The Whole World

３

　身体のどこも悪くないのに頭が痛いということは、考えてもどうしようもないことを考えざるを得ない状況に晒されつづけるからだとアンジールは考える。
　いや、考えたらだめだ、余計に頭が痛くなる。だが……。
　眉間に皺を寄せたまま、こめかみをこすりながら目をあければ、両手を合わせ、引きつり笑いをしている、でかい小犬が一匹。先刻からずっと、おれのせいじゃないんだと、きゃんきゃんやかましい。
　誰か、こいつをどうにかしてくれ！
「だって、急に飛び出してきたんだって。おれだってそりゃ、運転技術には自信があるんだぜ？　クラウドとふたりでツーリング、何百キロやったと思う。けど、車輌専用道路だろ、ここ。つまりハイウェイだ。人が飛び出してくるなんてチョコボだって考えつかねえよ！　てか、チョコボなら絶対轢いてるって。おれだから避けられたんだぜ」
「常に時速百四十キロで走るクラウドを引きあいに出すな！」アンジールはザックスの頭に真上から拳骨を落とした。「だいたいおまえは、二輪しか転がせないくせに、なんで輸送トラックの運転をしていたんだ？」
　全車輌通行禁止と封鎖したこのハイウェイ、アンジールの前には見事に横倒しになってあちこちへこんだ輸送トラックと見事にひしゃげた街灯。少し離れたところに輸送隊の一般兵たちが立ち往生し、幾人かは担架に載せた小柄な被害者をかこんで応急手当てをしているらしいところ。
　火災が起こらなかっただけましとはいえ……一般市民に重傷者と出したとなると神羅も体裁の悪いことになるだろう。まあ、それはともかく……問題は、それだけの事故を引き起こしたというのに、この小犬の反省のなさといったら！
　ザックスは青い目を左右に動かしたあと、軽く肩を竦めた。「そりゃ……暇だったからに決まってる」
　アンジールは背中からバスターソードを引き抜き、その平をひたいに当てて瞑目した。
　ザックスがそれを見て首を傾げる。「またおまじないか？　たまには使ってみたらいいのに」
「いま使おうと思ったところだ」
　ずんと一歩踏みこみ、アンジールは巨大な剣を横へと薙いだ。
　ザックスはのけぞり、そのままでんぐり返って後ろへとよける。アンジールは再び踏みこみ、ハリネズミ頭に向けて切っ先を突きこんだ。だが、やはりザックスは横へと転がってかわしてくれるものだ。
「避けるな！」とアンジールはもうひと振り、巨大な刃を教え子に突き出した。
「当たったら痛いだろ！」とザックスはさらに後ろへと跳び退がる。
「じゃあ、轢かれろ」
　我ながら、どす黒い声音になったとは思うが、その言葉と同時にザックスは本当に轢かれた。
　ザックスの背後から、化物級の大型バイク、デイトナが突進してきていたのだ。運転していたのはもちろんチョコボ頭のクラウド。どんと思いきり前方にハリネズミ頭を突き飛ばしたと思うと、そのまま追いかけるようにして、うつ伏せに倒れたザックスの背中に前輪を載せ、クラウドはデイトナを停めた。
　器用に左足を後ろに蹴ってスタンドをおろし、しっかりエンジンを切ってから、クラウドはちらりと車体の下を覗きこんだ。「ザックス、急に飛び出すと危ないぞ」
「俺の上からタイヤをどけてから言えよ、そういうことは！」
　ふむ、やはりくたばらなかったか。アンジールは腕組みして舌打ちをこらえた。
　クラウドはデイトナを移動させるそぶりも見せず、シートに坐ったままアンジールにその青い目を向けてきた。「セシルたちがじきに来る」
「ああ」ハイウェイの先を振り返れば、細長い街灯を斜めに積んだ修理課のトラックが走ってくるのが見えた。ゴールドソーサーのテーマをスピーカーから流しているのは緊急サイレン代わりだ。緊急ランプの代わりは荷台でティナが振りまわしている修理課の旗。
　アンジールはクラウドに目を戻した。「ところで」と彼の背中のほうを指し示す。「後ろで半分気絶しているのはなんだ？」
　デイトナの後部座席で――もちろんタンデムシートなどないから、クッションの端っこに落っこちそうな姿勢で腰をひっかけ、両手はしっかりとクラウドの胴体にまわしたまま、濃い茶髪の青年がぐったりとしていたのだ。
　クラウドは肩越しに彼を確認してから、記憶を掘り起こすように首を傾げた。「ああ……台風だかなんだかいうらしい」
　そこで後ろの青年がのろのろと頭をもたげる。「俺の名はスコールだ。そこまで、でかい天気じゃない」
「ようするに、俺の隣のデスクにいるやつだ」とクラウド。
「ああ、タークスか」アンジールは頷いた。
　そのスコールとかいう青年は不気味そうな目をしてわずかに顔をしかめたが、しかし、なにも言わなかった。
　そのあいだにクラウドがバイクを降り――ついでにザックスの頭を踏みつけたらしく、足もとからカエルの断末魔のような声が聞こえた――、アンジールと並んで同僚たちが到着するのを待つ。
　アンジールは元ソルジャーのチョコボ頭を見おろした。「そろそろ、また潜ってみないか」
「ＳＮＤはごめんだ」むっつりと言ってから、クラウドはじろりとアンジールを見あげてくる。「だいたいなんで、あいつを連れ戻したがる。ネットの海で自称神をやってるほうが遥かに平和じゃないか」
「あの英雄を、そこまで邪険にできるのはおまえぐらいだ」
「邪険にしたくもなる」とクラウドはなにかに耐えるように目を閉じた。
「まあ、そう言うな」アンジールはぽんぽんと気さくに後輩の肩を叩いた。「最近、ジェネシスがバカリンゴのタルトをマスターしてな。ぜひ英雄に食わせたいというのだ。食いもののクラスター化に成功したら届けてくれ」
「……運び屋にでも転職するか」
　そうしてふたりでぼそぼそ挨拶を交わすうちに、神羅カンパニー総務部修理課の面々がそこに到着した。
　ちなみにデイトナの下敷きになったまま放置されていたザックスは、親切なタークスの青年に救出されてなんとか起きあがることができたようだった。

