IT HAPPENS ALL THE TIME

「おお、ウータイだ、ウータイだ」輸送機のコックピットに押しかけたボードは、翼の下にひろがる異国情緒豊かな建物群を見おろして、子どもみたいにはしゃいでいた。
　ジャックは、ともすればパイロットを揺さぶりかねんほどの彼を押し戻す。「いいかげんにしろよ。遠足じゃねえんだぞ」
「似たようなもんだろ」あっさり言いきって、ボードは再び窓にべったりと貼りついた。「マイコにゲイシャにサシミ！　くうう、チョコボ連れ歩いて遊ぶぞ！」
　ジャックはソルジャーたちに引っぱりまわされる少年の姿を想像し、同情のために瞑目した。いまそのチョコボは、自分の運命も知らず、どこかでぐっすり眠っていることだろう。
　ジュノンからほぼ半日、輸送機(ゲルニカ)に詰めこまれての長い空の旅に飽きてきたこともあって、ジャックは疲労感とともにコックピットを出た。
　指揮官用のキャビンの前を通ると、足音を聞きつけたか、アレンがそこから顔を出す。
　ちょいちょいと指でジャックを招くので、彼はますます重い足取りでキャビンに入った。「なんすか？」
　部屋は狭かったが、ふたつのシートと壁に備えつけた簡易テーブルとが置いてある。そのシートのひとつに大将がその長身をもたせかけ、膝の上にチョコボを載せていた。
　どうでもいいけどよ、クラウド、おまえ、大将をベッド代わりによく眠れるよな。「……チョコボ、寝すぎなんじゃねえすか？　ジュノンからずっと起きてない気がするんだけど」
「睡眠魔法(スリプル)をかけてある」ドアを閉めながらアレンが事務的に呟いた。「目醒めて吐かれでもした日には、到着するまで眠れなくなるだろうからな」
　ジャックは苦笑する。「十二時間ぶっ通しで寝るってのも、健康にはよくねえんじゃねえかと」
「体力低下と睡眠不足のまま、ミッションに突入するよりはましだ」セフィロスがぼそりと呟いた。「ゴドーとの交渉にもよるが、今回は長引きそうだからな」
　アレンが唇を歪める。「だからクラウドは置いていけと――」
「そんなに広範囲に展開するんですか？」ジャックは眉を寄せた。
　アレンがジャックに向きなおった。「追い立てるのはモンスターだが、狩るのは別のものだ」
「ああ……」ジャックは寄せていた眉のあいだにますます深い皺を寄せた。モンスターミッションに見せかけたゲリラの焙り出し。数年前までは、第一部隊(ザ・ファースト)の仕事といえばそういったものばかりだったような気がする。「そういうことね……ザックスには？」
「あれに話したら全員に筒抜けだろうが」
「けど、あれでもいちおう、おれより階級一個上なんですがね」
「そうだったか？」なかば本気で忘れていたという顔で、アレン。
「そうだよ」
「まあいい、とにかくおまえに話したのは、あれのせいだ」アレンは親指を立て、チョコボを示した。
　クラウドは深く眠っているようなのだが、ときおりぐずる赤ん坊のように手足をばたつかせている。生理的にはもう目醒めてしかるべきなのだから、その暴力は仕方がない。押さえつけるセフィロスの腕や、顔や、腹を殴り、引っかき、蹴りながら、少年は昏々と眠りつづけていた。
「クラウドが、なに？」
「いかにもソルジャーたちのペットというあいつが、ウータイの街なかで野放しになっては、ゲリラやテロリストどもの標的になりかねん。少し、おとなしくさせておいてくれ」
　だからよ、なんでそういう役を、おれにまわしてくるんだ。「それこそ、大将におんぶ紐で括りつけときゃいいじゃねえっすか」
「俺に子守りをさせる気か」
　その姿の、どこが子守りじゃねえっての。「わかりましたよ。できる限り目は離さないようにしときますって」
「気のまわしすぎかもしれんがな」アレンが吐息まじりに呟く。「ウータイではソルジャーは目の敵にされているのだ。ほかの連中の行動も慎重にさせろ」
　アレンの危惧は当然のことなのだが、どうもボードを筆頭に、第一部隊(うち)の連中は誰も、あの地域が数年前までドンパチやってたとは考えていねえような気がするんだよな。果たして、おとなしくエリート然としていてくれるかどうか。
　そろそろ着陸という時間に輸送機(ゲルニカ)の後部へと行くと、やはり連中は降りる準備などそっちのけで、ガイドブックをかこんでわいわい騒いでいた。
