BEFORE THE WHIRLWIND
2. Cool Beauty
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「トーマス・メアリ・ケラット、きみの学生証と寮のカードキーがこちらだ。寮の生活規則については、寮監から別に注意がある」
教官がさし出したホルダーケースを受け取りながら、トムは、「はい」と返事をした。さらに何枚かのコピーを受け取る。そこには、どこの教室、あるいはどこの施設で、どの時間に、どんな講義があるのかがぎっしりと書き連ねてあった。
「カリキュラムに関してだが、きみの場合、基礎教育はすでに修了しているので、そちらの講義を受ける必要はない。だが、士官学校をめざすのであれば、高等学科をひととおり受けておくことを勧める。ああ、Ｓ奨学生だったな……」と書類をあらためて確認したのだろう、ファイルボードに目を落とし、髭を撫でながら教官は続けた。「ソルジャー専修の学科目はそれほど数は多くないが、実技はすべて修めなければならん。その説明は受けたかね？」
「はい」
「幼年学校に入学した生徒で卒業するのは七割、その三割が士官学校への進学を選択する。ほかはそれぞれの専門に合った部隊へ配属され、兵士として神羅で働くわけだが、ソルジャー部隊に配属されるのは年に四、五人という少なさで、そのうち、1st(ファースト)に適性のある者が出るのはまれだ。今回のＳ奨学生は三十八名、つまり、卒業までに九割がたが脱落するということになる」
トムはごくりと唾を飲みこんだ。「はい」
「自分に合ったカリキュラムを選択し、無理なく学業を修めるように。卒業最高年齢の二十歳までは在籍を認められる。つまり、きみにはまだ五年間の猶予があるわけで、今回の入学者の中では、きみは特に年少者のほうだ。あせることはない」
「はい」
さらに制服の支給、基本テキストの配布などをすませ、寮監から寮の規則に関する指示を細々と聞かされたあげく、トムはようやく自分の部屋として宛がわれた場所に辿りついた。
カードキーを使って扉をあけると、それほど広くなくとも充分に生活できる空間が彼を迎える。正面に大きな窓、両側の壁にひとつずつベッドとクロゼットが造りつけられ、それぞれのわきには、家で使っていたものよりも少し小さいが、それでもテキストとノートを広げても充分に余裕のありそうな机があった。
まだなんの特徴もないその部屋に踏みこんでから、彼はほっと胸を撫でおろした。やっとここまで来たんだ。父親が出してやると言った学費を断わって奨学試験を受け、それをパスしたと聞いたときには夢のような気分だった。誰にも頼ることなく、自分の力でソルジャーへの一歩を踏み出せた爽快さ。でも、これからだ。八、九割がたは脱落していくと言ってたっけ。
トムはまたひとわたり部屋を見まわした。同室になる生徒はまだ入寮していないらしい。無機質な白いシーツをぴんと張ったベッドが、無言のままそこに佇んでいた。ここでいっしょに暮らしていく少年はどんな性格だろう。趣味が合うといいけど。
彼は先に入った者勝ちということで、左側のベッドを自分のものとして占領した。トランクをあけ、クロゼットに着替えやタオルや、細々した私物を丁寧にしまいこんでいく。もらったテキストと筆記道具類を机の抽斗に入れ、両親と妹の写真を窓からの陽の当たる場所へ並べて置いた。
そうしてひととおり整理がついて落ち着くと、午後の陽射しがぽかぽかと部屋全体を暖めていることに気づいた。窓は南向きなのだ。そばへ寄ってガラス越しに外の景色を見やる。海と空と、ジュノンの町が広がっていた。ここは三階で、ちょうど、どの建物の影にもなっていないらしい。
踊り出したくなるほどの気分のよさ。幸先がいいことに感謝したいが、おそらく、もう二、三週間も経てば暑くてたまらない部屋になるだろう。これから、この地方は夏になる。
