるらしい。そのために第一部隊(ザ・ファースト)の出動となったのだった。
　おかげでこのミッションの前、クラウドはありとあらゆる予防接種を受けさせられていた。もちろん大将が他部署とはいっさい接触させていないので、アレンが四苦八苦して注射器を少年の細い腕や肩に突き刺していたものだ。出発まで腫れあがっていた彼の肩は、いまはもう、かすかな痣だけになっていた。
　ところで、件(くだん)の大量発生したというモンスターには、まだふたりともお目にかかっていない。目に映るのはカエルだけだ。いや、ほかにもいろいろあるが……ああいかん。おれも暗示にかけられているらしい。カエルのことばかり考えてるじゃねえか。
　臨時本部に向かう道すがら、クラウドはときおり背後を気にしていた。たぶん、ザックスが追いついてくるか、カエルが追いかけてくるか、不安があるのだろう。ザックスがあんな話をしたあとに忽然といなくなったというのは、この少年に珍しくも恐怖感をいだかせたようだった。
　正直言うと、おれも怖いけどよ……。そんなはずはねえと思いながら、どうしてもその可能性を考えちまうんだよな。おれもクラウドも、モンスターと睨めっこするのなんて日常的なことだった。それなのに、なんだってカエル一匹にびくびくしてなくちゃならねえんだ？
　おかげで藪蚊がクラウドにまとわりついてくるのさえ、妙に気になってしまう。ジャックは立ち止まり、虫除けの薬をもうちょっと強くしようとスプレー罐を取り出した。
「この虫除けって効かないな」吹きつけられるきつい臭いの薬に顔をしかめながら、クラウドはあたりに群れる虫たちを追い払うように手を振った。
「だから、たっぷりかけてやってるだろ。動くなよ」ジャックは言って少年の頭を押さえつけ、そのあちこち飛び跳ねている金色の髪のあいだにもスプレーする。「刺されても毒はねえけど、熱病を媒介するからな、このうるさい虫どもは」たっぷりと薬を振りかけてから、ジャックはクラウドを解放した。
「おれだけ、面倒くさい」少年はむすっとする。薬の臭気に刺激されて鼻がむずむずするのか、指で揉んだ彼は、その指にもついていた薬の臭いにも大きく顔をしかめた。「つけすぎじゃないか？」
「そんだけくさけりゃ、虫もヒルも寄ってこねえよ。我慢しな」ジャックは苦笑し、そのチョコボ頭をはたいて、再び歩くようクラウドを促がした。
　しかしチョコボは動かない。「なあ、道、これで合ってる？」
「信用しろ」ジャックは眉をしかめた。
「でもさ」
「シュウやボードじゃあるまいし、おれが間違うかよ」
「まあそうかもしれないけど、でも」クラウドは前方の少し大きな木を指し示す。「あそこにあんなもの、ぶらさがってた？」
　目をあげると、少し高い枝にバジガンディの鹿のような身体が逆さまになって串刺しにされていた。大きさはかなり違うが、モズのはやにえのように、それは天に向かって捧げられているように見える。ぽたぽたと落ちる赤黒い液体が、その真下の湿った地面をさらに水浸しにしていた。
　そしてその枝から、ぽとりと一匹のカエルが転がり落ちた。
　その緑色の小さなものは、ぴょこんと跳ね起きると、とっとと草のなかへと消えていく。
「……なんか、できすぎの感じがしないか？」ジャックは、ぼんやりと呟いた。
「うん……」クラウドもぼんやりと頷く。
「いいか、ここを動くなよ」
「なにするんだ？」
「悪戯の正体を確かめてくるだけだ」そうとも、誰かの悪ふざけに決まっている。
　だが、アレンが消えたと大将は言った。その大将は爆炎(フレア)を使うほどの事態にいるらしい。
　いったいなにが起こっているんだ、このジャングルで？
　ジャックはバジガンディの死体の下まで足音を立てないように注意して歩き、もちろん周囲にも気を配った。
