１
セブンスヘブンの自由扉に手が届くか届かないか、そのとき、クラウドの前にマリンとデンゼルが悲鳴をあげながら転がり出てきた。
そのうち、デンゼルは文字どおり転がって、つい避けてしまったクラウドの足もとを滑ってポーチの階段を下まで落ちていく。
「……大丈夫か？」
声をかければ、ポーチの隅でうずくまって頭を守るように抱えていたマリンがぱっと顔をあげた。「クラウド！」
「お、お帰りなさい……」とデンゼルも逆さまになったまま手をあげる。
「鬼ごっこか？」
「違うの！ お店のなか、変なのいるの！」マリンが叫ぶ。
クラウドは眉を寄せた。マリンの目は真剣だ。「ユフィでも来たのか？」
「ユフィが来てたらティファも大変だよ。そうじゃなくて、なんだかわかんないけど、わかんないのがいるの」
マリンのそばまでデンゼルがステップを跳びあがってきた。「暗がりでごとごと音がするから、泥棒かと思ったんだけど」
エッジは確かにあまり治安がいいとは言えない街だ。それでも不思議と、この鍵もかけない無防備な酒場はそうした被害に遭ったことはない。
クラウドは自由扉を押して、とりあえず店の中を見まわした。テーブルの半分にはまだ椅子が載っているし、掃除道具も放りっぱなし、なによりカウンターの中には誰もいなかった。この時間ならティファは仕込みで忙しく、挨拶もする余裕もなく、クラウドも子どもたちも問答無用で手伝いにこき使うはずなのに。
「ティファは？」クラウドは子どもたちを見おろした。
「お風邪」とマリンが口を尖らせる。
「移るから部屋に入るなって」デンゼルもちょっと俯いた。「おれ、風邪なんかへっちゃらだよって言ったのに」
「風邪を馬鹿にするな。熱が出たら、二度と罹りたくないというぐらい退屈になるんだぞ」
「退屈……？」マリンが眉を寄せれば、デンゼルも複雑な顔で首を傾げる。「苦しいとか、つらいとかじゃなくて？」
クラウドは頷きながら軽く拳を握ってみせた。「寝なければ治らないと言われて無理やり眠らされるんだ。おれにそんな真似をさせたいか？」
子どもたちはクラウドの拳を見つめながら、そろって首を振った。
神妙になった子どもたちを残して、クラウドは住居のほうへとドアをあけて階段を登った。そういえば店の中になにがいたのかと、子どもたちの問題を思い出したのはティファの部屋のドアを叩いたときだった。
まあいい、ネズミかなにかだろう。
ドアをあければ、ティファのかすれた、確かに喉をやられたという声が飛び出してくる。「こら、入っちゃ――クラウド？ 早かったわね」
「ヒーリンとジュノンを往復してきただけだ」
「……いったい、どのくらいスピード出して走ってるの」ティファはのろのろと起きながら軽く咳きこむ。
ティファの非難の声には構わず、クラウドはサイドテーブルにある薬壜を手に取った。一般的な感冒薬だ。「咳止めを飲んだほうがいいんじゃないか」
「いいのよ。あったかくして眠っていれば治るわ。それより、クラウドもあんまり……移るから」
「おれは――」
「間接的に子どもたちに移るでしょ」
ああ、そう。なぜかクラウドは肩透かしを食らったような気分になったが、なにが残念なのかはよくわからなかった。
とにかく、医者ではない以上、病気についてはなにも言えないな。風邪をひいたときは、確か……。「プリンでも食うか？」
ティファは呆れたような目で振り仰いでくる。「誰が作るっていうの」
クラウドはちょっと考えこんだ。ここはメテオ以前のミッドガルやジュノンとは違う。近くの菓子屋に置いてあるのは駄菓子や揚げ菓子ばかりだ。
そのあいだにティファが続けた。「それより、マリンとデンゼルの夕飯、外で食べさせてきて。今日はそれこそプリンも作ってあげられなかったから。環状通りの飲み屋さんは知ってるわよね。そこの奥さんに電話して頼んだら、お子さま向けのメニューを用意してくれるからって。それから、その隣の雑貨屋さんにネズミ捕り用の薬剤頼んであるの。あと、倉庫通りの反物屋さん、子どもたちのお祭りの衣装はできてるって言ってたから受け取ってきてほしいのよ。明日には必要なんだから、それだけは忘れないで」