トムはまたちらりと反対側のベッドを振り返った。しらじらとした殺風景な空間だ。同室の生徒はまだ到着しないんだろうか。
と考えているあいだに、ピピッと扉のほうから電子音が聞こえた。その音がなにを示しているのかわからなかった彼は、少し狼狽しながら窓から離れる。
もしかしたら呼び鈴なのかとようやく思いついて足を入口のほうへ向けたそのとき、いきなり勢いよくそのドアが弾けた。
「幼年学校の寮なんかに電子キーなんか使うなよな！」悪態とともに足音も大きく乱入してきたのは、ぼさぼさの黒髪をずいぶん長く伸ばした大柄な戦士だった。両腕でひとりの少年を抱いていて、彼に壁やドアがぶつからないよう肩から部屋の中へと踏みこんでくる。
「おう、この部屋のやつか？」彼はいささか初対面とは思えない気安さで笑みを向けてきた。
「は、はい……」と頷いてから、トムは彼の背中にある大きな剣に目を吸いつける。持ち主の背と同じくらいの長さのあるそれは、幅も一キュビット(肘から中指の先くらいの長さ)ほどはあろうか。
この人、ソルジャーだ。トムは思わず、ごくりと喉を鳴らして立ちすくんだ。これほど大きくなくとも、戦うためと一見してわかる古風な武器を持つ者は、階級章を示されるまでもなくソルジャーと決まっている。
「おい」ソルジャーがふたつの寝台を見比べながら声をかけてきた。「こいつのベッドはどっちだ？」
「あ、そ、そっち……」反射的に指さすと、「サンキュ」と言って彼はきびすを返した。シーツをやはり乱暴にめくって抱えていた少年を寝かせると、またまた優しくとは言えない勢いで身体をくるみこむ。
茫然としてその一連の光景を見ていると、あけっ放しのドアから、もうひとり男が顔を出した。ここの寮監だ。
「ソルジャー・ザックス、その子の私物と配給品をお忘れです」とファイルケースや何枚かの書類、それに制服の入ったビニール袋と、なにやら汚い巾着袋を持って入ってくる。
「おお、悪い悪い」ソルジャーは諸物を受け取ると、それらを確認することもなく机の上にまとめて放り出した。どうやら、ずいぶん乱暴な人らしい。
「大丈夫なんですか？」寮監が顔をしかめながら眠ったままの少年を覗きこんだ。
「んー、まあ、たぶんな」黒髪のソルジャーはぼさぼさの髪の毛をさらに乱すようにかきまわす。「ったく、あの大将も、手加減って言いながら、全然手加減になってねえじゃねえの」そう呟くと、彼は寮監に向きなおり、「じゃあ、あとはよろしく頼むぜ。目が覚めたら、とにかくなんか食わせてやってくれよ。二日間、飲まず食わずみたいだからさ」
「了解しました」寮監が敬礼を施した。
「また様子見に来るわ」軽く片手をあげることで返礼して、黒髪のソルジャーは嵐のように去っていく。
「ケラット？」とあとに残った寮監が言った。
「は、はい」トムは思わず背筋を伸ばす。
「きみの同室のストライフだ。きみより一年ほど年下だが、まあ、自己紹介などはあとでゆっくりやってくれ。今朝、説明した寮の規則や生活のことなど、面倒見てくれるかね」
「はい、わかりました」トムは頷き、シーツからはみ出ている金の髪を見つめた。「目が覚めたら、お知らせしたほうが？」
「ああ、それで――」寮監はドアわきについているインターフォンを示し、「連絡してくれればいい。その子の食事を用意しなくてはならんから、必ずな」
「あの……」トムは訊いていいものかどうか迷いながらも、「彼、どうしたんですか？」と訊ねた。
「私は詳しいことは聞いていないので、本人が気がついたら訊ねてみるといい。親交を深めるきっかけにもなるだろう」きびすを返しかけ、寮監は思い出したようにまた振り返る。「そうそう、その子もきみと同じソルジャー科だ。仲よくなれるといいな」
「は、はい」
寮監が出ていき、ドアが閉じられると、相手が眠っているにもかかわらず居心地の悪い静寂が押し寄せてきた。
どうしよう、とトムはうろたえながら考える。病気なのかな、それとも、どこか怪我してるのかな……なにか世話したほうがいいんだろうか。でも、なにをどうすればいい？
