BEFORE THE WHIRLWIND
6. Confusion
１ ２ ３
１
ミッドガルの夜は、たいして面白いものでもない。世界一の大都市と人は言うが、とんでもなくでかいだけで、ジュノンに比べればまるで生活感のない鋼鉄だらけの人工要塞という態だ。
どこもかしこもオフィスビルと魔晄炉関係の施設ばかり。唯一、繁華街らしきものがあるとすれば五番街か六番街で、強いて言うなら、その下のスラムにあるウォールマーケットぐらいだろう。ザックスはビルの壁面に嵌めこまれたばかでかい窓ガラスから高架道路(ハイウェイ)のうねくる街を見おろし、八番街にささやかなネオンの群れを見つけ出した。
けど、あれは飲み屋じゃねえな。劇場かな……うーん、どうせ、芝居なんか見せたって、クラウドの野郎、絶対眠っちまうに決まってる。やっぱ五番街あたり連れ出すか。
そんなことを考えていたザックスの背後に、す、と黒い影が立つのを窓ガラスが映した。
「あり？」ザックスは肩越しに振り返る。「なに、レセプション終わっちまったの？」
セフィロスはいつもの黒コートではなく珍しく軍礼装に身をかため、こればかりは相変わらずの愛刀を左手にして立っていた。
そして神羅の英雄らしくもなく、ふんと鼻を鳴らす。「俺が出席すると、みな口数が少なくなるようでな」
ザックスは笑った。「違えねえや」
今夜は神羅カンパニーの何十周年かの集まりだったらしいが、このての形式的なパーティなど、この神羅の英雄と呼ばれる男はただの一度も顔を出したことがなかった。今回、珍しくも本社ビルに正装までして存在するのは、彼の補佐官のひとこと、「おれ、ミッドガルに行ったことない」が原因だ。
今夜のレセプションの前後合わせて五日間、休暇ではなく仕事としてこの大都市に来ているわけだが、1st(ファースト)ソルジャーがミッション以外に役立つわけもないだろう。
名目的には、「ミッドガルの警備、及び人事運用の視察」などという、もっともらしい理屈をアレンがつけ足したのだが、その彼でさえ出発まぎわ、「社会勉強させるのはいいが、暴力に訴えるような事態には嵌まりこむなよ」と釘を刺してきたものだ。ようするに、おれたちが遊び倒すだろうことは、みながわかっていらっしゃる。
「んじゃ、帰りましょうか」ザックスは窓から離れ、エレベーターに向かった。「クラウドも待ちくたびれてっしょ」
「そうだな」セフィロスは呟いて、ザックスに並んで磨き抜かれた廊下を歩きはじめる。
「そうそう、ここにいるあいだは、あいつに稽古つけるのやめてくれよな」
「………」
そう怖い顔で睨むんじゃねえよ。「五日ぐらい羽目外したって構わんだろ」
「連れ出すのはいいが、ホテルまできちんと届けてくれるのだろうな？」
「どういう意味よ、それ？」
「おまえのことだから、あれを放って、ひっかかった女についていってしまうのではないかと思ってな」
うう……いや、ひっかかったりはしないぞ。ひっかけはするかもしれねえが。「だからさ、そういうときにはクラウドもいっしょだって……大将、あんた気づいてないかもしれねえが、あいつ連れてくと、ほんと、おれら、もてるのよ」
ちらりと視線を流して詳しい説明を求める上官に、ザックスは大仰に溜息をついてみせる。「ここちょっとのあいだに、あいつ、ずいぶん育ったろ？ すっげえ男前。女どものほうが放っておかないっての」
「それにしては背は伸びていないようだが？」
「あんたやアレンといっしょにいるから、そう見えるだけ。もうすぐ十六歳の割には大柄なほうだぜ？」
「そういうものか」
「そういうものだって」
そうして愛想もくそもない鋼鉄色のエレベーターのスイッチを操作し、到着したボックスに滑りこむまで、セフィロスはなにやら考えこんでいたらしい。
すうっとドアが閉まった途端、ぼそりと口をひらく。「ようするに、おまえは二枚目の弟分を見せびらかしたいわけだな」