　その輪のなかにザックスも入っていたが、マイコの話題に花を咲かせている連中の話には興味なさげにしていて、ほかごとを考えているように見える。
　ジャックは彼の肩をどついた。「なんだ、おまえ、女の子の話に乗らないなんて珍しいじゃねえの」
「おれは、ごく庶民的な女の子が好きなんだよ」ザックスは大仰に両手を広げ、頭上を振り仰ぐ。「豪華に飾りつけたお人形さんより、ころころ笑う、可愛い、ほっぺたの柔らかそーな……」
　ジャックは聴覚のスイッチを頭のなかで切り替え、彼の声を遮断した。「ディーク、シュウ、おまえらも着陸準備しろよな。いくら現場直行じゃないからって、浮かれすぎだ」
「輸送機(ゲルニカ)降りたら、まずどこに行くかって話をしてたんだ」ディークがぱらぱらと雑誌をめくりながら、どうやら悩んでいるらしい。「シュウはダチャオ像に土足であがるなって怒るしよう……結局、時間も時間だから、温泉つきの――」
「おれは、かめ道楽でサシミの盛りあわせが食いてえんだよ」クィンが飛び跳ねる。
「いや、マイコだ。マイコの行列を拝んでだな」
「マイコは行列になんかならねえよ、花魁道中と間違えてんじゃねえか？」
「おまえらな……」ジャックは盛大に溜息を吐いた。「どこぞの団体観光客みてえな真似すんなよ」
「おれ、ウータイは初めてなんだよな」遮断したはずのザックスの声が、ジャックの耳に強引に割りこんできた。「ジュノンにもウータイ出身の女の子とかいたけどよ、マジにみんな、あんなに小粒で可愛いのか？」
　確かにウータイ地域(エリア)の人々は平均的に小柄だ。「ところ構わず、引っかけるんじゃねえ」
「おれもソルジャーになって初めてだけど」ディークが呟く。「その前には一度だけ行ったことあるぜ。確か四歳のときだ」
　だからなんなんだよ。「まさか憶えてるとか言わねえよな」
「あんまり。せいぜい、酒甕のなかから助けてもらったことぐらいかな」眠そうな目を遠くに向けて、ディークは記憶を掘り起こしたらしい。「なんだか知らねえけど、捜索隊とか出てたみたいでよう……」
　四歳の幼児が、なんでそんなところから助け出されなきゃならない事態に陥っていたのか、ジャックは少し怖くて訊けなかった。もっとも、本人も憶えてはいないだろう。「とにかく、神羅の宿舎に入るときは速やかにな。女を引っかけるのも、遊ぶのも、食べるのも、飲むのも、そのあとにしろ」
「宿舎ってなんだよ、色気ねえなあ。旅館ぐらい泊まらせてくれねえのか？」クィンが不満げに唸る。
「慰安旅行じゃねえんだよ、馬鹿野郎！」

＊＊＊

　ぶうたれるソルジャーどもを、神羅の駐屯地、その片隅にある宿舎に押しこんで、ジャックはザックスを引きずって滞在のための諸手続きに走りまわった。
　いつもなら、そうした事務仕事はアレンがてきぱき整えるのだが、いま将官のふたりは、ウータイの代表者、ゴドーに面会に行っている。いや、脅しつけに行っていると言ってもいい。それでゲリラ基地のひとつやふたつ人身御供にさし出してくれるなら、こっちも楽だし、死傷者も少なくてすむからだ。
　ゴドーが表向き神羅の支配に甘んじ、裏でニンジャの養成を行なっているということは、双方とも暗黙裡の了解事項だった。もっとも、ゴドー自身が直接ゲリラ支援をしているとは限らない。むしろ、ウータイの最高権力者にもコントロールできない反対勢力というものも存在するのだ。
　まあたぶん、おれらの仕事が楽になるようなことはないだろう。ニンジャの頭領というゴドーの立場もある。
　ようやく面倒な事務処理を終えてくると、宿舎の広い談話室では例によってクラウドが玩具になっていたものだ。
　チョコボはいま、ボードやクィン、ディークに無理やり両手をあげさせられていた。サクラの花びらを散らした薄い藤色のフリソデというものを着せられ、青いシンプルな帯をぐるぐるに巻きつけられているところだ。
　手続きが終わるまでは外に出るなと言い含めていたせいで、ソルジャーたちも暇だったのかもしれない。少年は、シュウがどこからか持ちこんだ色鮮やかな民族衣装で、すっかり着せ替え人形にされていたようだ。彼らの足もとには、ほかにも赤や青やオレンジ色のキモノが放り散らかされていた。
　ジャックはなにを言うつもりもなかった。使うアイテムは違うが、いつものことだったし、なにより……似合っている。