うろうろとドアと自分のベッドとを無駄に何度も往復したあと、トムは思いきって相手のベッドに近づいた。眠る少年の顔を覗きこんでみる。
金髪が枕の上に散らばり、窓からの強い陽光に比例して輝いていた。シーツが邪魔をして顔が半分も見えないのが残念だ。少し落胆した気分を味わいながら、しばらくそのまま見つめつづけ、やがてトムはそろそろと腕を伸ばした。顔の半分を占領していた布をゆっくり慎重にひっぱってみる。
ずいぶん繊細そうな顔立ちだった。女の子みたいだというのが第一印象。ひとつ下だと聞いたが、もっと幼く見える。この顔が、これから毎日、同じ部屋にあるのか。
と、ふいに睫毛が揺れて、そのあいだから青い色が覗いた。
「……あんた、誰」少しかすれた高い声がしたように思った。どこからかけられた言葉なのかトムが気がつくのにかなりの時間を要したのは、大概、間抜けな話だ。
じれったそうな声が再び目の前の唇から飛び出してくる。「どいてくれる……」
「あっ」トムはかっと顔が赤らむのをおぼえながら一歩退がった。「ごめん、あの、どんな具合なのかなって思って……」
金髪の少年はむくりと起きあがり、不思議そうにあたりを見まわす。「ここ、どこ」
「幼年学校の寮だよ。きみ、眠ったまま運ばれてきたんだ」
少年は眉根を寄せてしばらく考えこんでいるようだったが、その困惑した表情がなぜか徐々に怒りで赤らんでくる。「……眠ってたんじゃない」
トムは彼がなにを怒っているのかわからず、さらに狼狽した。「あの、ちょっと待ってて……寮監の先生、呼んでくるから」
インターフォンを使うということを思い出したのは、寮監を引きずって部屋に戻ってきたあとだった。
「やあ、気がついたようだな、ストライフ」寮監は、ベッドの上で胡坐をかいて私物らしき巾着の口を広げていた少年に向かって気さくに手をあげてみせる。「気分はどうだ」
「最悪」と簡潔な返事。
二の句が告げなくなったのか、寮監は笑顔をたたえた顔で一瞬黙りこみ、それでもなんとか気を取りなおしたらしい。「……お腹はすいていないか？ ソルジャー・ザックスから、とにかくなにか食べさせるように言われてるんだが」
少年は巾着に腕を突っこんだまま怪訝そうに眉を寄せた。「……ザックス？」
「ソルジャー・ザックスだよ」寮監が繰り返す。「きみの保護者だろう？」
「保護者？」またまた不思議そうにしてから、彼は非常にいやそうな顔で首を振った。「なんでそうなるんだ？」要領を得ないままに、彼は黒いシャツとズボンを袋から引きずり出す。「洗濯できる？」
「ランドリーは一階の西端にある」寮監は機械的に応えながら、「それより、なにか食べたほうが――」
「落ちなくなるから」少年はベッドからおり、てくてくとなにもかも無視して扉のほうへ歩いていく。
寮監が慌てて彼の腕を取り、引き止めた。「わかった、洗濯が終わったら食堂に来なさい。時間外だが、なにか用意してもらうよう伝えておくから。ケラット、きみ、ストライフについていってやってくれるかね？」
「あ、はい」
すたすたと歩いていく少年のあとを早足で駆けながらトムは声をかけた。「あのさ、ぼく、トーマス・ケラット。みんなトムって呼ぶんだ」
年下の少年は細い肩越しにちらりと振り返り、仕方なくといった声音で呟いた。「クラウド・ストライフ」
「へえ、すごく……」言いかけてから、どういう感想を受けたのかを慌てて考えてみる。「ええと……」
結局、トムはなにも感想を言えず、クラウドはもう興味を失ったといった沈黙のまま、彼らは階段をおり、一階のドアが並ぶ廊下を抜けていった。そのかん、双方の口から言葉は出てこなかったものだ。クラウド・ストライフという少年はそれでも居心地の悪さは感じていないらしい。ときどき、きょろきょろと首をめぐらし、表示板を見つけてはランドリーの位置を確認していた。