それだけの結論を出すのに、どうしてここまで時間がかかるかね、この朴念仁は。「見せびらかしたいのは、あんたもいっしょだろ」一階までおりる指示を打ちこんでから、ザックスはじろりと肩越しに睨みつけてやった。「今夜だって、じつはここに連れてきたかったんじゃないのか？」
「まさか」
「そうかい？」
セフィロスは、くっと物騒な笑い声を喉の奥で洩らし、「おまえ、まだわかっていないな」とエレベーターの壁に背をもたせかけて腕を組んだ。「誰にも見せないからこそ、切札(ジョーカー)と言えるのだ」
ああ、そうかい。まったく、こんな捻くれたおっさんに見こまれて、クラウドも可哀相に。
「それに、ここには科学部門の連中がいる」セフィロスは続けた。
ザックスは肩を竦める。「まあな。宝条なんかに見つかったら、どんなことされるかわかったもんじゃない。けどよ」一転してまじめな顔をしてみせながら、彼は振り返った。「ソルジャーになるときには、どうしたってあいつの前に出さなきゃならないだろ」
「適性検査まではジュノンで独自にできる」
「それはそうだが」
「宝条はソルジャーにはあまり関心がない」セフィロスは目を眇めてエレベーターの床を睨みつける。「ソルジャーになれる人間には関心がないと言うべきだな。だが、あいつのように生身で魔晄を引き出せるなると話は別だ」
「それよ、それ」ザックスは指を立てた。「いっつも答えをはぐらかしてくれるけどよ、どうしてあいつ、あんなことできるの」
「ソルジャーの専売特許ではないということだろう。ニンジャの例もある」
「忍術は質が違うだろ」
「同じだ」
軽い電子音が鳴って、血がわずかに逆流するような浮揚感がわずかに起こったと思うと、エレベーターの扉があいた。一階のエレベーターホールに群れている神羅の職員や一般人の視線を受けて、ザックスはぴたりと口を噤む。またはぐらかされたという感じだが、この衆人環視の中ではさすがに内緒話は続けられない。
でかい図体の軍服姿、それもソルジャーとわかる礼服を着て大股に歩くふたりは異様なほど注目の的だった。確かにクラウドをホテルに置いてきたのは正しかったかもしれないと、ザックスはひそかに舌打ちする。おれらのあいだにあのクール・ボーイが当然のような顔をして歩いていたら、また別の意味で社内報のトップニュースになるに違いないもんな。ミッドガルでは、ジュノンと違って警備や巡羅隊以外の軍人というだけでも目立つ。
神羅本社ビルを出て宿舎に選んだホテルへの道は、自動遊歩道やエスカレーターなどを使って徒歩で行くほうが近かったのだが、すれ違う人間の奇異な目に、これ以上晒されたくないとザックスが主張し、車をレンタルして高速道路を大まわりすることになった。いや、クラウドだけが横にいるなら、べつにこんな面倒なことしないけどよ。あいつが金色の太陽なら、こいつは闇夜の月みてえに浮きあがりやがる。視線が痛えんだってば。まあ、この車はレンタルしてきたものだから、ついでに五番街へ行くときにも使えるし。
ホテルに着き、ドアマンに車を預けてロビーへと踏みこむと、ザックスはラウンジの片隅で、雑誌とコーヒーを前に数人の娘たちにかこまれている金髪の少年――いや、遠目からだと痩せぎすの青年とも言える――を見出した。
三人の娘たちは立ったままで、クラウドはどうやらたったいま声をかけられたらしい。コーヒーカップにかけた指もそのままに、彼は怪訝そうに彼女らを見あげていた。
おおっと、こりゃまた、ちょうどいい場面に出会ったもんだ。
「どうした」立ち止まっているとセフィロスが背後から声をかけてくる。ザックスに部屋の鍵を投げてよこしながら、彼もクラウドを見つけたらしい。
堂々とロビーを横切っていこうとする上官を、ザックスは急いで引き止め、柱の陰へと押しこんだ。
「百聞は一見にしかずだろ」ザックスはわざと声を低めてささやいた。「あんたの愛弟子がどれだけもてるか、ちっとは思い知れや」
「それは出歯亀というものではないのか」
「いいから、おとなしく隠れてろって」