　あたりはしんとしている。むっとする熱気が、ソルジャーの彼でもうんざりするほど湿った地面から強く立ち昇っていた。丈が高く、複雑な形をした葉を持つ植物群がびっしりと周囲に群れ、繁みを進む彼の視界を半分塞いでいる。
　ジャックは、喉を鳴らすようなカエルの鳴き声を聞いたように思った。急いでぞくりとした背筋を抑えこみ、こんなところじゃカエルの一匹や二匹、珍しくもないと、内心で自分に言い聞かせる。
　と、横合いからなにかが飛んできた。
　彼はとっさに跳び退がり、いままで自分のいた場所に泥のなかへ半分めりこんだカエル足を目撃した。
　………。
　落ち着け、おれ。彼はパニックを起こしかける頭をなんとか振った。カエルが空を飛んでくるわけがねえだろうが！
　が、もう一匹、二匹と、それはジャックを狙って驚くほどの速度で襲ってくる。
　クラウドが拳銃を構えているのが目に入ったが、さすがにあのチョコボでも、これだけ小さい的(まと)をジャックに当てずに落とすのは難しいのか、発砲をためらっている。いや、少年にはたぶん、まだカエルの呪いが残っているのかもしれない。
　彼はぬめる足もとを必死で蹴り、それらをどうにかかわしていった。いいか、おれはべつに、ザックスの話を信用したわけじゃねえ。ただ、あの緑色の気持ち悪いのに抱きつかれたくねえだけなんだよ。
　気がつけば彼は絡まる羊歯のあいだに飛びこんでいた。湿度の高い場所で密生しているそれは露を含んでいて、彼の足に貼りついてくる。
　思わずよろめいたとき、背後にはっきりとした気配がかすめた。
　ジャックは素早く振り返った。
　目の前に軍靴の足裏。ぎざぎざの溝のある泥のついたそれを、彼の顔面はまともに食らった。
　目に泥が入り、口にもざらざらと気味の悪い苦味が広がって、呻いているあいだに彼は地面に押さえつけられていた。
　反射で出てきた涙の膜のむこうにシュウの無表情が見えた。
「てめ――」叫びかける彼の口に、ほかの誰かの手が軍用ナイフを鞘ごと突っこんでくる。
　いくらソルジャーでも、鋼鉄と丈夫な革を噛みちぎれるほど顎の力があるわけではない。彼はそのまま、あっというまに猿轡にされ、ついでに縛りあげられた。
　この手際のよさ！　最初から企んでたな、ちくしょう。
　シュウを背中に載せたまま目だけで見あげると、クィンとボードが羊歯の繁みからむこうを窺っている。
　ジャックはウータイ人を乗せたまま、じりじりと湿地を這った。
　しばらくすると、草と草のあいだからようやく、先ほどのはやにえの現場を透かし見ることができた。
　バジガンディの木の下で、クラウドが眉を寄せてあたりを警戒しながら立っていた。銃の引金にかけた指はそのままで、すぐにも反応できるようにしているらしい。
「ジャック？」クラウドがそっと声を出して彼を呼ぶ。
「むむぐ、むぐむぐ……むむう」ジャックの声はほとんど出なかった。
「しーっ」ボードがにやにやしながらジャックの肩を押さえつけ、それ以上這っていけないように乗りあがってくる。
　ふたりのソルジャーに四肢を押さえつけられ、ジャックもさすがに足一本動かせなくなった。
　クィンが両手で碗を作り、それを静かに地面におろす。そこからそろりとまろび出、前へ跳ねていったのはカエルだ。
　やっぱり、こいつらかよ、ふざけんな。おおかた、ザックスもこうして捕獲されたか、一枚噛んでるかだろう。あとで憶えてろ。
　だが、クラウドはまだ知らないのだ。
　少年はわずかなカエルの鳴き声を聞き拾い、ぎくりとこちらへ銃を向ける。
　繁みから出てきた爬虫類が目に入ったのか、彼はそのまま凍りついた。
　ぴょこり、ぴょこりと、カエルが彼に向かっていく。
