前編
寝坊して重役出勤した、天気も上々な正午に近い時間。
ザックスはソルジャー棟の最上階、第一部隊(ザ・ファースト)のオフィスのドアをあけ、その場で立ちすくんだ。
段ボール箱の壁が、かれを出迎えたのである。
「なんだ、こりゃ？」ザックスはそのまんなかあたりを蹴りつけた。
あまりにも軽いそれは、あっさりと吹き飛んで散らばる。そのひとつは正面のセフィロスのデスクを飛び越えて窓ガラスに激突した。
セフィロスのデスクには黒や青のファイルが乱雑に積まれ、そのむこうで大将のものらしき銀色の頭がちょっとだけ見える。その周囲でもくもくと煙が立っているのは、大将閣下がまた書類仕事もしないで、ぼんやりと煙草吹かしてるってことだろう。
ザックスは思いきり顔をしかめた。ソルジャーどもの机や椅子が取り散らかっているのはいつものことだが、大将デスクまであんなに乱雑になっていることは滅多にない。しかも毎日きちんと整頓して帰るはずのアレンのデスクも、また余分なものをいっさい置かないはずのクラウドのデスクまで、ごちゃ混ぜの物置になってるってのは、どういうこった？
ザックスは足もとに転がっている段ボール箱をひとつ蹴りよけ、もうひとつを片手に拾いあげながら、椅子をふたつ陣取って長々とのびているシュウに歩み寄った。
「これなんだ？」と、かれの腹に落としてやる。
「パッケージの文字を見ればわかるだろ」と応えたのはシュウではなく、そのうしろの端末に隠れるように身を縮めているクィンだ。
ザックスは、かれに向けて眉をあげてみせる。「たしかに、神羅製菓、チョコボチップスと書いてあるな」
「発注ミス」クィンは肩をすくめ、両手を頭上でぶらぶらさせた。「本当はクラウド用にライフルの弾を頼んだつもりだったんだけどよ」と寝たふりをしているシュウを睨みおろす。
「番号だけ入力して、確認しねえからだ」クィンの横からボードの顔もひょっこりと現われる。
「ちゃんと確認した」シュウは寝たふりをしたまま、憮然として応える。
「確認して、チョコボチップスか」
「欲しかったんだ」
そりゃ、発注ミスとは言わねえだろ。
「アレンがいねえんだから、よけいな仕事増やすんじゃねえよ。ったく」クィンが寝転んでいるシュウの頭をはたく。
「なんでアレンがいねえんだ。休日か？」ザックスはあたりを見まわした。たしかに赤毛の副官はいない。
ちなみに休日と言っても、ソルジャーには会社で保証される公休や有休などというものはなかった。あるのは待機日だけだ。したがって、第一部隊(ザ・ファースト)で《休日》と言えば、その待機日を指す。
「急に休み取って、チョコボ連れてっちまったんだ」ボードがつまらなさそうに肩をすくめ、すばやく声を落とした。「なにがあったんだか知らねえけど、おとといの午後から、ふたりして消息不明」
「ようするに、アレンがクラウド連れて家出したってことだろ？」
ザックスがそう叫んだとたん、たちまちボードやクィンに飛びつかれ、口もとを押さえられ、ついでに蹴りを入れられた。
「しーっ！」
「大将、刺激すんなよ！」
かれらに覆いかぶされた状態でデスクのほうを見やれば、セフィロスは書類の高層ビル街を前にして、いつものとおり椅子に身を沈め、煙草を吹かしている。だが銀髪の大将は、無表情ではあるものの、めちゃくちゃ不機嫌な空気を周囲に色濃く集めていた。
あー、なんとなく事情が呑みこめたぞ。またチョコボの教育について、アレンと意見の相違ってやつがあったにちがいない。
「いいから、どけってんだ」ザックスはクィンを押しのけ、大将のデスクに腰をかけた。書類のビルがひとつ崩れ、ザックスはその一、二ファイルほどを手にして、まだ崩れていないビルの上に積む。「なあ、今度はクラウドになにしたわけ、あんた？」
