IT HAPPENS ALL THE TIME 2

　ザックスは、ぞくりとして立ち止まった。
　談話室の片隅にある一段高いタタミの床の上で、いつものようにシュウが瞑想していたのだ。そしてその横にはチョコボが寄り添っていた。
　いや、べつにいいんだけどよ。どこでザゼンしようが、おまえらの勝手だ。けどさあ、ドアあけて真正面に、ふたりしてじっと無言でお出迎えはやめてくれねえ？
「おおい、生きてるか？」ザックスは声をかけ、彼らに近づいていった。
　目をつむって眉を寄せ、懸命に邪念を払おうとしている少年の顔を覗きこんでみる。「くらあうどっ、あそぼ！」
「………」
「しかめっつらしてるぞ？」ザックスはつんつんと頬を突ついてみる。苛立たしげなオーラが少年から立ち昇るが、意地でもなにも言うもんかという姿勢が、なんとなく可愛くなってしまう。
　彼はさらに顔を近づけ、指で自分の顔を引き伸ばしてみせた。「クラウド、見ろよ」
「………」
「だめか」ザックスは身を起こした。「しょうがねえなあ。んじゃ、おれがお話を聞かせてやるから静かに聞いてろよ」
　ザックスはこほんと咳払いをし、あらたまった口調で一気にまくし立てた。「昔々、あるところに女にもてもてのかっこいい兄ちゃんがおりました。そいつは一羽のチョコボを飼っていて、なにくれとなく世話をし、一生懸命に育てていましたが、そのチョコボはある日、陰険な目つきの悪い男に呪いをかけられてしまいました。チョコボはなんと、人間になってしまったのです。少年になったチョコボはクラウドと名前をつけてもらい――」
「やかましい！」
　クラウドの蹴りがザックスの後頭部にクリティカルヒットした。ザックスは床にうつ伏せに倒れ、しばらく再起不能になったほどだ。
「チョコボチョコボと連呼しやがって、人が真剣にやってるのに、あんたはどうしてそう邪魔するんだ！」
　ザックスはのろのろと身を起こした。「だって暇なんだもんよ」そして彼は窓のほうへ向けて手のひらをさし出してみせる。「空も曇って、いまにも雨が降りそうだし、新しいハニーのところに行くにも億劫でさあ」
「だからって、なんでおれなんだ」クラウドは執務室のあるほうへと廊下を指さした。「ほかにもいるだろ。ディークとかクィンとか、なんならアレンに遊んでもらえよ！」
　ザックスは上目遣いにクラウドを見あげた。「もしかしておまえさあ、まじにおれ、仕事してねえと思ってる？」
「仕事してるところなんか見たことないよ」
「ふっ」ザックスは鼻で笑ってみせた。「そうと気づかれずに仕事を片づける、これが有能さの証さ」
　クラウドはタタミからおりて軍靴を履きながら、じろりと彼を睨んでくる。「じゃあ、始末書の多さも有能さの証ってことだな？」それから思い出したように手を打った。「あっ、このあいだ作成してやった始末書、ちゃんとサイン入れたか？」
　ザックスは思い出せなかった。「なんの？」
「マテリア紛失しただろ」
「んな、ビー玉のひとつやふたつ」
　クラウドは思いきりザックスの頭を踏みつけてきた。「ふざけるな」
　そのまま体重をかけ、背中に乗りあがって歩き越えると、クラウドはとっとと廊下へ出ていく。「いいか、これまで溜まってる始末書、全部提出しろよ。でなきゃ、《遊んで》あげない！」
　ザックスは苦笑まじりに身体を起こし、ばたんと激しく閉められたドアを見つめた。「ちぇっ」
「怒らせただけだったな」シュウがぽつりと呟いた。
　ザックスはウータイ人を見あげる。「おまえにもわかる？　あいつ、やっぱり元気ないよな？」