　クラウドは普段、あまり表情を変えることがない。だいぶ第一部隊(ザ・ファースト)に懐いてきたとはいえ、喜怒哀楽を直接、表情筋に繋げることは稀だ。
　だが、彼はいまにも泣きそうに顔をしかめていた。「……ジャック？」
　違う！
　ジャックは心の底から叫びたかった。違うんだ、クラウド、落ち着いて考えてくれ。そのカエルはおれじゃねえええ！
　クラウドは拳銃を構えたまま、じりじりとあとずさり、やがてぱっと身を翻した。まっすぐと本部のほうへ駆け去っていくチョコボ頭。
　おまえ絶対、誤解してるぞ、クラウド！
　完全に候補生がいなくなったころ、クィンとボードが耐えきれないといったように爆笑した。
「か、可愛い……手間隙かけて脅かした甲斐があったぜ」
「むうう、ううぐ……ぐうう！」てめえらなあ！
「次の作戦に移ろう」シュウが厳かに呟いた。
　なんだと？
　いったい、今度はなにをするつもりだ！

＊＊＊

　ジャックはワイヤーでぐるぐる巻きにされ、同じような状態のザックスといっしょに転がされていた。
　ここはねじくれた木々が複雑に絡まりあって、秘密基地にちょうどいいような空洞を形成している。入口とも言える茂みは羊歯と蘭がごちゃごちゃと生えていて、外からでは、よくよく目を凝らさなければなかは見えないらしい。
　ソルジャーたちはほとんど全員がここに集まっていたが、ディークとシュウの姿だけは見あたらなかった。
　すでに抵抗する気力も失せ、いつもは面倒くさがる時間合わせを、悪戯のためなら正確にきっちりやる彼らを、ジャックは呆れ果てて眺めまわした。「おまえらなあ……」
「だってよう」クィンが両手を広げる。「モンスターの影も形もねえし、おれら退屈なんだよ」
「どこに大量発生してるってんだよなあ？」
「いるのはカエルだけじゃねえか」
「だから、カエルが繁殖しすぎてるんじゃねえのか？」
「カエル退治の要請なんかが第一部隊(ザ・ファースト)に来るわけがねえだろうが！」ジャックは叫んだ。「ほかのところ探したのか？」
「でも実際、見かけねえんだし」ボードが呟いた。
「で……？」ジャックは瞑目しつつ、落ち着こうと忍耐力を酷使した。「これからなにをするつもりなんだよ」
　クィンが指を立ててくる。「ひとくち乗るか？」
「乗らん！」
「おい」ひとりぼんやりして状況を把握できずにいたザックスが、やっと口をひらいた。「おれの嫌いなアレの名前を連呼されてるような気がするのは、おれの気のせいか？」
「おまえさんの嫌いなアレってえと」ジャックは横目で黒髪のソルジャーに視線をやった。そして、わざと大声で言ってやる。「カエルのことか？」
「その名前を口にするなってんだよ！」
「カエルはカエルだろうが」ジャックは自由になる足で彼を蹴飛ばしてやった。「もとはと言えば、てめえが変な話をしてクラウドを怖がらせるから」
「変な話とはなんだ、変な話とは！　ほんとのことだぞ！」ザックスも負けじと蹴り返してくる。
「怪談にもなりゃしねえよ、この馬鹿ザル！」ジャックは頭突きをかけた。
　たがいにひたいをぶつけあって、そのまま睨みあうふたりの周囲では、ソルジャーたちが着々と次の悪戯を準備していた。
　ふと視線を逸らしたザックスが、声なき悲鳴をあげて芋虫のように退がっていった。
　ジャックは怪訝に振り返る。ソルジャーたちがどこから拾ってきたのか、バケツいっぱいのカエルを何杯も運んで通っていくところだ。
「待て、それをどうするつもりだ！」
「落とし穴」ボードが、にいっと歯を見せる。
　説明をクィンが受け継いだ。「いま、ディークとシュウがチョコボを迎えに行ってるんだ。きっと喜ぶぜ」
