１
「ここは……これは？」
動かない身体を無理やり軋ませながらようやく階段をおりたザックスの耳に、野太い声が飛びこんできた。かすれた目をあげると、あちこち焦げた服と髭で身を覆った壮年の男が高架通路(キャットウォーク)を駆けてくる。村にいた格闘家のザンガンだ。
彼は空中床に踏みこみ、かたわらに倒れているクラウドにまず気づいた。「おい」と膝をつき、肩を揺すろうとして、少年の傷の深さのためにさすがに躊躇したらしい。
ザンガンはすぐに身を屈めて耳を寄せてから、「ティファ？ 彼女がいるのか？」とあたりを見まわす。
ザックスは左手と膝を使って、ようよう上体を起こした。ザンガンが彼に気づいて大股で近づいてくる。こちらの容態を訊こうとする口を遮り、ザックスは視線で少女を示してみせた。彼女はクラウドが寝かせた姿勢のまま、赤く血の滲んだ布にくるまれて横たわっている。
「……連れてけ」ザックスは声を出すのもひどく億劫だった。
「しかし……」
「早く、しやがれ」ザックスは合間に激しく息をつきながら苛立たしげに叫んだ。
ザンガンはひとつ頷くと、急いで彼女のほうへ駆けていった。遠ざかっていく足音を聞きながら、ザックスは再び匍匐前進を開始する。待ってろ、と彼は意味もなく口の中で呟いていた。
いま、そっちに行ってやるから。だからクラウド、もう少し耐えろ。
こんな状態で、互いに瀕死の自分たちになにができるわけもない。身を寄せあったところで、助かるわけでも救われるわけでもない。刻一刻と、時間は確実に彼らの生命を削っていく。だが、それでも。
いま、行く。
待ってくれ。
鉄の網目をすり抜け、わずかに触れてくる魔晄エネルギーが、好むと好まざるとにかかわらず彼の体内に沁みこんでくる。ちくしょう、無駄だ。いくらソルジャーでも、右腕斬り飛ばされて、腹に大穴あけられて、全身の骨折りまくられて、修復できるわけがねえだろう。それより、あいつのところに辿りつけるだけの力をくれ。このかすむ目だけでも、どうにかしろよ。せめて、あと五フィート。
くず折れて横たわったまま、クラウドはその青い目をわずかに動かした。ザックスにまっすぐ向けられる、その清冽な光。
わかってる。おまえ、ちゃんと約束守ったぜ。
勝手に巻きこんで、勝手になにかを押しつけたのはこっちだってのに、おまえ、一生懸命応えてくれたな。
だから、もういいんだ。
いいから――
少年は動かなかった。目はまっすぐに彼を見つめたまま、光だけがふつりと途切れる。
「だめだ！」かすれた声でザックスは叫んでいた。
だめだ、だめだ！ 行かないでくれ……置いていかないでくれ！
無我夢中で片手片足を動かし、彼は声にならない声で喚きながら床を這った。
まだらな血の色に染まった金の髪、同じように彩られた白い顔。生命活動の残滓に押し出され、内臓から溢れる血がまだわずかに少年の薄い唇から流れつづけている。
細い手足は投げ出され、下から照らされる魔晄の青い光がその輪郭をおぼろげにしていた。
ザックスは、見失うまいとするように彼の腕にしがみつく。
置いていくな。震える唇は言葉を作れなかった。
置いていくな。いっしょに行こうって言っただろ。
どこでもいい……どこでも――
動かない胸、弛緩した筋肉、脈打つこともない、それでもまだ温かみの残る手。
ザックスは彼のひたいに自分のそれを押しつけた。
乾いた青い目が相変わらず彼を見つめている。
行こうぜ……なあ、今度こそ。
あの見あげた陽光に透けた葉群、そのむこう。
行けたらいいと――
◇
ぐい、と身体が起こされた。
まるで魔晄にたゆたっているかのような夢の気分から、急激に現実へと引き戻される。どこか遠くで腹を立てながらザックスは目をあけた。
うっすらとひらけた視界に、まだ十七、八の若い顔が飛びこんでくる。眼にソルジャーの証である魔晄の光はあるものの、本来の遺伝子が持つ色は失っていない、薄茶色の瞳だ。2nd(セカンド)か、3rd(サード)か。
「生きてるんですね？」確認しながら、若いソルジャーはほっと溜息をついた。
誰だ、こいつは？
耳が徐々に周囲の物音を拾いはじめる。幾人かが鉄床を踏みしめてくるやかましい音がザックスの気分を苛立たせた。人が死のうとしているのに、少しは静粛にしてられねえのか？
「なにがあったんです？」若者が囁くように訊いてきた。「クラウドは……どうして」
関係ねえだろうが。なんで、てめえが泣くんだ。
「セフィロスを探せ！」ザックスの耳に怒り狂ったような声が飛びこんでくる。ぐるぐるまわる視界をどうにか安定させつつ、彼は若者の肩越しへと目を向けた。
黒い髪を後ろで束ね、白衣をなびかせ、壮年とも老人とも言えない小柄な男が科学部門のジャケットを着た数人を随えて渡ってくる。「セフィロスは……やつはジェノバと再統合(リユニオン)したのか？ 成功なのか？」