「あんたの励ましかたには少し問題があると思う」シュウはかすかに首を振りながらザゼンの足をほどいた。「せっかく俺が、無我の境地を体験させてやろうとひっぱりこんでいたのに」
「無理にやらせたって意味ないんじゃなかったか、それ？」ザックスは胡乱げにタタミを見つめた。「そんな草を編んだ上に坐ってさあ、ようするに脳からアルファ波が出るまでじっとしてるだけだろ」
「坐禅の意味もわからんやつに説明する気はない」シュウは素気なく言って壁ぎわにある茶箪笥からポットと急須を取り出し、緑茶を淹れはじめる。「茶の湯でもよかったのだが、甘い菓子と苦い茶の組みあわせが、どうも気に入らなかったようでな」
「おれも遠慮したいね」だいたい、あれは足が痺れるぞ。
「ふむ」と、シュウはぼんやりと天井を見あげて何事か思いついたらしい。「今度は活花でもやらせてみるか。もちろん振袖を着せて」
「それ、あいつはもう、着ないぜ」
　驚いたようにくるりと振り返ってくるシュウ。「似合っていたのに！」
「だからさ、あれが未婚女性用の伝統衣裳だっての、クラウド、どこからか聞いてきたらしいんだ。一昨日(おととい)、例外なく、みんなまとめて殴られただろうが」
　着せ替え人形にして遊んでいた連中はもとより、黙って見ていただけのザックスもアレンも腹に一発ずつ拳を食らっている。ちなみに、不発に終わったもののセフィロスも襲われた。だからザックスは例外なくと言ったのだ。
「そうか……」本気でがっかりしたように背中を丸めるシュウ。「チョコボが暴れるのはいつものことだと思っていた……そうか、もう、着てくれないのか」
　それからシュウは、そろそろと四つん這いでタタミの上を移動し、茶箪笥の下のほうの戸棚をあけて大きな箱を取り出した。
「なんだよ、それ？」
「髪飾りだ。これなんか似合うと思ったのだが」
　彼が取り出したのは小さな紫陽花と空色の小さなリボンを組みあわせたカンザシだった。
　ザックスは溜息をついた。「おまえ、なに考えてるんだ？」
　シュウは無言で買い溜めていたらしいリボンやらカチューシャやらと、いろいろ検分したあと、再び大事そうに茶箪笥の下に隠しなおす。
　それからザックスを振り返ってきた。「続き、ないのか？」
「なんの？」ザックスは眉を寄せた。
「クラウドに聞かせていた昔話の続きだ。人間になったチョコボはどうなったんだ？」
　ザックスは少し考えた。「そりゃ、あれだ。呪いを解くためにソルジャーになってだな、紆余曲折のすえ、陰険で目つきの悪い男をやっつけ、めでたしめでたし」
「そうか、いい話だな」感銘を受けたように頷きながらシュウは呟いた。
　……まじかよ？

＊＊＊

　クラウドは元気がなかった。
　どこが？　と言われても説明はできない。
　相変らず拳も蹴りも飛んでくるし、遠慮なく怒鳴り倒してくるが、やはりそのスピードといい、威力といい、キレがない。
　いや、逆だ。暴力を振るいすぎなんだ。
　確かに以前から、禁句を口にしたり、からかいすぎたときには掣肘を受けていたものの、よほど勘に堪えなくならない限り、クラウドはじっと我慢の子だった。そのあたり、年齢に似合わず鷹揚とも言える。
　それがいまや、先刻のようにすぐにいらついたり、人の頭を絨毯代わりにしたりしてくる。
　……反抗期かもしれない。
　いや、ふざけるのはよそう。まじめな話、本当にあいつは落ちこんでいる。少なくともなにか物足りなくて仕方がないんだ。
　そんなふうにぼやいてみれば、「そりゃ、原因はジャックのことだろ」と、ディークはこともなげに言った。
「核心突くよなあ、おまえってやつは」ザックスは椅子を斜めに倒し、ぶらぶら揺らしながら呟いた。「伝令には向かねえくせしてよ」
