ちびくら
ちびくらとニワトリ
ニワトリは、つねに悪意を持っている。
そう思えるほど、かれらはクラウドを見ると突進してくるのだ。
餌を持っていようといまいと、二羽の雌鶏は首を前後に振り振り、羽毛に包まれたお尻を振り振り、翼をひろげ、かれに飛びかかってくる。
ああ、なんでこんな乱暴な鳥が、おれの家じゃ、いちばん大事にされているんだろう。
クラウドは、今日も今日とて、飛び蹴りを食らって倒れていた。
そこを母さんが吊りあげて救出してくれる。
「いつまで雌鶏と遊んでるんだい」と、てきぱきと鳥たちを籠に追いこむと、彼女はクラウドを引きずって家を出た。「今日は隣の大奥さんの誕生日なんだからね。母さん、パーティのお手伝いだ。おまえも、おとなしくしてたら、ご馳走いただけるんだから、いい子にしてるんだよ」
早口で言われても、なにがどうなっているのかよくわからない。クラウドは、気がつけば隣家の裏口からキッチンへ、そしてバスルーム前のちょっとした遊戯室へと放り出されていた。
「あら、クラちゃん、ちょうどよかったわ。ちょっとティファ見ててちょうだいな」とおばさんの声が、かれを突き飛ばしてくる。
クラウドが反応するまもなく、おばさんは持っていた人形をかれの前に落として去っていった。母親も、「なにからお手伝いしますか」と訊きながら、彼女のあとを追ってキッチンへ引き返していく。
残されたクラウドは、やはり残された黒髪の女の子と睨めっこする破目になった。
………。
………。
……困る。
おれ、苦手だ。この人形、また急に動いたりしない？
案の定、彼女は大声で挨拶した。「きらきら！」
ううっ……クラウドはひきつって半歩退がる。
彼女は頭突きをかけてきた。本当は抱きついてきたのだが、手をまわすよりも、つっぱってしまうところがまだ不器用。
クラウドともども床に転がり、でんぐり返り、しかし彼女はご機嫌だった。うつ伏せたかれの背中に乗りあがり、しっかりクッションにして飛び跳ねる。
クラウドは耐えた。
奇声を発して飛びかかられ、突つかれ、蹴られ……ニワトリと、どうちがいがあるんだ、この子。
かれはひたすらに耐えた。
「それじゃあ、裏から葱(リーク)を取ってきてくださらない。お義母さん、それを散らした香草焼きが好きなのよ」おばさんの声がして、キッチンのドアがあけられた。「あらあら、よかったわねえ、ティファ、ご機嫌じゃないの」
おれ、ご機嫌じゃないよ。
「じゃ、今度はお風呂で遊びなさい。脱ぎ脱ぎ！」言いながら、とっとと幼女の服を剥がしにかかるおばさん。
のろのろと脱出しようとしたクラウドの襟首を、おばさんはしっかりと引き寄せた。「クラちゃんもはいるのよ。いっしょに洗っちゃえば手間かからなくてすむんだから」
あっというまに裸にされ、バスタブに放りこまれる子供ふたり。母さんより手際がいい。
お湯を半分ぐらい張り、オレンジの香りのする石鹸みたいなのをお湯の中に落とされ、クラウドはめずらしげにそれを見つめた。
変な匂い。でも泡がすごい。
ティファが泡だった部分をすくっては、ぱっと放り投げ、あたりにシャボン玉を飛び散らかしているなか、おばさんはクラウドが悲鳴をあげるまもなく、頭からシャンプーをぶちまけてくる。
「やっぱり、男の子となると汚れるのねえ。きれいにしがいがあるわ。ティファ、やめなさい」
ボディブラシでクラウドを殴っていたティファは、むっつりして、それで自分の頭をたたき出した。「ティファも、あわあわする」
「クラちゃんのつぎに頭洗ってあげるから、ほら、アヒルのスポンジ。自分でおなか、ごしごしできる？」
「アヒル、いや、チョコボ！」
「もう、似たような色でしょうに。待ってなさい、持ってくるから」言いながら、おばさんはクラウドの頭を泡だらけにしたまま、バスルームを出ていく。
クラウドはバスタブの縁にしがみついて、しばらくかたまっていた。
隣では、ばしゃばしゃ飛沫をあげ、泡を飛ばしているティファ。
おれ、なんでこんなところでお風呂にはいってるんだ？
やっと状況を把握しはじめたかれだった。
おれ、鶏に餌やってて、母さんが来て、鶏みたいな女の子にいじめられて……おれ、これからどうなるんだ？
おばさん、このあと、くすぐるんじゃないだろうな。
きっと、くすぐりに来るんだ。逃げなくちゃ。
クラウドはバスタブの縁を乗り越えた。石鹸でどこもかしこもぬるぬるで、一度ならずすっこけながら、かれはなんとかバスルームのドアにたどりつく。
そこで母親の声が聞こえてきた。「奥さん、このくらいでいいのかしら？」
ほっとして顔をあげると、バスルームの曇りガラスに母親らしい影が映っていた。
「母さ――」
呼びかけて、クラウドは凍りついた。