「そりゃそうだろうな。きっとアレンも大将も、感激して冷気魔法(ブリザガ)を奮発してくれるぜ」
　数人のソルジャーたちが、さすがに一瞬、手を止める。
　だが、ボードはなにも考えてなかった。鼻歌まじりに、どろどろの穴とも言えない窪みにカエルを流しこみ、クィンがぐるぐるとかき混ぜている。
　おまえら、小学生か……？
　いや、そんなこと、子どもでもやらねえぞ。
「頼むから、それをおれに見せないでくれええ！」
　ザックスが情けない悲鳴をあげるので、ジャックは苛立たしげに向きなおった。ひとりのソルジャーにカエルを突きつけられ、ぎゃあぎゃあと喚いて身を縮めている狼みたいな男。
　だめだ、唯一、こいつらを止められそうなザックスがこんな調子じゃ、チョコボは哀れ、カエルの餌だ。
　羊歯と熱帯植物でうまくカモフラージュした隠れ家から見ていると、繁みのむこうからディークが走ってくるのが見えた。大きく手を振っている。
「よっしゃ」ボードが左手に右拳を当てて意気ごんだ。「うまく呼び寄せろよ、クィン」
　クィンが岩の陰に滑りこむ。
　ディークが罠を大きく避けてまわりこんできた。「あのよう……」
「来たか？」ボードは、いまにも合図しようと手をあげながら訊ねた。
「来たのはいいんだけど……でもよ」
　ジャックは叫んだ。「来るんじゃねえ！」
　同時にクィンが岩の上に跳びあがった。「おおい、クラウド、こっち――」
　繁みをかき分けて出てきたのは金色チョコボではなく、背の高いソルジャー・アレンだった。
　その手がシュウの耳をがっちり掴んでいる。ウータイ人はたたらを踏みながら彼に引きずられていた。
　副官は罠の数歩手前で立ち止まり、岩の上で凍りついたクィンを睨みつける。「なにをしている？」
「え……いや、その……」助けを求めるように、きょときょとと動くクィンの目。
「だから言おうとしたんだ」ディークが溜息をつきながら、困ったように呟いた。「クラウドに声をかけようと思ったら、こっちが先に声をかけられてよう」
「てめえ、報告の順番ってものがあるだろうが！」ボードが叫んだ。
　アレンがその声を聞きつけ、じろりと顔を向けてくる。「そこに全員いるな？」
　相変わらずシュウの耳を引っぱったまま、彼は大股に歩いてきた。
「待った、アレン――」ジャックは大声をあげたが、間に合わなかった。先ほどみなが作っていた落とし穴の上に、副官は躊躇なく足をおろす。
　次の瞬間には、アレンが泥のなかに半身を浸していた。さすがに驚いたのか、彼の手はシュウの耳を放してしまったようだ。シュウが泥から這いあがって、てんでんばらばらに逃げ出していくカエルといっしょにあとずさった。
　泥溜まりに腰から下を浸しながら、それでもアレンは慌てず騒がず、状況を確認しようとしていたらしい。さすがに見習うべき冷静さだ。
　眉を寄せ、周囲を跳ねまわる小さな両生類をしばらく眺めまわしていた副官は、やがて、ざばりと無造作に陸にあがった。泥を撥ね飛ばし、そのまま無言で繁みをかき分け、彼は隠れていたソルジャーたちを見つけたのだった。
　大将並みに低い声で笑い、彼は指を折り曲げるだけで出てこいとみなに指示してくる。誰も彼もが口を噤んだまま、ソルジャーたちはぞろぞろと茂みのなかから這い出していった。
　ジャックは縛られたまま、地面から上官を見あげた。「すんません、助けてください」
「ザックスはどうしたんだ？」アレンが眉を寄せ、ジャックの後ろへと視線を向けている。
　ジャックは振り返り、ザックスが再びカエルを顔に載せて気絶しているのを見た。

＊＊＊

「さて、弁解を聞いてやってもいいぞ」と言ったアレンに、応える者は誰もいなかった。