ざらざらのコンクリートの上に、すのこをずらりと並べただけの味も素っ気もない洗濯室に入ると、どの機械を選ぶということもなく、クラウドはいちばん近い位置にある機械に手に持った服を無造作に放りこんだ。すぐにスイッチを入れるかと思ったら、いきなり履いていた黒い靴を脱ぎ、これまた黒い靴下も脱いでから、それらをまとめて突っこむ。
「ど、どうして？」がたごとと靴底が機械に叩きつけられる音にびっくりしながら、トムは少年の顔をちらちらと窺った。
クラウド・ストライフはやっぱり変わらない無表情のままくるりと背を向けると、部屋の片隅にあるベンチへと歩いていき、ぴょんといった具合に坐りこんだ。トムは、普通突っこまれることのない硬いものを飲みこまされた機械の抗議の音を聞きつつ、そのまま立ちつくす。間(ま)がもたないのを感じながら、彼はちらりと洗濯機に視線をやった。
透明なプラスチックの窓に赤黒い液体がゆらゆらと揺れているのを見て、彼は目を瞠る。「ね、ねえ、ク……ラウド？ 色落ちしてるんじゃない、これ？」
「落ちてるならいいんだ」足をぶらぶらさせて退屈そうに呟く彼。
「は……あ、そうなの？」
そうして閑古鳥が地面をとろとろと横切るような時間が過ぎ、トムはピーっという洗濯機のブザー音に、びくっと肩を震わせた。クラウドがベンチから駆けてきて蓋をあける。機械の中に上半身を潜りこませるようにして、まず薄赤い靴下をひっぱり出し、なんとなく不機嫌になりながらそれを履き、ついで靴も取り出す。靴もどこか赤っぽい紫色で、先ほど見たときとはまったく色が違った。続いて取り出したものも薄いまだらの赤と白のシャツに茶色っぽいズボンだ。どれも、もともと黒いわけではなかったのだ。
「……ものすごい汚れだったんだね」トムは笑おうとしたが、うまくいかなかった。
「やっぱり落ちないな」クラウドは呟きながら洗濯機の蓋を閉める。「仕方ない」
来た道を引き返して部屋に洗濯物を戻すと、彼らは食堂へと向かった。また一階におり、今度はランドリーとは反対側の通路へ進んで、いったん建物の外へ出、渡り廊下を歩いて本館に入りこむ。
そこから二階にあがってすぐだったのだが、それがわかるまで、ずいぶん無駄な歩数を稼ぐ破目になった。なにしろ、トムも今朝ここに来たばかりで、館内図を穴があくほど見たとはいえ、実際に歩くとずいぶん広く、つい迷ってしまったのだ。
食堂はだだっ広い体育館のような部屋だった。長テーブルが三列になって延々と連なっている。ところどころでその列は切れていて、そこに丸テーブルが点々と置いてあった。おそらく、最上級生たちが占領するのだろう特別席に違いない。
窓の連なるほうにはジュースの自動販売機、反対側の壁にはカウンターが引かれている。そのむこうには、やはり大きな厨房が小窓から覗けた。
「坊やたち？」その厨房の窓からひとりの中年の女の人が顔を出してくる。「連絡のあった寮生かい、ソルジャー科の？」
「あ、はい、たぶんそうです」トムは思わず返事をしてしまった。自分は食べるつもりはなかったのだが、クラウドがあまりに無反応なので、代わりに声を出さずにはいられなかったのだ。
「あんまり、たいしたものはできなかったけどね」おばさんはいったん顔を引っこめ、カウンター横にある扉から出てきたときには、大きなトレーに湯気の立つ皿をいくつか載せていた。「パンなら、いくらでもあるから、お代わりしていいよ」
クラウドはテーブルに置かれたトレーを見て少し困った顔をしていた。その心理はトムにもなんとなくわかったような気がする。ぶつ切りにした硬そうなパンはともかく、ベーコンと卵、アスパラガスやキャベツ、レタスがごちゃまぜになったサラダとも言えない野菜の鉢に、なんの肉を使ったのか不明なハンバーグ。にんじんの付け合せには玉ねぎみたいなものが絡みついていた。
乱暴に作ったのは時間外ということもあって急いでいたからなのだろうが、トムの家ではもう少しおいしそうに盛りつけるぐらいはする。だいたい、もうひとつの皿にはマッシュポテトが積まれているが、微妙に緑色なのはなぜなんだろう。