「真綿でくるんだ言いかたしたところで事実が変わるわけじゃないからな」ディークは言いながら忙しくペンを走らせる。「ところでよう、何枚の始末書にサインしなきゃならねえんだ、おれ？」
「あと……」と、ザックスはファイルをめくった。「五枚だな」
「普通、始末書なんて書かずに過ごせるやつのほうが多いんだけどなあ」
「うるせえな。細かい取り決めをする管理部が悪いんじゃねえか」ザックスは彼の手もとの書面に指を突きつけた。「ほれ、さっさとおれのサインを書いていけよ。言っておくが、こないだのカードでの貸しはまだまだ残ってるんだからな」
「でもよう」ディークは吐息をついた。「管理部はいいけど、クラウドやアレンはごまかせないぜ？」
「名前さえ書いてあれば文句ねえだろ」
「ほんとに反省してるのかね、この男は……なんのために始末書を提出しなきゃならねえのか、全然わかってねえ気がするんだけどよ」
「これを提出しなきゃ、なくしたマテリアとか、ソルジャーバッジとか、壊れた軍靴だとか、いろいろと新しいやつを補充してもらえねえだろ」
　ディークが眠たそうな目をザックスに向けてきた。しばらくそうして見つめたあと、首を振りながらまた作業に戻る。「反省って言葉を知らないんだな」
「それくらい知ってるさ」ザックスはむっとして応える。「例えばクラウドにボコボコに殴られたときとか、アレンに延々説教されたときとか、大将に無言で睨まれたときとか、もう絶対、やりませんって気にもなる」
　再び手を止め、呆れたように見つめてくるディーク。「あんたが恐れてるのはその三人だけか」
「ほかにあるか？」
「いや……」ディークはデスクに向きなおった。
　しばらくのあいだ、かりこりとペンの音だけが虚しく執務室に響く。
　いま、この執務室にはアレンもクラウドもいなかった。ここのところ、クラウドはアレンに集中的に戦略戦術を叩きこまれていて、ときどき情報部の資料室にこもることがある。もちろん、まじめにデスクワークをしているソルジャーたちなど、ほかにはいなかった。
　そしてセフィロスは、ジャックの戦死報告がてら、年に一度の定期健診のためにミッドガルの科学部門に出張している。
　セフィロスは神羅で生まれ、神羅で育ったこの会社最大の兵器だ。したがって、おれらに比べても《点検》は念入りに行なわれていた。戻ってくるのは明日か明後日か……とにかく不機嫌になって帰ってくる大将を宥める役は、ぜひクラウドにやってもらわねえと。去年も、あいつに変態呼ばわりされた途端に機嫌よくなったもんなあ。それまでは毎年毎年、この時期は戦々恐々としてたもんだ。
　でもそのクラウドがああいう調子じゃ、つかのまの平和も望み薄ってとこか。
「なあ」最後の一枚に署名をしながらディークがぽつりと言った。「ジャックのやつ、どこに行ったのかな」
「死んだやつに、どこ行ったもねえだろ」ザックスは突き放すように応えた。
「意味、わかってるだろ？」
「おれ、そういうこと考えるの、あんまり好きじゃねえんだよ」
　そういやジャックは、そういうことをうだうだ考えてるようなやつだったな。最近じゃチョコボに夢中で、あまり沈んだりしてなかったけど。
「あいつの切札(ワイルド・カード)、アレンか大将だと思ってたんだけどなあ」
「ふん」ザックスは彼から書類を取りあげ、ファイルに入れこんだ。
　とどめ役、か。幸い、ザックスはまだ、そうした経験はない。テロリストやゲリラを相手にしたことは何回かあるが、同じソルジャーに剣を向けたことはなかった。