セフィロスはじろりとザックスを睨みつけてきた。「なぜそういう質問が出る」
「アレンがクラウドのおてて引いて、実家に帰らせていただきますって出てったんなら、十中八、九、あんたのチョコボ取り扱いが気に入らなかったってことだろ」
「実家だと？ そんなものがあいつにあるのか」
「ただのジョークだよ」ったく、通じろよ。ザックスは軽く両手をひろげてみせた。「いいか、大将、このありさまを見てみろ。誤注したものをどうやって管理部に送り返すか、だれもわかってねえんだぞ。それに、この溜まりに溜まった書類、だれが片づけるんだ？ あんたか？ できねえくせに」
「人のこと言えるのかよ」クィンがうしろで、ささやくように突っこんだ。
「うるせえな」ザックスは手の甲で、かれのひたいを軽くはたいた。クィンは頭を押さえ、数歩よろめき退がる。
「だからよ」ザックスはセフィロスに向きなおった。「どうせあんた、あいつらの行き先わかってんだろ？ とっとと仲直りして、副官と補佐官、連れ戻せよ。でねえと――」
「おまえたちがつまらんだけだろうが」セフィロスは溜息まじりに言って、短くなった煙草を灰皿で山を作っている吸殻の中に埋めこむ。
「それこそ、人のことが言えるのかってんだ」
セフィロスはザックスのつぶやきを無視し、さらに書類のビルを崩しながら、ひとつのファイルを取りあげた。「ぴったりの位置とはいかんが、いちおう予備ミッションがある」そして、それをぞんざいに放り投げてくる。「アレンがおらんから、おまえ、手配しておけ」
「なんでミッションって話になるんだ」ザックスはいちおうファイルをひらきながら、大きく顔をしかめた。「あんた、いちいちおれらを巻きこまずに、ひとりで解決しようって気がないわけ」
「俺が私用などで、のこのこジュノンを出てみろ。たちまち科学部門が色めき立つぞ」
「あう……さいでした」ザックスは肩を落とした。
そうだよな。おれらがどれだけ問題起こそうと、たいして処分もねえのは、この御仁がぜんぶ引き受けてくれてっからだ。でなきゃ、おれらだって、ほかのソルジャー部隊長になった１ｓｔ(ファースト)同様、とっくに洗脳されちまってるはずだもんな。
「いいんじゃねえの？」ボードがのんきそうに言った。「どうせチョコボもいねえし、ここにいたって退屈なだけだ。ミッションのほうが、まだましじゃねえか」
まあ、それもそうか。
ザックスはミッションの手配をするため、オフィスをのろのろと出ていった。
＊＊＊
クラウドは一羽のチョコボと柵越しに目を合わせていた。
本人は驚いているようなのだが、あまり表情が変わらないので、どうしても睨んでいるようにしか見えない。
「なにか疑問でもあるのか？」アレンは野菜籠をかつぎながら声をかけた。
クラウドはまだチョコボに見入りながらつぶやく。「ほんとに、これ、あの小さかったやつなのか？」
以前、第一部隊(ザ・ファースト)のミッションにまぎれこんできた子チョコボがいたのだが、さんざんソルジャーたちに遊ばれたあげく、この牧場に引き取られていったのだ。そのころ、そのチョコボは両手のひらに載るぐらいの大きさだった。それがほんの数ヵ月のうちに人を乗せられるほど大きくなるとは、クラウドも予想していなかったにちがいない。
ここはグリングリン牧場である。青々とした草原におおわれた大地、グラスランドの中央部にある自然豊かな田舎だ。ミッドガルやジュノン周辺の環境悪化も、この地域にまで及んではいない。モンスターも比較的少なく、一部地域を除けば、まだ人々は護衛を雇わずともこの草原を旅することができた。