娘たちが嬌声をあげ、それぞれクラウドのそばの椅子を引いて坐りこむ。同席を許したってのはいいが、クラウドよ、その無愛想な顔、なんとかしろよな。
ソルジャーの五感を働かせ、ザックスは会話に耳を傾けた。きちんと礼装したでかい図体の軍人たちが、背を丸めて柱の陰にへばりついているのが他人にどう見えるかなどお構いなしに、ザックスは神経を研ぎ澄ます。どこから来たの？ なにしてる人？ 名前聞かせて？ ひととおりのアプローチが飛び交うが、雑誌の文面を追うのを邪魔されて、金髪の少年はどんどん不機嫌になっていくようだ。
「じゃ、ミッドガル、初めてなんだ？」ひとりがきゃいきゃいと叫び、もうひとりが身を乗り出す。「あたしたち、これから《LOVELESS》のサイドクラブに行くんだけど、いっしょにどう？」
「おれ、人待ってるんだけど」
「ええ？ もしかして彼女？」
きょとんとするクラウド。「あいつら、男だけど」
再びロビーに響く嬌声。だめだ、こりゃ。こんな調子じゃ、せいぜいアイドルチョコボで終わっちまうぞ、クラウド。いいのか、それで？
「つまらんな」セフィロスが呟いて、おもむろに歩き出した。待て、ここで大将が出たら大騒ぎになるって……ああ、間に合わなかったよ。
ロビーを大股に進んでくる長身の男を見てクラウドが軽く手をあげた。娘たちが振り返り、凍りつく。ラウンジでくつろいでいたほかの客たちも、ケーキに食いつこうとしたまま、あるいは持ったカップからコーヒーをこぼしながら銀色の戦神が進むさまを見送っている。
なんだってミッドガルの連中ってのは軍服姿に弱いんだ、まったく。ザックスは諦めの吐息を何度もつきながら、のろのろと上官のあとを追ってラウンジに入っていった。
同時にクラウドが席を立ち、少し接近ぎみだった娘のひとりを押しのけ、それまで外していた剣を持ちあげる。その動作と彼の着ている上着が軍服のそれだったことに初めて気づいたらしい娘たちが、ばつの悪そうな顔をして視線を交わしあった。
おとなしくなった娘たちをあとに残して、クラウドはセフィロスに近づき、ひとことふたこと言葉を交わしてから、ラウンジを出てロビーのソファへと移る。
ザックスは放ったらかしにされてしまった少女たちを不憫に思いながらも、彼らのそばに坐りこんだ。ま、いっか。どうせ、あんなうるさい娘どもじゃ、クラウドの好みとは言えまい。
「なに不機嫌になってるんだよ」そのクラウドが眉を寄せてザックスを怪訝そうに見る。
「べつに」肘を立てた手のひらに顎を載せて、ザックスは深々と溜息をついた。
「レセプション、つまらなかったのか？」と、今度はセフィロスに向きなおる少年。
「面白いパーティなど経験したことはないな」
「ふうん」どさりと背凭れに身体を預けてから、クラウドは軽く片手を振った。「明日、魔晄炉見学だろ。おれ、また残っててもいい」
「ホテルに閉じこもらせるために連れてきたわけではないのだが」とセフィロス。
「ここ、ジムがあるんだ」
「夜は？」
「禁止」
「交渉してやろう。魔晄炉へは同行しろ」
「イエス・サー」
「ちょいと待った、おふたりさん」ザックスは両手のひらを見せて掲げた。「なんとなーく、話の内容はわかるんだけどよ、あいっ変わらず、脈絡のない単語の羅列だけで会話しないでくれねえ？」
ふたりの青い目がそろってザックスに注がれる。
「そんな会話してたか？」
「通じているのだ、構わないだろう」
「他人の頭にクエスチョンマークをつけるのが趣味か、おまえら」言うまでもなく、ときおりこうして交わされる会話の最大の犠牲者はアレンだ。もともとこのふたりは、どこか暗黙の了解のうちに余分な前置詞を抜いたコミュニケーションを取っていたが、ウータイの件からこちら、それはかなり顕著になっている。主語や、ときには動詞さえ抜きはじめた時点で無理にでもやめさせるべきだったかもしれない。セフィロスはともかく、クラウドにはまだ社会勉強しなければならない余地が残っているのだ。このまま他人に理解を求めようとしないでいたら、こいつはいったい、どうなっちまうことか。
