IT HAPPENS ALL THE TIME 2

１

　スミス巡査はジュノン交通課の巡邏員である。通常は警官、または警邏と呼ばれてはいるが、かれは巡査と呼ばれるほうが好きだった。
　ちなみにジュノンは神羅の造った街であり、その運営や管理はすべて神羅カンパニーが行なっている。したがって、スミス巡査は公僕ではなく、神羅の社員ということになるのだ。

　ところでこの街の住人は、ほぼ七割がたが神羅の社員である。交通違反の車を追いかけてつかまえてみれば、同じ会社の同僚だったということはよくあることだった。そしてスミス巡査は、違反者となれば、相手が軍部のお偉いさんだろうが、本部の部長さんだろうが、はたまた直属の上司であろうが、かまわず逮捕し、説教できる立場にあった。そしてかれは、違反者を見逃すことは、これまで絶対になかったのだ。
　あのチョコボライダーを除いては。
　今日も今日とて、チョコボは走る。二輪にしては相当の化物エンジンを積んだデイトナを、細身の少年が身を伏せるようにしてハンドルを握り、駆っていた。あの金髪がどうなっているのかは知らないが、かなりの風圧にもめげず、毛先はチョコボの羽冠のようにぴんぴんと立っている。
　ミッドガルから来た都市開発部門の統括だとかいう男を駐車違反として尋問している最中、スミス巡査はそのチョコボライダーがびゅんと湾岸通りを駆け抜けていくのを目撃した。

　むむ、ここのところ、ミッションつづきであいつも不在、ジュノンも平和だったというのに……ついに戻ってきたか。
　巡査はもちろん、すぐさまチョコボライダーを追いかけた。駐車違反の切符を渡していた同僚を巡回車(パトカー)に押しこみ、急発進させたのだ。サイレンを鳴らし、ほかの車やトラックを左右に停車させ、巡回車は湾岸通りを驀進する。
　同僚も、もう慣れたものだ。スミス巡査の怒鳴り声を右耳から左耳へと華麗にスルーしながら、文句も言わず（言う気力もなく）、アクセルを思いきり踏みこんだ。巡回車はぐんぐんと追いせまり、ほとんど見えなくなっていたデイトナの影が、徐々にはっきりと視認できるようになってくる。
　チョコボは薄青い春用のコートの裾をはためかせ、どうやらその下には相変わらず灰色の官服に身をつつんでいるらしい。軍属とはいえ、いちおうは給料が出るはずだろうに、私服を持っとらんのだろうか。

　スミス巡査はマイクを取りあげた。「くぉらあ、おまえ！　ひさしぶりだというのに、挨拶もせず素通りとは、何事だ！　停まれ！」
　高速運転中だというのに、同僚は窓のほうへ遠い視線を投げる。「おれたち、スピード違反をつかまえようとしてるんじゃなかったのか？　それとも久闊を叙すのか？」
「むろんスピード違反だ、そのうえヘルメット無着用！」巡査はさらに叫んだ。「停まれ、停まらんか、でないと、イルカ亭の俺のツケを……ん？」
　急速にチョコボライダーの背中が大きくなった。おそらく、むこうがスピードを落としたのだろう。

　黄色いチョコボ頭がはっきりと見えるほどにまで近づき、さらにちらりとふりかえったときの少年の青い目までもが確認できた。
「おう、気持ち悪いほど素直ではないか」巡査はつぶやき、窓から身を乗り出した。「観念したか？　そのままおとなしく停まってくれさえすれば、イルカ亭でおごってやるぞ」
　金髪の少年はこちらを見ながらバイクを横につけてきた。「悪いけど、おれ、急いでるから」とアクセルから手を放し、じゃ、というように軽く振る。
　当然ながら、すう、と大幅に速度を落としたバイクが後方へと流れていった。

　それを目で追っていた巡査は、大型バイクがぐんとかしぎ、横手の路地へとすべりこむのを見た。「逃げられた！」
「げえっ！」と、同僚が濁った叫びをあげる。
　舌打ちをこらえながら正面を向きなおれば、通行止めの黄色い看板が目前にせまっている。そのむこうには、道路の舗装工事のためか、どでかいショベルカーが鎮座し、クレーン車がそびえ、トラックのバリケードがさらに周囲をかためていた。
「よけろ、よけろ！」巡査は必死になって叫んだ。

　同僚はきっと、努力したのだろうと思う。
　ハンドルを右に切り、ブレーキを押しこみ――当然ながら、磨耗したコンクリート道路の上で、車は華麗にスピンした。
　くるくるとまわりながら工事中の看板をはじき飛ばし、トラックに激突寸前、かろうじて衝突を避けた巡回車は、そのまま海のほうへとすべっていく。
　落下防止のガードを軽く乗り越え、バウンドし、スミス巡査とその同僚を乗せた巡回車は、海と空の広大な世界へと気持ちよく飛翔していった。

