１
レノは必死になってシーツをひっぱっていた。
正午に近い時間だが、彼はまだ眠っていたかったのだ。
なにしろ、仕事、仕事、仕事。あの日、タークス解散だと言ったものの、リーブに捕まってのんびり里帰りどころじゃなかった。もっとも、里帰りなんざする気もさらさらなかったし、故郷がまだあるかどうかもわかっちゃいねえがな、と。
とにかく、メテオが消失して呆けている暇もあらばこそ、避難した住民たちの人員整理、死亡者の確認、負傷者の収容とそれに付随するさまざまな救援物資の手配、ボランティアの要請、神羅兵たちの統率から、ミッドガルはスラムの整備、警備、治安維持。
冗談じゃねえっての。おれは面倒な仕事が大っ嫌いなんだぞ、と。
ああだこうだと理屈を捏ね、たまにゃあダサくも上着のボタンをきっちり締めてみたりして、どうにかこうにか休暇をぶんどったんだ。今日は絶対にごろ寝して過ごしてやる。
そう決めたってのに、まったくイリーナのやつ、しつこいんだぞ、と。
「せんぱーい、起きてくださいってば！」
ちくしょうめ、やっとぐっすり眠れるって日に、どうしてこいつがおれんちに押しかけてきやがる。
「あたしの料理、味見してくれるって言ったじゃないですか！」
「知らん知らん、そんなことは知らんぞ、と」
「ほら、もう、起きてるくせに！」彼女はやっと諦めたのか、ぱっと手を放した。
レノはすかさずシーツをきっちりと身体に巻きつけなおし、枕にかじりつく。
「粥ひとつまともに作れねえんじゃ、ツォンの嫁なんて手どころか触覚も届かんぞって言ったの先輩でしょ。あたしには触覚なんてありませんけど」
レノはさらに手足を丸めた。「だからって、花嫁修業をおれの部屋(アパート)でやるなよ」
「だって、便利なんだもん」
まあな。このスラムの一角、元ウォールマーケットのそばの空きビルにとっとと転がりこんだのはおれだ。メテオ消失後のドサマギで闇市なんかが乱立してたから、ここらは買いものも情報も不自由しなかった。いまはちゃんとした商店やらなにやらができて、このビルもアパートなんぞと呼ばれている。
「とにかく、おれは疲れてるんだぞ、と――」
そのとき、ドアのベルが鳴った。ピンポーンなんて可愛らしい音ではなく、ジリジリとそれこそベルに直接電線繋げただけの呼び鈴だ。
「ほれ、客だ、客」レノは片手で追い払うように彼女に合図した。
「ここは先輩の部屋ですよ」
「修業のひとつだ。客をもてなしとけや。押し売りとギャングのスカウトは追い払え。じゃあな、と」
「もう」イリーナが玄関のほうへと消えていく気配。
ドアがあけられ、誰何の声と――
イリーナはどうやら、すぐさまドアを閉じたらしい。
「なんだ？」レノはさすがにのろのろと起きあがった。
イリーナはああいうとぼけたきゃんきゃん娘だが、そのぶん、あまり人見知りしない。かといって、知らない人間を前にしてぼうっとするほど、のろまでもなかった。だから、ドアをあけ、相手を見てすぐに勢いよく閉め出しを食らわせたに違いないのだ。
いったい、誰が来たんだ？
まもなく寝室に飛び帰ってくる彼女。「どどどどどど」
間違いなく動揺しているな、と。「どうどう」
「でででで」彼女は玄関のほうを指し示した。
「で？」
「出ました！」
「なにがだよ」
「おれだ」とあけっ放しの寝室のドア枠に片手を突っ張り、いつのまにやらそこに立っている金髪ソルジャー。
「なんで出る!?」レノはベッドから転がり落ちんばかりに跳びおりると、イリーナといっしょに部屋の壁に張りついた。
クラウド・ストライフ。さんざん神羅とタークスをひっかきまわしてくれた困った野郎だ。つんつん跳ねた金色の髪の、青年とも少年とも取れるアンバランスなやつ。相変わらず無表情、無愛想、青い目でまっすぐ睨んでくるんじゃねえ、こんちくしょう、と。
だいたい、なんでおれんちに来るんだ、こいつ？
クラウドは大股に寝室に入ってくると、そのまま歩調も緩めず、レノの目の前までずずいと迫ってきた。
そして右手をさし出す。その手には小さな木の箱が握られていた。
レノはそれを見おろしてから、あらためて相手を観察するように眺めた。「なんだ、と？」
「届けものだ」
「は？」
「届けものだ」と繰り返すクラウド。