クラウドはいくつ頼まれ事をしたのかと指を折りかけ、しかし、手のひらを見おろすのにとどまってしまった。「……メモしてくれないか？」
ティファはごそごそとサイドテーブルをかきまわしはじめた。ややあって乱暴に文字の書かれた紙片を渡される。結局、おれの運び屋商売、ティファがいちばん利用しているんだろうな。無料で。
のろのろと階段をおりてみると、マリンとデンゼルは入口の柱にしがみつくようにしてふたりで身を寄せあい、その対角線上にあるフロアの暗がりをほとんど息を殺すようにして見つめている。
「どうした」
「しっ」とマリンが唇に指を当てる。
「見てて」デンゼルが見つめていたほうをまっすぐ示した。
壁の合わせ目、角になった場所には、店の装飾として、また、マリンの趣味として小さな鉢植えが並べてある。いまの季節には花は咲かないらしいが、元気に育っているらしい青々とした葉っぱが窓からの夕刻の光を撥ね返していた。
と、その葉がなにかに押されたかのように揺れる。
「ね、なにかいるでしょ」とマリンが囁いた。「きっと、ハロウィンのお化けだよ」
クラウドは少女を見おろした。「ハロウィン？」
「お祭り」デンゼルが応える。「明日、モグハウスでやるんだ」
「……モグハウス？」
「マリン、そこで文字とか教えてもらいはじめたの。デンゼルは算数」
ああ、手習い所か。「で、そのモグハウスのハロウィンがなんだ」
「違うの」マリンは苛々と叫んだ。「ハロウィンはお化けが出てきて暴れる日なの。だから、マリンたちもお化けになるの」
やっぱりわからない。……ティファには理解できるんだろうか、この話。
「つまりさ」とデンゼルが困っているらしいクラウドに気づいて、先刻よりはわかりやすく補足してくれた。「いまの季節は魔物の力がすごく強くなってるんだ。だから、ぼくたちは魔物の格好をして騒ぐんだよ。そうしたら、魔物はなにも悪戯しないで、いっしょに遊んで満足してくれるんだ」
「お菓子くれなきゃ、悪戯するぞ(トリック・オア・トリート)！」マリンがクラウドの足に抱きついて揺すってくる。
「菓子でなければだめなのか？ ティファに、いまは飯食わせろと言われているんだが」クラウドは揺さぶられるままに応えた。
「そういえば、おれ、お腹すいてる」デンゼルが自分の腹を撫でながら頷いた。
「あたしも」とマリンもクラウドの足を解放してくれた。
「じゃあ、行こうか」
いちおう入口の鎧戸を閉めて鍵をかけておくと、クラウドはポーチをおり、そのわきに佇んでいた愛車に手をかけた。途端に子どもたちがそれぞれ同時に叫ぶ。
「バイクはだめ！」
「おれ、乗りたい！」
一瞬、子どもたちは互いの顔を見あわせたものだ。
「デンゼルまで」マリンはむっと少年を睨みつけた。「ティファがどれだけ文句言ってるか、いつも聞いてるくせに」
「バイクはかっこいいじゃないか。ティファはクラウドのテクニックを知らないんだ」
「デンゼルだって乗ったことないくせに、知るはずないよ！ それに、はす向かいのおばちゃんが、このあいだの暴走集団の中にクラウドがいたって話してたとき、ティファがいっぱい困ってたじゃない」
「あれはしょうがないだろ」
クラウドは軽く手をあげて話に割りこんだ。「つまり……マリンも乗りたいのか？」
「絶対、いや！」
……そうか、いやか。「仕方がない、歩くぞ」
「ちぇっ」デンゼルが呟いて、ぴょんとポーチの最後のステップを跳びおりる。
マリンの手を引き、元気に走っていくデンゼルを見失わないよう、クラウドはエッジの街路を歩いた。
そういえば店の中になにがいたんだろうと思い出したのは、子どもたちがオムライスの上にトマトケチャップで芸術作品を描いているときだった。