「とにかくよ、少なくとも第三者がいるときには、まっとうな会話を練習してくれ」
ザックスの言外の意味に、さすがにセフィロスは気づいたらしい。「努力しよう」と煩わしそうに髪をかきあげる。
「おれ、しゃべるの苦手だ」
んなこと、最初からわかってるよ。「おれが教えてやるって。まずは実地で女の子の口説きかたから――」
「それがおまえの言う、まっとうな会話か」セフィロスが眉を寄せた。
「基本だろ、基本」ザックスは怯みそうになるのをこらえて軽く返す。「だから、今夜はクラウド、おまえはおれと五番街に行くんだ」
「なにしに」
「だから、会話の練習だって」
「あてにならんな」セフィロスが呟き、恨みがましそうな目を流してくる。「俺の暇つぶしはどうしてくれる」
途端にクラウドがむっとして大将を睨みつけた。「どうせ、おれの訓練なんて、あんたの暇つぶしにしかならないよ」
暇つぶしになれるだけでも半端じゃねえんだけどなあ。このチョコボ、なんにもわかってねえ。
ザックスはセフィロスに指を突きつけた。「言ったろ、五日間はそういうのなし」
「なまるよ」クラウドが抗議する。
「ちっとはサボれ」ザックスは鋭く言ってから妥協案を示した。「それじゃあさ、大将もいっしょに来いよ。そしたら暇じゃなくなるだろ」
「女をひっかけて、なにが楽しい」
「ったくもう、この剣術馬鹿のでこぼこコンビは……」ザックスはがっくりと膝のあいだに頭を項垂れた。だが、すぐに顔だけをあげ、朴念仁どもに向かってひとことひとこと指を突きつける。「いいか、この世のなか、殺したり殺されたりするだけがすべてじゃねえの。女の子ってのがいかに社会に役立ってるか、これからこのザックスさまが、みっちり教授してやっから」
ところで、このふたりをホテルから連れ出すまでが大変だった。なにしろ、クラウドもセフィロスも私服といったものを持ってきていなかったからだ。
ザックスは慌てて衣類を買いに走り、どうにかカジュアルと言える服に着替えさせ、長く目立つ銀髪とチョコボ頭のぼさぼさ髪を整えさせ、しつこく握っている剣や武器を外させ、ぶつぶつ文句ばかり垂れるのを黙らせ、ぐずるふたりと駐車場まで引きずっていき、ようやく彼らを車に押しこむことができた。
運転席に滑りこんでハンドルを握ったときには、ザックスはぜいぜいと肩で息をしていたものだ。なんて手間のかかる連中だ、まったく！ おれ、こんなやつらと一生つきあってくのか？
とりあえず、どこぞの百貨店の駐車場に車を放り出すと、三人でネオンの瞬く街路へと転がり出る。
ミッドガルは計画された都市であり、ビルの形や幅、道路の大きさはきちんと整理されていた。だが、五番街はいわゆる繁華街だ。日用雑貨や食料品から、ファッション関係の店、家具店、家電品店、レストランやバーアミューズメントといった看板が、きちんと区分されているはずの街並みを無秩序に飾り立てている。
ザックスは色とりどりの電飾されたビルの森を示しながら連れたちを振り返った。「クラウド、おまえ、どこか興味持てるところあるか？」
慣れないジャケットの襟をくすぐったそうに指で弾きながら、クラウドは少し思案するように首を傾げる。「アミューズメント？」
お子さまコースかい。一瞬、呆れ顔になってから、ザックスは慌てて記憶を掘り起した。そういや、ジャックが連れてってやるとか言ってたんだよな。それにしてもこいつ、あんなさりげない冗談話、憶えてたのか。「よっしゃ。大将、あんたにはつまらないかもしれねえが、つきあえよ」
サングラスをかけて微動だにしない長身の英雄は、いつも以上に不気味だ。むしろ官服や野戦服でいてくれるほうが、とっつきやすかったかもしれない。しかし、どんな格好をしているにしても目立つやつだよ。
ザックスは気を取りなおし、クラウドを引きずって手近のビルへと突進した。
ビデオゲームのコーナーにはさすがに十代の若者が多かったが、そこにはカードやスロットなどのカジノスポットもあり、プールバーも併設されていた。