「どうしておまえが？」
「仕事だ」
そりゃ、おれらの台詞だって。「仕事？」
「運び屋」
あ、そう。レノはようやく受け取った。ルードからだ。あのタコ野郎、よりにもよってどうしてこいつに頼むんだ。
しかし、手紙もなにもついていなかった。「これだけか？」
「ティファから託けられたのはそれだけだ」呟くと同時に、彼は用はすんだと言わんばかりにきびすを返す。
なるほど、ルードめ、ティファに会いに行ったんだな、と。崩壊した七番街の端っこに小ぢんまりした酒場に陣取った彼女は、うまい料理と豊富なカクテルでなんとか家計を支ええているという。黒髪の可愛い子ちゃんにぞっこんのあの同僚は意外にシャイで、これまでなかなか足を踏み入れる勇気が持てなかったらしい。
箱の中を見ればブローチひとつ。ああ、哀れなやつめ。ティファにあげるつもりでうまく言えず、ついつい届けものにしちまったんだろうな、と。
「おい」その声に顔をあげれば、つんつん頭め、まだ戸口にいやがる。
彼はキッチンのほうへ親指を立てた。「お節介かもしれないが、煙出ているぞ」
イリーナは金縛りから解放されたらしい。悲鳴をあげ、レノを押し倒し、クラウドを突き飛ばして走っていった。「じゃがいも！」
「じゃがいも？」クラウドが眉を寄せる。
レノも脱力しながら、うすら笑いを浮かべた。「また新しい鍋を買わなきゃならんか」
＊＊＊
「そうなの」テイファはどんどん空(から)になっていくボトルを恨めしげに見つめながら、そっと溜息をついた。「いきなりルードが来て、例によってずっと黙ってたと思ったら、届けもの頼むって言われてね。それでクラウドに押しつけちゃったのよ。ごめんね、せっかく来てくれたのに」
「いやあ」シドはまた自分のグラスになみなみとウィルキーを注いでいく。「こっちだっていきなり押しかけてきたんだしよ。オレ様は時間あるし、構わねえぜ」
いいえ、わたしが構うのよ。お店のボトル、全部飲み干すつもりじゃないでしょうね。
この酒場、セブンスヘブンを再開してからどうにか生活も安定してきている。あの災厄の直後はやたらと混乱しながら飛空艇で飛びまわって支援活動し、その合間に店舗を確保したものの、物資はないわ、食糧はないわ、結構苦労したものよ。それでも、なんとかなっちゃうんだからすごいとは思うけど。
そしてみんな、それぞれの居場所に腰を据えて平穏な日を暮らそうとしている。
そんな中で、クラウドはちょっと落ち着かないみたいだった。どこがどうというわけじゃないんだけど。
このセブンスヘブンに居候――ほんとは居候じゃなくてもいいのに――してるのも、ほんの一時的なことと言わんばかりに毎日どこかに出かけている。ただ、夜にはちゃんと戻ってきてくれるから、大抵、店は安全。常連さんはすでに無愛想できれいな用心棒のことをとてもよく知っているので、悪酔いしたくてもできないらしい。
運び屋としても、この店は彼にとっていい窓口になっているようだった。でも、一般の人たちから託けられるのは、かなりちょこまかしたものばかりなのよね。災害キャンプと変わらない頃に救援物資やらなにやら運んでたから、その延長みたいな感じで彼は運び屋になったんだけど。
まあ、あんまり繁盛はしてないわね。なぜかはわからないけど、遠方まで出かける仕事は受けないみたいだし……。神羅の交通網がずたずたになって、民間で細々とやってきた運輸関係はまだ手が足りないという情勢下、品物をあっちの地域(エリア)、こっちの地域(エリア)へという仕事はいくらでもあるというのに、どうしてなのかしら。
もしかしたら、わたしやマリンのこと心配なのかな。相変わらずそういうこと、なんにも言わないからよくわからないけど。
「でも、ちょうどよかったわ。誰かに相談したいなと思ってたことがあったから。いい？」ティファはテーブルにチーズやサラミなど、スナック類を並べながら言った。
シドはそれぞれの皿を見まわし、すぐ興味なさげに再びグラスを傾けた。「おう、なんでい？」
「クラウドが欲しがりそうなものってなんだと思う？」
「あ？」
「だから、プレゼントよ」
「なんの」
「誕生日の」
シドはまばたきし、ティファを見つめたまま機械的な仕種で煙草をくわえ、火を点けた。「……誰の？」
