ちびくら
ちびくらの家出
クラウドにとって、隣の家は眠るドラゴンの巣だった。
その前を通るときには、そっと息を詰め、気づかれないよう足音を殺して……
ばたん。「あら、クラちゃん、ちょうどよかった！」
クラウドはたちまち、かどわかされた。
おばさんは、かれを小わきにかかえるようにして引きずりこみ、二階にあがっていく。「クラちゃんったら、その頭、すごく便利よ。遠目からでも、まちがえようがないもの」
頭？
二階にあがると、おばさんはすぐ左手にあるドアをあけた。
と、その前に小さな女の子が仁王立ちになっている。
クラウドは思わず、苦手なはずのおばさんにしがみついてしまった。でないと、また突進されて、突き飛ばされて、馬乗りされると思ったからだ。
「ティファのお部屋！」彼女は飛び跳ねた。
「はいはい、わかってますよ」おばさんは彼女を無視し、クラウドを引きずりこんでいく。「ティファ、このあいだ、いらないって言ってたお帽子があったでしょう」
「ティファのだもん！」
「いらないんだから、いいじゃないの」
「や！ ティファの！」
「はいはい」おばさんはクラウドを放し、ティファにスカートをぐいぐい引っぱられながら、しかし、びくともせずに箪笥をあけはじめる。
クラウドは眩暈を起こしつつ、よろよろと出口を求めて移動した。
ドアに手をかけたとたん、おばさんの鋭い声。「クラちゃん、逃げたらどうなるか、わかってるでしょうね？」
えっ、どうなるんだ？
クラウドは思わず動きを止めてしまった。おばさんは相変わらず箪笥をかきまわしていて、こちらをふりかえりもしていない。
どうして、おれが逃げようとしてたの、わかったんだろう。
「もう、ティファ、だめじゃない」おばさんは箪笥からボムボールやサボテン人形を放り出し、ケーキの箱らしきぐしゃぐしゃになった厚紙や、お菓子の袋を選り分けている。「いくら大事なもの入れでも、お菓子を入れちゃだめって言ってるでしょ。玩具も、泥だらけにしたのを、そのままにしないでちょうだい」
「ティファのだもん。宝物だもん」
「はいはい、でもね、このマフィンはもう食べられませんよ」
むうう、とティファは顔をしかめ、どうしてなんだか、クラウドのほうを睨みつけてきたものだ。
「あ、あった、あった」
おばさんは白い丸い帽子を取り出し、あっというまにクラウドにかぶせる。その拍子に尻餅をついたクラウドは、あわてて頭にはめこまれた、ふわふわのフェルトに手をやった。なんだ、これ？
「やー！」ティファが叫ぶ。「ティファの、ティファのおぼうし！」
「あなた、このあいだ、ぼんぼんが取れちゃって、いらないって放り出したじゃないの。せっかく付け替えてあげても、かぶってくれないし」
「でもティファのだもん！」
ぽかぽかと背中を殴られながら、しかし、おばさんはやはり動じたようすもなく、クラウドから帽子を取って、ぐしゃぐしゃと頭をいじりはじめる。「あらあら、クラちゃんの髪の毛って、本人以上に素直ねえ……ぼーっとしてるから、倒されたら倒れたまんまじゃないの」
おれ、ぼーっとしてる？
「ママ、ティファの髪の毛も！」
「はいはい、ちょっと待っててね」おばさんはクラウドの髪を、ぐりぐりといじりつづけていた。「こうして……ほら、帽子にぜんぶはいった。この髪の毛、クラちゃんが大きくなっても、このくらいは素直でいてほしいわねえ」
「ティファも、おぼうし！」女の子が割りこんできて、クラウドとおばさんを引き離した。「お日さまばかり、ずるいの！ ママはティファのママなんだから！」
「おれ、クラウドだよ」かれはいちおう主張してみた。
「だめ！」テイファはママを守るように両手をひろげ、クラウドを睨みつけてくる。「お日さま、ママ取っちゃだめ！ ティファのだもん、あげないもん！」
うしろで、おばさんが吹き出す。「もう、なにをごねてるかと思ったら。ママはティファのママですよ。ずっとママでいるからね」
「おれ、欲しいなんて言ってない」クラウドは、ぽつりとつぶやいた。
「そんなこと言うと、おねえさん寂しいなあ」おばさんは笑ったまま手をのばしてくる。
くすぐられると覚悟したクラウドだったが、しかしその手は途中でティファにぶん取られた。「だめ、ママはティファのでなくちゃ！ ほかの子のママなんて、いや！」