さわやかな風波打つ碧(みどり)の海。気候は温暖で晴天がよくつづくこのグラスランドには、いくつかの牧場や農家が点在している。牛や馬はもちろん、チョコボも放牧されており、荒廃した土地での生活の疲れを、草と土の匂いに満ちた空気で洗い流すにはうってつけの場所だ。
とくに、チョコボに乗って気ままに走りまわり、見渡すかぎり、なにもない場所で手足を投げ出してみるのも、休日の過ごしかたとしては最上級のものだろう。
アレンはだいぶ以前から、この牧場の常連だった。牧場を営む若い夫婦は気さくで素朴な人柄だ。アレンの素性もうすうすは察しているだろうに、なにもかも訊かずにいてくれる。
かれらは畜舎から好きなチョコボを選んでいいと言われ、クラウドはとくに物珍しげに、一羽一羽、丁寧に無言で挨拶してまわったものだ。
そのなかに例の子チョコボだった鳥がまぎれていたのである。
クラウドはどこかで見たことがあると言い、チョコボのほうも興味深げにクラウドと対峙し、そのまま双方とも動かなくなったというわけだった。
クラウドはわずかに眉を寄せる。「ずるいな」
「なにが」
「なにがって……」クラウドは、むうっとふくれた。「ひとりだけ先に育つなんて」
アレンは苦笑を押し隠した。クラウドはちょうど成長期だ。ソルジャーたちにかこまれていなければ、十五歳としては充分すぎるほど背が伸びている。だがクラウドにとって、どんなものであれ、最終目標はセフィロスただひとりなのだろう。たとえ大部分を遺伝に左右される体格のことであってもだ。
「本当に上背を稼ぎたいのなら、セフィロスにつきあう時間を減らせ」アレンはクラウドの左腕を指し示した。
そこには包帯が巻かれ、少年の腕はぎゅうぎゅうに固定されている。その下には民間医者の縫いあわせた傷があるはずだった。
最近になって、セフィロスはクラウドの訓練に真剣を持ち出しはじめている。それは昨日今日、始まったことではなかったし、これまでは、かすり傷もつけずに手加減していたはずだった。
それが一昨日は、訓練を終えて帰ってきたクラウドの左腕が血まみれで、もともとアンバランスな髪型もいっそう短く、左側が刈り取られたようになっていたのだ。
あわてて少年を医者に連れていったあと、セフィロスを問いつめれば、「左によける癖を矯正しただけだ」と平然と答える始末。
できるかぎり口出ししないように努めてきたものの、縫うほどの怪我をさせたとなれば、横槍を入れずにはいられない。
そしてなによりも、放っておけば、セフィロスどころかクラウドも意地になって、「もう一回だ！」などと懲りずにやりはじめるからだ。まして療養という名目では、このチョコボ少年を自室に閉じこめておけるはずもない。
そんなわけでアレンは、事情を呑みこめていないままのクラウドを、なかば無理やりこの牧場へ連れてきたのだった。
クラウドは自分の左腕を軽く撫でた。「けど」
「骨が成長しようというときに筋肉や神経で圧迫しては、伸びるものも伸びなくなるぞ」アレンは籠から野菜を取り出してチョコボの気を逸らしながらつぶやいた。「どのみち、セフィロスに追いつくには時間がかかるのだから、あせるな」
「あせってるのはセフィロスのほうだろ」
アレンは片眉をあげ、チョコボ頭を見おろした。
クラウドはちょっとした沈黙に、いぶかしげな顔をあげる。「ちがうのか？」
アレンは吐息を抑えた。まったく、ほかのことはとことん鈍いくせに。「あの馬鹿に、いちいちまじめに、必死になってつきあうことはないと言っているのだ。おまえは自分のことを考えろ」
「自分のことって言われても、おれ、よくわからない」クラウドは右手をのばし、チョコボの喉をこちょこちょした。