「クラウド」
「あいつ、誕生日あったのか」
「あたりまえでしょ」ティファはそこでちょっと苦笑いを浮かべてしまった。「もっとも、わたしもすっかり忘れてた。というより、知らなかったんだけど」
「誰が知ってたんだよ？」シドは煙を吐き出した。「本人がそうと言い出したわけじゃないだろ」
「ルードが教えてくれたの」ティファは両手を広げた。「八月十一日なんだって」
「なんであいつが知ってるんだ」
「だってあの頃、あの人たち、クラウドのことは徹底的に調べてたじゃない」
「ああ、なるほど」
「で、なにがいいと思う？」
「そりゃ食いもんだろ」
「馬鹿」ティファは彼の口から煙草を取りあげた。「それは当然作るわよ。とびっきりのご馳走をね。マリンがいるし、本人は好きじゃなさそうだけど、ケーキもデコレーションするつもり」
「そのくらいで、べつにいいんじゃねえのか？」返してくれと懇願するように両手をそろえてさし出してくるシド。
「でも」ティファは返さず灰皿にこすりつけた。
シドは顔をしかめて灰皿を睨みつける。「女子どもはどうだか知らねえけど、男ってなあ、そう誕生日にはこだわらねえよ」
「わたしがこだわるの」
「わあったよ」シドは腕組みし、うーんと唸りはじめた。「そうだなあ、バイクは好きみてえだが、神羅は縮小、新しいモデルなんか出てねえし」
「バイクなんか買えないわよ」ティファは吐息をついた。「いくらか貯金はあるけど、もともとクラウドの退職金だから使いたくないし」それから彼女は首を振った。「それに、あのデイトナ、手放さないと思う」
「なんで」
「んー、なんとなくね。聞いたわけじゃないけど、たぶん誰かの形見みたいなものなんじゃないかな」
「それにしちゃ、運転荒いが」
「本人は荒いと思ってないの」
「んじゃあ、交通安全のお守りぐれえかな」
「シド」ティファはどんとテーブルを叩いた。「まじめに考えてちょうだいよ」
「いや、オレ様、寝耳に水で」
「シエラさんにベーコン持ってってもらおうと思ったんだけどな」
「そりゃ嬉しいね」シドはまた新しい煙草を取り出し、それでティファを指し示してくる。「けど、あのベーコン、なんの肉なんだ？」
「あら、このあたりでよく見かけるでしょ」
「……わかった、言うな」
「ヘッジホッグパイの――」
「わかったって」シドは慌てたように手を振る。「いいか、シエラには原材料言うなよ。ぜってえ、ぶっ倒れる」
ミッドガルじゃ、みんな食べてるのに。ティファは椅子に背をもたせかけた。
シドが煙草に火を点け、細く煙を吐き出す。「なあ、そもそも、いまあの坊主、なにやってるんだ」
「運び屋」
「そりゃ、リーブのお使いだろ」
「うん、まあ……いちばん仕事くれるのはあの人だけど、ときどきフリーでもやってるわ。今回みたいに意外な仕事も入ってくるし」
「いや、ルードはたぶん成り行きだと思うぜ」
「なによそれ？」
「なんでもねえ」シドは軽く手を振った。「けどよ、ミッドガルからそう遠出はしてねえだろう」
「うん……せいぜいカームぐらいかな。それ以上遠いところになると、ジェミニ号に頼んじゃうみたいだし」
「ふうん」シドはぷかぷか煙を吐き出しながら、テイファのほうを窺い見るように目を細めた。「それじゃ、たまには遠出させてやったらどうでい。ゴールドソーサーあたりとか」
「遊びに行ってらっしゃいって？」
「そうじゃねえ」シドは煙草を噛みながら拳を震わせた。「おめえも、あいつの彼女だけあって変なところで鈍いよな」
「うるさいわね」
「デートでも誘ってやれっての。エルミナでもバレットでも、その日ぐらいはマリンを預かってくれるだろ」
「うう」ティファはテーブルを睨みつけた。「でも、クラウドの誕生日なのよ。お金使わせてどうするの」
「ティファ……なんか所帯じみてきてねえか？」
悪かったわね。
でも、確かにここのところ惰性で生活している気もしないでもない。気分転換でもなんでも、ゴールドソーサーは適当かも。でも、行くとしても、マリンを連れていかないというのも可哀相だし……うーん。
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