THE EXPRESS AGENCY
前編 後編
前編
クラウドはひとりの少年と見つめあっていた。
見つめたくて見つめているのではない。その少年が自分と愛車フェンリルのあいだに立ちはだかっているからだ。そのうえ、無視しようにも無視できないよう、立ち位置を変えるたび、子どもは視界の真正面に移動して通せんぼしてくれる。
グラスランド、一軒のチョコボ牧場に届けものをしたその直後のことだった。あの黄色い鳥の独特の鳴き声がそこかしこから聞こえてくる晴れた空に、青々と波打つ草原、それらにかこまれた、のどかな景色のなか。
クラウドとバイクのフェンリル、そして少年はじっと無表情で立ちつくしていた。
「……なんの用だ」クラウドはついに訊ねた。
「おまえ、運び屋だろう」少年はふんぞり返るように彼を見あげながら不機嫌にそう言った。
栗色に近い髪をしたその少年は、年の頃は十二、三歳だろう。うちにいるデンゼルよりは少し大きいぐらいか。はしばみ色の目は油断なく、利口そうだが、どこか落ち着かなげだ。ミッドガルから離れたこの田舎の人間にしてはおっとり感がなく、かといって、例えばエッジやジュノンからの家出人にしては少しばかり健康的な顔色をしている。もっとも、その顔は多少の泥で汚れているのだが。
クラウドはわずかに頷いた。「そうだ」
「そうだろうな。あの家に届けものをしているのを、おれは一部始終見ていた」
だったら訊くなよ。「それで？」
「仕事を頼みたい」
「……なにを運べと？」そう訊ねたのはその少年がなにも持っていなかったからだ。Ｔシャツとジーンズ、それに泥だらけの革靴――服はともかく、靴はやたらと高価そうだ。結構いい家庭の子どもなのだろう。それにしても、ずいぶん苦労してここまで来たんだな。もしかしたら、どこかから逃げ出してきたのかもしれない。
「運ぶものは……そう、おれだ」と少年は自分の顔を親指で示す。
クラウドはまた少年と見つめあったまま、今度は困惑して黙りこんだ。
やがて、吐息とともに声を絞り出す。「生きものは引き受けないんだ」
「乗車拒否か？」
おれはタクシーじゃないぞ。「餌や水が必要で、毎日手をかけてやらなければならないようなものは、おれには責任が持てない。だから断わっている」
「心配ない。おれはちゃんと餌ぐらい探す……いや、そうじゃなくて、自分の食事は勝手になんとかする――」
「それに、距離と方向の問題がある」クラウドはきっぱりと遮った。「ここは出先で、おれの事務所には順番待ちの仕事が待っているんだ。エッジに帰る途中の場所なら乗せてやらないこともないが」
「おれは、おれを運べと言っているんだ！」少年は苛々と叫んだ。「場所はどこだっていいんだ、ＷＲＯの支部があるところならね。報酬は弾むぞ！」それからちょっと小声でつけ加える。「たぶん、弾んでくれるはずだ」
世界再生機構(ＷＲＯ)――神羅の残存軍と各地の自警団や有志で構成される災害援助機構だ。軍隊のような組織だが、それは巨大になった機構を管理するためにいちばん効率がいいからで、機構の目的はあくまでも災害のさいの救助、及び支援活動に置かれているという。
もっとも、ＷＲＯ局長のリーブは、どんどん軍隊化していく機構に頭を悩ませているが……なにしろ活動のほとんどがボランティアで、人手不足のときは現地で有志徴用していたものだから、特に仕事のない若者たちなどは喜んでＷＲＯに入隊していく。
血気盛んな者たちが集まり、さらにここ近年の災害や魔晄炉廃止運動の影響もあって、星命学は急速に普及してきた。ＷＲＯは星を守るための軍隊と、そう認識している者が多くなってきているのも事実だ。
クラウドはあらためて少年の爪先から頭のてっぺんまで観察した。「そうは見えないが、入隊志願か？」
「だからなんだよ」少年はむっつりと口を尖らせた。
ふうん。そういえば、デンゼルも少し気にしていたな……まあ、そんなに入りたいものなら止めはしないが。「誰が運送料を支払う」