だが、クラウドの困惑はトムの見当とは全然違うところにあったらしい。「こんなに食うの？」
「なに言ってんだい」おばさんはからからと笑った。「育ちざかりの男の子が、このくらい平気だろ。いっぱい食べないと大きくなれないよ」
クラウドは溜息をつきたそうな顔をしながら椅子を引き寄せて坐り、トムの驚いたことに、律儀にも、「いただきます」と言ってフォークを取りあげた。
「おや、ちゃんと挨拶できるんじゃないか」おばさんはまた豪快に笑って、バンバンと勢いよくクラウドの背中を叩いた。おかげで、にんじんを口に持っていこうとしていたところだった彼は思いきり咽(むせ)ている。
おばさんはそんなクラウドの様子には頓着せず、トムのほうへ顔を向け、「あんたもなにか食べるかい？」と訊いてきた。
「え、いえ」トムは急いで首を振る。「ぼくは正規の時間にまた来ますから」
「そうかい？ じゃあ、終わったら食器はあっちに――」おばさんは奥のほうにある棚を指さし、「置いといてくれればいいからね。お代わりが欲しかったら、あたしは厨房にいるから声をかけておくれ」
クラウドはハンバーグにフォークを突き刺しながらわずかに頷く。
夕飯の下ごしらえをしているのだろう、厨房から断続的に聞こえてくる、カタカタ、ガチャガチャいう音を聞きながら、クラウドは黙々と食べ、トムは部屋の隅にある給水器から水を汲んできて、それをちびちびと飲みながら、年下の少年がひとつずつ皿をきれいにしていくのを眺めた。
そうしてクラウドがサラダの皿に手をつけた頃、がらがら声で笑いながら数人の生徒が食堂に入ってきた。振り返ると、紺色の制服を着た、なりの大きな三人の生徒が大股に歩いてくるところだ。おそらくは最上級生かその下だろう。
「なんだ、私服の可愛い子ちゃんたちがこんなところでなにしてんだ？」ひとりが揶揄するような口調で声をかけてくる。
「あ、ええと……」トムは説明しようと口をひらきかけたが、どこから話せばいいのか迷って語尾を濁す。
「ちょいと、あんたたち」と厨房からおばさんの声がした。「食事時間にはまだ早いよ」
「わかってまーす」三人が声をそろえる。
おばさんは胡散臭げに彼らを睨みながらも黙って厨房に消え、上級生たちはトムとクラウドのまわりを囲った。
「ぼくちゃんたち、どこの専攻よ？」黒髪を逆立てるように短くしている男がクラウドの隣に腰かけながら訊ねてきた。
「ソルジャー科です」トムがおずおずと応える。
クラウドがちらりと目をあげてトムのほうを見たが、すぐにまた食事の続きを始めた。
「へえ、エリートじゃん」もうひとりがトムの肩に手を置いてふたりを交互に眺めてくる。彼は詰襟を大きく崩しており、ズボンもだらしなく緩いベルトで留めていた。「俺たちゃ、しがない砲術科だけどな」
「けどよ、ソルジャーってのは容姿も試験科目に入るのかな？ 見ろよ、すんげえ金髪」クラウドの隣に坐った男が彼の髪の毛をつんつんとひっぱってみる。
クラウドの右手が跳ねて男の腕を弾いた。「食事中なんだけど」
腕を弾かれた男は一瞬むっとした顔をして、「へえ、そうかい」とおもむろにパンをひとつ取りあげる。そしてそれをマッシュポテトの鉢に突っこんだ。「このアボガド入りのポテトさ、こうしたほうがおいしいんだぜ」
クラウドは彼を一瞥してから、平然とポテトまみれのパンを拾いあげる。
トムはようやく、からかわれていることに気づいて、はらはらと居心地悪くなった。肩に置かれた上級生の手が急に重たく感じられる。
「そう怯えんなよ」トムの不安に気づいたのか、肩に手をまわした男がにやにや笑いを深くした。「仲よくしようぜ。違う科でも親交深めなくっちゃな」
「あの、手、放してくれませんか」トムは身を捻った。
「おまえとは仲よくなりたくないってよ」少し離れたところで自動販売機のジュースを飲んでいた男が笑う。