　おそらくザックスも同感だったのだろう。彼らは入口でふたりして立ちつくし、非常に真剣なソルジャーたちの作業を、同じく真剣な目でじっと見守ってしまった。
「なあ」クラウドがばんざいをさせられたまま、怪訝に眉を寄せる。「ほんとにこれ、ウータイの民族衣装なのか？」
「ほんとだって」クィンがオビジメとオビアゲという、アクセサリーのように見えて、じつは帯を固定するのに必要なアイテムを、あれこれと選びながら答えた。「シュウがいてくれて助かったよな。着付けなんて誰も知らねえもん」
「動きにくい。苦しいし」
「クラウド」彼の背中でぎゅうっと帯を締めあげながらシュウが言った。「ウータイ人はこうして普段から忍耐力を養うんだ」
　胸を締めあげられ、クラウドは、「うっ」と呻きながらも、ひどく真摯な表情で頷いた。「なるほど」
　……納得するなよ。
　そのフリソデが未婚女性の着るものだということは、もちろん誰も指摘しない。
「クラウドおお！」ザックスが耐えきれずといったように叫んだ。「おれはぜひ、おまえといっしょに、かめ道楽でサシミを食いたい！」
　素直に連れて歩きたいと言えばいいものを。「いいんだけどよ」ジャックは吐息をついた。「もうちょっと地味なものにできねえか？　ここはウータイなんだしよ。あんまり目立つのも……」
「大丈夫だって」ボードが安請けあいする。「こーんな可愛い子ちゃんがソルジャー候補生だなんて、誰も――」
　クラウドの鉄拳を顎に食らって、ボードはのけぞった。大概、おまえも学習能力がねえよな。
「痴漢の心配もなさそうだな」ディークが感心したように、ぽつりと呟いた。
「派手でも地味でもどうでもいいけど、どこに武器つけるところあるんだ？」クラウドが帯のあいだや袖を、ぱたぱた点検しながら訊ねる。
　ソルジャーたちがあせったように、たがいに顔を見あわせた。
　シュウがひとり落ち着いていて、おもむろに彼の肩に手をかける。「心配ない。この懐刀を帯に差しておける」と小さな装飾用のナイフをぐいぐいと胸のあたりに挟みこんだ。
　だが、こと武器類については目が肥えているクラウドだ。そんなものでごまかされるわけがない。「使いものにならないよ、これ」
「馬鹿と鋏は使いようだぞ、クラウド」
「うう……」
「そうそう」と、クィンが慌ててつけ加えた。「手近のもので間に合わせられるようにしとかなきゃな。サバイバル訓練だと思えよ」
「わかった、訓練なんだな」
「そうそう」
　素直というか、馬鹿というか。訓練のひとことで、ちょっとした疑問や違和感はすっぱりと無視してしまえるこの性格は、いったいどこで培ってきたのやら。
　ってか、これまでさんざんその策(て)で玩具にされてきてるってのに、まだ気づかねえのか、クラウド。
　シュウが小さな箱を持ちあげてそのなかをいじりはじめたが、クィンとボードが彼を隅に連れていってぼそぼそと相談したあげく、その箱の蓋を閉めて戻ってきた。その彼の表情は、好物を取りあげられたイグアナみたいにしぼんでいる。
　ジャックがこっそりその箱のなかを見ると、花やリボンのついたカンザシが十種類ぐらい入っていた。……確かに、これがクラウドに見つかったら、さすがにあの鈍感チョコボでも自分が女の子の格好をさせられていると気づくことだろう。断念せざるを得なかったはずだ。
「おい」とアレンの声がし、振り返れば副官が部屋の入口に立っていた。「少し交渉が長引きそうだから……クラウド、おまえ、そのかっ――」
　ジャックはザックスとの見事な連携を披露して、アレンを廊下に連れ出した。
「……おまえたち、なにを企んでいる」部屋のほうを指さしながら、アレンは低く囁いた。
「まあまあ」ザックスが、にやにやしながら両手をあげた。「ああしてクラウドで遊んでりゃ、あいつらもおとなしくしてるって。大目に見てやれよ」
「本当だな？」
　ジャックは頷いた。たぶん。おそらく。きっと。
「連れて出歩いたりするなよ？」
　ジャックは頭をかいた。「いや、連れまわすぐらいなら……」
「あれでは確実にナンパされる。余計な騒ぎを起こさせるなと言っているんだ」アレンは鋭く言った。
　ああ、やっぱり可愛いとは思ったわけね。
「だよなあ」ザックスも、ぼんやりと部屋のほうへ首をめぐらした。「クラウドだってわかってなきゃ、おれだって声かけるぜ」