　整列した全員が泥まみれだった。落とし穴に見事にはまったアレンはもとより、ジャックもザックスも、さんざん泥の上を引きずられたので言わずもがなだ。そしてソルジャーたちは、全員が泥遊びの名残りをとどめている。
「遠慮はいらん、なにか理由があったのだろう」副官はしつこく続けた。「たとえオチューの大群とセフィロスがひとりで対峙していても、おまえたちがカエルと遊んでいられるだけの理由がな」
「オチュー？」ソルジャーたちはたがいに顔を見あわせる。
「大量発生してたのはカエルじゃねえの？」
「今回のミッションの概要は、みな把握しているはずだと思ったが？」アレンはまた厭味ったらしく笑ってみせる。「《モンスター》の大量発生だと、もしかして俺が言い忘れていたか？　それはすまなかったな」
「それくらいにしてやったらどうだよ」ザックスが疲れたように言った。彼はなにをする気も失せたように脱力して、比較的乾いたところに坐りこんでいる。「実際、モンスターに出会っていなかったのは事実だしよ。退屈なミッションだと思いこんでりゃ、多少の悪戯は……」
「多少？」アレンはちらりと自分のはまった落とし穴を見やった。
「あ、いや……おれだったら、ぜってえ致命傷になってるかもしんねえけど、あんた、なんともないんだし」もごもごと続けるザックス。
「で、オチューの大群って、どのくらいいたんです？」ジャックは訊ねた。
「知らん」アレンはひとこと言ってから溜息をついた。「俺とセフィロスではきついかもしれんと、おまえたちを呼び出したのだが、誰も無線に出ないのでな。あとをあれに任せて、俺はおまえたちを捜していたんだ」
「無線なんて聞こえなかったけど……」ディークがぽつりと言った。
　そういえば、ジャック自身、アレンからの呼び出しを聞いた憶えがない。「あんたの無線、壊れてないか？」
　アレンは小さな機械を取り出し、軽く振った。しばらくいじってから溜息をつく。「電池が切れているな」
「だったら、おれたちのせいじゃねえだろ」ボードが膨れっつらで文句を言った。
「ふざけるな」アレンはじろりと彼を睨みつける。「おまえの担当区域はどこだった？　ディーク、クィン、おまえたちは山地へ向かったはずだったな？」
　また黙りこくった部下たちを見まわし、アレンは両手を腰に当てながらゆっくり首を振った。「チョコボが来てから、おまえたちは羽目を外しすぎだ。ジュノンでなら、あれで遊ぶのも大目に見るが――」
　彼の説教を遮って、悲鳴が響いてきた。
　明らかに変声期まっさかりの、そのかすれた声が誰のものか、さすがにすぐとわかる。
「そういや、いま、クラウドには誰がついてるんだよ？」クィンが呟くと、ほとんど同時にザックスが跳ねあがり、カエルさえ踏みつけて突進していった。
　アレンも素早くきびすを返す。ジャックも、ほかのソルジャーたちも彼らを追った。
　べたべたする湿気たジャングルのなか、叫びつづけるクラウドの声はまだ聞こえていたが、低くなったり、くぐもったりして、正確な方角が判断できない。
　それでも彼らは、なんとか近づいていた。
「やめろよ、セフィロス！」その声は泣き叫ぶようだった。「なにすんだ！」
　ジャックは隣にいたディークやボードと思わず視線を交わした。大将がチョコボのそばにいるらしい。だけど、なにが起こってるんだ？
「やだよ、やめろってば！」また悲鳴まじりに声をあげるクラウド。
　羊歯をかき分け、彼らは沼地に出た。
　アレンが立ち止まった。ジャックもほっとして歩みを緩める。
　そこには特に危険なものはなさそうだった。
　ただ比較的、木々も草もない広場のようなそこには、それこそ大量のカエルが集まっていたのだ。ソルジャーたちが集めていたバケツいっぱいのあのカエルたちが、さらに倍になってこちらへ移動してきたかのようなありさまだった。