それからティファがぐすぐすと泣きはじめたので、おばさんは彼女を抱きあげ、うろうろしはじめる。
クラウドは今度こそ、のろのろと部屋を出ていった。
なんだかよくわからないけど、今日は助かったのかな？
ちょっと疲れていたので、階段の半分をお尻ですべりおりてしまったクラウドは、痛いところをさすりながら、ドアをなんとか押しあけ、ドラゴンの家を出た。
自分のうちまではそれほど距離はないが、途中で鶏が待ちかまえている。昼間は庭に放し飼いにしているのだが、柵が壊れているので、かれらは自由に外の世界を満喫しているのだ。
そして二羽の雌鶏は、クラウドを見つけると、さっそく跳び蹴りをかましに来る。
一羽の攻撃を避け、二羽めが飛びあがったところをすべりこんで、クラウドは難を逃れ……られなかった。
着地した一羽がそのまま反復して、かれの背中にどっかり足跡をつけてくれる。もう一羽は、さっき打ちつけて痛いお尻をしつこく突つきまわしてくれた。
……痛いよ。
クラウドは満身創痍になって家に戻った。
今日はもう母さんが帰ってきていて、部屋の掃除をしている。
「クラウド、今日はまた、なにを持って帰ってきたんだい？」
おれ、なにも持ってないよ。クラウドは自分の両手を見おろした。
「これ、ティファちゃんのだねえ」母親は雑巾を放り出してクラウドの頭に手を当てた。しかし邪魔っけな帽子を取ってはくれない。「おばさんがくれたのかい？ まさか、あの子の部屋の箪笥を調べたり、手紙を読んだりしてないだろうね？ めずらしいからって、ピアノ弾いちゃだめだよ」
おれ、ときどき、母さんの言うこと、わからないんだけど。
クラウドは部屋の中央にある食卓の椅子に膝から乗りあがり、そこに放置されていたクッキーへと手をのばした。
ばしん。
クラウドは菓子を取ろうとした姿勢のまま、手の甲がひりひりしてくるのを待った。
そのあいだに、母さんはてきぱきと菓子を片づけてしまう。「外から帰ったら、手を洗いなさいって言ってるだろ。ほらほら、きちんと泥を落として、お帽子汚さないように、こちらにおよこし。母さんから、おばさんに返しておくから」
クラウドはなんとなく、自分がとても虐げられているような気がした。
椅子からおりると、入口近くに置いてある水瓶のほうへと移動する。蓋をあけて柄杓をつかんでから、かれは母親をふりかえった。「母さん」
「なんだい？」彼女は薬缶を火からおろしながら、ふりかえりもせずに応える。
「母さん、おれの母さんだよね？」
彼女はゆっくりとふりかえった。その目がわずかに細められている。
「なんだっていきなり、そんな質問が出てくるのか訊きたいね」母さんは薬缶を持ったまま、湯気のむこうから訊いてきた。「あんた、なに変なこと疑ってるんだい？」
この口調、この声のゆらめき……。クラウドは思わず柄杓をかまえながらあとずさった。今日はもう、お尻たたかれるのいやだ。階段でいっぱい痛い思いをしたし、ニワトリに蹴られたダメージも残っているからだ。
「あたしのほかに、あんたの母親がどこにいるっていうんだい。あんまり馬鹿なことばっかり言ってると、名前も変えちまうよ」
「やだ！」せっかく慣れてきたのに。
「だったら、抵抗しないで、おとなしくこっち来なさい」白い熱そうな蒸気を通して、彼女の声が威圧的に響いてくる。
うう、ぶたれるんだ。絶対、ぶたれる！
クラウドは家を飛び出した。
母親のあわてて呼ぶ声が追ってきたが、かれは必死で逃げた。
おれ、おれ……クラウドじゃなくなっちゃう。
母さん怒らせたから、母さんじゃなくなっちゃうのか？
おれ、クラウドがいい。
おれ……クラウドじゃなくなったら、なにになっちゃうんだ？
クラウドは走りに走り、山の中へと駆けこんでいった。
ひとりで山にはいるなとは言われていたが、これまでハンターのおじさんといっしょに通い慣れた道だ。クラウドにとって、すでにこのあたりは危険な山の範疇にははいらなかった。
冬の山道は、ときおり降る雪のために半分凍りついたようになって、つるつるすべる。クラウドはたまに、いや、しょっちゅう転び、いつのまにやら、柄杓をどこに落としてきたかわからなくなっていた。