少年はちょっと逡巡したようにもじもじした。「ええと、知りあいがそこにいるんだ。たぶん、いや、ちゃんと払える。だから……」それからちょっと弱気になったように、少年は上目遣いで彼を見つめてくる。「だめか？」
「あんたの事情に興味はない」クラウドはポケットから携帯電話を取り出した。「名前は？」
「関係ないだろ」と途端に、つんとする少年。
「物品名を入力しないと伝票が作れない」
「物品……」ちょっと口ごもってから、少年は横手の地面に目を落とした。「生きものの次は品物か……」それから意を決したように顔をあげる。「しょうがない、おれはキリだ」
「わかった」クラウドはメモ機能をひらいて名前を入力した。「キリ、割れもの注意、天地無用だな。食事代、別途料金だが、それでいいか」
少年はしぶしぶのように頷いた。
仕方がないな。ティファもよく、当社はなんでも運びますと言って手当たり次第仕事を引き受けてくるし、このくらい構わないだろう。
＊＊＊
「なんだよ！」ユフィは叫んだ。
エッジの一角、アーチに立つ天使像が拝める位置にある酒場、セブンスヘブンはただいま準備中だ。なんの肉だか知らないが、ローストを仕込むかたわら、女主人のティファがフロアのテーブルを水拭きしてまわっていた。
ユフィはその彼女のあとをぐるぐるとついて歩いた。「またクラウド、あいつ、いないじゃんか」
「しょうがないでしょ、仕事がいっぱいなんだから」ティファは作業を止め、台拭き布を折り返しながら呟いた。「星痕症候群の治療法がいろいろと見えてきたっていうんで、世界再生機構(ＷＲＯ)とかコスモキャニオンとかから、あれこれと書類や薬品の運搬依頼が多いのよ」
「薬で治るもんじゃないだろ。教会のあの水だって、瓶に詰めていったところで、すぐただの水になるんだし」
「だから、コスモキャニオン主導でいろいろ調べてるんじゃない。ミディールの温泉も効くらしいし……まあ、あとは治療というよりも心療になるのかな」
ユフィは、はあ、と溜息をついた。「ま、そんなことはどうでもいいんだ。とにかく、アタシはあいつと話さないと」
「クラウドとなにを話すのよ。あなたたち、顔を合わせれば、どつきあいになるじゃないの」
「そりゃ、あいつがチョコボで話が通じないせいだよ」ユフィは大きく腕を広げて天井を振り仰いだ。「とにかくさ、アタシのマテリア、返してもらったのはいいけど、いくつか足りないんだ」
「あの兄弟が持ってったんじゃないの？」
「だから、なんであいつらから取り戻さなかったのかって文句言ってやらなきゃ」ユフィはしゅっしゅっと拳を振った。
「ご自由にどうぞ」ティファは興味なさげに再びテーブルを拭きはじめる。「でも、彼の仕事の邪魔だけはしないでよ」
「邪魔なんか……」ユフィは言葉を切り、怪訝にティファを見やった。「なあ、ティファ、クラウドは大丈夫かもしんないけど、アンタはちゃんと休めてるの？」
「わたしは走りまわってるわけじゃないし」ぐいぐいとテーブルを拭きながらティファは応える。
「でも、店はあけてるだろ。子どもたちの世話だって、ほとんどひとりでさ」そこでユフィはちょっと考えこみ、やがて頷いた。「うん、マテリアのことも大事だけど、その前にお仕置きだな」
「はあ？」ティファがまた振り返る。
「お仕置き」ユフィは繰り返した。「せっかく星も落ち着いてエッジも平和になったっていうのに、あいつ、留守ばっかりだもん」
「それ、あなたが怒ることじゃないじゃない」
「ティファが怒らないからだろ！」ユフィは彼女に指を突きつけた。「どうして腹立てないの」
「だって、あんまり儲からなくて……忙しくなるのはしょうがないでしょ」
「はあ……」そりゃそうだ。手紙ひとつ配達するのにバイクで大陸の端から端まで駆けてりゃ、燃料からなにから採算合わなくなるに決まってる。バレットから格安で、あるいは無料で流してもらってるとしても。
ティファはまた手を止め、ちらりと店の奥、生活に使っている部屋のほうを眺めやった。「でも、そうね。マリンもデンゼルも、クラウドはクラウドはってよく訊くから、あの子たちには寂しい思いさせてるかも」
アンタはどうなんだよ。「ティファも、ほんっと、めんどくさい」