＊＊＊

　ジュノンは世界最大の空港を持ちながら、稼動している航空機のすべてが神羅カンパニーの社用機であるという現状、そしてその絶対数の少なさから、あまり繁盛はしていなかった。むしろ神羅軍の設備の一部になってしまっている。
　だが海路ともなれば、民間の小型運搬船舶や漁船も、まだ現役で横行していた。もちろん、中央大陸へと内海をまっすぐ横断するような長距離船は神羅の運搬船以外には滅多にないが、ミッドガルの郊外港、カームにほど近い北の埠頭とを往復する船舶はいくらでもあるのだ。

　アル・ジュノンの港はそれほど広くないとはいえ、神羅カンパニーの運営する大型貨物運搬船のほかに、クルーザーに毛の生えたような短距離航路の船がちらほらと停泊している。
　神羅のいかにも軍用からの払いさげといった武骨な船とはちがい、そうした民間船はじつに個性的なデザインや色をしているし、舳先に飾られている女神像もさまざまな魅力があった。
　そのひとつ、〈ジェミニ〉号と名のついた小型客船は、船首はくびれて前方へと伸びあがるようにそそり立ち、船尾は裾を流すように広くなっている。全体的に白く羽をたたんだカモメのように優雅な曲線を持っていた。短距離航路の客船としては大きなほうだろう。
　この船で、セフィロスとザックス、そしてクラウドは、ミッドガルへ向けて旅立つ。

　なぜ神羅の交通手段を使わないかといえば、ミッションではないからだ。神羅はいちおう企業であり、創業記念というものがある。１ｓｔ(ファースト)ソルジャーの長であるセフィロスは、そのレセプションに出席しなければならず、そしてかれは、クラウドを連れていきたがったのだ。
　輸送機(ゲルニカ)や小型ヘリ(スキッフ)など、社用のための足を調達すれば、神羅の関係者が始終つきまとうことになる。衆人環視の中でチョコボを堂々と連れて歩くわけにもいかず、かれらは民間船を使うことにしたのだった。理由はどうとでもつけられるらしい。
　だがいま、肝心のクラウドがまだ港に到着していなかった。
　ディークはアレンと並んでタラップの足もとに立ち、客たちがおどおどと乗船していくのを見守っているところだった。

　乗客たちがびくびくするのも無理もない。この唯一とも言える乗船口で、第一部隊(ザ・ファースト)のソルジャー全員がそろっているのだ。善良な民間人が、いったい何事と、歩くのさえ慎重になるのはあたりまえだった。でっかい図体して、それぞれでっかい剣を負ったり、ぶらさげたりしている連中が、同じ官服着て、ずらりと乗船口に群がっていれば、そういうつもりでなくても威(おど)されているように思えるだろう。
　たいていの場合、客の歓迎のために甲板に立っているはずの船長や船員は艦橋に閉じこもったままだし、見送りの人々はソルジャーたちを避けて埠頭の両端に避難している。
　ディークは何度めかに出てきそうになる溜息をどうにか抑えて、港の管制所、その下にある乗客通関口を見つめた。
　早く来ねえかな、チョコボ。あいつがこの連中の中にまぎれこんでりゃ、すこしは場がなごむってもんなのに。

　横で、アレンがちらりと時計を見た。「まじめに遅刻だ。間に合わなくなるぞ」
「クラウドが乗船しないかぎり、大将が出航させんでしょう」ディークは気軽に請けあった。
「だから問題なのだ」アレンが苛立たしげにつぶやいて、タラップの足もとに立つ鬼神をじろりと見やる。
　セフィロスはいつもの黒コート姿で腕組みし、両目を閉じて銅像のように身じろぎひとつしなかった。表情はなにも表わしていないものの、全身から苛立たしさのオーラがにじみ出ている。

　このところ、とみにクラウドの姿が見えないと、いらつくようになってきたんだよな、この人は。しかし、だからといってあのチョコボを拘束しておくわけにもいかない。なにかあると身体のほうが先に動いてすっ飛んでいく若いティーンエイジャーに、いつも大将のそばで待機していろというのは拷問だろう。ましてこの大将は、たいてい、ひとつところでじっとして口もひらかないのだから。
　もっとも、クラウドはそうしろと言えば本当にずっと張りついているだろうけどな。
「すげえぞ！」いきなり頭上から歓喜の声が降ってきて、ディークは顔をしかめながらふり仰いだ。ザックスが大型クルーザーの甲板から身を乗り出し、こちらを見おろしてきている。
「ぱっと見、ちっせえヨットだと思ったけど、これがけっこう広いんだ。輸送機やヘリ使うより、こっちのほうがいい、絶対！」