「ザックス」アレンは、がつりとザックスの脳天に拳を落とした。「おまえもジャックといっしょにクラウドの面倒を見ろ。いつものように、そこらの女の子にふらふらとついていくな」
「へいへい」
「で、いつごろ、ミッションにかかれそうなんです？」ジャックは訊いた。連中がいつ騒ぎを起こすか、はらはらしているよりは、さっさと前人未到の地へ出発したほうが気が楽だ。
「わからん」アレンは首を振った。「いま、セフィロスは玄関でゴドーと睨みあっているところだ。座敷にあげてもらえるのがいつになるかによるな」
「ああそう……」ウータイの風習では、身分がどうあれ、家の主人が絶対だ。あの大将のことだから、そのうちそれも無視して脅しかけるだろうけどな。
「とにかく、本当に頼むぞ」アレンは重ねて強調し、ふと思い出したようにつけ加えた。「それから、クラウドのあの格好は、セフィロスが戻ってくるまで変えさせるなよ」
「は？」
「話を聞けば、あの馬鹿も見たいと言うに決まっている。二度も女装させられては、クラウドが気の毒だろうが」
　理屈の通っているような、通っていないような……ジャックは複雑な心境を抱えながら、同じような表情をしているザックスと顔を見あわせた。「……着崩れねえようにさせとかねえとな」
「どうやってだよ？」
　暴れたがりの少年をおしとやかにさせておくことの難しさを、ふたりとも身に沁みて知っている。
　ところが、アレンを送り出し、談話室に戻ると、ジャックもザックスも同時に冷や汗を流した。
　部屋のなかはもぬけの殻だったのだ。

＊＊＊

　ウータイの街並みは、観光業を立ちあげたばかりとあって、現在はいささか、ごちゃごちゃしていた。
　古い家並みと新しい外地域向けの店が乱立し、まだ店舗のそろわない場所では、昼夜問わず露店が並んでいる。それでもすでに観光客の受け入れは始まっており、人の量は相当なものだ。
　もともと車輌文化はあまり発達していなかった地域でもあり、大通りといえど、それほど広いものではない。でこぼこした石畳は古く、長年大勢の人間が往来してできたへこみが、あちこちに散らばっていた。
　その上を、さらに大勢の人々が歩き、立ち止まり、または走る。
　そしてソルジャーたちの軍靴も、怒涛のように通りすぎていった。
「待ちやがれってんだ！」ザックスが吼える。
　ジャックも通行人を押しのけ、避け、跳び越して彼らを追った。
　ひとり。
　ふたり。
　ええい、三人、四人……五人め。
　ジャックはやっと、大脱走の主犯格だろうひとり、クィンの捕獲に漕ぎつけたものだ。
「クラウドはどこだ！」ジャックは小柄なソルジャーを揺さぶった。
「ディークとシュウが連れて逃げた」と、通りの先を示すクィン。
　少し離れたところで、ザックスがボードを押さえこんでいた。「おれが連れ歩こうと思ってたのに！」
「ひとり占めすんな！」
「うるせえ、毎回毎回、おれのいねえところで遊びやがって」
「そういう問題か！」ジャックはクィンを彼らに投げつけて叫んだ。
　周囲には野次馬が集まりつつあった。完全に包囲される前に、彼らはとりあえずそこから離脱し、これまで捕まえた連中を宿舎に押しこんだものだ。
　宿舎に誰か見張りがいるわけではないが、ザックスに殴られ蹴られ、それに抵抗して暴れているうちに遊びに行く気力をなくしたようなので、再脱走を試みる者もそれほどいないだろう。
　そしてジャックとザックスは、本格的な捜索に取りかかった。といっても、食事屋という食事屋を片っ端から覗きまわったというだけのことだ。飲み屋を外したのはクラウドがいるせいだった。さすがにあれを酔っ払わせると、アレンよりも物言わぬ大将のほうが怖い。そのあたりは彼らでもちゃんと学習しているはずだった。
　だが大通りをくまなく捜し、ボードからぶん取ったガイドブックに載っている店はすべてチェックしたにもかかわらず、あの派手なフリソデ姿のチョコボを連れたふたり組は見つからない。もっとも、いかにも記念撮影用といったマイコやら大道芸人やらがいるので、あのクラウドの姿も霞むというものだろう。
　ジャックは少し奥まった路地、一軒の酒家の裏側で立ち止まり、ザックスと街路図を睨みつけていた。「どうするよ」
「どうするったってなあ……むこうにシュウがいるってのがネックだぜ。勝手知ったる地元だろ」ザックスは首をこすり、途方に暮れたようにあたりを見まわす。「おれらの立場も立場だから、一般市民の住居密集地に乗りこむわけにいかねえし」