「なんですって？」
「なんでもありませーん」
ユフィはとんとんと跳ぶようにして後ずさると、そのまま店の外へと飛び出した。
＊＊＊
クラウドは、キリという荷物を文字どおりバイクの後ろにネットで括りつけて荒野を走っていた。
最初はこの少年もちゃんと背中に掴まっていたのだが、じきに気を失うように眠りこんでしまったのだ。
着のみ着のまま、あちこち薄汚れているところからして、だいぶ疲労が溜まっていたらしい。決してクラウドの運転に目をまわしたわけではないはずだ。だいいち、おれはまっすぐ走っていただけだからな。一度も彼を振り落とすような真似はしなかった。もっとも、速度は出ていたかもしれないが、このような、なにもないところを走っていれば、どれほどスピードがあがっていても、たいして気にならなくなる。
気になるのは、先刻から追いつこうと必死になって走ってきている遥か後方のトラックだ。
それと、もうひとつ。横手の小高い丘のむこう、ときおり見え隠れしている車輌が二、三台。
ドライブ日和という天気ではないんだが……。クラウドはちらりと空を見あげた。
ミッドガルに近づくにつれ、灰色の雲が増えてくる。ときおり晴れ間が覗くこともあったが、いまだ上空の大気にも影響を与えるほど魔晄炉の残存熱量はあった。もちろん数年やそこらでもとに戻る環境でもない。だが、大地の枯渇範囲は、いまはぴたりと拡大が止まっていた。クラウドが走っているこのあたりは、まだ青い草がちらほらと生えている。
と、後方からエンジンの唸りとタイヤが土を抉る音が急速に迫ってきた。バックミラーの中で一台のトラックの姿が大きくなってくる。
それは後ろにタンクのような荷台を引きずった少し大きめのものだ。金属製のそれはずいぶん頑丈そうで、むしろ装甲車と言っても構わないだろう。
クラウドはバイクのアクセルをハンドルからフットレバーに切り替えつつ、肩越しにトラックを振り返った。
腹をすかした熊のように獰猛な雰囲気をまとわせ、それはぐんぐんと追いついてくる。ちかちかとパッシングしているところを見ると、話があるから停まれということか。
おれ、早く帰りたいんだがな。
クラウドは速度を落とさず、それでもいちおう、トラックが横に並ぶのを待ってやった。
運転席の窓があき、ハンドル操作しながらひとりの男が顔を突き出してくる。頬やら、ひたいやらに傷痕のある、ごつごつした四角い顔。知らないやつだな。
「おい若いの、その少年をこっちへ引き渡せ」
クラウドは訝しげに眉をひそめてから、ちらりと目線で後ろの荷物を示した。
「そうだ」と男が叫んでくる。「とにかく停まれよ。なんにもねえ荒野とはいえ、非常識な速度で突っ走りやがって、チョコボか、おまえ」
むか。
クラウドはサイドレシーバーの開閉スイッチを押した。やたらと複雑になった彼の剣を収納するためにバイクに取り付けた専用のポケットだ。それがぱっと左右にひらくと、自動的にグリップが握りやすいように剣が飛び出してくる。
最も手近にあるのはファースト剣――剣を組立てたるさい、いちばん基本になる大剣――だった。クラウドはそれを引き抜き、グリップを手首と指で軽く捻りながら振りあげる。刃が横にスライドし、幅が拡がった。
同時にバイクの車体を傾げ、クラウドはトラックのほうへと寄っていく。
「おい、なにする――」運転席の男が慌てて叫んだが遅い。
クラウドはトラックの前輪に向けて振りあげた剣を薙いだ。
ぼんと爆発するようにタイヤがはじけ、トラックが跳ねあがる。クラウドは、今度は反対側に身を傾け、トラックの横転に巻きこまれないうちに滑り離れた。
だが、トラックは転がらず、バックミラーで見える限りでは、くるりとターンを打つように横滑りしただけだ。
クラウドは剣を手の中で一回転させ、もう一度大きく頭上に振りあげた。
タイヤをロックしてすぐに外す。それだけで彼のフェンリルは回転して方向を変える。同時に彼は剣に気をこめ、鋭く横に薙いだ。
迸る青い波晄が、ターンを打つ車体をどうにかしようと四苦八苦しているらしいトラックを包みこむように拡がり、土煙でかこむ。
