ちびくら
ちびくらの決意
母さんが溜息をついた。
「おまえ、名前のとおり雲になっちまったのかい？」
おれ、クラウドだもん。母さんがそう言ったんじゃないか。おれ、クラウドっていう名前だから、クラウドなんだって。
「このごろ、どこでなにをしているのか言ってごらん」
やだ。クラウドは椅子の上で膝を抱えた。
「クラウド？」
だって、なに言ったって、お尻叩くじゃないか。
「クラウド」彼女は彼を抱えあげ、ひっくり返した。「隠し事するような悪い子はお仕置きだよ」
そうか、なにも言わなくても叩かれるんだった。「……お山」
「山？」
「山に行ったんだ」クラウドは母親の腕越しに彼女を見あげた。「キノコとか、えっと、キノコとか、んと、キノコとか探した」
「キノコだけ？」
「えっと、うん、キノコ」
隣のおばさんが取ってこいって言うからさ。でもおれ、間違えたみたいで、おばさん、叫びながら慌てて外に放り出したっけ。あれ、キノコじゃなかったのかな。
「それじゃあ」母さんはテーブルに積みあげた泥だんごの山を指し示した。「これはなんだい？」
「捏ねてた」
「それで？」
「パン作る」
ちゃんと作りかた覚えたんだぞ。キノコの悪戯の罰だって言われて、パン焼くの手伝わされたもん。でも白い粉が見つからなくって、砂を持ってきたんだけど、うまくできないんだ。
「おまえ、馬鹿だね」母さんがきっぱりと言った。
……おれ、ばか？
「泥とか、土とか、砂とか、岩とか、人間は食べられないんだよ。キノコもだめだ」彼女はクラウドの尻を叩きはじめた。「絶対にそのまま口に入れるんじゃないよ。山に入ってたなんて、目を離したらなにしでかすんだか。危ないことしたらだめだって何度言ったらわかるんだい、この子はまったく、馬鹿なんだから」
うう、やっぱり叩くんじゃないか。
お仕置きがすむと、母さんはぶつぶつ、まだ文句を呟きながら泥だらけのテーブルを片づけはじめた。
クラウドはお尻をさすりながらのろのろと外へ出ていく。
「クラウド、もうすぐ夕飯なんだから遠くへ行っちゃだめだよ」
うん、もうすぐごはんになるから、広場からはみんないなくなる。おれ、夕陽を独り占めできるんだ。
村の中央、その広場に建つ給水塔。
朝にはおばさんたちが大勢で洗濯をしていて、ぺちゃくちゃおしゃべりもする。昼間はクラウドよりちょっと大きいぐらいの子どもたちがまわりで遊んでいたが、夕陽に村が真っ赤に染まる頃には、その塔はまるで炎の巨人(イフリート)のように見えて、誰も近づきたがらなかった。
クラウドにとっては、それは決して恐怖や畏怖の対象ではなかった。生まれたときからそこにあるし、彼が近づいても逃げないし、殴ってこないし、とても大きくて、むしろその陰に入っていると安心できるぐらいだ。
ところが今日は、ひとりの見慣れない男の人がそばにいた。コックを捻ってバケツに水を汲んでいる。
彼はちらりとこちを見て、髭づらを歪めるように笑いかけてきた。「お嬢ちゃん、おうちに帰んないのかい？」
クラウドはてくてくと歩いて近づき、彼の横腹に頭突きをかけた。
「おおっと」慌てて水を止めながら男が困ったように彼を見おろしてくる。「なんだ、坊主なのか。ごめんよ」
それからなにかを思い出したらしく、「ははん」と鼻を鳴らした。
クラウドがむうっとして睨みあげていると、彼はしゃがみこんで目線を合わせてくる。「おまえ、村のやつらが言ってた鬼っ子だろ。噂話ってな、あてにならんな。可愛い顔しちゃって」
言ってることよくわからないけど、ほっぺたひっぱられるのは、すっごくむかつく。
クラウドは拳を振りあげた。
「だめだ、だめだ」小さな手を受けながら男は笑う。「殴るときは親指握りこむなよ。ほれ」
拳を握りなおされ、ぶつけてみろと手のひらを向けられる。
クラウドは思いきり打ちこんだ。
男がちょっとよろめき、力のない笑い声を洩らす。「すじはいいぜ、うん。まあ、あんまり暴れないようにな」
クラウドの頭を撫でると、男は立ちあがって水を入れたバケツを持ちあげた。「もちっと大きかったら、いっしょに狩りに連れてってやれるんだが……坊主、どうせ、いつもひとりで遊んでるんだろ」
「大きかったら？」
「そうだ」と、男は腰のあたりに手を当てる。「まだまだ、ちびだからなあ。二、三年経って、このくらいまで背が伸びたら山に連れてってやるよ」
クラウドは自分の頭に両手を当て、その高さと比べてみた。
……おれ、ちび？
「じゃあな」男は歩き去っていく。
クラウドは手をあげたまま、その場に立ちつくしていた。