　タラップの足もとに立つ十人のソルジャーが、いっせいに溜息をついた。
「ガキだな、あいつは」アレンの陰でクィンが首を振る。
　それを契機に、それまでぎごちない沈黙の中にいたソルジャーたちが、ぶつぶつと不満を訴えはじめたのものだ。
「だいたい、なんでお供がザックスなんだよ」

「しょうがねえだろ、カード勝負であいつが勝ったんだ」
「チョコボが絡むと、妙に運がよくなるんだよな」
「悪い目にも遭っていると思うが」
「そりゃ、自業自得ってやつじゃねえか」

　そのあいだに、ザックスが興奮したままタラップを駆けおりてくる。「ちゃんとプールバーもあるし、どうやらカームまでの十時間、退屈しねえですみそうだ」そして、かれはきょろきょろとあたりを見まわした。「おう、クラウドは？」
　ばか。ディークは思わずひたいを押さえた。この状況でその名前を言うか？
　タラップのほぼ真下に立っていたセフィロスの長い右手が、目にも留まらぬ速さで舞い躍った。ちょうど最後の段をおりようとしていたザックスの顎は、その手に撥ねあげられ、ザックス自身はステップにたたきつけられる。とても痛そうだ。大将の裏掌打なんか、まともに食らうもんじゃねえよ。
　だが、第一部隊(ザ・ファースト)でも随一の頑丈さを誇るザックスだ。すぐに跳び起きた。「なにしやがる！」

「やかましい」セフィロスはまだ両目を閉じたまま、低く、しかし鋭くつぶやいた。そしてまた腕組みの姿勢に戻って、彫像のように動かなくなる。
「なんなんだよ」ザックスは倒れた場所で、そのままステップにすわりこんで膝の上に頬杖をついた。「おれらが民間の船に乗れるなんて、そう滅多にないことなんだからよ。ちっとは、はしゃいだっていいだろ」
「おまえは、いつもはしゃぎすぎなんだよ」ボードが手をのばしてザックスのハリネズミ頭をはたく。「ジョーカー使って、やっとこさのフルハウスでどうにか勝ったからって」
「勝ちは勝ちだろ。おれの運の強さが――うぉっ!?」

　ザックスの尻の下にあったステップが一段、ぱきりと折れてはずれたらしい。かれはひっくり返りそうになって、とっさに手すりをつかみ、姿勢を直す。
　通常、大勢の人間がどかどかと乗りあがるこのタラップというものは、かなり頑丈にできているものだ。それを壊しちまうんだからな。セフィロスが何気なく撫でたようにはたいたものでも、相当、破壊力があったらしい。それを受けていながら、けろっとしているザックスも相当に頑丈だが。
「あぶねえ、あぶねえ」つぶやきながら、ザックスはボルト一本でぶらさがった状態のステップをもとどおりに嵌めこみ、見た目だけは変わらないようにしている。
「おまえ、そういうのは、はずしたままにしておけよ」ディークは唇をゆがめた。「かえって迷惑だぞ」

「だいじょうぶだって、ちゃんとこうやって、つっかえておけば……」
　ザックスが鉄板と悪戦苦闘しているあいだに、どうやらクラウドがやっと到着したらしい。セフィロスが目をあけ、ソルジャーたちが指さしたり手招いたりしはじめた。
　ディークも管制所のほうへ目をやれば、通関口からまっすぐこちらへ駆けてくるチョコボ一匹。灰色の官服の上に空色の春コートを着ているのは、おそらくアレンの指示でローウェル中尉にでも借りてきたのだろう。
　アレンがそれとわかるぐらいに、ほっと安堵の息をついた。「早くしろ、もう出航するぞ」

　クラウドは迷いもなくまっすぐ駆けてきて、やはりまっすぐタラップへと突進した。デイトナ――かれのバイクのエンジンキーをニックに放ってよこした以外は、いっさいよけいな動作をしない。
　……まあ、そういう性格なんだろうけど、すこしはしばしの別れをみなと惜しむとか、挨拶するとか、普通はなにかしら声をかけていくもんだぞ。
　ザックスが跳び起きて、先に甲板へとあがっていく。そのあとをクラウドがつづき、最後にセフィロスがきびすを返した。
　しかしその一連の行動は、クラウドがステップを踏み抜いたところでぴたりと止まったものだ。

　がくんと見事にステップのあいだに嵌まりこんだクラウドは、とっさに上の段にしがみついて、そのまま海に落ちるのを避けたようだった。さすがに驚いたのか、しばらく身動きできず、じっと自分の腕を睨みつけている。
　当然、下から見ていたみなの目は、すでに甲板にあがっているザックスへと集中した。だれもなにも言わなかったが、その仲間たちの所作だけで、クラウドはこの状況の原因がわかったらしい。
「……ザックス」と、ぶらさがったまま静かにつぶやいた。
「なんで、おれだってわかるんだよ」ザックスが自分の胸に手を当てながら不本意そうに認める。「ああ、はい、悪かったよ」