その一瞬後、大量の土砂がトラックの回転も突進も堰き止める形で膨れあがった。
それを横目にクラウドはフェンリルをさらにターンさせ、もとの方向へと再びまっすぐ走り出す。バックミラーでは、収まりつつある土煙のなか、盛りあがった土砂に前輪をひっかけ、ついにトラックが横倒しに地面に沈みこむのが見えた。
……少しやりすぎたか？ まあいい。あいつ、あの顔からして荒事には慣れていそうだったしな。
「すごいや」背後から震える声が漂ってくる。
クラウドは剣をしまってアクセルをハンドルに戻しながら、なおざりに背後へと目をやった。「起きたか」
「そりゃ……あれだけ揺さぶられれば」少年がもごもごと言う。「どうでもいいけど、どうしておれ、縛りあげられてるの」
「縛りつけないと落ちる」クラウドは応えた。
「でも、こんな、荷物みたいに」
「そうだな、荷物にしてはずいぶんとうるさい」クラウドは言って、左のほうへと首をめぐらした。ああ、そういえば、あっちもいたんだ。
小高い丘になったところを、斜めにすじを引いて駆けくだってくるジープが三台。
キリという少年もそれを見とがめたらしい。「あれ、もしかして……」
「知りあいか？」誰が乗っているのか、まだ見えないと思うが。
「いい、いや、知らない、知らないけど、でも」キリは慌てたように叫んだ。「逃げて、早く逃げて！」
そのあいだにも三台のジープは砂煙をあげ、こちらの前方を塞ぐように大きくまわってきている。
『こらー、そこのバイク、停まりなさーい！』
おそらく先頭を切っている車輌からだろう、拡声器を使った女の声が響いてくる。
その先頭車は前方、クラウドの目の前をちょうど横切ろうとしているところ。『停ま――って、ちょっと、どうしてあんたが！』
なんだ？
目を眇めて砂煙を透かして見れば、そのジープの中でフロントガラスに手をつき、立ちあがる小さな影がある。曇り空の薄い陽光よりも少し明るい頭――金髪の女というと、ひとりしか思いあたらないが……イリーナか。
彼女は拡声器を掲げて、びしっとクラウドに指を突きつけてきた。『とにかく停まってちょうだい！ おとなしく、黙って、後ろに括ってる子をこっちに引き渡すのよ！』
「と言っているが？」クラウドは速度を緩めず少年を振り返った。
「やだ」
そういえば、確かタークスは人攫いもやっていたな。あのイリーナがその任務にあたるとは思わないが……まあいい。
クラウドはさらに速度をあげた。
イリーナの悲鳴が曇天に響き渡り、彼女の乗ったジープがわたわたと蛇行し、フェンリルの前から避けるように退いていく。ほかの車輌はなおもフェンリルに近づこうとしていたようだが、リーダーの車輌が速度を落とすにつれ、逡巡するように加速をやめて離れていった。
やがて、つんのめるようにして停まった背後のジープから、イリーナの悔しげな叫び声が荒野を渡ってくる。『もう、このおとぼけソルジャー！ あんた、なにを運んでるか、ちゃんとわかってるの？』
興味ないね。
＊＊＊
「もう、電話出ろー！」ユフィは叫び、握りつぶさんばかりに携帯電話を握りしめた。「そんなんでいいわけ？ これ聞いたら、すぐにバレットのところに行ってよね！」
苛々としながら電話を切ると、彼女はポケットにそれを突っこんだ。
まったく、仕事の依頼を、クラウドの携帯じゃなくティファの店の有線電話にしてるのは正解だよな。ティファがしっかり仕事を確保してくれるわけだし。でなきゃ、あいつだけに任せてたら、どれだけの客を逃していることか。ま、クラウドは気にしやしないんだろうけどな。
ぶつくさ独り言を呟いていれば、バレットがのそりと身を乗り出してくる。「オレの荷物はべつに急ぎでもなんでもねえぞ。来週にはオレも身体が空(あ)くしよ。無理に忙しいあいつを呼びつけなくても」
「うるさい」ユフィはどんとテーブルを叩いた。板切れを継ぎあわせただけの簡易テーブルは、ちょっとだけ、みしっと呻きを洩らす。