　それでもその隠語に込められる複雑な意味は、ソルジャーになるときにほとんど本能的といっていいほど覚えこまされる。処置のあいだにそうした情報や記憶が、どういう具合か自分の中に入ってくるのだろう。だが科学部門の連中はそこまで知らないようだった。
　しかし、ソルジャーにとどめを刺すのも、ゲリラやテロリストたちをあの世へ送るのも、それほど違いなんかないことじゃねえか？　おれたちソルジャーも彼らと同じ生きものに違いないじゃねえか。
　だからたぶん、クラウドは立て続けの戦場経験で、ちっと疲れちまってるんだよな、うん。
「なあ」ザックスはファイルで顔を仰ぎながら呟いた。「パーティやろうぜ」
「あ？」ディークが顔をしかめた。
「パーティだよ、パーティ」ザックスは両手を広げた。「考えてみりゃ、ソルジャー全員ではやったことねえだろ」
「毎日、顔つきあわせてるのに鬱陶しい」ディークはごめんだとばかりに力なく手を振る。
　まあ、そう言われりゃあ、そうなんだけどよ。
「んじゃ、運動会かな」
「なんだよ、その唐突さは」
「いいじゃねえか、どうせ暇なんだ。全員に声かけろって。クラウドも忘れんなよ。いまから三十分後にフル装備で訓練施設(ジム)に集合！」
「抜き打ちの強制訓練ってわけか」ディークはのろのろと腰をあげた。「騒げりゃ、パーティだろうとなんだろうと、どっちでもいいんだな、おまえ」

＊＊＊

「どうしておれまで……？」と、怪訝そうに呟いたのはクラウドだった。
「おまえ、訓練好きだろ？」クィンがきょとんとして言う。
「べつに好きというわけじゃないよ」クラウドは頭髪をかきまわして眉を寄せた。「こういうのは困る。セフィロスに禁止されてるのに」
　ザックスは振り返った。「おまえな、父ちゃんに訊かねえと、なんにもできねえ箱入り娘みたいなこと言うんじゃねえよ」
「なんだよ、それ」じろりと睨みあげてくるチョコボ。「とにかく、おれはやらないからな」
「なんで」
「だから、やるなって言われてるんだ」
「どうして」
「変な癖がつくからって」
　ザックスは自分の頬が、ぴくっと引きつるのをおぼえた。「変な癖ね、変な……あんのくそ馬鹿大将、おれらのことをどういう目で見てやがる！」
　天井に向かって吼えたザックスの肩を、ボードがぽんぽんと叩いた。「まあ、いまさらだろ」
「おう」ザックスは立ちなおり、集まった全員を見まわした。「訓練目標、決まりだ」と彼はバスターソードを抜き、その大きな刃でクラウドを指し示した。「どんな手を使っても候補生にまいったと言わせろ」
　しばらくのあいだ誰も動かなかった。クラウドひとり、なかば反射的にぎごちなく無表情が崩れたのみだ。
「……それ、いじめって言わねえか？」クィンが呆れたように目玉をまわした。
「いじめ？」ザックスはわざと大きく繰り返してみせる。「いじめられてるってのは、例えば毎日毎日、クラウドに殴られ蹴られ、アレンに怒鳴られ、居残りさせられ、大将に陰険な目で射殺されてるってことだろ？」
「おれ、そんなに殴ってるか？」クラウドが真剣に考えこむ。
　本気で心あたりがないといったその様子に、ソルジャーたちのほとんどがそれと気づかないぐらい同時に頷き、視線を少年に集中させた。
「だから、ここはひとつ、クラウドに謝ってもらおうというわけだ」ザックスはバスターソードを床に立てて胸を張った。
「大人げねえ……」ボードがぽつりと洩らす。
「ああもう」ザックスは剣を振りあげた。「問答無用だ、行くぜ！」
　めいっぱい振りおろすその刃から青い波晄が迸る。それはまっすぐとクラウドめがけて直進した。
　ところがクラウドのやつ、横に跳んで軽くよけやがった。それは背後にいたソルジャーのひとりに襲いかかり、彼はかろうじて防御姿勢を取ったものの、壁に叩きつけられたようだ。
