MARRIAGE GUIDANCE
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レノは大きく溜息をついた。
「イリーナ、おまえさん、料理ってもんを根本的に間違えてるんじゃねえかな、と」
黒い弁当箱を丁寧に布で包んでいたイリーナが不機嫌そうにレノを振り返ってくる。「なにか文句でも？」
「おおありだ」と、レノはフォークに刺したカツのひと切れを彼女に見えるように掲げてみせた。「こういう揚げものは、中まで火を通せよ」
「えっ、レアじゃだめなんですか？」
「なんの肉を使ってるつもりでいるんだ、あんた？」
「これ、トリ肉ですって。最近エッジの市場にいる――」とイリーナは窓の外のほうを示すように手を振り、「ほら、草原でモンスターや野草を取ってきては売ってる、自称ハンターとかいう人が格安で分けてくれたんですよ。チョコボじゃないから安心しろって」
それじゃ、完璧にモンスター肉じゃねえかよ。「尚更、火を通せ！ こんがり焼いてくれ、頼むから！」
「そもそも」とルードが肉を避けてその下に詰めこんである米のかたまりをスプーンですくった。「これはどういう料理だ？」
「カツ丼とかいうらしいですよ。卵が半熟っぽくって、甘くなるのがいいんですって」
いったい、誰がこいつに料理を教えているんだ？ 「まあ、おまえさんにしちゃ、見た目はきれいにできてっけどな、と」
「でも、半熟って難しいんですよね。しょうがないから、溶解液で柔らかく――」
「ルード、吐き出せ！」
レノが叫ぶと同時に、巨漢のタークスはまっすぐレストルームへ突進していった。
「ったく……」半開きに放置されたドアをしばらく見つめてから、レノは無邪気な女タークスに向きなおった。「手作りランチを差し入れなんて、アイシクルロッジの雪が溶けるような真似するなよ。どっかの暗殺要員じゃないだろうな、おまえさんは、と」
「失礼な」ぷくうっと頬を膨らませ、イリーナはきつく睨みつけてくる。
まあ、そういう仕種は可愛いっちゃ可愛いんだけどよ……。「とにかく、少なくとも身体に影響のない料理を作れるようになってくれよ、と。仕事場に持ってくるなら尚更な」そして、レノは軽く指を鳴らした。「ほれ、近所の知りあいにセブンスヘブンの女将やってる料理自慢がいるじゃねえか。ウータイ料理にこだわらねえで、半熟目玉の焼きかたぐらい習ってきたらどうかな、と」
「目玉焼きぐらい、わたしだって作れます！ なぜかいつも両面焼きになりますけど」イリーナは憤然として、レノの目の前のデスクを拳で叩いた。「だいたい先輩、わたしたちはタークスなんですよ、タークス！ どうしてセブンスヘブンに――」
「いや、だからよ」レノは、どうどう、と宥めるように両手を振った。「かつての敵とか、そんなのどうでもいいじゃねえか、なんなら敵情視察のつもりで、ついでに花嫁修業してくりゃいいんじゃねえかな、と」
「敵情視察……」イリーナは不意にまじめな顔になり、背筋を伸ばした。「わかりました、先輩。あのティファって子にひっついて、アバランチが再び活動を始めないように見張れってことですね！」
「いやいや、そんな積極的にやらなくても」
もごもごと言っているうちにルードが帰ってきたものだ。ついでに、その後ろからツォンがファイルを片手に事務所へと入ってきた。
上司がデスクをまわろうとしていたところで、イリーナは先刻包んでいた弁当を両手でさし出す。「ツォンさん、ご苦労さまです！」
「ああ……これは？」とツォンはいちおう受け取りながらわずかに眉を寄せた。
「お弁当です。ウータイのテイクアウトランチ」
「なるほど」ツォンは頷き、デスクの上に乗っている端末の横にそれを置いた。
レノは自分のデスクから抜け出し、イリーナに見えない位置から、「絶対にそれは食うな」と上司に手話で訴えたものだ。それが通じたかどうかはわからないが、ツォンはそれきり興味なさげに端末を立ちあげ、しばらく調べものに集中していた。
やがてイリーナが、おずおずと声をかける。「あの、ツォンさん」
「なんだ？」
「ここのところしばらく、わたし、なにも仕事してないんですけど」
ツォンは顔をあげ、軽く首を傾げた。「きみは本来なら、まだリハビリ期間だぞ」
「もう、怪我は治ってます」イリーナは見せつけるように両手を広げてみせる。「そりゃ、ずいぶんひどかったみたいだけど、わたしよりもツォンさんのほうが大変だったじゃないですか。それなのに、わたしだけお休みもらって」
「充分に休むことも仕事のうちだとは思えないか？」ツォンは穏やかに諭した。
「それは……」