母親のひっつめ髪の影、その手が大きなカマになっていたのだ。
それはまるでカマキリのお化けのように、かれの目に映った。
「あら、ありがとう、充分よ」おばさんの明るい声が聞こえてきて、もうひとつ影が覆いかぶさる。「これでおいしく食べられるわね」
「あら、うちの子、洗ってくださってるんですか？」
「きれいにしがいがあるわよう。もともと食べちゃいたいくらい、かわいいから。ああ、そうそう、それ、香草焼きにするんだけど――」
食べちゃいたい？
おいしく食べる？
母親の影がカマを振った。「これできれいに飾りつけて……」
「お義母さんの好物なの……」
きれいにして……好物って……。
おれ、食われる？
クラウドはそろそろとあとずさりした。
母親の影はカマをおろしたが、代わりにおばさんの影が大きなハサミの形になった手を突き出した。「で、クラちゃんのあの頭なんだけど、私の好きにしていいかしら？」
クラウドは悲鳴を押し殺し、また大きく退がった。背中にバスタブの縁が当たり、それ以上後退できなくなる。
と、うしろから羽交い絞めにされ、ぐいぐい引っぱられた。
「お風呂、はいるの。ごしごし、あわあわ！」ティファが苛立たしげに叫び、なおも、かれをバスタブに引きずりこもうとする。
石鹸でぬめっていた足裏がつるりとすべり、かれはひっくり返って頭からバスタブに突っこんだ。「わあ！」
お湯から足だけを突き出したまま泡の中に沈んだクラウドは、しかし容赦なく押さえつけてくるティファの手とボディブラシが、起きあがろうとするかれを阻む。
「きゃああ、ティファ、なにやってるの！」おばさんの声が、お湯を通して聞こえてきたような気がした。「いやだ、クラちゃん、頭はどこ沈んでるの？」
「奥さん、足、足を引いて！」
多少、石鹸まみれのお湯を飲んでしまい、咳きこみながら目をまわしていたクラウドは、気がつけばキッチンの隣の遊戯室で椅子にすわらされていた。
「馬鹿だね、この子は！」クラウドの身体をバスタオルで包んで、ごしごし拭きながら、母親がそれはもう、あきれ返った声で、ぶつぶつと繰り返している。「どうやったら、あんな浅いお風呂で溺れることができるんだい」
クラウドはといえば、ショックと長湯で、かなりのぼせていた。
母親はひととおり乾かすのを終えてしまうと、今度はティファにかわいいドレスを着せることに集中しはじめる。
おばさんがクラウドの頭をがしりとつかみ、「動かないでね」と、なにやら髪の毛をいじりはじめた。
じょきじょきという音を聞きながら、クラウドは、ぴょんぴょん飛び跳ねる幼女をおとなしくさせている母親を目で追う。その手はもうカマにはなっていなかった。ちゃんと普通の母さんの手だ。
「母さん」かれは、ぽつりと言った。
「なんだい」と、ふりかえりもせずに応える母親。
「おれ、カマキリじゃない？」
彼女はふりかえった。「……は？」
クラウドの頭の上では相変わらず、じょきじょきと音がする。その音はなんだろうと思いながら、クラウドはまたつづけた。「おれ、大きくなって、カマキリになったりしない？ 母さんの正体、カマキリじゃないよな？」
じょきん。
その音をきっかけにといったように、一瞬の沈黙があたりを支配する。
やがて、おばさんが笑い叫んだ。「ごめん、クラちゃん、あんたがかわいいこと言うもんだから、手もと狂っちゃった！」けらけら笑いながら頭を撫でてくる。「やあだ、鶏冠みたいよう……ごめんなさい」
「どちらかというとチョコボだわね……ああ、いいんですよ、どうせ伸びますから」と母親が手を振り、クラウドのほうへとまた顔をめぐらせる。「おまえね、なんでカマキリなんだい」
クラウドは応えかね、うつむいて、もじもじと足をぶらつかせた。
「わかったよ」母親はひとつ手を振り、またティファのおめかしに向きなおる。「カマキリでもニワトリでもなっちゃいな。でもね、母さんは母さんだからね」
おれ、カマキリはいやだ。
ニワトリのほうが、まだましだ。
つぎの朝、クラウドは餌撒きも途中に、雌鳥たちのキックを受けながら、庭でじっとカマキリを見つめていた。
すらっとした身体に大きなカマ。小さな虫をつかまえて、ばりばり食べてしまう、けっこう獰猛な昆虫だ。
おれ、食べられたくないな。
カマキリがのそりと動き、草の葉から葉へと移ろうとする。
そのとき、雌鳥がクラウドの視界を横切った。
あっというまにカマキリをくわえて広い場所に移動すると、雌鶏は虫を地面にたたきつけてはまたくわえ、突つきまわして分解しながら、たちまち飲みこんでしまう。
クラウドはもう一羽に突つかれながら、その雌鶏を尊敬の眼差しで見つめた。
うん、おれ、ニワトリになる。
カマキリなんか怖くないもん。
おれ、ニワトリになるんだ。