ここはミッドガル西北岸、カームの外れにある海岸だ。砂浜をかこむようにしてテントが並び、ヘルメットをかぶった作業員やら、背広を着た調査員、白衣を着た学術関係者などがうろうろしている。
ようするに、この海岸線から天然ガスが採れるかもしれないってんで、コスモキャニオンから小規模な調査団が押しかけてきてるってわけだ。
目の前にいるバレットは、ほかの作業員と同じように安全ヘルメットをかぶり、泥だらけの作業着を着ていた。ユフィが訪ねてきたのを幸いと自分は休憩に入り、片手にコーヒーの入った紙コップを持っている。
それにしても、このあいだまではゴールドソーサーのほうで穴掘ってたってのに、ご苦労なことだねえ。このおっちゃん、意外とまじめだったんだな。
ユフィは人差指を立て、軽く左右に振った。「こうでもしないと、クラウドってば、バイクで走りまわってばかりで捕まらないじゃんか」
「そりゃまあ、そうだけどよ」バレットはコーヒーを飲み干し、頷いた。「どのみち、呼びつけちまったもんはしょうがねえ。来週持ってくはずだったマリンとデンゼルへの土産でも託けるさ。んで、おめえはなんの用があるんだよ？」
「もちろんアタシも届けものがあるのさ」ユフィは足もとに置いておいたものを持ちあげ、テーブルにどんと置いた。わざわざ油紙に包んだ平らな板のような荷物だ。「クラウド来たら、こいつを渡しといて」
「どこに届けろって？」
「クラウドにだよ」
「そりゃ、届けものとは言わねえぞ」
ユフィは立ちあがった。「いいから頼んだよ」
「で、おめえはどこに行くんだ」
「ウータイに帰る。その前にちょこっとコレルあたり寄り道して、マテリアでも探してみるさ」
でも、ほんと、最近はそうころころと転がってないんだよな。
宝物の転がっていそうな洞窟がほかにどこかあったかとユフィがぼんやり考えていれば、簡易テントの庇(ひさし)をくぐって、ひとりの作業員が入ってくる。
「おう、バレット、そろそろガスが出そうだってよ」
バレットは身を起こした。「やっとか。学者先生のほうは、もう作業できるのか？」
「もともと単なるテロだろうって、気にしてもいねえみたいだけどな」
「テロ？」ユフィは思わず耳に入ったその単語を繰り返した。
「まあな」バレットが頷く。「土地争いみてえなもんだが、ここに調査の手が入るのをいやがるやつもいてよう。割と過激に脅しかけてるらしいんだ。迷惑なもんだよな」
あんたも、もともとテロリストだっただろうに。ユフィはしかし、そんなことはもちろん言わなかった。「で、ここは誰のものになるのさ？」
「さあ？」バレットは首を傾げた。「発掘の主導権がＷＲＯなのか、コスモキャニオンなのか、オレにはよくわからねえ」
「アンタ、そんなあやふやな下でよく働いてるな」
「いいじゃねえか。魔晄に代わるエネルギーがありゃ、オレはなんだって掘ってやるさ」
相も変わらず熱血親父だことで。ユフィは溜息を抑えた。
のろのろと立ちあがってテントを出れば、「おう、気をつけていけよ」とバレットが片手をあげる。
彼女は肩越しに手を振って挨拶し、テントを出た。
並ぶテント群を抜けると、キャンプの入口にユフィの乗ってきたチョコボが待機していた。野菜とワカメの入った餌箱を突ついている。
彼女がエッジを出てすぐに見つけた、どこかから迷いこんできたらしい鳥だ。草も滅多にない荒野をうろついて腹をすかせていたらしく、ちょっとしたわずかな野菜ですぐに懐いてくれたのだ。どこかでいじめられでもしたのか、首のつけ根あたりの羽が少し傷んでいるが、結構丈夫そうなチョコボだった。
まだワカメに未練があるような鳥の手綱を杭からほどき、ユフィは素早くその背に乗った。手綱を引けば、チョコボはとっとっとと進みはじめる。
さあて、と。まあ、バレットのおっちゃんはちゃんとクラウドに荷物を渡してくれるとは思うけど、問題はあいつのほうだよな。ほんとに来るかな。
ていうか、アタシからのメッセージだからって、あいつ、留守録聞かずに消去したりしないだろうな。
……うう、心配だ。
ユフィはチョコボに揺られながら、ポケットから再び携帯電話を取り出した。