寒気に縮こまったような潅木をかき分け、霜のおりている下生えを踏みしめ、獣道を抜けるあいだに、耳のあたりがひりひり痛くなってきた。気がつかないうちに帽子をどこかの枝に取られていたらしい。
そんな冷たい空気の中で走っているものだから、たちまち息があがってくる。かじかんだ手足が重くなってきて、足取りも徐々にゆるんだ。
白い息を吐き出しながら、クラウドは凍りついた泉のほとりで立ち止まる。
白く刷毛ではいたような模様を刻んだ氷の表面には、クラウドの顔も周囲の景色も映りこんでいなかった。
それが、なんとなく腹立たしい。
クラウドはその縁でしゃがみ、石を拾って投げつけた。
ころころと、石はその表面をすべっていく。
今度は、なんだか虚しくなった。
かれはそのまま池を見つめる。
帽子なくなっちゃったし、今日はセーターだけだ。でもマフラーって苦しいし、手袋はモノがちゃんとつかめないから、あんまり好きじゃない。
でも寒いな。
ニブル山はあまり雪が降らなかった。降れば、どっかりと積もって、村でも外で遊ぶのが大変なものになるが、それもすぐに溶け、年を越せばたいてい、乾いた空気がそのまま氷点下で張りつめる。
クラウドは地面の上にじかにすわりこみ、ふと目にはいったキノコを見つめた。どうやら、むこうもこちらに気づいているみたいだが、その目のないぎざぎざの節はしおれ、笠は縮こまり、寒さに懸命に耐えているようす。
キノコも寒いんだな。
おれ、クラウドじゃなくなったら、御山の仲間になれるのかな。
クラウドじゃなくなったら……なにになろう。
おれって、なんだろう。
クラウドはいつのまにか眠りこんでいた。
寒くて身体が機能しなくなってきたからというのもあったが、基本的にクラウドはよく寝る子だった。なにもすることがないと自然に目が閉じてしまう。いろいろ考えることも苦手なので、悩み事があっても、ベッドの中でじっとしていると、いつのまにか朝になっているものだった。
起きたらたいてい、いやなことは忘れていた。ときどき、楽しかったことも忘れる。それがちょっと悔しい。
自分の身体のまわりで、がさがさと動くものがあり、首や頬に暖かいふわふわしたものが触れてきたので、クラウドはそれをがっしりと抱きしめた。
ぼんやりと目をあければ、見慣れた怖い顔が見える。「わんころだ」
ハンターのおじさんがよく、これは犬じゃなくてニブルウルフだって言ってたけど、こいつはちゃんと、お手も、おすわりもできるんだ。
クラウドはあまり寒さも感じなくなった手をまわして、その毛皮に埋もれた。「おれ、クラウドじゃなくなったら、ニブルウルフになる。そしたら、あったかいもん」
ぶたれないし。
くすぐられないし。
たぶん平気でドラゴンの前を通れるし、そしてきっと、ニワトリより強いんだ。
「――クラウド！」
それは悲鳴まじりの母さんの声だった。
クラウドは身を起こし、同時にニブルウルフが吼える。そしてクラウドを振り捨て、跳躍した。
二発、銃声。
狼の短い悲鳴と、その黒い体が、どさりと地面に落ちる音。
……なに？
クラウドは靄のかかった頭を働かせることができなかった。
かれは池のほとりにべったりとすわりこんでいて、いまのいままでさわっていたはずの毛皮の感触は、すでに両手の中から消えている。
目の前には、四肢をのばしたまま横たわっているニブルウルフが一匹。そのむこうから走ってくる母さんと、おじさんがひとり。
どうしたんだろう。
わんころ、死んじゃったのか？
ハンターがあの音をさせると、兎はびっくりしてひっくり返るんだ。そのまま丸焼きになっちゃうこともあるし、シチューになることもある。
わんころもそうなのか？ シチューになっちゃう？
おじさんが長い鉄の筒を持って近づいてきて、まだびくびく動いているニブルウルフに向けて、さらに三発、弾を撃ちこんだ。
「クラウド、この馬鹿な子！」母親が飛び出してくる。
彼女はクラウドをかかえあげると、かれがなにを言う暇もなく、さっそくお尻をたたきはじめた。「柄杓と帽子が道しるべになってなかったら、こんなところ見つかりゃしないよ！ 二度とひとりで山なんかにはいるんじゃないって、何度言ったらわかるんだい！」