「そう、つれないこと言うなって」再び肩をしっかりと押さえられ、さらに左右に揺さぶられたものだ。「俺らみたいな上級生と誼(よしみ)を通じてりゃ、これからの学寮生活も楽だぜ」
「そうそう」とクラウドのむこうで黒髪も頷く。
このかんに、クラウドはじゃがいもまみれのパンをほとんど口の中に入れてしまい、最後の鉢に手を伸ばしていた。
それを黒髪が横から取りあげる。「こんなまずいもんより、おれの部屋で――」
クラウドが男の手を取り、同時にその顔面に拳を繰り出した。
椅子ごと後ろにひっくり返った男の手から、いつのまに回収したのか食器をトレーの上に戻し、クラウドは椅子に坐りなおした。そして何事もなく食事を再開する仕種を見せる。
「このガキ――」
「食事中なんだけど」クラウドが先刻の台詞をもう一度繰り返した。
「うるせえ！」立ちあがった黒髪は、クラウドの前にあった食器を勢いに任せてトレーごと弾き投げる。「ソルジャー科だかなんだか知らねえが、先輩に向かってガン飛ばすのがおまえらの礼儀かよ。さっきから、むかつくことばっかやりやがって！」
「ちょいとばかり、お仕置きが必要かな？」トムの肩に手を置いた男が揶揄するような口調に剣呑なものを混ぜて呟いた。
「厨房におばちゃんがいるんだぜ、場所変えろや」残るひとりが提案する。トムは跳ねあがる心臓を抑えようとして震えた。こんな典型的な場面に出会ったのは初めてではないが、当事者として出会うのは想像していなかったのだ。どう対応していいのやら見当がつかない。
クラウドは大きく溜息をつきながらゆっくりと椅子を引いて立ちあがり、そしていきなり跳ねた。
顎に頭突きを食らって黒髪がのけぞり、がらあきになったその腹へとクラウドは再び拳を繰り出す。今度は腰を折って床にへたりこむ男。
あっというまの出来事にトムの身体の震えも止まった。自分より小さなひとつ年下の同級生は、くるりと振り返ると、さっきまで坐っていた椅子の上へ駆けあがるように跳び乗り、そのままトムを押さえていた男の顔を蹴り飛ばす。
少し離れたところに立っていた男が驚きと怒りをないまぜにした叫び声をあげて走ってきた。肩を掴んでいた男が倒れるのに引きずられてしゃがみかけていたトムの頭上を、テーブルを蹴ったクラウドが跳び越え、向かってきていた男の首筋に鮮やかなまわし蹴りを叩きこむ。
「この……」トムから手を放して立ちあがった男がクラウドの背後から飛びつこうとした。反復の横跳びでかわされると、たたらを踏みつつもなんとか転倒をこらえ、トムの横に戻ってきたクラウドのほうへと首をめぐらせる。
鳩尾に打撃を食らった黒髪はそこに膝をついたままでいたのだが、げっと喉に詰まった異物を床に吐き散らすと途端に回復した。まわし蹴りを食らった男もすぐと立ちあがり、三人三様の目で少年たちを威嚇してくる。
「可愛い顔して、妙に喧嘩慣れしてやがる」黒髪が忌々しげに呟いた。
じりじりと近づいてくる上級生たちを横目にしながら、トムはテーブルの上に視線を走らせた。ひっくり返った皿と倒れたコップ、テーブルの端からずり落ちかけているトレー。
「かかれ！」と誰か発せられた声かわからない合図とともに、上級生たちが殺到してきた。
トムは咄嗟にトレーを指にひっかけ、水平に一回転させてから真ん中の男めがけて滑り投げる。ぐるっと回転しながら、それは見事にそばかす顔に命中した。その横で黒髪の突進を避けたクラウドが、体勢を崩した彼の上から組んだ両拳を振りおろす。
もうひとりがそのクラウドに掴みかかろうとする足もとへ、トムはスライディングをかけた。あまり効果はなかったが、ほんのわずか男の足がもつれたようだ。黒髪の背中を踏み台にして空中に躍り出たクラウドの足が、再び彼の顔面に激突する。
派手な音を立てて椅子と散らばっていた食器をさらに床にばら撒き、上級生たちは全員床へと這いつくばった。
しかし、怒りと苦痛に顔を歪ませながらも彼らは再び立ちあがる。が、そのとき厨房から賄い婦が飛び出してきた。その後ろから、もうひとり白い調理服を着た料理人も駆け出してくる。
