１
いつもよりも赤い月が昇っているにもかかわらず、荒野は青ざめて、黒々と沈んでいる。
ニブル山脈の西端、勾配は激しく、見通しは悪い。樹木はほとんどないものの、尖った奇岩があちこちに突出して、まるで巨石の森だ。風は冷たく刺すように肌を攻撃して過ぎ去っていき、乾いた大地の上では枯れた芝が身を縮めている。
アレンは無意識に剥き出しの腕をこすった。いま着ている野戦服は動きやすいものの、耐寒性はあまりない。もっともソルジャーである彼には、寒暖はあまり関係なかった。この程度では、寒気と感じるほどではなく、ただ気分の問題というだけである。そのうち、セフィロスのようにコートでも調達しておこう。
ちらりと振り返れば、黒コートに身を包んだ長身の影がひとつ、巨岩の足もとで腕を組んで立ち、軽く背をもたせかけている。起きているのか眠っているのか、無表情な面にあるふたつの目はずっと閉じられたままだ。彼自身はぴくりとも動かず、長い銀の髪がわずかに風に煽られて踊るだけ。
と、右手の離れた岩棚から抑揚のない声が漂ってきた。「敵軍確認」
２nd(セカンド)や３rd(サード)たちがうずくまるそのむこうに、階段状になった岩が積み重なっていて、その上にひとりのソルジャーが背を丸め、胡坐をかいて坐っている。薄茶の髪をかきまわしながら彼は双眼鏡を目に当てていた。
そのまま彼は誰にともなく報告を続ける。「戦車(タンク)と……装甲車(アーマー)、それに単車(バイク)がうじゃうじゃ見える」
興味を持ったのか、２ndのひとりが振り仰いだ。「どのくらいっすか」
「たくさん」答える声に、かすかに揶揄するような響きが混じる。
アレンは軽く手を振った。「クリス、もういい。斥候の２ndたちからだいたいの報告は受けている」
双眼鏡をおろし、クリスはこちらを見おろしてきた。「暇なんすよ。おれの部下、取りあげられちまったし」
「文句はセフィロスに言え」
「言えねえよ」
「それにもう、暇ではなくなる。目標確認次第、すぐに攻撃に移るからな」アレンはさらに手を振って周囲の３rdや２ndたちに合図した。「所定の位置で隊を組め。編成したばかりだからといって、自分の上司が誰か忘れるなよ」
すぐさま動きはじめたソルジャーたちの波を名残惜しげに見送って、クリスが軽く吐息をつく。そしてぶつぶつと呟いた。「カインのやつもニックのやつも、ちゃんと面倒見てくれるのかね」
独り言のようだったので、アレンはそれには応えず、少し坂になった道を進んだ。
ここに待機している部隊は、セフィロスが率いる大隊のうち、ソルジャーばかりを抜き出したものだ。これまでは一般兵との混成で隊伍を組んで戦闘に当たってきたが、個人の能力差によって始終、脱落者が出、機動力も落ち、戦果をあげたとしても非常に効率が悪いと、きっぱりさっぱり編成しなおしたのだ。いまはソルジャーのみの攻撃隊と一般兵の後方支援とに、はっきり分かれている。
この編成で実際に戦闘にあたるのは、これが初めてだった。特に１ｓｔ(ファースト)たちは部下を半数以上削られたうえ、それぞれ２nd、３rdを数名引き連れたのみで敵軍に突撃しろと言われ、少々戸惑いぎみではあるだろう。先ほどのクリスは一小隊長からセフィロスの雑用係にまわされたひとりだ。逆に、ニックはそれぞれの隊から外された一般兵をすべて押しつけられ、てんてこ舞いのようだった。
坂をおりた先には三つの大きな岩が並んでいて、陰に二十人ほどのソルジャーたちが静かにしゃがみこんで待機している。
アレンはその小隊を率いるはずのソルジャーを捜した。「ロバート？」
彼らの中からひとりが歩み出て月明かりの当たる場所に立つ。その手にはすでに抜き身の剣が握られていた。「すぐに徒競走ができますよ。それにしたってなんで、先陣っていうと俺なんすか」
「セフィロスを先に出してもいいぞ？」
ロバートは勘弁してくれと言うように、剣を持ったまま両手をあげた。「ついてけねえって」
「ゲインズ、オラル！」アレンはさらに１ｓｔたちを呼んだ。
ロバートの隊に随うようにしてかたまっているソルジャーたちの中から、それぞれ手があがる。やがてアレンのほうへ出てきた彼らは、がっしりとして、いかつい身体つきの大男と、細身の男と、以前から息の合ったコンビだ。
オラルがのっそりとその巨体を揺すった。「どの程度、暴れられるんだ」
その彼の背中をゲインズが蹴りつける。
アレンは、興奮しているのかいないのかまったくわからない無表情な巨漢のソルジャーを見あげた。「……捕虜を作る必要はない程度」
「皆殺し(ジェノサイド)か」
「少なくとも戦車は全部仕留めろ」
オラルは返事もせず、きびすを返し、奇岩の陰へと帰っていった。
残ったゲインズが苦々しげに唇を歪める。「前の戦闘でやりすぎて本社に呼ばれてから、愛想がなくなった」
アレンも顔をしかめた。
以前から彼は好戦的ではあったが、一度懲戒のために彼は後送され、復帰してきたときには無口で戦闘のみにしか動かないような男になったのだ。本社でなにをされたのかは想像することしかできないが、その想像もしたくないようなことではあろう。おそらく、暗示であれ薬物であれ、あるいはロボトミー手術であれ、世間に大声で言えるはずもない非倫理的な処置だ。