セフィロスはさっそくビリヤード台を占領してキューを握り、そこから一歩も動かないという姿勢を見せる。ザックスはクラウドを連れまわしてひととおりの格闘ゲームをやらせたあと、パズルやＵＦＯキャッチャーのような単純なもののほうが彼の好みに合うとわかってからは、少年の好きにブースをめぐらせていた。
そのあいだに知りあったのはふたりの娘。もちろん、ゲームに夢中になっているクラウドは彼女らに目もくれなかった。それなのに、この女の子たちがちらちら向ける視線は、気を使って愛想を振りまいているおれじゃなくて、このチョコボ頭なんだよな。ちくしょうめ。あとで半殺しにしてやる。
「なあ、ザックス」ぴろぴろと陽気な音楽が鳴る機械の下部ポケットからチョコボの縫いぐるみを取り出しつつ、クラウドが振り仰いできた。「腹減らない？」
時計を見ると、夕食どきを小一時間過ぎている。「そうだな、そろそろ食いに行くか」
クラウドはくるりとプールバーのほうを振り返った。「セ――」
その口を、電光石火にザックスは塞いだ。超有名なその名前を、おまえ、どのくらいの音量で叫ぶつもりだったんだ？
女の子たちと別れ、黙々と玉を打っている大将に近づくと、サングラスの陰から横目を向けてセフィロスが退屈そうに呟いた。「飯か？」
「肉かな」とすかさずクラウド。
「いや、魚だ」キューをバーの店員に預けながらセフィロス。「向かいにミディールの皿料理があった」
クラウドは少し考えてから、「おれ、ウータイで食ったやつがいい」
「サシミか。よかろう」
だからさ、そういう単語の羅列はやめろって。センテンスに慣れてないやつらが妙に息が合っちまうと、ほんと救いようがねえな。「もっちろん、大将の奢りっしょ？」
セフィロスは軽くザックスを睨みつけた。「ふん、おまえの魂胆など初めから見え透いている」それからクラウドが先に街路へ飛び出していくのを見送りながら、「あとで振りこんでやるから、おまえのサインにしておけ。俺では足がつく」
「あんた……」ザックスは大きく眉を寄せた。「そんなに警戒してるのか？」
「ハイデッカーの監視などたいしたことはないが、宝条は凡庸なくせに、なにを思いつくかわからん男だからな」
思えば、クラウドに補佐官などというイレギュラーな役職を与えたのも周囲の追及をかわすためだ。まともに準隊員として第一部隊(ザ・ファースト)にあげてしまうと、否が応でも目立つ。雑務処理のための手伝いというほうがまだ自然だったのだろう。また、補佐官としてこき使っているにもかかわらず、外部との連絡はすべてアレンにやらせているのもそのためだ。この大将は異常なほど神経を使ってクラウドを世間から隔離していた。
「了解(アイ・サー)」ザックスはそこまでするべきなのかどうか迷いながらも呟く。いずれにしてもソルジャーである以上、セフィロスの意向に真っ向から反対できるはずもない。それが、この御仁のただひとつの希望であるならなおさらだ。
向かいの料亭では一般の席とは離れたテーブルを取ってもらい、ショウジで仕切られた小部屋で彼らはたっぷりと食べものを注文した。
ウータイ料理というのは、えてして淡白な味で見た目もあっさりしているものだが、刺身に吸い物、貝の蒸し焼き、焼き魚、煮魚、茸と野菜の煮物に、茶碗蒸しと、これだけ細々とした小鉢がずらりとテーブルに並ぶと少々鬱陶しい。もっとも、おれらが食いすぎるのか？
そして米酒というやつは意外に辛くて、舌にぴりぴりと突き刺さってくるものだった。慣れればそれでも行けるとは思えるが、さすがにクラウドに勧める気にはなれない。甘くて軽いものもあると聞いて、ザックスはそれを注文してやることにした。
どろどろの米を煮こんだオートミールのような中身を見て、クラウドはわずかに眉を寄せたが、モンスターを平気で食べる野生児に、未知の食糧に対する恐怖感はほとんどないと言っていい。いつもながら、こっちがあせるほどの思いきりのよさで一気に飲み干した。
「うまい、かな？」と空(から)になった椀をテーブルに置き、さっそく生魚を箸で不器用に口へ運んでいく。