「なにやってんだい」おばさんはどかどかと少年たちに近づいてくると、片手を激しく何度も振ってから叱りつけるような視線で全員を眺めまわした。「なんで喧嘩になったんだい？」
上級生たちが膨れっつらに満たない不機嫌な顔でそっぽを向く。トムは背を丸めて俯いていたが、クラウドは上級生たちをきっぱりと指し示した。「食いもん粗末にした」
「はあ？」と声をそろえたのは上級生たちだ。トムも思いきり目を瞠った。そんな理由であるはずがないと内心で突っこみながら、しかし、真剣な光をその青い目にたたえているクラウドを見ると、もしかしたら本気でそう考えているのかもしれないと疑念が湧く。
「そりゃ、悪い子たちだ」おばさんはテーブルや床に散らばる食器とわずかに床を汚しているマッシュポテトの成れの果てを見まわしながら、「そこの三人はここを片づけな。床もテーブルもぴかぴかに磨くんだよ。それから坊やたちは――」とクラウドとトムを手招き、「厨房で手伝いだ。おいで」
料理人が上級生たちの監督に残り、おばさんはクラウドとトムを厨房に押しこむと、水道のある調理台のほうへといざなった。綿のはみ出た丸椅子をふたつ持ってきて彼らを坐らせ、それぞれに鞘豆のざるを持たせる。
さらにふたりのあいだにバケツを置き、「皮を剥いてこの中に入れな。全部終わったら帰っていいよ」と指示してから、彼女は気持ちよさそうに笑い声を立てた。「それにしても、さすがにソルジャー科の生徒だ。ちっちゃくても喧嘩は強いねえ」
トムは顔を赤くして俯き、鞘豆をひとつ取りあげた。これって褒められてるんだろうか？
「あいつらが弱いだけだ」クラウドの聞こえるか聞こえないかの呟きに、トムはちらりと目をあげる。無表情に豆を取りあげた同級生の横顔を、彼はそのままぼんやりと見つめた。
おばさんやコックたちが忙しそうに働く、湯気で湿った空気のなか、彼らは黙々と豆を剥きはじめる。
「クラウドってさ」トムがぼんやりついでに口をひらくと、彼のその青い目だけがこちらへ向けられた。トムは急いで続ける。「ええと、どこから来たの？」
「ニブルヘイム」
「あ、そうなんだ。ぼくはコレル地域(エリア)からだよ。同じ中央大陸出身だね」
クラウドは反応せず、先刻の食事の様子と同じように黙々と課題を片づけている。
トムはなんとか話を続けようとした。「あの人はきみのお兄さんなの？」
クラウドが手を止め、怪訝そうに顔をあげる。「あの人？」
「ほら、黒い髪のソルジャー……きみを連れてきてくれた人だよ」
「連れてきたって……」クラウドは少し目をあげて記憶を探るようにしてから、「ザックス？」と豆を弾く。
「そうそう」
クラウドは思いきり眉をしかめて、なにか悪態のようなものを口の中で呟いたらしい。
トムが首を傾げながら、「違うの？」と重ねて訊くと、「違う」と簡潔な答えが返ってくる。
少し考えてから、トムはもう一度訊ねた。「じゃ、どういう関係？」
「赤の他人」
また再び会話の接点がぶち切れる。
トムは身じろぎし、豆を弾きながらなんとか言葉を絞り出した。「そうか……ソルジャーに知りあいがいるなんてすごいなって思ったんだけど。今度、機会があったら紹介してもらおうかな、なんて考えてたりして」
「あんな変人、うざったいだけだ」
「ええ？」トムは混乱しながらも、やはりなんとか次の言葉を探し出した。「だってさ、もし第一部隊(ザ・ファースト)の人だったら、セフィロス大将にだって会えるかもしれないだろ」
クラウドはまた手を止め、首だけこちらに向けてきた。「……会いたいの？」
「会いたくないの？ 英雄って呼ばれる人だよ。すっごく、かっこいいに決まってる。新聞とか、よく載ってるの見たことない？」
クラウドは金の頭を俯かせて少しのあいだ瞑想しているかのようにじっとしていた。
やがて、大きな溜息とともに呟く。「……会いたかったよ」