「ばか、やめろ！」
アレンは叫んだが、遅かった。チョコボはひと声鳴き叫ぶと、クラウドの腹に嘴を突きこみ、さらに柵のあいだから足を突き出して蹴りつけたのだ。
蹴られたはずみで、クラウドは畜舎の隅にある干し草の山のほうまで転がっていく。アレンは興奮する鳥の嘴に野菜を突っこみながら、肩越しにふりかえった。
クラウドは草に埋もれたまま、大きく肩を上下させて呼吸を整えている。「びっくりした……」
「無事か？」
クラウドは胸を撫でおろしながら横手の壁に溜息を何度も吐きかけた。「ちょっと怖かった……」
アレンは一瞬、聞き違いかと思った。
だがクラウドは決意したように、きゅっと表情を引き締める。「おれ、もう、チョコボは怒らせないようにするよ」
なぜそんなことを真剣に宣言しなくてはならないんだ、おまえ？
「そうだな。そうしてくれ」アレンはうなずき、野菜を食べて機嫌を直した鳥を指し示した。「チョコボの怖さがわかったところで、乗ってみる気になるか？」
「いいのか？」クラウドは干し草をはたきながら立ちあがった。その青い眼は、明らかに挑戦の光を帯びている。「おれ、やるぞ」
やはり懲りていないな、こいつは。
＊＊＊
「クラウドがチョコボ牧場にいるのはいいけどよ」ディークが背後から恨みがましそうな声を出した。「おれらはいったい、ここでなにしてるんだ？」
「しょうがねえだろ、このミッションしか、ちょうどいいのがねえってんだから！」ザックスは軍靴の上から侵入してくる泥に不快な悪態をつきながら怒鳴った。
かれらが降り立った地は湿地帯だった。グラスランドとジュノンのあいだにあり、銀鉱山(ミスリルマイン)の東にひろがっている。
もともと湿った土地で、道もなく、馬車も車も通れないことから、そこにモンスターが棲みついていたとしても被害はほとんどない地域だ。だが以前から巨大な蛇が出没するとの噂もあり、予備調査として前々から第一部隊(ザ・ファースト)に依頼があったのだろう。
グラスランドに出かけたらしいアレンとクラウドを迎えに行くのに、このミッションぐらいしかちょうどいいのがないと、セフィロスはこの仕事を引っぱり出してきたのだ。
「それにしたって」ザックスは片足をぬかるみから引き抜きながら、食いしばった歯の奥からうめき声を出した。「まじめに湿地帯に踏みこむこた、ねえよなあ。蛇が何匹、とぐろ巻いてようが、おれは数える気にゃなれねえよ」
「たしかにな」ディークが背後をふりかえりながらつぶやく。
湿地帯はひどく視界が悪かった。冷たいのか、なまあたたかいのか判断のつかない、しっとりと濃い靄に覆われ、空はどんよりと曇って頭上にのしかかっている。もちろん道もないし、方向も見失いがちになるだろう。一面の灰色の平原の中にぽつぽつと草が顔を出しているが、道しるべの役には立っていなかった。
ザックスも立ち止まって背後に視線をやった。すでに頭のてっぺんから泥まみれになっているクィンが、ぬかるみからボードを大根みたいに引き抜いているところだ。そのむこうではロバートとカインがたがいに足を取りあい、ニックがひっくり返って泥飛沫をあげている。
「くそ、よりにもよって、こんなめんどくさいミッション選びやがって……」顔じゅうの泥を両手ですくい落としながら、ボードが立ちあがる。
「本人に文句を言え」ザックスは前を向きなおった。
「言えるかよ」ボードはもごもごとつぶやく。
「その本人はどうした」ディークが何気なく訊ねた。
「とっくにグラスランドに向かってるだろ」
「そうそう、いったんジュノンから出ちまえば、体裁整えるだけで、あとは自由だからな」
「おれら、体裁で泥まみれにされてんのかよ」