「てめえが暴れたいだけだろ！」ボードがザックスの横から蹴りつけてくる。
　ザックスはその足を剣の柄(つか)ではじき、続いて平を使ってボードの腰を思いきり叩いた。「おれは訓練と言ったんだ、まじめにやりやがれ！」
　床を転がってすぐと起きあがったボードは、自分の剣を抜きながら唸った。「こんの……雷電(サンダラ)！」
　がらんどうの単なる四角い屋内訓練場を、天井から床へ、そして逆向きに、稲妻が数えきれないほど立ち昇った。ソルジャーたちの悲鳴がてんでんばらばらに湧き起こり、防御(マバリア)を叫ぶ声や罵声が飛び交う。
「魔法は禁止だ、禁止！」ザックスは急いで叫んだ。
「うっせえ！」ボードは再び魔法を仕掛けようと、魔力を溜めながら叫び返す。「どんな手を使ってもっつったのはおまえだろ！　旋風(トルネド)――」
「沈黙(サイレス)」ディークが熱くなっていたボードのすぐ後ろから、彼に耳打ちするように言った。声帯の機能を麻痺させる魔法だ。
　べつに呪文を唱えなければ魔法が使えないというわけではないが、イメージ形成力に影響を及ぼすのは確かだ。発動しかけていた旋風(トルネド)は中途半端にそよ風を起こしたにとどまった。
　ボードは口をぱくぱくさせて怒りに顔を真っ赤にし、振り向きざまディークに剣を突き出した。それをディークが跳びあがってよけ、ぼうっと突っ立っていたふたりのソルジャーがそれに巻きこまれる。
　これで反撃をしないようなやつなど、この第一部隊(ザ・ファースト)にはいない。たちまち剣戟を始めた彼らだった。
　それを横目に向きなおれば、シュウがクラウドにのんびり声をかけている。「俺が勝ったら、これを頭につけてくれ」
　手に握っているのはザックスも先日見た紫陽花の髪飾りだ。
　ザックスは脱力しながらも横合いから襲ってきた剣をはじいた。本当にいったい、なにを考えてるんだ、あいつ？
　クラウドはそれを長いことじっと見つめ、それから凍りついた唇の片端を無理やりという感じで捻りあげた。「おれが勝ったら、あんたがつけるのか？」
「承知した」シュウは頷き、同時に剣を鞘走らせる。
　シュウの居合い抜きは、普段の動かない彼にしては意外なほどの鋭さを誇る。それとわかっていても、ザックスなどには見切れないときのほうが多いぐらいだ。
　だがクラウドは、ほとんど同時に跳びあがった。その足の下を真空の刃が飛び出し、そのまま訓練場を縦断していく。
「いきなり、ひどいじゃないか」文句を言うチョコボ。
「ひでえのはこっちだ！」クィンが抜剣しながら叫んだ。「おれの腕、持ってかれるところだったぞ。どうしてよける！」
「どうしてって、よけなきゃ死ぬだろ」
　クィンとシュウとに挟まれ、クラウドはとっさに身を沈めた。ふたりの剣が甲高い音を立てて咬みあった。
　そのまま斬りあいになったふたりの下から、クラウドはそろそろと抜け出、そうっと忍び足で出口へ向かっている。
　ザックスは駆け出した。「逃がすかっての！」
　クラウドは短く叫んで、ザックスの大斬りを跳びよけた。そのまま身体を返し、壁沿いに走りはじめる。「だから、できないんだって言ってるだろ！」
　ザックスは追った。「いいから立ち会えよ！」
「おれ、あいつに殺されるよ！」チョコボは逃げる。「強制的に癖を治させられるのに、どのくらい殴られると思ってるんだ？」
　この期に及んで敵わないとは言わねえんだな、てめえ。
　ザックスは足に力を入れ速度をあげた。追いつく寸前で跳びあがり、剣といっしょにクラウドめがけて落ちる。