おれ、ちび……。ちびなのか……。
おれ、ばかで、ちびなんだ。
給水塔の冷たいタンクにしがみつきながら、クラウドはのろのろと上にあがる梯子へと取りつく。
ちび……。
と、梯子のあいだから小さな手が突き出てきて、いきなり彼の腕を取った。
クラウドは凍りつく。
梯子の陰にうずくまっていたのは小さな女の子だった。「見つけちゃだめ、かくれんぼ！」
「わあ！」クラウドは叫んだ。
その叫び声にびっくりして、彼女もいっしょに悲鳴をあげる。
悲鳴はそのまま泣き声になった。
しかし女の子はクラウドの手を放そうとしない。梯子を挟んで泣き叫ぶ女の子を、彼は混乱したまま見つめていた。
なんで泣いてるんだよ。いつもみんなそうだ。おれ、いじめてないのに。また母さんにぶたれるじゃないか。
「ティファ！」隣のおじさんが走ってきて、ようやく彼女は抱きあげられ、遠ざけられた。「いつまでも帰ってこないから心配したんだぞ」
その横では、よろず屋のおばさんが子どもに拳骨をやっている。「小さい子に隠れんぼさせておいて、どうして放って帰ってくるの」
「だって見つからなかったんだ」
隣のおじさんがクラウドを睨みおろしてきた。「おまえか……遅くまでティファを連れまわして――」
「あなた」と、穏やかに口を挟んだのは隣のおばさんだった。「クラちゃんは夕方しか遊べないんですよ。それに今日は昼間、お姉さんといっしょにいたものねえ」
うん。この人に、「いらっしゃい」って言われたら、必ず行かなくちゃならないんだ。でないと、おれ、くすぐられる。「クラちゃん無表情だから、笑わせたくなっちゃうのよ」とか言って襲ってくるんだ。
でもこの隣のおばさんだけは、おれのこと無視しないでくれるし。
ただ、おばさんて言うと、にこにこしながら、ほっぺたぺちぺちするんだよな。必ず、「お姉さん」って言いなおさせられる。
「キノコ取ってきてくれてありがとうね、クラウド」彼女はしゃがみこんで頭を撫でまわしてきた。「でも、今度は食べられるのを持ってきてちょうだいよ。いったい、どうしたら痺れキノコ(バッテリーキャップ)を素手で掴んでこれるのかしら」
「キノコ？」ティファを揺すって宥めながら、おじさんが顔をしかめる。
「そうよ、この子、すごく便利なんだから。菜園の手入れもよく手伝ってくれるしね」彼女はくすくす笑った。「ときどき山のほうまで行っちゃうから、連れ戻すのが大変だけど」
おじさんはさっと青ざめたようだ。「そんな危ない子と遊ばせるな、絶対だぞ！」
その大声にまたびっくりしてティファが泣き出し、おじさんは足早に家のほうへと歩いていってしまった。
「ごめんねえ。あの人、ちょっと子煩悩が過ぎるのよ」おばさんは相変わらずクラウドの髪をつんつんとひっぱって遊んでいた。「ティファとは仲よくしてやってね」
あの子、苦手なんだけど。
「あら、すごく苦手って顔してるぞ？」まだ髪の毛をひっぱりながら、おばさんはまたくすくす笑う。
なんでわかるんだろう。
「クラちゃん、素直だからねえ。反応がまるでイヌネコといっしょ」
えっと……クラウドは考えこんだ。「おれ、ばかなんだって、母さんが」
「母さんは大抵、そういうふうに言うものよ」
「おれ、ちびだって」
「まあそうね」
やっぱりそうなんだ。
「大丈夫」彼女はクラウドの髪の毛を両手でそれぞれ握りこんだ。「馬鹿でも、ちびでも、クラちゃんなんだから。それにね、たとえ大きくなったって、お母さんに馬鹿だねってお仕置きされるのは変わりゃしないものよ」
じゃあ、おれ、ずっと母さんにぶたれるのか？ クラウドは思わず自分のお尻を押さえてあとじさった。
彼女は膝の上で頬杖をつき、にこにこしている。「それにしてもクラちゃん、髪の毛、癖つきやすいわね。もうちょっと遊んでいい？」
やだ、くすぐられる！
あちこちつんつんに跳ねさせられた頭のまま、クラウドは家に逃げ帰った。
箪笥やテーブルにつまずき、ぶつかりながら、彼は台所をかすめてベッドへと突進する。
「クラウド？」母さんが台所から声をかけてきた。「あんた、また夕食の前にベッドに潜りこんで。いじめられでもしたのかい？ 仕返しぐらい自分でおやりよ」
そんなこと言って、仕返ししたら、母さん、またぶつだろ？
それに隣のおばさんじゃ、仕返しの仕返しが怖いよ。
……なんかフコウヘイだ。
おれが、ばかだから？
ちびで、ばかで……だから母さんにぶたれるのか？
………………
うん、おれ、大きくなる。
絶対大きくなってやるんだ。