「休んでいるあいだに、なにか興味のあるスキルを磨いておくのもいいと思うぞ。タークスの通常任務に戻ったら、カルチャークラブにさえ通えないほどになるからな」
「スキル……」イリーナはちょっとだけ足もとを睨みつけるように考えこみ、そして意を決したように顔をあげた。「それじゃ、監視任務に就かせてください。わたし、セブンスヘブンに泊まりこみます！」
ツォンには彼女の話の飛躍方向がよくわからなかったらしい。「セブンスヘブン？」
「はい、ツォンさん。わたしはもっとスキルを磨かなきゃならないんですよね。そしてこの街(エッジ)には危険人物がいる。一鳥二石です」
「一石二鳥だぞ、と」レノは小さな声でそっと訂正した。その横でルードもそっと溜息をつく。
イリーナはそれを無視してツォンのデスクに両手をつき、頭を下げるような恰好になった。「どうか出向させてください。休み扱いでもいいです。でも、せめて有給だと嬉しい」
レノは思わずイリーナの後ろ頭をはたいた。「有給で花嫁修業すんな！」
「いたあい！ なにするんですか！ 料理教えてもらってこいって言ったの、先輩じゃないですか！ だいたい、これは自己啓発ですよ、自己啓発！」
「普通の事務仕事やってる社員ならともかく、おまえはタークスだろうがよ、と」
「だからなんだって言うんですか。わたしはタークスですけど、人事区分は一般職なんですよ！」
イリーナの金色頭を揺さぶろうとしていたレノは、片手をあげたまま一瞬動作を止めた。「……は？」
「そういえば」ツォンが溜息まじりに呟いて、またデスクの端末をいじりはじめた。「ジェノバ戦役でのごたごたにかまけて、ついつい、イリーナの職分を変更していなかったな」
「専門職じゃなかったの、おまえ？」
「どうせ、お茶くみ社員からの成りあがりです！」ぷいっと、イリーナは膨れる。
「しかし、一般職のほうが、なにかと女性には便利だと思うが……」ツォンは端末を操作しながら考え深げに言った。「残業は減るし、超過分を有給に換算できる。辞職等に関しても、旧神羅カンパニーの頃から専門職は三か月前に申請しないとならんことになっているぞ。それでも人事登録を変更するか？」
「えっ……それって」イリーナは首を傾げた。「もしかして、すぐに結婚したくてもできなくなるってことですか？」
「結婚は構わないが、生活が変わったので、いったん休職しますというわけにはいかんだろうな」
ツォンが顔をあげると、イリーナはしかし、ぽかーんと彼の顔を見つめている。
「どうかしたのか？」とツォンはレノに訊ねた。
レノは両手を軽く広げてみせる。どうせ彼女のことだから、なにか別のことを考えはじめたんだろう。
案の定というか、イリーナはゆっくりと両手を合わせて握りこみながら、デスク越しにツォンのほうへと身を乗り出した。「結婚は構わないっておっしゃいました？」
「うん？」ツォンはまばたき、要領を得ないようながらも頷いた。「ああ、構わんが」
「ほんとに？」イリーナはさらに両手を握りしめ、満面の笑みになってその場でくるりとまわった。「わたし頑張ります。きっと素晴らしいお嫁さんになります！」
彼女の頭脳のどこかでこれまでの会話が切り張りされて、彼女の中ではひとつの完結した物語できあがっちまったみたいだな、と。
レノはルードと並んで喜びに踊りまわる彼女を見つめることしかできなかった。
「イリーナ」とツォンはどうやら、彼女の所作にはなにも触れないでおくことにしたらしい。冷静な声で彼女を呼び寄せると、ひとつの書類封筒を渡した。「セブンスヘブンに行くのなら、これをあそこの住人に渡しておいてくれ」
「はい、任せてください！」
うきうきと封筒を受け取って軽い足取りで出ていくイリーナを見送り、レノは肩から力を抜くようにして項垂れた。
結局、なんのかんのとごまかされながらも、お使いしかやらせてもらってないということに本人が気づいてないなら、まあいいか、と。
「レノ、ルード」ツォンがデスクから立ちあがりながら静かに言った。「こちらも仕事だ。ＷＲＯの移転に伴なって動き出すものもいるだろうからな」
なるほど。荒事となると、特に怪我が治ったばかりのイリーナには、ちときついからな、と。
レノはルードとともに頷いた。「了解、と」
そして彼は上司と同僚とそろって部屋を出るそのときに、イリーナがツォンに渡した弁当の包みがデスクの上に乗ったままであることに気づいたものだ。
だが、それを指摘したところで意味はないだろう。
レノはきっぱりとドアを閉め、取り残された半熟カツ丼のことは忘れることにした。
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