　だがザックスの剣は、彼の目の前の床を大きくへこませたのみだった。クラウドは間一髪で急停止したのだ。わずかにたたらを踏んだところを、ほかのソルジャーがふざけ半分に剣を突き出してくる。
「邪魔すんな！」ザックスはそいつに足払いをくれてやった。
　その隙にチョコボに逃げられる。ザックスは邪魔をした男を踏み越え、再び黄色い頭を追った。
　訓練場内は、でたらめに剣を振りまわすソルジャーたちで非常に危険な状態になっている。剣閃どころか、ときどき魔法の炎があがったりもしていた。その中をチョコボは身を沈めてくぐり抜け、跳び越え、倒れかかってくる誰かを蹴り飛ばしながら出口に向かって逃げた。
　ところどころで強化合金でできているはずの床や壁がぼこぼことへこみ、歪む音がしていた。十人ばかりが暴れただけで内装工事が必要になるとは、神羅の施設もやわにできてるもんだよな。
　ディークがたまたま、クラウドの頭上を跳び越えた。まるで鷹の影を察知した小動物のように、クラウドの動きが一瞬止まる。そこへザックスは突っこんだ。
「もらい！」横に引いた大剣に誰かがひっかかったが、ザックスは構わず振った。
　クィンが叫びながら、バスターソードといっしょにチョコボにぶつかっていく。ふたりがこんぐらがって倒れたところを、クィンと対戦中だったシュウが斬りこんだ。
　ギン、と鋼のこすれる音がした。どうにも逃げ場がなくなり、クラウドが抜剣したのだ。
　ふたりの隙間に嵌まりこんでいたクィンが、そのあいだをするりと這い出てきた。そうしながら大声で叫ぶ。「クラウド、抜いたぞ！」
　ザックスは振り返りたかったが、ちょうどひとりに喧嘩を売られていて、その暇がなかった。しかし、どうやらクィンの言葉に触発されて何人かが少年に殺到しているらしい。
「ふざけんな！」クラウドの罵声とともに異様に軽快な剣戟の音が連続した。とうとう切れたな。
　複数の悲鳴が響いてくる。
「チョコボが怒った！」
「止めろ、捕まえろ！」
　ザックスは相手を突き飛ばしながら叫んだ。「大将のスピードについてこれるやつなんだ、本気でやれ！」
「おれは、やりたくないって言ってるだろ！」
　ザックスの目の前を金色の影が走りすぎた。思わず一歩退がった彼の腹に剣刃がかすめていく。
「おお、危ねえ……」ザックスはよろめきながら数歩後退した。
　ディークがボードを跳び越えてクラウドに迫った。が、同じように突っこんできていたシュウと激突し、両者とも左右に大きくはじかれる。
「なにするんだ」
「そちらこそ」
　異様にのんびりした短いやりとりののち、ふたりは剣を突きつけて睨みあう破目になった。
　そのあいだにボードがクラウドとの攻防に四苦八苦している。まだ声帯が麻痺しているせいで、得意の魔法を出せないでいるのだろう。
　あまり巧みとは言えないボードの攻撃をはじき返して、クラウドは柄を彼の喉に突きこみ、跳びあがって続けざまに両足の踵を同じ場所へ打ちこむ。
　後ろへ倒れるボードを踏み台に、クラウドはそのまま駆け出した。
「まだ逃げるのかよ！」ザックスは絡んでくるクィンを突き飛ばして追った。「諦めて立ち会えっての！」
「つきあってられるか！」肩越しにクラウドは叫び、そのまま全速力で外へ飛び出そうとした。
　そして入口に立ちふさがった影に、そのチョコボ頭を正面衝突させたものだ。
　ザックスは床に溝を作らんばかりに足をこすりつけ、急停止した。「げっ……」
　クラウドは反動で転倒していた。背後の連中は喧嘩に夢中で、まだ入ってきた人物たちに気づいていない。
　入口にほとんど空気のように立っていたセフィロスは、じろりと広場の騒ぎを一瞥すると、足もとで起きあがりかけているクラウドを見おろした。