　クラウドは疲れたように溜息ひとつついただけで、無言で這いあがった。
　無表情の中に不機嫌さを感じ取ったのか、ザックスがあわてて機嫌を取りはじめる。「だいたい、大将がおれをすっ飛ばすから……なあ、機嫌直せよ。これやるから」と一枚のカードをクラウドの手に握らせた。
　チョコボは無事なステップを昇りながら、わずかに首をかしげる。「なんだよ、これ、ジョーカー？」
「おれの幸運のカードさ。お守り」

「幸運より悪運がつきそうだ」クラウドはむっつりと言った。
「てめえなあ、素直に受け取っとけ」ザックスがチョコボ頭をはたく。
「おい」と、アレンが三人に向かって叫んだ。「ミッドガルに着いても、あまり羽をのばしすぎるなよ」
「おれ、羽なんてないぞ」クラウドが立ち止まってふりかえり、大きく眉を寄せる。

　それとほぼ同時に、ディークのうしろでシュウが、「羽……」と、どこかしらうっとりした口調でつぶやいた。そのシュウの口もとを、アレンがはたいて黙らせる。
　混乱したように立ちつくした少年の背中を、すぐうしろで待っていたセフィロスが小突いて甲板にあがらせた。「さっさと乗れ」
　そして汽笛が鳴る。
　船尾のほうでは、ほかの乗客たちが手を振りはじめ、ぱらぱらと数本のテープの帯が伸びた。

「テープ投げろテープ！」ボードが大きく手を振る。
　ザックスがクラウドになにかを手渡し、クラウドは怪訝そうに首をかしげた。おそらく、ザックスが紙テープを埠頭に投げ伸ばすことを教えて――いないな、あれは。
　クラウドはボードに向かってテープを投げてきた。ディークは、丸まったままのテープがボードの顔面に激突するのをぼんやり見つめた。しかも芯を抜いてねえし。
　ザックスはおもしろがって、つぎつぎクラウドにテープのかたまりを渡し、クラウドはご丁寧にもひとりずつ確実にヒットさせていった。横に立つセフィロスがそれを止めたり注意したりするはずもなく、当然のこと、ソルジャーたちはやり返し、テープ合戦は熾烈をきわめはじめる。

「これは、そういうふうに使うんじゃねえよ！」
「わざわざ当てるこたねえだろ！」
「がんばれ、クラウド」ザックスが甲板で笑っていた。「全員命中したら、ミッドガルで美味いもん食わしてやるからな」
「ザックス、まちがったことを教えるな！」

「無事で帰ってこいよ！」
「どこも壊してくるなよ！」
「そもそも、船が沈まずにたどりつけるかが問題だ」
「不吉なこと言うなよ」

　そしてついに、ディークのひたいにも黄色いテープがお見舞いされた。「いいかげんにしろ！」と投げ返し、甲板にはかろうじて届いたものの、クラウドに新たな弾を与えるだけの結果に終わる。
　その弾はアレンに投げられた。副官はさすがに軽く片手で受け止め、投げ返したテープはザックスの顔面に見事に命中する。
　ザックスがのけぞって下から見えない位置に倒れこんだ。クラウドがふりかえり、その横をソルジャーたちがさらに投げ返したテープが、ほどけながら素通りしていく。
　そうして埠頭と甲板とで何度もテープが往復し、ほどけたそれがこんぐらがってきはじめたころ、船はそろりと港を離れた。

　船は徐々にゆっくりと遠ざかっていく。ソルジャーたちの遠投でもテープが届かなくなったころ、やっと大騒ぎの山は越えた。かすんでいく船の汽笛だけが、虚しく港にこだまを返してくる。
「まあ……」ディークは、ぽつりとつぶやいた。「しばらく、こっち(ジュノン)は平和になりそうですね」
「そう願いたいがな」アレンが、いまだに海へ向かってテープを投げつけているソルジャーたちを見やる。
　かれらはまだしばらくのあいだ、波間に消えていく船の影をぼんやりと眺めていた。

　と、出港していった船の航跡が消えはじめている海原、ソルジャーたちが見守るその景色を横切って、明らかに車輌とおぼしきものが、どんぶらこと流れてきた。
　その見覚えのある彩色と、ぴかぴか点滅する緊急車両用のランプ。ジュノン交通課のおなじみの車だ。
　ディークはそれをしばらく見つめたあと、ぼんやりと指さした。「あのよう……」
　アレンがうつむき、盛大に溜息をついた。「見ないふりをするわけにもいくまい。港湾警備隊に連絡してやれ」

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