＊＊＊
噴きあがる土砂。それが収まらないうちに次の砲弾が薄い煙を吐いてその土砂を貫き、ややカーブを描きつつ、クラウドのバイクの斜め前方に着弾する。
さらに高く土の柱が伸びあがり、砂煙と小石の散弾があたりにばらまかれた。
砲撃の音とエンジン音でかき消されてはいるが、後ろに括りつけた荷物がさっきから途切れることのない悲鳴をあげている。言葉になっていないから取りあうこともないが、いいかげん、ちょっとうるさいな。
もっとも、うるさいといえば背後から追いすがってくる車だ。二台の装甲車が一門ずつ小型の砲塔を戴き、そこから交代でミサイルを撃ちこんでくるのだ。
おれはともかく、後ろに積んでいるのは壊れものだから、こうして逃げまわるしかない。それにしても、最初はみな、この子を欲しがっていたはずなのに、なぜ問答無用になってきたのだろう。
と、背後で空気が膨れあがった。すぐそばの地面に一基、ミサイルが着弾したらしい。
まずいな。吹き飛ばされる。
ほとんど同時にフェンリルは後方から突き飛ばされるような衝撃を受け、爆風にすくいあげられて舞いあがった。
キリの悲鳴が可聴域を突き抜けるのではないかというほど高く長く、尾を引いて曇天に響き渡る。
空中で回転しながらフェンリルは前方へと弧を描いて飛んだ。
着地は前輪からだった。ただし、衝撃をそのまま殺せず、いったん撥ねあがったあと、斜めに滑りかける。
クラウドはスリップする車体をそのまま回転させながら周囲の気をかき集めた。マテリアはないが、この熱量だ、なんとかなる。
急速に収束する精霊の気配。熱を持った大気から、揺すぶられる大地から、それらは飛び出し、一点を中心に寄り集まって燃える巨大なエネルギーになった。
二台の装甲車はおそらく慌ててブレーキをかけたことだろう。だが、間に合わない。
炎の巨人(イフリート)はまるで吠え声をあげるかのようにひとつ大きな空気の波紋を広げると、その凝固したエネルギーを一気に前方へ迸らせた。
同時に巨人の姿は大気にほどけて消えていくが、放たれたエネルギーのかたまりは炎のすじを引いて何条もに分かれ、装甲車を襲っていく。やがて、どんどんと炎は車体にぶつかり、土砂を飛び散らし、残り火を置いていった。
クラウドは回転の止まりかけていたフェンリルから剣を抜き出しながら、ほぼ横倒しになっている車体を蹴って飛び出す。ファースト剣を構え、しっかりと迎撃の体勢を取って両足を踏みしめた。しかし、二台の装甲車は炎の中から出てこない。
しばらくそのままで待ってみたが、ひとつ黒焦げになったタイヤがころころ転がってきて、ぱたりと倒れただけだった。煙のむこうで数個の人影が蠢き、どうやら遠くへ退いていったらしい。
これ以上しつこいようなら相手をしてやろうと思ったんだが、まあいいや。クラウドは剣を腰の後ろにあるホルダーに収めた。物騒な連中がこれからも仕掛けてこないとも限らない。フェンリルに収納しておくより、身に着けていたほうがいいだろう。
きびすを返して愛車のもとへ行けば、フェンリルはすっかり埃まみれで地面に放り出され、ぐったりと横たわっていた。彼はハンドルを引きあげてバイクを立たせ、後ろに積んであった荷物の無事を確認する。「大丈夫か」
「………」キリは応えなかった。目をあけて小刻みに震える呼吸を繰り返しているから、気絶しているわけではない。
クラウドはフェンリルに跨り、再び荒野を走りはじめた。
だが、後ろに乗せているキリの元気がだんだんなくなってきているらしい。呼吸も、興奮を抑えるようなものから疲労感の濃い溜息が多くなってきた。
しょうがないな。
クラウドはまばらに樹木の生えている岩地で停車し、彼を縛っていた紐をほどいて放してやった。
キリはぐったりしたまま地面に転がり、這うようにして一本の樹木の陰へと移動していく。「もう少し……ええと……穏やかに運んでほしいよ」
仕方がないだろ。勝手にちょっかいかけてくるのはむこうだ。「あんたを狙っているのは、いったいなんだ？ タークスなのか、それとも別の組織か？」
