Problem children

職員会議１

　ディシディア学園に職員室はない。
　カオスの教師陣はまさに混沌たるメンバーで、協調性もなければ計画性もない者がほとんどだ。全員で協力して年間学習計画を組もうなどと考える者がいるはずもなかった。
　しかし、いま、理事長選でのカオス勝利を受けて、政治経済の皇帝がひとつのプランを打ち立てたのである。
　すなわち、コスモスを完全に消滅させ、この学園をカオスの手に掌握させること。
　コスモスはさすがにこの学園の支配を担ってきた女神だった。ほとんど味方を失い、理事会では無力となったいまでも問題児のためにしっかり残留している。守るべき生徒たちがいる限り、彼女はそのまま学園の片隅ででも存在しつづけるだろう。
　それでは少々困るのだ。
　彼女の理念は、自由、自立、実践。どこかの世界の傭兵学校の理念そのものだが、皇帝にとって《自立》を含むそれは忌々しいにもほどがある。愚民は支配者のために生きて働くべきものなのだ。虫けらのごとき力弱き連中が、自由だの独立だの、革命を促がすような思想を生徒たちに植えつけてなんとする。
　虫けらは混沌の世界の中で、私の手のひらの上で操られていればいいのだ。
　皇帝は教鞭代わりの杖をかざし、過去のカオス神殿と呼ばれるその部屋の石床をひと打ちした。
　階(きざはし)に腰かけていたジェクトがちらりと視線を向けただけで、教師たちにはあまり反応がない。
　皇帝は変わらず尊大な態度で彼らを見まわした。いずれこの連中も、私の駒として消えゆく運命になることだろう。そう考えながら。
　彼の横で魔女アルティミシアがおもむろに進み出た。「時が来ればすべて実る」彼女は宣言するようにいうと、右手をゆっくりとまわして教師たちを指し示すようにした。「究極の学園――わたくしたちの意のままに」
　もともとこの教室のあるじである歴史のガーランドがむっつりと佇み、その横では生物学の暗闇の雲がマントの中で飼っている二匹の黄色い蛇頭をお手玉していた。芸術のクジャは『きみの小鳥になりたい』のシナリオに目を落としては台詞を書き換える作業を続け、哲学教師のエクスデスは気配さえ無にして聳えている。そのまわりをぴょんぴょんと動きまわっているのは数学のケフカだ。
　政治経済の皇帝は、古びた玉座の前に立って再び金色の教鞭をおもむろに掲げた。「そして完全なる問題児追放――テストのレベルあげを行ない、補習のマイナス点数を重ね、あやつらを追いつめ、みずから退学という絶望を掴むように仕向けるのだ。そう、我々の計画は完璧だ。掴めぬものがあるとすれば理事長の気まぐれくらいか」
　理事長――カオスはまさに、その名のとおり混沌の存在だった。コスモスに対抗する理念など本当はありはしない。本来なら、すべてをありのままに放置するのがカオスというものだった。コスモスはそれを整理して秩序をこの学園にもたらすべきもの。
　それが、いつから逆転したものか。
　コスモスは生徒を放任主義のもとにのびのびと育てようと言い出し、カオスはこの世界の法則によってそれに反発する。
　いずれにしても、この二柱の神は皇帝にとって目障りな存在だった。
　あの十人の問題児さえいなければ、ほかの生徒たちは教師の意のまま。もちろん、ほかの生徒といえばイミテーションであり、もともと彼らが作りあげたものであるのだから当然だ。
　皇帝は含み笑いを抑え、残りの教師たちを見まわした。そこそこ頭もまわり、そのくせ、なにを考えているのかわからない不気味な存在がこの約三名の教師たちだ。だが、体育のジェクトは息子と遊ぶことに夢中、地学のセフィロスは一生徒ばかり追いかけている。文学のゴルベーザは極度のブラコン。ならば、へたに突つくよりも放っておくべきだろう。
　皇帝は抑えきれなくなった笑声をついに洩らした。
　この私が学園を支配する日も近い。
　都合のいい甘い夢を見ながら皇帝は高らかに笑いつづけたのだった。

＊＊＊

　職員会議は皇帝の意味のわからない野望の概要を無理やり聞かされただけのものだったが、ガーランドは解散したのち、混沌の果てと呼ばれるカオスの理事長室へ向かった。
　どろどろと暗雲が立ちこめ、厚い雲間に稲光が走る空、終末の倦怠感ばっちりといった空気と原初の炎をあちこちから噴出させる大地。たったひとつ盛りあがったピラミッドのような玉段は、長い階段をのぼってやっと辿りつける高さであり、その平らな頂点に、やはりひとつだけの巨大な玉座。
　そこに気だるげに背をもたせかけた四つ腕の巨人。それがカオスである。
　ガーランドはその巨大な神の前まで進み出ると、騎士の礼を取るために膝を折って身を屈めた。
「我は混沌の神――」空から背中に直接落ちてくるような低く響く声。
　ガーランドは緊張して、ついた膝先の床を見つめた。
「この学校の覇者となるべき存在……そうだな？」
　その確認するかのような声に、ガーランドは少なからず驚いた。これまでこの学園の覇権を争ってただ力をまき散らしていただけの存在が、理事長の椅子を手に入れた途端になにを弱気になっているのか。
　ガーランドは顔をあげ、混沌の神の顔色を窺った。だが、巨神の顔色はいつもどおり黒い。
　彼は仕方なく頷いた。「コスモスを斃し、学校教育に混沌をもたらす……それが我々に課せられた責務です」
　カオスは四本の腕のうち、二本を使って顔をこするように動かした。「理事長選で失われた財力が癒えれば支配などすぐに終わる。勝利に必要な駒がそろうのは時間の問題だ。しかし……なにかが……気にかかるのだ」
　そしてカオスは腕をおろし、玉座の上で姿勢を正して、ついでに胡坐をかいた。「ガーランド、おまえの言葉……信じるに値するのだろうな？」と四本の腕で器用に腕組みしながら上体を乗り出してくる。
　ガーランドは、その腕のそれぞれがどこでどう組まれているのか観察しながら頷いた。「もちろんです、カオス」
　おそらくカオスもコスモスも、この学校で起きていることはすべて《感じる》のだろう。それが神というものだ。
　だから変革が起きつつあるこの不安はカオスの不安ともなる。すべてのことを知っていながら、なにが起きているのか判断のできないのが混沌の神。コスモスと違い、それに対してなんらかの行動をすることはない。
　理事長の椅子を手に入れたのも教師たちのスパルタ教育のおかげ。あの十人の問題児を除いてすべての生徒は、膨大なカリキュラムと難問だらけの抜き打ちテストに精神まで揉みくちゃにされ、無個性なイミテーションと成り果てたのだ。
　それに対してコスモスは、十人の問題児たちを確保する動きに転じた。
　理事長の椅子をあっさり諦めてでも、いったいあの十人になにがあるというのか。
　コスモスの目的がわからない。カオスはもともと思考が混沌としているから、その目的がわからずとも、それはそれでまあいいかと諦められる。しかし、女神は……。
　カオスの不安は、もしかしたらガーランドのそれを写し取ったものではないのだろうか。
　目を閉じ、胡坐をかいたまま、うとうとしはじめた巨神に背を向け、ガーランドは混沌の果てをあとにした。