　そのほとんど中心で、両手両足を突っ張ってセフィロスを押さえこもうとしているチョコボと、少年をうるさそうに身体から引き剥がそうとしている黒い鬼神。
「踏むなって言ってるんだ！」チョコボは、ほとんど必死になって大将を殴ったり蹴ったりしていた。「ザックスかもしれないだろ！　アレンだっているかもしれないじゃないか。ジャックやディークだったらどうするんだよ！」
「意味不明なことを……」セフィロスがクラウドの胸ぐらを掴み、遠くへ放り出そうという体勢に入る。
「なにやってんだよ、大将！」ザックスが背中の剣に手をかけんばかりの勢いで彼らに突進していった。
　こちらを見、驚いたように飛びあがったのはクラウドだ。「ザックス!?」
「……なんだよ？」その驚愕の声に、ザックスが怪訝に首を傾げる。苦手な両生類も目に入らない様子で、彼はまた数歩近づいていった。「おまえ、どうかした？」
　途端にクラウドがセフィロスにしがみついた。
「!?」
　おそらく全員が目を瞠ったに違いない。ザックスが幽霊かなにかに見えたのか、あのクラウドが怯えたのだ。
「ザ、ザックス？」とチョコボは再び訊ねながら、大将の大きな身体の陰にじりじりと退がっていく。「ジャックも……みんな……本物なのか？」
「……は？」と、全員が同時に力のない声をあげた。
　まだセフィロスのコートにしがみつきながら、彼はおそるおそる全員を見まわす。「セフィロスがカエルを踏みつけるから、おれ……だって、カエルになったんじゃないの、みんな？」
　そういえば、チョコボの誤解を解かずにいたままだった。ジャックはひたいに手をやりながら天を仰いだ。すまん、クラウド……おまえ、ずっとひとりで怖い思いしてたんだな。
「あんたたち、カエルじゃないよな？」クラウドは重ねて確認する。
「なんの話だ」アレンが思わずといったように眉を寄せた。
　ああそうか。アレンが知っているのはこれからやろうとしていたことだけで、やってしまった悪戯のことは聞いていないんだっけ。
　クィンがまず吹き出した。ボード、ディークと、次々と笑いのさざ波が起こる。
「クラウド……いくらなんでも、おまえ、素直すぎるぞ……」爆笑の響くなかで、ジャックはがっくりとしゃがみこんだ。
　アレンだけがわからない顔をしながら、上官とそれにしがみついている少年に近づいていく。「あの大群はどうした？」
「とっくに片づけた」ぶっきらぼうに応えながら、チョコボ頭を目で追うセフィロス。クラウドはまだ不安が残っているらしく、アレンが近づくにつれて逃げるように大将の身体を中心にまわりこんだのだ。その様子は普段のチョコボとは似ても似つかない。まるで本当に小さな子どもみたいに本気で怯えているのだ。
　それにしてもクラウド、そんなにおれらが本物だって信じられねえんなら、どうしてその大将だけは平気で楯にできるんだよ？
「まったく、なにもしないうちにミッション終了だな」アレンが溜息まじりに言い、ソルジャーたちを振り返って合図した。「ジュノンに帰投する――」
「その前に」セフィロスがそれを遮った。
　と、アレンがその場から素早く跳び離れた。腰の剣に手をかけたものの、どうにか抜くのは抑えたらしい。
　しゃがみこんでいたジャックは、どこかぞくりと冷気が立ち昇ってくるのを感じた。いや、実際に気温は下がっていないのだが、背筋がどうにも落ち着かなくなったのだ。
　ほかのソルジャーたちも、それぞれに退がったり凍りついたり、ぎくしゃくと身じろぎした。
　ザックスがよろめくように半歩退がる。「ち、ちょーっと待て、大将……なに怒ってんだよ」
「おまえたち、これになにを吹きこんだ」