おおよそ食わず嫌いどころか好き嫌いの感覚もない彼は、味に対しても大雑把な分類しかしていなかった。まずいかうまいか、それだけだ。言い換えるなら、食えるか食えないかだろう。こいつはきっと、食いものに限らず、すべてのものに対してそうした感覚でしか見たことがないんじゃないか。
ふと、ザックスはあることを思い出した。「そういや、おまえさあ、約束してる娘(こ)がいるって言ってなかったか？」
大根を細く切ったものをかっこみかけたところで、クラウドがぴたりと動きを止めた。「……なんだよ」とあからさまに顔をしかめる。
「ちゃんと電話してるのか？」
「電話なんかない」
「へ？」
「ニブルヘイムにそんなものあるわけないだろ」
するってえと、故郷に置いてきぼりかよ、そのガールフレンド。「じゃ、手紙は」
「そんな暇あるもんか」
「あるもんかじゃなくて、作れっての、そういう時間は」
「ソルジャーになるほうが先だ」
うあ。こいつときたら、まじめなぶん一直線なんだよな。故郷(くに)の彼女も苦労してただろう。
「なるほど、奥手だと思っていたが、じつは早熟だったのか」セフィロスが海老の吸いものを箸でかきまわしながら苦笑する。
「はあ？」ともぐもぐと大根を噛み砕きながらクラウドが目を丸くした。「ほうひうひみ？」
「言われてみりゃ、そうだな」ザックスはテーブルに肘をついて軽く体重をもたせかけながら、箸を彼の顔に突きつけた。「ニブルヘイムにいるときっつったら、おまえ、せいぜい十二、三だろ？ そんなガキの頃に、もう結婚の約束したんか？」
途端に激しく噎せこんで、わずかに大根を吹き出すクラウド。
「ちがっ……」かなり長いあいだ咳きこんでから、彼は目に涙を溜めながら真っ赤になった。「違う、そういう約束じゃない！」
「だって、可愛い子なんだろ？」
「そりゃ……だけど！」
「わかった、わかった」まあ、予想はしてたけどよ。
そうして、いろいろなことでクラウドを肴にし、ザックスもセフィロスも酒を流しこんでいたのだが、甘酒しか飲ませなかったというのにクラウドは悪酔いしてしまった。もしかしたら羊羹を食わせたのがいけなかったか？
とにかく、セフィロスが――あの大将が他人の世話してやがるよ――少年を抱えてレストルームからなかなか出てこなくなったので、ザックスは支払いをすませ、表に出て待つことにした。
アミューズメントでクラウドが獲得した賞品をお手玉にしながら、店先でぼんやりと行き交う人波を眺めていると、向かい側の街灯の下に立っていた女の子が目に入った。
栗色の長い髪を大きなリボンでまとめ、シンプルなロングスカートに身を包み、腕には可愛い花籠がある。
一瞬、そのての娼婦かなと浮かんだ考えはすぐに打ち消された。彼女の大きな目に出会ったとき、眩暈のするほどの既視感に襲われたからだ。まっすぐな、人の心の底まで見透かすような青い目。
鋭さは段違いだったが、あの月夜のニブル山脈で出会ったものとほとんど同じだ、などと奇妙な思いがザックスの中に湧きあがってくる。
珍しく声をかけるのも忘れてぼんやりとしていると、むこうのほうからにこっと笑いかけてきた。つられて、こっちも微笑んでしまう。
通りすぎる人を避けながら近づいてきた彼女は、「こんばんは」と恐れげもなく挨拶してきた。「なにしてるの？」
年の頃は十五、六か。クラウドとほぼ同じぐらいの年齢だろうが、あいつが育ちすぎているぶん、比べると少し幼く見える。部屋に連れていくにはちょっと早いよな。「あんたは？」と訊いてみる。
「わたし？」少し首を傾げ、彼女は腕の籠を示してみせる。「お花売ってるの」
「花だけ？」
「そうよ。ほかに作れるものないもの」
「いくら？」と訊いたところで、換金してこないと小銭がないことに気づく。おかげで、さっきから手に持っていた小さな人形を思わずさし出してしまった。「これと交換じゃだめか？」
少女はくすくすと笑った。「うん、それ欲しい」