　横にいるアレンが大騒ぎを目の前にしても口を噤んでいるところを見ると、大将の機嫌は相当に悪いらしい。
　ザックスは凍りついた手足を、なんとか動かそうと身じろぎした。「帰ってくるの、ずいぶん早いんじゃねえ？」
　セフィロスの手が閃き、起きあがったクラウドを張り飛ばした。
　拳でないだけましとはいえ、それでも細い身体は十歩ほど横へ飛ばされ、そのまま壁に激突する。
「なにしやがる、てめえ！」ザックスは叫んだ。
　その腹へ、セフィロスの膝頭がめりこむ。ザックスは鳩尾を押さえてうずくまり、呼吸の方法を模索する破目になった。
　騒ぎはぴたりと収まっていた。
「ふん」とつまらなさそうに息を吐き出し、セフィロスはきびすを返して出ていく。
　なんなんだよ、いったい……。
「ほら解散だ、解散」アレンが手を叩いた。
　ソルジャーたちがそれぞれに身じろぎを始め、武器をしまいはじめる。
「誰かクラウドを――」
「おれ、大丈夫……」よろめきながら立ちあがるチョコボ。
「丈夫でよかったなあ」ザックスは思わず呟いた。
　アレンの蹴りが再びザックスの鳩尾を抉った。

＊＊＊

「おまえは騒ぐことしか頭にないのか」
　翌日、兵舎の中庭を横切りながらアレンが呆れたように言った。昨日から、もう何度、こうしてぶつぶつ文句を言われたことか。
「だってよう、おれなりにクラウドを元気づけようと思ってだな」
「それで運動会か？」
「あ……もしかしてディークに聞いた？」
　アレンは深々と溜息をつきながら、しかし歩調は変わらず、まっすぐ片隅の倉庫へ向かっている。「おまえなら暴れていればなにも考えずにすむだろうがな、限界まで身体を動かすなんてことは、クラウドには慣れっこだ。効果はないだろう」
「悪かったな。どうせおれの思いつくもんつったら、それくらいしかねえよ。女の子紹介するにも、まだ早すぎるしよ」それからザックスはあたりを見まわした。「で、こんなところでなにするんだ？」
「来ればわかる」アレンは倉庫の前まで来ると、片手で大きな扉を横にスライドした。そうしながら肩越しにザックスを振り返ってくる。「まあ確かに、おまえにも厚い友情があるということぐらいは認めてやる。ただ……」
「ただ？」
「おまえと同じことを考えたやつが、ほかにもいるということだ」
「同じことって……乱痴気パーティでもやるのか？」
　アレンは中へ入ろうとした足を止めると、がくりと肩を落とした。「おまえの厚い友情とやらは、どうやら生ハム並みだな」
「パイナップルといっしょに食うやつ？」
「もういい、黙ってろ」
　ザックスは言われたとおり黙っていることにした。アレンは薄暗い倉庫内に入ると、奥へと進んでいく。
　片隅にソルジャーたちがほぼ全員集まっていた。驚いたことに、セフィロスまで少し離れたところに立っている。
「どうだ？」アレンは訊きながら彼らに近づいた。
「大丈夫、充分使えますよ」ひとりが応え、ディークがぼんやりと補足した。「あんまり、いじってないみたいです。エンジンも載せ替えてないし、マフに穴さえあいてない」
　彼らがかこんでいたのはデイトナだった。あれこれと点検や整備をしていたらしく、最初に応えたソルジャーは油まみれだ。
　ザックスは眉を寄せた。「これ、ジャックのだろ？」
「そうだ。本来ならソルジャーの遺物はすべて会社に委託されるのだが」アレンはセフィロスを指し示した。「あれが押さえてきてな」
「おまえたちが突きあげるからだろうが」セフィロスが面白くもなさそうに呟く。「こんな玩具のひとつやふたつで大騒ぎしおって」
　ザックスは複雑に顔をしかめた。「なんで、おれに話してくれねえんだよ。いじけちゃうぜ？」