　これって、クラウドのことか？　なにをって……ええと。ジャックは震える腕を懸命に、もういっぽうの手で抑える。
　まずい。そういや以前、あいつに余計なことを教えるなとかなんとか……言われたよな。おれたち、チョコボの弱点を作っちまったって思われてんのか？
　ソルジャーたちのあいだに絶対的な恐怖が沁みこんでくる。ああ、これだから大将に逆らいたくねえんだ。ジャックは泣きたくなった。あんまりだ。カエルごときのことで、なんでおれ、こんな目に遭わなきゃならねえんだよ。
「セフィロス……」アレンがわずかに両手をあげ、猛獣を宥めるような身振りをした。「気持ちはわかる。だが……」
　アレンのしどろもどろの言葉が途切れ、再び熱帯雨林に冷気の波動がひたひたと沁みこんでくる。
　と、それをチョコボが破った。「おれ、気持ち悪い……吐きそう」
　ジャックは金縛りが解けたように瞬きした。
　背後では、ソルジャーたちが身じろぎする気配。アレンでさえ、ほっとしたように身体の力を抜いている。
　クラウドはセフィロスにしがみついたまま、その背中に凭れるように片手で口もとを抑えていた。その様子に気が散ったらしいセフィロスが、肩越しに少年を見おろす。「……薬の塗りすぎだ」
「蚊に刺されると病気になるからって……ジャックが」
　おれの名前を出すなよ！
　じろりと、ジャック限定で再び氷の視線が向けられてくる。
　そしてその緊張を破ったのは、ザックスのけたたましい悲鳴だった。
　黒髪のソルジャーはやっと周囲がカエル天国であることに気がついたらしい。アレンに飛びつき、肩車をねだる子どものように手足を副官に巻きつけていた。
「頼むから、早く帰ろう、もう帰ろう、おれはカエルが大っ嫌いなんだ！」

＊＊＊

　その後、アレンからの説教はいっさいなかった。
　クラウドで遊ぶのもいいが、やりすぎるとどんな目に遭うか、全員が思い知らされたのだ。あらためて大将の恐ろしさを身に沁みこまされただろうからと、副官も手控えしたに違いない。もっとも、アレン自身も肝を冷やしたはずだった。
　ただ、クラウドはジュノンに帰った直後から、ころりともとに戻ったようだ。騙された怒りとそれに素直に乗ってしまった羞恥とに涙ぐみながら、チョコボは暴れに暴れていた。
　ジャックを除くすべてのソルジャーがひとつずつは蹴りをプレゼントされ、ザックスには特に大きな水槽いっぱいのアマガエルを贈られたらしい。
　いや訂正しておこう。
　ザックスへのプレゼントは、すべての事情を聞いたあと、大将が注文したということだ。アレンが端末でそれを入力していたのをディークが目撃している。
　あれ以後、チョコボがカエル嫌いになったのかどうか、ジャックにはわからない。だが、相当なトラウマを少年は抱えこんだはずだった。ジャック自身、しばらくはカエルの置物さえ見たくもなかったからだ。
　ところでクラウドのあのおかしな行動の原因は、蒸し暑かったせいだとジャックは考えている。しかし、それだけでは説明のつかないことも多々あった。
　例えば、何事にも慎重に準備万端調えるアレンの無線が、なぜに電池切れなどを起こしていたかとか。
　オチューの大量発生は本当にあったのかとか。
　とにかくこのミッション、ジャックも判断が狂いっぱなしだった。
　ソルジャーたちも、悪戯好きが昂じたとはいえ、ミッション中になにもかも放り出して熱中することなど、これまでありえなかったはずなのだ。
　おそらくゴンガガの森には、なんらかの呪いがかけられているのだろう。
　それはきっと、カエルたちの歌に塗りこめられているのに違いない。

THE END.

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