　おお、えらい、えらい。ちゃんと考えてるじゃねえか。
「よっしゃ」ザックスは意を決したように拳を握り、表通りのほうに目を向けた。「こうなったら、どこかでひとりかふたり、女の子を引っかけて――」
　ジャックは彼のハリネズミ頭を殴りつけた。「そういう裏技ばかり使うんじゃねえっての」
　と、頭上から殺気……というよりも、敵意。
　なんで頭の上からという疑問は横に置きつつ、ジャックもザックスも、さっと左右に跳びのいた。
　彼らのいた真ん中の地面に、ざくりとブーメランが突き立つ。
「なんだ？」とザックスがまばたきながら、それを見つめた。
　ジャックは酒家の屋根を振り仰ぐ。
「勝負！」
　かなり可愛らしい声とともにそこから落ちてきたのは、十歳ぐらいの、おそらくは女の子。器用にも呆気に取られていたザックスの肩に跳びおりると、そこに腰を据えて、ぽかぽかと彼を殴りはじめたものだ。
「なんだ、なんだ、なんだ」首に巻きつけられる細い足をどうしたものかと悩みながら、ザックスがうろうろと歩きまわる。「おいジャック、なんとかしろ、これ」
「なんとかったって……」ジャックはおそるおそる両手を伸ばし、少女の身体をザックスの頭から引き抜こうとした。
　彼女はザックスの頭に、文字どおり、かじりついていた。しかし所詮は子どもの腕力だ。歯もそれほど丈夫ではない。細い身体を壊さないかと慎重にしても、すぐにその女の子は、ぽろりと剥がれた。そのとき、彼女が握りこんだザックスの黒髪が何本か勢いよく引き抜かれはしたようだが。
「ってえなあ。なんだよ、おまえ？」ザックスが思いきりしかめつらをしながら頭をさすった。
「勝負だって言ってんだ、このくそソルジャーども！」ジャックに抱えられながら、じたばたと手足を振りまわして高らかに叫ぶ少女。
「めっちゃくちゃ口の悪いガキだなあ」ザックスは彼女の顔を覗きこんだ。再び髪を掴まれ、慌てて取り戻すソルジャー。
　ジャックは彼女をわきに抱えたまま、地面に突き立っていたブーメランを拾いあげた。竹を削ってできたそれは、完璧に玩具だ。「これはお嬢ちゃんのか？」
　思いきり両手をばたつかせ、彼女は叫んだ。「返せ！」
「ほらよ」ジャックは返してやった。
　玩具を受け取り、ジャックの腕からぴょんと地面におり立った少女は、あらためて彼らをびしっと指さしてくる。「あんたたち、ソルジャーだろ。うちのみんながそう言ってた」
　彼女はウータイ独特のあの民族衣装ではなく、Ｔシャツにショートパンツという、じつに機能的な服装をしていた。まあ、キモノがもてはやされているのも、その独立した歴史文化を楽しむ外地域人の興味でというだけだ。いくら地元民でも、普段からあの面倒な着付けをしているわけがない。
　ジャックはザックスと並んで彼女の前でしゃがみこんだ。「そのおうちの人は、こんな夜遅くに出てきて怒らねえのか？」
「お嬢ちゃん」ザックスが猫撫で声を出した。「あと十年経ったらつきあってやるからさ。今日はおうちに帰んな」
　その彼の顔面に、ショートパンツから伸びた細い足が蹴りこまれる。たぶんザックスはわざと避けなかったんだろう。それにしたって、子どもに蹴り入れられてひっくり返ってちゃ、ソルジャーの面目丸つぶれだろうが。
「馬鹿にすんなよ！」彼女は不器用に中指を立て、いっぱしに脅しつけてくる。「アタシだってニンジャの端くれなんだ、子ども扱いすんな！」
「すんません」ザックスはのろのろと起きあがった。
「で？」ジャックは膝に両手をぶらさげながら彼女を見つめた。「おれたちになんの用？　まじめに勝負とか言うんじゃねえだろうな」
「あたりまえじゃんか！」ブーメランを突き出してくるので、ジャックはわずかに身をのけぞらせてそれをよけた。
「だけどよう――」
　ザックスはひらきかけた口を閉じ、肩越しに通りを見やった。
　ここは裏通り。人通りは少ない。そして彼らの背後から、さらに反対側からも、二、三人の男たちが歩いてきたのだ。雰囲気的に、観光客でも神羅の人間でもなさそうだった。
　ジャックは少女の身体越しに視線を投げる。「後ろのおじちゃんたちは、お嬢ちゃんの知りあい？」
　ニンジャ娘はくるりと振り返り、いかにも人攫いですという雰囲気の男たちをしばらく見つめた。