あまり好意的には見ていなかった部下とはいえ、変化した彼の姿は、アレンでさえ忌々しい思いとともに処置をした連中への嫌悪感が襲ってくるのだ。彼の親友とも言えるゲインズにはなおさら、どこへやりようもない怒りや不満があるに違いない。だがそれを本人に言っても、反応さえないという。
「よく見張っていろ」アレンはようやく、それだけを言った。
ゲインズは奇岩のかたわらで動かなくなった同僚を振り返る。「とどめ役(エンダー)にはなりたくないが……どうなっちまったのか、あんたには見当がついてるんすか」
「科学部門の連中がなにを考えているかなど知りたくもない」アレンは首を振った。「だが、連中がソルジャーのことを理解していないことだけは確かだ。俺は、あいつが見当違いの処置をされたのなら、いずれ破綻が来ると思っている」
「外せませんか」
「戦闘に参加させることは本社命令だ。データを取りたいらしい」アレンは声を低めた。「とにかく、ここで長々とする話でもないな。あとでゆっくり聞く」
「了解」ゲインズは諦めの混じった吐息をつきながら中途半端な敬礼をして、きびすを返した。
アレンもきびすを返し、指揮官がまだ動かずにいるだろう場所へと坂道を戻りはじめる。
荒野は相変わらず青黒く沈みこみ、大勢のソルジャーたちの影を岩の群れに溶けこませていた。赤い月だけが闇の中に取り残されたように浮かんでいる。
その月を背後に、いまだ岩棚の上に坐りこんでいるクリスがこちらに身を乗り出してきた。「アレン、出席確認は終わったのか？」
「点呼と言え」アレンは足を止めずに応えた。
「そうそう、それ」
「敵前逃亡するソルジャーがいるはずもない。おまえ同様、暇をかこっているやつらと雑談をしてきただけだ」
「なんのかんの言って世話好きだよな、あんたも」
「おまえの世話を焼いた憶えはないぞ」アレンはクリスのいる岩棚の下を通りすぎ、少し高い位置までのぼった。「セフィロス、そろそろ起きろ」
岩に凭れて腕を組んだまま、片目だけを薄くあける指揮官。夜闇に一瞬、青い光が閃いたように見えた。
「おまえの声は、目覚ましにはなりそうだな」と、セフィロスは少々不機嫌だ。
アレンは睨みつけてやった。「本気で寝ていたのか？」
「部隊の再編作業に、どれだけ時間を食ったと思う」
「やると言い出したのはあなただろう」
「ふん」セフィロスは身を起こし、そこから夜の荒野を見渡した。「もう、すぐそこだな」
アレンも彼に並んで黒ずんだ岩々を見つめた。闇がまるで重さを伴なうように大地を覆っているが、遠くの奇岩の陰にちらほらと、月明かりに反射する金属のきらめきが見える。敵軍が近づいているのだ。
クリスがさすがに岩棚からおりて、足音もなく横に並んだ。「かなりの数っすよ。これだけソルジャーを集中しときながら突破されたなんていったら、どうなるんすか」
「俺が更迭されるだけだ」セフィロスがわずかに唇を歪める。もしかしたら皮肉な笑みを浮かべたのかもしれない。
「それと、西部戦線への最短補給路が分断される」アレンはつけ加えた。
彼らの敷いた陣の後輩には、西の平原で展開している、ハイデッカー大将率いる大軍団を支えるための神羅の補給施設があるのだ。陸地としては最前線とも言える位置から、補給路は山脈の南端をかすめ、湾岸沿いに陸路、海路両方に繋がっている。もっとも、近海の制海権はすでに神羅のもとにあるので、ここでひとつの補給路が奪われたとしても、こちらにとってはそれほど深刻な事態にはならないだろう。たんに、ハイデッカーがあまりにも大兵力を動かすために、補給路がいくつあっても足りないというだけのことだ。
だが敵軍にとっては、神羅軍とまともに戦うには戦力の差が歴然としているため、一本だけでもこちらの補給を断つことが急務なのだ。さらに言えば、首都を放棄したとしても、この荒地と後背の山脈に全軍を移動できれば、ゲリラ戦法が思いのままに採れる。だからこそ、彼らも大兵力を投入して南下してきたのだろう。
「ハイデッカーを助けるつもりはないが、ここでしくじって本社に缶詰にされるのはごめんだからな」セフィロスが呟いた。「とりあえず勝たせてもらうぞ」
セフィロスが軽く手を振ると、奇岩の陰からわずかに騒音が起こった。剣環の音、靴音、立ちあがるソルジャーたちの身動きの音だ。いつでも彼らはこの銀髪の鬼神の一挙手一投足を見守っている。正直に言って、セフィロスに統制を取るための副官は必要ないだろう。
大量の車輌が荒野を渡ってくる地響きが聞こえてきた。足の下の大地もかすかに揺れているようだ。無数の鋼鉄の車輪(キャタピラ)が容赦なく大地を抉っているのだ。特攻用の単車は重い強化金属の装甲をつけ、おそらく戦車や装甲車の前に突出し、こちらを突破しようと、まとまって向かってきているはずだ。
こちらには戦車も装甲車もない。だが半包囲を形成しつつ、１stを先頭に斬りこむことになっていた。ソルジャーだからこその無謀な突撃。それでもその勝利をもぎ取り、参謀本部に戦果を突きつける。
そうしてほんのわずか、俺たちは自由になるのだ。
ほんのわずかだけ。
アレンは剣(ラグナロク)を抜き、大きく頭上に掲げた。
「突撃(GO)！」