Problem children

最後に残された問題児たち

自由と調和の理念を掲げる理事コスモス――
成績至上と進学率向上を掲げる理事カオス――

次元の彼方に存在する学園の二柱の理事は、数多(あまた)の世界から招いた教師たちを率いて熾烈な戦いを繰り広げていた。
コスモスとカオスの力は等しく、理事長選は果てしなく続くはずだったが――

＊＊＊

　神立ディシディア学園、それは数多(あまた)のＦＦ世界の境界線上にある。
　どこにあるのかわからないその校舎に、一歩足を踏み入れればそこは無限の幻想空間であった。
　亜空間で繋がった教室は十。古びて崩壊した神殿であろうと、迷路のようなギミック仕掛けの部屋であろうと、みな教室と言い張っている。柱が並ぶだけの殺風景なフロア、月面のような岩だらけのフィールド、宙に浮かぶ城やポッドが並ぶ暗い場所、ぷかぷか岩塊が浮かぶだけの足場もなくなる空間もあった。また、歯車だらけの装飾で中央の螺旋斜路を滑って遊べる城もあれば、クリスタルの光で満たされた荒野、灼熱の炎の上に浮かぶスタジアム。
　それらの教室――マップと呼ぶものもいるが――では生徒たちの勉強のためにやる気(ブレイブ)を増やしていく仕掛けなどもあるが、中には逆にブレイブが徐々に低くなる場所もある。この学園に棲みついている連中はひとり残らず癖のある者ばかりだが、教室ひとつひとつにも妙な癖があって、それぞれの個性を主張しているのだ。
　そしてそれは理事たちの部屋も同じである。混沌の果てと呼ばれるカオスの部屋ではブレイブは気まぐれに変化する。髑髏に似た不気味なレリーフの施された巨大な玉座がひとつ設置されただけのその部屋は、しかし、生徒たちがいまだ足を踏み入れたことのない空間にあった。カオスはとにかく謎の存在なのだ。
　それに対してコスモスの部屋は秩序の聖域と呼ばれ、ほかのマップに比べれば安心して遊んでいられる場所だっただろう。女神理事の転寝(うたたね)の邪魔さえしなければ、お茶を淹れるのも自由、縄跳びをするのも自由という、開放された部屋でもあった。
　そしてそこは明るく光が溢れ、十人の生徒が飛んだり跳ねたり、バトルをしたりしても充分に広く、相手のやる気を根こそぎ奪えばやる気(ブレイブ)が倍になるという、女神の優しさに満ちていた……はずだった。
　ところがその日、異変が起こった。
　ＷＯＬは薬缶にほうじ茶を入れながら、ふとにわかに暗雲が広がった天井を振り仰いだ。
　天井――といっても、そこは無限の空を映した天蓋だった。実際には上限はあるが、単独でそこまで飛びあがれる者は連続空中ジャンプのできるジタンぐらいだろう。でなければクラウドに吹き飛ばしてもらうかだ。むろん、ダメージは覚悟して。
　ともあれ、光に満ち、優しいフォースに覆われていたはずのこのマップが突如として暗くなり、足もとが不安な小波(さざなみ)を起こす浅い水面へと変わったことには、ＷＯＬもさすがに動じずにはいられなかった。
　この神聖なる秩序の聖域、理事の特別室が、なにか別のものに変えられようとしているのか？
　中央にあったはずのコスモスの居眠り専用の白いフリルクッションがどうなったかと、彼は思わず振り返った。
　そこには白い少女趣味のクッションの代わりに、なんの変哲もない卓袱台がひとつ。
　そしていま、白く輝く光がその上に現われ、それは徐々に清楚な女神の形を作りあげた。
　コスモスは白い薄布をまとった衣装で卓袱台の上にぐったりと両手をついて項垂れている。普段は寝癖で奔放に泳いでいる髪も、心なしか垂れ下がっているようにも見えた。おそらく、たぶん気のせいだろう。
「コスモス!?」ＷＯＬは薬缶を持ったまま彼女のもとに駆け寄った。
　彼女はまとう薄布をたぐり寄せ、それで涙を拭うような仕種でますます項垂れる。「わたしは理事長選挙に敗れたのです。学園を守れなかった……」