　ジャックに向きなおって彼女は首を振る。「知らない」
「おれら、なにに巻きこまれちまったの？」ザックスが項垂れた。
「知るかよ」
「よその方々、このまま引き取っていただけないか？」ひとりがえらく丁寧に声をかけてきたが、脅しが含まれている口調でもある。
「んー」ザックスはしゃがみこんだまま、目だけで彼らを見まわした。「おれらが先にナンパしたんだけど？」
「あ」少女が代表で口をひらいた男を、きっぱりと指さした。「このあいだ、親父に突っかかってた人」
　わずかに目を細める男を見やりながら、ジャックは少女に訊ねた。「お嬢ちゃん、お名前は？」
「ユフィ・キサラギ」
　活きがいいと思ったら、御大の娘かい。そりゃ、人攫いも珍しくはないだろう。いまはウータイも、いろいろと分裂してるからな。
「よその人間が深入りするな。ろくな目を見ないぞ」
　その脅し文句に、ザックスが物騒に笑った。「その喧嘩、買った」
　ジャックは彼のバスターソードが抜かれると同時に地面を蹴り、少女をタックルすように肩に担ぎあげながら、正面の男たちを突破した。
　ほぼ同時に鞘走りの音が連続する。銃ではなく小太刀を出してきたってことは、やっぱりニンジャか。
「ザックス！」振り返りざま、身を沈めてひとりに足払いをかけながらジャックは叫んだ。「とりあえず逃げるぞ」
「なんで！」剣の平でふたりの男をべちべちぶん殴りながら、ザックスが振り返った。
「協定にウータイ文化財産の保守ってのがあるんだよ。てめえが街なかで暴れた日には、また戦争になるだろうが！」
「めんどくせえなあ」バスターソードを肩に担ぎ、ひとりを蹴り飛ばしながら乗り越えてくるザックス。
「忍術来るよ！」少女がジャックの肩の上で叫んだ。
　おお、さすがにニンジャの卵。よくおわかりで。ジャックは舌打ちをこらえ、彼女を放り投げた。
　ザックスが子どもを空中で受け止め、前方に突出すると同時に、かまいたちの竜巻がジャックを包みこんだ。
「防御(バリア)！」魔法でそれらをはじいたものの、多少なりと空気の刃が彼の服と皮膚を切り刻んでいる。忍術というやつは気配もわからんから厄介このうえない。「この……雷電(サンダー)！」
　彼のすぐ後ろまで迫っていたひとりが、電撃にはじかれてのけぞった。
　その彼を掩蔽にしていたらしい男が、すぐと跳びあがってくる。
　ジャックは剣を抜きざま、その小太刀を撥ね返した。
「あっ、このガキ！」
　ザックスの間の抜けた叫び声に、ジャックは振り返った。大柄なソルジャーが十歳の小さな女の子を捕まえようとして果たせず、こけているところだ。ニンジャ娘は左右にぴょんぴょんと逃げまわり、手の届かないところまで退がると、思いきり舌を出した。「いっただき！」
「この馬鹿娘、恩を仇で返しやがって！」
「無事ならいいだろう、放っておけよ」ジャックは襲ってくる小太刀をあしらいながら叫んだ。
「放っとけるか、マテリア持ってかれたんだ！」
　ジャックは片手で顔を覆い、溜息をついた。その隙にニンジャが振りかぶってくる。彼はよけ、相手を蹴り飛ばした。「ソルジャーの商売道具だろうが、おまえ、簡単に盗まれるなよ。始末書もんだぞ」
「うるせえ！」ザックスは襲撃者の喧嘩を買ったことなどすっからかんに忘れて、子どもを追って遠ざかっていく。
「おい、おれひとりで……ザックス、てめえ、憶えてろ！」
　叫ぶジャックの横合いから、再びニンジャのひとりが小太刀を突き出してきた。剣を返そうと向きなおるジャックだったが、本能的に間に合わないと判断する。
　防御(バリア)を使うかどうか迷ったその一瞬に、だが相手はいきなりのけぞった。
　そうして、よろめきながら口から吐き出したのは青い草履だ。
　さらにその隣の男が、今度は前のめりに倒れ、地面に突っ伏した。彼の後ろに立っていたのはディークだった。
　剣の柄で後頭部を殴り終えた彼は、武器をしまいながらあたりを見まわす。「面白そうなことしてるじゃないか」
「面白くねえよ！」
　草履を捨てて横跳びに退がった男は、シュウに首をかためられ、そのまま壁に激突させられて気を失う。
　ずるずると地面にくず折れる男を見おろして、シュウが嘆かわしげに溜息をついた。「最近の忍者の質も落ちたな」
　ジャックは抜いた剣でふたりを交互に指し示した。「いったい、てめえら、なにしてやがった」