力の入らないままぐるりと床の上で首をめぐらせると、灰色の野戦服を着たソルジャーたちが剣と銃とを持ってうろつきまわっていた。
「なんだそいつは」と白衣の男がザックスのそばに立ち、尊大に彼を見おろしてくる。その周囲では幾人もの助手らしき人間がせわしなく動きまわっているようだった。
かたわらに膝をついていた若いソルジャーがためらうように応える。「第一部隊(ザ・ファースト)のソルジャーです、博士」
「セフィロスはどうした？」
知るか。ザックスは悪態をつきたかった。だが、瞼さえ動かすことができずにいる。視界も思考も靄がかかったようにはっきりせず、すぐ近くで話しているだろうはずの男たちの声は遠くなったり近くなったりだ。自分のまわりでなにが起こっているのか、まったくわからなかった。
白衣の男はちらりと視線を横へ流す。「そっちは」
そっち？ クラウドのことか？
「心肺機能は完全に停止しています」
「蘇生させろ」
……なんだと？
「この傷では無駄でしょう」
「なんのためにサンプルを抱えてきたんだ、ぐずぐずせずにジェノバを打ちこめ」
「しかし、コピーのサンプルはもう、充分では？」
「比較のための臨床体にはなる」それから男は再びザックスを見おろしてきた。「こいつにも打っておけ」
「ソルジャーですよ？」
「いちいち逆らうな」さっときびすを返すと、ジェノバの安置室のほうを見あげながら、男はせかせかと専門的な指示を怒鳴りつづけていた。やがてなにかしらの報告を受けたらしく、「ジェノバの頭部がないだと？」とさらにヒステリックな声をあげる。
おれがすっ飛ばしたんだよ、悪かったな。
「待ってください」と耳もとで先刻の若い男の声がした。「この人はソルジャーですよ……そりゃ、腕を飛ばされていますけど、自己治癒能力があるでしょうし――」
その歯切れの悪い言葉を聞きながら、ザックスはこの若者が誰だかをようやく思い出した。
ついでに、あの白衣の男が誰だったのかも。
「よせ、トム……」と肩に置かれている手をのろのろとひっかくと、少年はすぐに耳を寄せてきた。ザックスは息切れの合い間に囁く。「宝条の目につくような真似はするな……」
え？ と首を傾げたトムを、宝条が蹴り飛ばすかのようにどかせた。「おい、おまえ」と蛇のような目が迫ってくる。「ジェノバの頭はどこだ？」
ザックスはかすむ目で、せいぜい科学者を睨みつけてやった。「大将が抱いてったぜ」
「セフィロスは？」
「死んだ」
宝条の蛇のような目がさらに細まった。「おまえが殺したのか？」
ザックスは答えるつもりはなかった。
「違うようだな」といきなりがっしりと胸を押さえつけられる。
ぞくりとする感覚が背中を伝ってきて、ザックスは思わず目を瞠った。なんだ、こいつは？ 確かにおれは瀕死で起きあがる力もねえが、この腕力は普通じゃねえぞ。
「まあ、誰がやったかなど、どうでもいい。ジェノバ本体のリユニオン証明はあとまわしだ。コピー計画を持ちあげるぞ」背後にいる誰かに向かって命令しながら、宝条のザックスを押さえつける手は微動だにしない。「おい、早くアンプルを持ってこい……おや、こいつの右腕はどこだ？」
なにをする気だ、冗談じゃねえ！ ザックスはじたばたともがいたが、宝条が両手で彼の全身を床に縫い止める。そして助手の誰かが彼の左腕に針を突き刺した。
途端に、皮膚を、血管を、神経を、肉を割って、なにかが彼の中に入ってくる。
なんだこれは？
全身が激しく脈打ちはじめた。
――なんだこれは！
かすんでいた視界が急にはっきりとし、それが、ず、とぶれる。セフィロスの正宗に裂かれた腹が急速に塞がっていくおぞましさ。肩が失ったものを求めて蠢き、砕けた骨がもとどおり組みあがっていく。
「さすがにソルジャーだな……反応が早い」
「流動化はほとんどないようですね」
ふざけるな！ なんだこれは！
押さえられていた左手を撥ねあげ、そばにいた誰かを突き飛ばしたらしい。だが、がくがくと揺れる身体は、どこか他人のもののように自由が利かない。
体勢の変わった目の隅に、ふたりの科学者に抑えられているクラウドが映った。ひとりの手には注射器とアンプル。
「待て……」ザックスは喘いだ。やめろ、なにをする気だ？ そいつに手を出すな！
銀色の針が、少年の白く細い腕へと吸いこまれていく。
やめろ！
事切れて弛緩していたはずの少年の身体が、びくりと波打った。
声にならない叫びをあげるように喉をのけぞらせ、クラウドの身体は背骨が折れるほどに反り返る。
周囲の魔晄の光が、まるでこれから起こることを恐れるかのように明滅し、不安げに渦を巻く。
ザックスの絶叫を、それらが呑みこんだ。
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