「コスモス……」ＷＯＬは彼女の前にひざまずき、うっかり薬缶をさし出すように手をあげた。が、すぐにそれをおろしながら女神の顔を観察するように見つめる。
　沈痛な面持ちでコスモスは重く繰り返し告げた。「わたしはカオスに敗れました。成績至上主義を掲げる理事カオス。荒れ狂うその理念は生徒の自由意思を引き裂き、わたしは味方の教師をほとんど失いました」
　なるほど、それでこの秩序の聖域がいきなり貧乏臭くなってしまったのだな。
　ＷＯＬは納得した。この部屋はカオスの混沌の果てと同じで彼女の力の象徴だった。理事会でのその権力をことごとくカオスに奪われたというのならば、学園に残っている彼女の力はわずかなものだ。
　コスモスはゆっくりと卓袱台の上に立ちあがった。そして目を閉じ、力を振り絞って、彼女が特に面倒を見ていた生徒たちに立体映像を送りはじめた。
　彼女の優しげな面立ちは、しかし、その白い儚げな様子の中にも凛とした決意が滲み、ゆっくりと細い両手を広げるさまは高貴な美しさに満ちていて、さすがに女神だと思わせる。
「――すべては成績至上主義のもとに学園は沈みかけています。成績の悪い者、素行に問題のある者から退学宣告を受けることになるでしょう。あなたたち十人は、この学校に残されたわたしの最後の問題児。だから単位を手に入れてください。誰も文句の言えない成績、オールＡを。Ａ評価は絶望に立ち向かう力。十のＡがそろえば、あなたがた問題児を救う希望が生まれる。しかし、オールＡの道は険しく、辿りつく方法もみな異なります。自分の学力を信じて進むしかないのです。行き先の見えない、ひとりひとりの進路を」
　その女神の姿を、校内の各所で彼女に選ばれた生徒たちが見つめていた。
　そのうちの月の渓谷と呼ばれる図書室でスコールが面倒げに顔をあげた。「問題ない。俺はもともと、ひとりで勉強している」
　また、闇の世界と呼ばれる生物学教室でジタンがにやりと生彩の富んだ笑みを見せた。「楽に成績があがったら、オレだって適当に遊びまくるさ」
　その隣で青大将をロッドに巻きつけて遊んでいたバッツが、まじめな顔で級友を諭すように目を向けた。「遊びじゃないんだぞ。適当なんて、ふざける余裕はないんだからな」
　ジタンは不気味そうな目で彼を見返した。この級友こそ毎日はしゃいで飛びまわって、みんなをひっかきまわしているくせにと。
　バッツはしかし、すぐに、にやりと口もとを緩めた。「本気で楽しむんだ」
　ああ、やっぱりこいつだよと、ジタンは思わずつられて笑いながら頷いた。
「あっ」とバッツが標本箱の上で遊んでいた羽毛のかたまりを振り返る。「ボコ、それはカエルだぞ。食うつもりか？」
　その動く羽毛のかたまり――ボコは小さな手乗りチョコボだった。以前はバッツを背中に乗せて冒険の旅をともにした相棒であったが、いまは単なるペットと化して、それでも常にバッツとともにうろうろしている。
　ボコはカエルと聞いてふるふると首を振り、慌てて解剖台の上から床へと飛び移った。
　さていっぽう、星の体内と呼ばれる天文教室では、望遠鏡を覗いていたオニオンナイトと呼ばれる少年が身を起こした。「なにかあったのかな」
　振り返れば、すぐそばにティナがぼんやりと立っている。
　彼女はいつものとおり夢見がちな目をして、この教室の無限とも思える碧(あお)い空間を眺めているようだったが、胸前で合わせた手の指がほんのわずか緊張の震えを走らせたようにオニオンナイトには見えた。
「元気出してよ。ぼくがついてる」と極力明るい声で言い、自信ありげに自分の胸を叩いてみせた。「テストのとき、不安になったらぼくの解答を信じればいいよ」
　ティナはしばらくの間(ま)をおいてからオニオンに向きなおり、かすかにゆっくりと頷いた。「……頼りにしてる」