「なにって、クラウド連れていろいろと見物してたんだよ」ディークが両手を広げる。
　ジャックはようやく剣を収めた。「どこのメシ屋にもいなかったじゃねえか。街じゅう捜したんだぞ」
「メシなんか、いつでも食える」シュウがむすっとして呟いた。「的撃ちに行ってたんだ」
「あ？」
「小さな弓矢で丸い的(まと)の真ん中を当てるゲームだった」その声に振り返ると、花びらの散ったフリソデをひらひらさせて、クラウドがとことこと近づいてきていた。
　地面に放り出されていた草履を回収する少年は、その片腕に景品らしき大きな人形を抱えている。どうでもいいが、結構な値打ちもんだぞ、それ。
「ああいうゲームにクラウドを連れていくと、つまんねえよな」ディークが軽く吐息をつく。「全部当てやがるんだ。店の人が、もうやめてくれって泣きついてきたよ」
「魔法の気配がしたから来てみたんだけど」クラウドはあたりを見まわした。通りの向こうから点々と、目印のように男たちが転がっている。「あんまり暴れてると、アレンに怒られるぞ、ジャック」
　……あのなあ。
「こいつら、どうするんだ？」ディークが訊ねた。
　ジャックは疲労感をおぼえながら、ひたいをこすった。「放っとけ」
「それじゃ、今度こそサシミ食いに行こう」シュウがチョコボを促がして、とっとと歩き出した。
「待てい！」ジャックは声を限りに叫んだ。

＊＊＊

　ディークとクラウドには、かめ道楽で待つよう言い聞かせ、ジャックはシュウとともに、今度はザックスの捜索にかかることになった。チョコボといっしょにサシミを味わえなくなったシュウは不機嫌そうだったが、このウータイの街を熟知しているのは彼だけだ。ジャックは強引につきあわせていた。
　いったいあの馬鹿ザルは、ニンジャ娘を追ってどこまで走っていったのやら。少女の身許が身許なだけに、へたすりゃ、あいつのほうが誘拐犯で手配されかねない。
「あと捜してないのは、ダチャオ像と五強の塔だが」街外れの辻で立ち止まり、シュウが吐息をついた。「どっちも行ってほしくないし、行きたくない」
　街の郊外で花火が打ちあげられているらしい。観光業の目玉というところだろう。夜空に咲く火の花をぼんやりと眺めながら、ジャックは訊ねた。「それって、宗教上の問題か？」
「ある意味、そうかもな。俺はもうソルジャーだし、水神に受け容れてもらえるかどうか」シュウは林のむこうにそびえる山を見あげる。
　と、その林のなかから小さな影が飛び出してきた。
　うっかりぼんやりと見つめてしまったジャックの目の前を、ニンジャ娘はまたたくまに駆けていく。結構速いじゃねえの。
「待て、このくそガキ！」それを追って、ザックスがけたたましく駆けてきた。
　シュウを突き飛ばし、声をかけようとするジャックを無視したザックスは、塀から屋根へと跳びあがったニンジャ娘を見失うまいと、必死で走っていく。
　酒家の横にあった大きな樽に正面衝突し、それでもその樽を粉々に踏み砕いてまっすぐ走っていく頑丈さは、さすがにソルジャー、と言うべきなのか……いや、おれには、あんなでたらめさはねえぞ。
　とりあえずジャックは、シュウとともに彼らを追うことにした。
　ぶつかるものはとにかく撥ね飛ばし、踏みつけていくそのザックスのあとを追うのは、比較的楽だ。なにせ、障害物はことごとく、あいつが片づけてくれる。
　シュウはニンジャ娘のほうに焦点を定め、とっとと屋根の上へとあがっていった。見どころがあると、なんとなく嬉しそうに呟いていったものだ。
　裏通りをくねくねと走りまわり、ぽつぽつと歩いていた通行人や野良猫、飼い犬、またどこからか脱走してきた兎を蹴り飛ばし、彼らは走った。十歳の女の子の駆け足など、たかが知れている。たとえそれがニンジャの卵であっても、ソルジャーには簡単に追いつくことができるはずだった。
　ところが、シュウは面白がってわざと左右に逃がすし、それに翻弄されるザックスは、地上を大まわりしては悪態と文句を怒鳴り散らしている。ジャックはだんだん、つきあうのが馬鹿らしくなってきた。
　ところで、上を向いて走っているものだから、ついつい正面にあるものに対して注意散漫になるのは仕方がない。ジャックはザックスのあとを追って大通りを横切ろうとしたとき、思いきり飛び出してきた人影に正面衝突した。