途中でおじさんが割ってはいってくれた。「とにかく、捜索隊を出さずにすんでよかった。そろそろ日も暮れる。早く戻ることだな」
「すみません、ありがとうございました」母親はクラウドをおろしながら頭を下げた。
クラウドは動かないニブルウルフに近づこうとしたが、母親に強く手を引っぱられて転がってしまう。
「ほら、あんたもお謝り」と、彼女は尻餅をついたクラウドの頭をさらに低く押さえつける。
なんで？
おれ、なにか悪いことしたのか？
「いや……」おじさんは言いかけ、とたんにさっと顔を青ざめさせた。
そのようすに、母親も怪訝にふりかえる。
クラウドは彼女を見あげてから、肩越しにぐるりと首をひねった。
池をかこむようにある灌木の中から、もう一匹、ニブルウルフが顔を覗かせていたのだ。
それは、きらきらと青い光のちらつく金色の眼をこちらに向け、唸りもせず、吼えもせず、ゆっくりと繁みを抜けてくる。
大きくて、長い毛に覆われていて、とても暖かそうだ。
「退がって、御山の主(ぬし)だ」おじさんがささやいた。「あいつは不死身だから、五、六発の銃弾じゃ、ぜんぜん効かない。ゆっくり、背中を向けずに道まで退がるんだ」
クラウドはそれを指し示した。「おっきい、わんころ？」
「お黙り」母親は泣きそうな声で厳しく言った。「犬と狼の区別もつかないのかい、あんたは、ほんとに馬鹿だね」
だって、ニブルウルフって、お手するんだぞ？
お手とおすわりができるなら、わんころなんだぞ。
「あれ、おすわりできないのか？」
「あたしは、あんたにおすわりって命令したいね」母さんはかすれかける声で、しかし、ずるずるとクラウドを引っぱって退がらせる。「口を閉じなさい」
クラウドは黙ってニブルウルフを見つめた。
ニブルウルフも黙ってそこに立ったまま、じっとクラウドを見つめているようだった。
かれはその不思議な色合いの眼に、ちょっとだけ魅入られる。
きれいな眼だ。葉っぱを太陽に透かしたときみたいな色。
クラウドはそっと空(あ)いているほうの手をあげ、ばいばいと振った。
主(ぬし)と呼ばれたニブルウルフが、応えるように尻尾を振る。
おじさんが怪訝に眉をひそめたが、灌木を背中でかき分けて道まで出ると、とたんにクラウドをひっかつぎ、母親の手も引いて麓へとまっすぐ走りくだった。
「追ってこないな？」おじさんが白い息を吐き出しながらつぶやく。「やれやれ、あいつがこんな下のほうまでおりてくるなんて、滅多にないことだってのに」
「じゃあ、おれに会いに来たんだ！」クラウドはおじさんの肩からおりながら言った。
とたんに母親の張り手が飛ぶ。「馬鹿なこと言ってるんじゃないよ！ あんたみたいなちびっ子、ひと呑みで食べられちゃうんだから、近づくんじゃないよ！」
そうか、だからみんな、大きくなったらって言うんだな。クラウドは頬をこすりながら納得した。「じゃあ、おれ、大きくなったら、大きなニブルウルフになる」
「そんな変なものにあこがれないどくれ！」母親は泣き叫ぶように言うと、びっくりしているクラウドを引きずって村に戻った。
村に着くと、おじさんは広場で別れて宿屋のほうへと向かっていく。なんだ、どこかで見たことのある人だと思ったら、宿屋のおじさんだ。鉄砲持ってるし、いつもの服とちがうからわからなかった。
家の前では、隣のおばさんがティファを抱いて揺すりながら、クラウドと母親を待っていたらしい。
「ああ、よかった、クラちゃん見つかったのね」と、おばさんは軽く息をつきながら微笑んだ。
「お騒がせしました」母さんが頭をさげる。
「いいのよ。こっちも目を離してて、家に帰ったのもぜんぜん気がつかなかったんだし」おばさんはティファをおろしながら、クラウドの頬を指で突ついた。「こおら、今度から、どこへ行くのか、ちゃんと近くのおとなの人に言ってから家出しなさいよ」
家出？
おばさんはすぐに母さんに向きなおった。「それにしても、ごめんなさいね。きっと、ティファが駄々捏ねるの聞いて、クラちゃん、お母さんに抱っこしてほしくなったんじゃないかしら」
母親は溜息をつく。「それであんな馬鹿なこと言ってたのかい、あんた？」