　アレンが軽く蹴りつけてきた。「相談しようにも、おまえ、昨夜(ゆうべ)は官舎にいなかっただろう。今度は茶髪か？」
「じつは赤毛……って、どうでもいいだろ、とにかく、おれだけ仲間外れってのが気に入らねえ」
　ザックスが上官たちを睨んでいると、倉庫の入口のほうからクラウドのかすれた声が響いてきた。「なんだよ、また昨日みたいなことじゃないだろうな？」
　振り返れば、クィンとシュウに両腕を取られてチョコボが引きずられてきていた。
「いいから来いって」
　クラウドは疑わしげに周囲を見まわしながら近づいてくる。
　やがて倉庫の片隅にかたまっているソルジャーたちを見てますます眉を寄せ、しかしすぐその中心にあるものに目を留めた。
「それ……」
「こいつらが、おまえにやりたいそうだ」セフィロスが腕を組んだまま、しぶしぶと言った。
　クラウドは彼を見あげ、アレンを振り返り、ザックスを見る。ぐるりとみなを見まわしたあと、またデイトナに視線を据えた。「……いいのか？」
「乗ってみろよ」ザックスは親指を突き出した。
　そのチョコボ頭にアレンがヘルメットを押しかぶせる。「安全運転でな。それと、二度とメットは投げるなよ」
　こくんと頷くと、クラウドはさっそくバイクにまたがった。メットのおかげで顔が見えないが、ディークからキーを受け取ってエンジンをまわすその様子は、とても嬉しそうだ。
「街でも一周してこい」ボードがエンジン音に負けない大声で叫びながら、ばんと少年の肩を叩いた。
「ちょっと待て、外はだめだ。基地内だけで――」
　アレンが止めるまもなく、デイトナは走り出してしまった。あっというまに倉庫の扉をくぐり、晴れた眩しい外へと飛び出していく。
「おお、すっ飛んでったな」ボードが感心したように、ひたいに手をかざして見つめる。
「勝手に走らせるな、馬鹿者！」アレンが彼の頭をはたき、周囲のソルジャーに指令を出す。「誰か追いかけて止めてこい」
「水差すなって」ザックスは顔をしかめた。「免許は持ってるんだし、構わねえだろ」
「免許は免許でも、あいつはまだ仮免だ」アレンはひたいをこする。
　ザックスは首を傾げた。「そだっけ？　幼年学校じゃ、全部教えるもんだと思ってたぞ」
「卒業資格と同じで、十六になるまでは本免許はもらえないんだ」
「でも、仮免でも公道は走れるだろ？」クィンが両手を広げる。「そりゃ、違反すりゃあ取りあげられるかもしれねえけど」

　日本では特定の条件なしでは仮免許で公道は走れません。

　アレンは首を振った。「あいつは官服を着ていただろう」
「それが？」ザックスはちらりと振り返った。もちろんクラウドの姿はとっくの昔にない。
「この前の騒ぎのせいで交通課は第一部隊(ザ・ファースト)を目の敵にしているんだ」
　ああ、そういうことか。ちょっとした駐車違反でも捕まるってことだろうな。
　アレンはさらにチョコボの消えたほうを指さした。「あのスピードで走られたら絶対に目をつけられる。とにかく誰か止めてこい！」
　苦笑まじりにソルジャーたちはのろのろと駆け出した。ザックスとアレン、そしてセフィロスを残して彼らは倉庫を出ていく。
　それらを見つめながらセフィロスがぽつりと呟いた。「いいのか？」
「なにが」アレンが横目で上官を見やる。
「連中を街に解き放ってもいいのかと訊いたのだが」
「………」アレンは静かに青ざめたらしい。
　ザックスはすたすたと倉庫内を横切り、明るい太陽の下に出ていった。

THE END.

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