　やべえと思ったのは、跳び起きるのと同時だった。相手が骨折していないことを祈りながら目を走らせると、尻餅をついていたのはディークだった。
「ジャック！」と、彼にしてはひどく焦燥の入り混じった声で叫んだ。「クラウド、見なかったか？」
　ジャックは路上に坐りこんだまま、一瞬、意識を失ったように思う。「……なんだと？」
「花火を見ようってんで広場行ったんだ。けど、思ったより人出が多くてよう……ジャック、大丈夫か？」
　大丈夫じゃねえよ。おれ、これからは絶対、修学旅行の引率者に敬意を払うぜ。
　そして、そういうときに限って駄目押しが来るんだよな。
「おおい」と陽気に手を振りながら歩いてきたのは、ボードだった。
　ジャックはさらにその場に倒れこみ、石畳に両手をついて身を支えた。「マジに勘弁してくれ……」
「どうしたんだ？」
「さあ？」
　ジャックは四つん這いのまま彼らを見あげた。「宿舎脱走したのは何人だ？」
「脱走ってなんだよ。べつに謹慎食らってるわけじゃねえだろ」
「何人、宿舎に残ってるんだって訊いてるんだよ！」
「誰も」
　ジャックの眩暈は唐突に終わった。
　彼はすくっと立ちあがり、きびすを返す。「もう、おれの手には負えん。アレンと大将呼んでくるわ」
　背後にボードの、「やめてくれ！」という嘆願の声を受けながら、ジャックはそれをきっぱり無視し、五強の塔のある方向へとまっすぐ歩いていった。

＊＊＊

　アレンと大将の出動に、ソルジャーたちはそれぞれ必死で身の処しかたを探ったようだった。だが所詮は付け焼刃。しかも、さんざん歩きまわってウータイにはにわかに詳しくなったジャックの道案内もある。街じゅうに散ったソルジャーたちは片っ端から捕獲され、宿舎に放りこまれた。
　ボードはなかば覚悟していたらしく、露店でできる限り注文したものを消化している最中に、アレンの拳を後ろから食らったらしい。イカの燻製を喉に詰まらせ、長いあいだ苦悶したそうだ。
　しつこく逃げまわっていたクィンは、ジャックの待ち伏せであえなく逮捕。地の利を生かして寺の鐘のなかに隠れていたシュウも、偶然ながら楽に見つけられた。まったく、時鐘を打ちに行った寺の住職が、どれほどびっくりしたことか。
　意外にも時間のかかったのはディークだ。こいつときたら、でかい酒甕のなかに隠れていやがった。
「思い出したよ。あの頃、旅館の子どもたちと仲よくなって隠れんぼしてたんだよな、おれ。なかなか見つけてもらえなくて、二日間、そこにいたんだ。懐かしいなあ……」と、彼は現実逃避したものだ。まあ、アレンの無言の睨みつけを前にして、その気持ちはわかるけどよ。
　ザックスは街外れで、ニンジャ娘と遊んでいるところを捕縛された。
　ゴドーの娘があまりにぐずるので、ザックスは仕方なくマテリアをプレゼントすることにしたらしい。彼女は見よう見まねで魔法を使おうとしていたが、訓練しなければ簡単にできるものでもない。「ニセモノじゃんか！」と喚きながら、少女は家に連れ戻されていったという。
　クラウドはといえば、案の定、ナンパされ、アイスクリームをおごってもらっているところだった。大将の登場で、男たちがたちまち逃げ散ったのは言うまでもない。
　セフィロスはそのままフリソデ姿のクラウドを引きずって、かめ道楽に行き、サシミ料理を堪能したらしかった。それを聞いたザックスは、そのうち後ろから刺してやると息巻いていたが、いつになることやら。
　そんなこんなで、これほど大騒ぎをしてもウータイから神羅への苦情が行かなかったのは、ひとえにニンジャ娘のおかげだ。というより、ニンジャ娘をかっ攫おうとした男たちのおかげだと言うべきか。連中があれからどうなったのかはわからないが、とりあえず、彼らの手から娘を守り、ついでに遊んでやったってことがゴドーの沈黙を約束させたらしい。意外にもニンジャの頭領は娘に甘いようだった。
　まったく、ジュノン基地だろうがウータイだろうが、連中ときたら、前夜祭まがいのこの馬鹿騒ぎをせずにはいられないのだろうか。
　まあ、いまさら言っても始まらない。いつものことだしな。
　そして明日からは長期間のミッションに入る。
　このミッションが終わったら。
　またいつもの退屈で騒がしい日々に戻るんだろう。

THE END.

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