チョコボのまるまるとした縫いぐるみを少女の白い細い手のひらに載せてやると、彼女は大事そうにそれを抱えながら、代わりに籠をさし出した。その中には黄色と白の小さな花々が詰まっている。
ザックスは少し驚いた。「まさか、本物の花か？」
モンスターというものが出没するようになってからというもの、この星の上でこうした小さな花々に出会うことは滅多になかった。どこか前人未到の地域には、もしかしたら群生しているところもあるだろうが、少なくともこのミッドガルで目にすることは稀だ。この鋼鉄とコンクリートの森で、か弱い植物がしっかりと根をおろすことはないだろう。
だが、この籠の中の黄色い小さな生命はきちんと手入れされ、育てられたものだ。
「今日の売れ残りだから、全部あげる」彼女は惜しげもなく言った。
そう言われても、さすがに躊躇するザックスだ。「全部って……そりゃ悪いよ」
「また、お花は咲くから」
ザックスはまじまじと彼女を見つめた。彼女のその応えが、なぜか深く深く胸に沁みこんできたのだ。
なにか変なこと言った？ と訊ねるように首を傾げる彼女。
彼は軽く声をあげて笑った。「じゃ、遠慮なく」と籠を受け取り、「おれ、ザックスってんだ」
「わたし、エアリス」
「どこ住んでんの？」
「スラムよ」
「ふうん」このミッドガルの分厚いプレートで覆われた下の地上には、この都市に住む人間よりも多くの人々が生活しているとは聞いている。治安体制の完璧なこの上部都市(シティ)に比べて、下ではさまざまな人種がひしめき、ときにモンスターも出現するはずだった。そんなところで、こんな清楚な美少女がどうやって生きているのだろう。
「いや、ごめん」と会話が途切れがちになってしまうのに気づいてザックスは苦笑した。「どうも、デジャブっててさ」
「でじゃぶう？」ぱちくりと目を瞠りながらわずかに眉を寄せる少女。
「つまりさ、あんたと、どこで会ったかなあって考えてるんだけど、思い出せないわけ」
彼女はころころと笑った。「やだな、初めてじゃない。もしかして、女の子なら、みんなにそう言ってる？」
「当たり」ザックスは指を立てて振ってみせ、「おれさ、これから数日しかミッドガルにいられないのよ。さっそく明日にでもデートしない？」
彼女はチョコボの縫いぐるみを持ったまま両手を後ろにまわし、かすかに身体を揺らした。「どうしよっかな」
「おい」と横合いから声をかけられて、ザックスは舌打ちをこらえて鋭い視線を流した。
「こいつは再起不能だ。帰るぞ」店の前に、半分眠っているクラウドをコートにくるむように抱えた上官が立っている。
「ああ、どうぞ、どうぞ」ザックスはポケットを探って車のカードキーを取り出し、セフィロスに向かって放り投げた。「おれ、こっちの可愛い子ちゃんと健全なデートしてくるから」
ちらりと少女を見てから、セフィロスはサングラスを押しあげた。「まじめに健全ですませるんだぞ」
あんたにそういうこと言われるとは思わなかったぜ。ザックスは鬱陶しそうに手首から先をぶらぶらと振って、邪魔者を追い立てた。
「だあれ？」ザックスの肩越しに覗きこみながら少女が訊ねる。
「陰険上司。気にすんなって」
身体を傾げたままで、彼女は今度はザックスを見あげてくる。「神羅の人なの」
「んー、ま、なんの因果かね」
「変な人」とくすくす笑い。よく笑う娘だな。でもまあ、この年ごろなら、こんなものか。そして、今度は覗きこむように彼女は身を乗り出した。「あら、ザックス、あなたの目、すごくきれい」
「ああ？」思わずすっとんきょうな声をあげたものだから、彼女はわずかにびくりとして背筋を伸ばす。「ごめんごめん」と急いで謝り、「そういうこと言うやつ、いなかったからさ。これってソルジャーの眼なんだぜ――あ、内緒な」
「ソルジャーなの」呟きながら、しかし、彼女の態度に恐れはない。
「クラス1st(ファースト)だぜ？ 怖くないの？」
ぱちぱちとまばたきすると、彼女はチョコボの人形で口もとを隠しながらまたくすくすと笑った。「変な人」