　本当に頼りにしていいのかどうか、おそらく彼女は全然考えないで返事をしたに違いない。
　そしてクリスタルワールドと呼ばれる芸術教室――そこでは四人の生徒が遊んでいた。カオスの胸像に油性マジックで落書きをしているうちに、白い石膏像はすっかり黒と青、そして黄色に塗りたくられ、セシルは、「兄さんみたいだ」とちょっと機嫌がよかった。もちろんそれは彼の兄ゴルベーザとは似ても似つかないものだ。どちらかといえば歴史教師のガーランドのほうに似ているとティーダもフリオニールも思ったのだが、しかし、なにも反論はしないでおいた。
　セシルはその気分のよさのまま、コスモスの話を聞いて、うんと黒いマスク頭を頷かせる。「卒業への道はひとりひとり違うかもしれない。でも、僕たちには留年仲間がいる！」
　石膏像にマントを着せながらフリオニールも力強く頷いた。「ともに赤点を取れば恐れるものなどない！」
　その彼らから少し離れたところ置いてあるグランドピアノのほうから、ふ、と軽く鼻を鳴らしたチョコボ頭がいた。クラウドは一本指でメインテーマ（らしきもの）を弾いていた手を止め、軽く首を振った。「甘いな。カオスが率いる混沌の教師陣。やつらは俺たちを集中的に狙うはずだ」
　そしてゆっくりと立ちあがると、彼は物騒な大剣をぐるんと振りまわした。「降りかかる補習は潰す！」
　その剣をよけてティーダが身軽に胸像の上に跳び乗った。「教師が手ごわいほうが気合入るっすよ」
「あっ、兄さんの上に乗らないでくれ」とセシルが年少の同級生を引きずりおろしにかかり、まあまあと宥めるフリオニール。興味ないねとばかりに再びピアノに向きなおり、「ド、レ、ミ、シ……ラ？」と口ずさみながら、また一本指奏法を始めるクラウド。
　なぜこの四人の仲がいいのかは誰にも説明できないことだった。
「ありがとう」と言ってコスモスはイメージを送るのをやめ、またうずくまるように卓袱台の上に倒れこんだ。「すっごく不安……」
　ＷＯＬ――ウォーリア・オブ・ライトはひざまずいたまま、まっすぐに彼女の儚げな美しい顔を見つめた。「コスモス、あなたの不安は常に我らとともにある」
「不安はともにしなくていいのよ、ライト」コスモスは溜息をついた。「わたしのこの部屋、秩序の聖域も、ついに用務員室と成り果ててしまいました。わずかに残っているわたしの私物。混沌に乗っ取られかけている学園。みなが卒業できるまで、わたしが支えないと……」
　ＷＯＬは黙って彼女の言葉を聞いている。
　コスモスはその彼に疲れた目を向けた。「ごめんなさい。いっしょにいて、ちゃんと指導してあげたいのに……」
　ＷＯＬは誓いを立てるような真摯な表情で薬缶を持った手を胸に当てる。「私は問題ありません、コスモス」
「あなたがいちばん問題なんです！」コスモスはいままで乗っていた卓袱台をあっというまにひっくり返した。「ほかの問題児は、注意すればそのときくらいはちゃんと聞く耳を持ってくれます。三歩あるけば忘れる鳥頭ばかりだとしても！　でも、あなたは、あなたは……まっすぐすぎるの！」
「……オールＡは決意の先に輝くもの」
「努力の先に輝くものです」
「私は、この決意を貫く覚悟で――」
「だから、そこまでまっすぐ、とっとと進まないでと言っているのです。ちょっとだけでもいいから立ち止まって思考を戻し、復習することを覚えてください」
「我々は進むだけです。後戻りなど断じて」
　コスモスはますます疲れた目でＷＯＬを見つめ、やがて卓袱台をもとに戻してその上にしゃがみこみ、そのまま動かなくなった。
　もう、なんのお小言もないと見て取ったＷＯＬは、ゆっくりと立ちあがり、マントをばさりと撥ねあげると、用務員室の出口――ゲートクリスタルのほうへと歩き出した。
　いまだ薬缶を持ったままであることに彼は気づいていなかった。