「チョコボのためだ、耐えろ」
「いや、チョコボは平和だって」
「アレンと牧場行ってるんだっけ」
「ミルクとか卵とか、うまいんだろうな」
「カルシウムいっぱい摂って、大きくなって帰ってくるさ」
「だったら、魚食わせろ」
「いつだって極上の餌食わせてるだろ」
「そうそう、甘やかされてな」
「チョコボに甘いのはいいが、なんでおれらがこんな苦労しなきゃならねえんだよ」
「チョコボのため――」
「聞き飽きた」
「なんかのおまじないみてえに、チョコボチョコボ言うな」
「だからよ――」
「うっせえ！」ザックスは前に向かって叫んだ。「てめえら、ちったあ黙って歩けねえのか！」
「黙って歩いてもいいけどよう」ディークがぼんやりと言った。「なんで、こんなにかたまってなきゃならねえんだ。いつものモンスターミッションなら、広範囲に分かれて輪をせばめてくのが普通じゃねえ？」
「でたらめにうろついたって、泥の中の蛇を見つけられるわけねえだろ」
「泥の中にいるのか？」
「ここに泥以外のなにがあるんだ」
ディークはあたりをぐるりと見まわした。「いや、いちおう、湿地帯特有の植物とか、この見通しの悪い靄とか」
たしかに丈夫そうな草はあちこち葉っぱを泥の上に突き出しているし、岩地に近いところには細々ながらも樹木はある。
「とにかくよ、どうせカモフラージュミッションなんだ。適当に歩いて、適当に蛇の死骸作ってりゃ、そのうち大将が戻ってくる。クラウド連れてな」ザックスは前方を睨みながら、また一歩進む。
だが、うしろにつづいていたソルジャーたちの足音も、転倒したさいの重い水音や、かれらの悪態も聞こえてこなくなった。
ザックスは肩越しに、かれらをふりかえる。「どうした」
ソルジャーたちはそろって、さらに背後を見つめていた。
灰色の靄の中の一点へ目をやりつづけながら、ディークがだれにともなくつぶやく。「なあ、あの蛇が、どうやって泥の中に隠れられるんだ」
「あん？」
そこには、靄をまとって、ぬっと伸びあがる影があった。
ソルジャーたちはしばし、沈黙の中ですべての感覚を麻痺させていた。ザックスも例外ではない。
クィンが、ごくりと唾を飲みこんだらしい。
ボードがうなずく。
ロバートも、ニックも、カインも、クリスも、そしてディークも、ザックスも、無言のまま、こくこくとうなずいた。
シュウだけが変わらぬ無表情のまま、しかし、ややかすれた声でつぶやく。「でかい」
その言葉が全員の金縛りを解いたらしい。
「逃げろ！」
「逃げてどうする！」
「てめえら、それでもソルジャーかよ！」
靄のむこうに漂っていた影は、いまはすでにはっきりと輪郭を取りつつあり、鱗に覆われたその凶悪にもつるりとした頭部を、かれらめがけて振り落としてきた。
＊＊＊
まさにチョコボライダーだな。
アレンは、ひたすら緑の草原を駆けつづける黄色い羽のかたまりを見つめていた。
クラウドは左腕が使えないことも手伝って、最初こそおぼつかなかったものの、どうやら、すぐチョコボとのコミュニケーションをうまく取れるようになったらしい。それほど複雑な手綱さばきも必要なく、いまはあぶなげなく鳥と一体化している。
チョコボのほうもクラウドを乗せていることはあまり苦にならないようで、自由気ままに、ふたり――ふたりと数えていいのかどうか疑問だが、そう数えてしまいたくなるのだ――は走って走って走りまわっていた。
アレン自身は一羽のチョコボも連れず、ただ、かれらが走るのを遠目で眺めるにとどまっていたが、万が一、クラウドが振り落とされた場合には、ちゃんと駆けつけてやる心づもりでいた。もっとも、これまでにも何度か落ちていたが、下はやわらかい草地のうえ、クラウドの性格からして、すぐに自分で跳び起き、止めるまもなく再挑戦したものだった。