クラウドはちょっと眉を寄せて考えた。おれ、そんなつもりだったのか？
そういえば、おれ、なんで山に行ったんだっけ？
おれ、ニワトリにいじめられて、母さんにぶたれると思って……。
ドラゴンの親子はいるし、お菓子は取りあげられるし、ひっぱたかれた手、痛かった。
おれ、クラウドじゃなくなるって聞いていやだったんだけど、山に行ったらどうでもよくなって……あれ？
と、混乱しているかれの目の前に黒髪の小さな子が立ち、両手を腰に当ててふんぞり返った。「たまにはママ、貸してあげてもいいよ。でもティファのママだからね！」
……えっと……なに？
「お日さま、ずるいもん。ティファ、青いリボン似合わないの。お日さま似合うの。ずるい」彼女は、むうっと口をとがらせる。「ずるいけど、お日さま泣くと、ティファが怒られるもん。ティファ、怒られたくないもん」
「おれ、泣いてない」クラウドは思わず反射的に応えた。
「ティファ、泣いたもん！」彼女はばんばんと、手のひらをかれの頬に、肩に、首すじに、思いきりたたきつけてくる。「ティファが泣いたんだから、お日さまも泣いたの！」
「おれ、泣いてないってば」
「泣いた」
「泣いてない！」
「嘘つき！」
言いあうあいだにも、テイファはクラウドの顔や身体をあちこちたたいてくる。さすがにクラウドも痛くなってきた。
やめてほしいと考えたとたん、急に息があがってくる。「ふ……えっ」
ティファは、びくりとしたように手を引っこめた。
「う……うっ……」
ティファもしゃっくりのような声を出した。「ひっく……泣くの？」
「泣かないもん……うぇっく」
「ふえ……えっ……えーん」
つられてクラウドも声を出す。「うわあああん」
「うええええん」
「わああああん」
いきなり泣き声で喉自慢を始めた子供たちを、母親たちはあわてて家の中に連れていったのだった。
その後、泣き疲れたクラウドとティファはそのまま、いっしょに眠りこんでしまった。
そして夜更け、ティファの家で目が醒めたクラウドは、見知らぬ暗い部屋にいるのが怖くなって悲鳴をあげそうになったものだ。
ここ、どこ？
母さんは？
それに、これ、なんだ？
隣で寝ている黒髪の小さな生きものに驚いて、ベッドから転げ落ちたクラウドは、ぶかぶかのパジャマと素足のまま、あわてて家に戻ろうとした。
外はすっかり夜が更け、強風が不気味な唸り声をたてている。クラウドは家にたどりついたものの、呼び鈴のボタンまで手が届かなかった。
家の中は暗く、母親の動きまわる気配もなさそうだ。
耳につくのは、闇の底を這ってくるようなモンスターの遠い吼え声ばかり。
寒さに震えるかれの呼び声は、闇に吸いこまれて家の中には届かないように思えた。
おれ……やっぱりクラウドじゃなくなるのか？
かれは必死で、ばんばんと扉をたたいた。「母さん！ 母さああん！」
「うるさいよ、なに騒いでんだい」
と、いきなり扉がひらき、クラウドはその扉と壁のあいだに挟まれた。
しばらく眩暈を起こしていたかれが気がつけば、そこはもう家の中で、母親はすでにお仕置き体勢になっている。
「もう、あんたときたら、その頭になにが詰まってるの。家を出るときにはだれかに言いなさいって、ちゃんと聞いてただろ！ この耳はいったい、なんの呪文なら、ちゃんと聞こえるんだい」
いつもより執拗に尻をたたかれるあいだ、クラウドはふたたび、わけがわからずに混乱していたのだった。
そして、かれは風邪をひいた。
おとなしくたたかれてるな、とふと心配になった母親がやっと、かれの熱っぽさに気づいたのだ。
今度は自分のベッドに放りこまれ、毛布でぐるぐる巻きにされ、頭のまわりを氷で埋めつくされる。
……おれ、自分でも変だなと思ってたんだ。
おれ、ぼーっとしてたもん。
風邪って、なんだか知らないけど、でも、おれ、やっぱりクラウドでいいや。
おれ、クラウドじゃなくなったら、母さんが母さんじゃなくなっちゃうもんな。
それに、こういうときって、母さん、ずっと家にいてくれるんだ。
あのクッキーは戸棚にしまったきりだったけど、代わりに冷たい桃とかプリンとか食べさせてくれたし。
おれ、しばらくクラウドのままでいようかな。
ううん、クラウドでいるほうがいいや。
お尻ぶたれるとき以外は。