「わからないよ」キリは青い顔で溜息をつきながら木の幹にしがみつくように坐りこんだ。「おまえ、タークスを知ってるのか？」
たぶん、よく知っているほうだと思う。クラウドは頷いた。
キリは背中を幹に預けて落ち着くと、怪訝そうにクラウドを見あげてきた。「もしかしておまえ、ＷＲＯとかどこかの、なんか特殊な兵士なのか？」
「いや」
「でも、強いじゃないか」
強いとＷＲＯの隊員なのか？ 理屈がよくわからないな。「全然関係ない」
「どこで訓練したの」
「神羅だ」
「じゃあ、やっぱりＷＲＯじゃないか」
そうなのか？ 確かにリーブがまとめてはいるし、神羅の残存部隊で半分は構成されているようなものだが。「七年前に辞めている」
「ふうん……なんで？」
「いろいろ都合があってな」クラウドは呟いてから、腰を折って足もとの小石を拾いあげた。身を起こしながら手首の動きだけでその石を横に放る。
枯れかけたような茶色い柴の密生する樹木のあいだに、その石はまっすぐ鋭く飛んでいった。
「なに？」キリが眉をひそめてその行方を追うように身を乗り出す。
しばらくは何事もなかった。しかし、やがて枯れ柴が揺れたと思うと、ざっと梢を鳴らして大男がそのむこうに伸びあがる。
途端にキリが悲鳴を押し殺すように息を詰め、クラウドの背後に隠れた。
クラウドは片眉を跳ねあげる。「ルードか？」
つるりとした頭を撫で、サングラスを指で押しあげてから、黒い上着のあちこちをはたきつつ、大男はゆっくりと柴を跨いで近づいてきた。
「あんただとは思わなかった」と低く呟くと、彼は数歩の距離を置いて立ち止まる。そしてまっすぐキリを指さした。「その子をどうするつもりだ」
「雇われただけだ」クラウドはちらりと少年を見おろした。
「誰に」短く訊ねるルード。
「顧客の秘密厳守」事務的に応えてから、クラウドは内心で誰が顧客になるのだろうと考えた。本当にこの配達料、誰が払ってくれるんだろうな。
「その子をどこに連れていく」
「あんたには関係ない」
にわかに、あたりがしんとなった。ルードは無表情のまま、なにかを思案している様子だ。もしかして、また懲りもせず仕掛けてくるつもりか。タークスとは長いつきあいだが、最近、武器を抜いて挨拶するのが定着してきたからな。
クラウドはわずかに身構えながら、そっと剣の柄(つか)へと手を伸ばした。
と、腰帯(ベルト)のポケットの中で電話の震える振動。着信音は消してあるはずなのに、静まり返った中でそれははっきりと音まで聞こえてきた。
クラウドは思わず注意を逸らし、ルードがぱっと身体を返す。
振り返ればタークスの大男は樹幹の陰に消えていった。
……なんで逃げるんだ？
クラウドは吐息を抑え、まだ震えつづけている携帯電話をひらいた。「はい」
『なんだよ、出るじゃねえか』シドの声が飛び出してくる。『おまえが電話に出ないって、ユフィが言ってきてな』
「ああ、忙しかったんだ」
『そりゃ結構』シドはやれやれというように吐息をついた様子だ。『でな、伝言なんだがな、バレットのところへ行けだとよ』
バレット？ あいつはいま、ミッドガルの北岸で天然ガスの調査をしているはずだな。方向違いとは言わないが、ミッドガルを大きく迂回しなければならない。いったんエッジに戻れば燃料の補給もできるが……そうすると、また仕事があるだろうし。
「……予約がいっぱいだ」
『なんとかしてくれよ』シドの声が半分ほど本気で懇願してくる。『オレ様まで巻きこまれるのはごめんだぜ』
仕方がないな。エッジには戻らず直行するか。「わかった、いまの仕事が終わったらバレットのところへ行く」
『よろしくな』
電話を切ると、クラウドは着信記録を確認した。確かにユフィからの伝言が入っている。理由もなにも言わず、ただひたすらバレットのところへ行けと、同じ内容の録音が二、三、あった。
いったい、なんだ？
まあいい、本当に急ぎなら、あいつは空からでも飛んでくるからな。とりあえず無視しておいてもよさそうだ。考えるのはあとにしよう。
| NEXT >> |
| WILD CARD contents |