おかげで、俺はすっかり保護者の気分だ。ちょっと身体が傾けば落ちるんじゃないか、チョコボが鳴けば、なにか怒らせてまた突つかれるのではと気が気ではない。我ながら過保護だとは思うんだが……。
クラウドはぐるりと大きく円を描くようにチョコボを御し、アレンのほうへとまっすぐ戻ってきた。チョコボは羽ばたきながら、まるでレースで優勝でもしたかのように、二、三度、跳ねて止まる。
「この鳥、飛べないのか」クラウドはチョコボの背中を撫でながら訊いた。
アレンは首を振った。「残念ながらな」
「山とか川とか……海は？」クラウドは、今度は鳥のほうに訊ねるように顔を向ける。
「越えられるのは、せいぜい湿地帯ぐらいだな」アレンは西のほうを指し示した。
遠く山脈が青空の下に壁を作っているその足もと、灰色に凝った靄が草原と山の境界をぼやかしている。あの靄のむこうには銀鉱山(ミスリルマイン)があり、鉱脈が尽きる前には働き手で賑わっていた場所だった。いまでは銀も採れなくなり、モンスターも徘徊するようになって放置され、すっかり寂れてしまっている。
もちろん休暇を取らせたからには、あそこまで連れていくつもりはアレンにはなかった。なにより、自分も武装を解いてリラックスしているのだ。マテリアとは言わないまでも、剣ひとつ持っていない状態では、あの湿地帯を越えようとは思わなかった。
だがクラウドはじっと、そちらを挑戦的に見つめている。
「クラウド」アレンは釘を刺した。「言っておくが、迷子になっても俺は捜してやらんぞ」
「そうじゃない」クラウドはまばたいた。「セフィロスがいる」
アレンは靄のほうを、もう一度見やった。「まさか」
あの鬼神がひとりでふらふらしているとは思えない。休暇を取ろうにも、かれがそんなことをすれば神羅上層部が大騒ぎになるはずだ。
現われる可能性があるとすればミッションということになるが、しかしアレンの知るかぎり、調査依頼も討伐依頼も、このグラスランドを対象にしたものはひとつもなかった。
だがクラウドがいると言うなら、たぶん、そこにいるのだろう。なぜか、そういう確信だけはしっかり湧きあがってくる。とはいえ、セフィロスがなんらかの都合をつけて現われたにしろ、なんのために来たのだろう。
目を細めて確認していると、クラウドがチョコボをゆっくり歩かせ、湿地帯に近いほうへと移動していった。アレンもあとを追う。
西からの湿った風が草原の乾いた空気と混じりあうあたりで、かれらはたしかに黒い鬼神の影を目視したものだ。
靄を左右に散らすようにして、セフィロスはこちらにまっすぐ進んでき、ブーツについた湿った泥などまるでおかまいなく、しっかりと草を踏んで近づいてきた。
アレンは腕組みし、かれを睨みつける。「奇遇だな、というほど狭い土地ではないぞ、ここは」
「連れ戻してこいと、ザックスがうるさいのでな」
あの馬鹿ザル、よけいなことを。アレンは口の中で悪態をついた。
セフィロスは立ち止まり、チョコボの上のクラウドを見やった。「腕は」
クラウドは右手のひらをひろげて、そこに視線を落とす。
「……逆の腕だ」
「包帯を取ってくれれば動かせ――」
「やめろ」アレンはすばやく言った。鋭い語調でとりあえずクラウドを黙らせると、かれはセフィロスに向きなおる。「よくひとりで出てこれたな。監視もなしか？」
あたりを見まわしても、だだっ広い草原に動くものといえば草とチョコボばかり。
「ミッション中だ」セフィロスはそう応え、クラウドにまた目を落とす。「加わる(ジョイン・ザ・バナー)か？」
「イエス――」
アレンはまたすばやく割りこんだ。「だめだ！」
セフィロスが不機嫌に睨みつけてくる。「俺は、これに訊いているのだが」
「あなたの言うことなら、はいと答えるに決まっているだろう。なんのために強制的に休暇を取らせたと思っている」
「休暇だったのか？」クラウドがきょとんとする。
「訓練だとでも？」
クラウドはうなずいた。「チョコボの訓練かと」
「チョコボ？」セフィロスがわずかに片眉をあげた。「訓練しなければならんほど、へたなのか」
とたんに少年はわずかに顔をしかめ、まわりの空気がたちまち不愉快さを示して渦巻く。「あんたは乗れるのか」
「必要ない」
「乗れないんだな」クラウドは勝ち誇ったように青い眼を光らせる。
セフィロスはクラウドから目を逸らし、チョコボに手をのばした。
「あ」
「おい」
クラウドとアレンの制止も間に合わず、セフィロスの黒い手袋はチョコボの喉に接触し、チョコボの嘴は一瞬の遅滞もなくセフィロスの腹にめりこんだ。
セフィロスはチョコボの首をつかんだまま、チョコボは頭突きをかけた姿勢のまま、双方とも一瞬凍りつく。
「……チョコボめ」セフィロスはつぶやくと、鳥の頭を強引に押し戻し、わずかに眉を寄せた。「似ていると思っていたが、反応も同じとはな」
「なにが？」クラウドが訊ね、セフィロスは軽く首を振った。
アレンはセフィロスの背後、湿地帯のほうを透かし見る。「ところで、ミッションというからには連中を連れてきたのだろう。どこで遊ばせているのだ」
セフィロスは軽く親指を立て背後を示した。
と、ちょうどそちらから爆発音に似たとどろきが響いてくる。おそらく火炎系の魔法だろう。
クラウドが怪訝そうにセフィロスを見おろした。「あんた、いいの」
「ミドガルズオルムの実在を確認すればいいだけの仕事だ」セフィロスは軽く鼻を鳴らした。「大きいというだけで、たかが蛇。すくなくとも逃げきれんようなソルジャーはおらんだろう」
素直に逃げまわってくれればの話だがな。アレンはこめかみをこすった。
「ザックス、喧嘩売ってるんじゃないか？」と、クラウドがつぶやく。
「ふん、ザックスはあれで計算高い。勝てないようなら売りこむことはせん」
「どのくらいなんだ」
主語もなく、いきなり疑問詞だけを飛ばしたクラウドを、アレンはいぶかしげに見あげた。
だがセフィロスには通じているらしい。「見たことはない」と、こちらも主語を抜いて応える。
やれやれ、また始まったか。クラウドは長いセンテンスを作ることに慣れておらず、セフィロスは普段から省くだけ省く。このふたりの会話には、なにかしらの法則があるのだろうが、ときどきアレンにも脈絡がつかめなくなることがあった。
アレンの困惑にも気づかず、クラウドはつづける。「勝てるのか？」
「だれにものを言っている」
セフィロスの唇が薄く笑みを刷き、とたんにあたりの草がざわりとさざめき立つ。クラウドを乗せた鳥が低く唸るように喉を鳴らし、その場で足踏みした。
「セフィロス」アレンは強引に割ってはいった。「クラウドはいま、武装していない」
「ちっ」
「ナイフは持ってるぞ」クラウドは腰に手をやる。
「ナイフで正宗に立ち向かうつもりか！」
思わず力いっぱい叫んだアレンだが、その声に驚いてチョコボがいきなり羽ばたいた。セフィロスとの対峙で緊張していたところを、うっかり刺激してしまったのだろう。
セフィロスがとっさに横に跳び退がり、パニックした鳥の突進をかわした。
「おいこら！」アレンが叫んだときには、チョコボを乗せたチョコボはとっくに湿地帯へと突入してしまっていた。
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