＊＊＊

　タイヤの跡もくっきりとついたソルジャー・ザックスの背中をはたいてやりながら、スコールはあらためてソルジャーの頑丈さというものに感心していた。
　あの大型バイクに轢かれ、どっかり乗りあげられたにもかかわらず、「あー、重かった」ぐらいにしか感じていない鈍さ。ちなみに、彼の着ているソルジャーの制服はどう見ても普通の繊維だ。ハイネックのニットシャツに伸縮性のあるデニムパンツらしきもので、動きやすそうではあるが防御にはあまり役に立たないだろうと思われる。もしかしたら神羅カンパニーの開発した超軽量防護服なのかもしれないけどな。
「……大丈夫か？」とスコールはいちおうの声をかけてやった。
　タイヤに踏みにじられてちょっと折れ曲がったような髪の毛をつんつんひっぱりながら、ザックスという男はなんということもないように肩を竦める。「チョコボに轢かれるのは、いまに始まったことじゃねえし」
　そのとき、スコールとザックスのあいだを爽やかな少女の声がぶっちぎっていった。
「はい、メルトン行きます！」
「は？」
　振り返れば、修理課の紅一点、ティナが高々と右手をあげて、どこかうきうきしたように軽く飛び跳ねている。
　その彼女の前にはジグザグに折れ曲がった街灯が首をアスファルトの地面に垂れて力尽きていた。むろん、電気は点いていない。
　その少し離れたところでは、セシルとフリオニールが邪魔になりそうな車輌を素手で押して隔離しているらしい。
　というか……そういう車輌移動があるならレッカーぐらい持ってこないか、普通？
　ジープを押しこんで、ついでにその後ろにあったトラックを、がこん、ごとん、と五メートルぐらい移動させると、そのさらに後ろのストレッチャーを連鎖的にひっくり返したらしい。青いビニールシートが広がり、担架に乗せられていたはずの人物がころんと転がったようだった。
　そのことには気づかず、セシルは、「よし」と言ってにこやかに手を振る。「こっちはいいよ」
「シールド準備、ＯＫ」と反対側でオニオンナイトも手をあげる。その手には杖が握られており、そこからぱっと、かすかな魔法の光が広がった。その光はそれほど強烈なものではなかったが、現場にいる人間たちのほとんどを覆うように拡がっていき、やがて霧のように周囲に降りそそいだと思うと、きらきらと儚く消えていく。
　そしてティナがまるで祈るように胸前で手を合わせ、わずかに背中を丸めた。
「せぇ……の！」
　その掛け声と同時に彼女の両手が前に突き出され、そして生まれる巨大なエネルギーのかたまり。
　それはマグマのような半液状のようなものにも見え、そして膨張していく球体の内側でぐるぐると渦を巻き――
　どぉおぉぉぉん！
　と折れ曲がっていた街灯を根もとから一瞬にして蒸発させた。
　勢いの余った火の玉はそのまま、ぐうんと二次曲線を描いてミッドガルの曇り空の彼方へと昇っていく。
　それまでアスファルトに上には金属やガラスのガラクタ類が散乱していたものだが、メルトンが通ったあとにはなにも残っていなかった。
　スコールが声もなく茫然としていれば、ややあって上空で花火のようにぽんと拡散していく魔法の残滓。周囲のアンジールの部下たちも、「おー……」と声をそろえて、ぽかんと口をあけた。
　だが、修理課の仕事はまだ終わっていない。
「一六三四、撤去終了」とフリオニールが懐から取り出したクロノメーターを確認しながら宣言する。
「じゃ、行くよ」セシルが長大な外套を肩の上に担ぎあげ、そのまま棒高跳びでもするかのように道路の端に突きこんだ。
　と思うと、オニオンナイトが軽やかに飛び出し――いつのまにか黒装束の忍者スタイルになっている――、目にも留まらぬ速さでロープつきのフックを次々投げはじめた。フックは街灯のあちこちにひっかかり、ロープは少年の動きに合わせてあっというまに絡みつき、テントを張るかのように四角錐を形成していく。
　それらロープの端を両手にそれぞれ巻き取り、クラウドとフリオニールがぴんと引っ張った。結果、街灯はまっすぐに支えられたものだ。
　そうしてふたりが引っ張りあう街灯のその根もとからセシルが軽やかに駆け出した。鉄柱をまっすぐ上に向かって普通に走っている。
　そして、「破邪の光よ！」と叫んだかと思うと、巨大ハンマーで、ずこーんと街灯をハイウェイの外郭骨に打ちこんだのである。
　……どこからそのハンマーが出てきたのかとか、あの技の名前はなにか意味があるのかとか、突っこんじゃいけないことなんだろうなとスコールはどこか諦めに似た思いで考えた。そしてたぶん、この道路を支える鉄骨の何本かがこの衝撃でちょっとボルトが緩んだかもしれないなんてことも、口にすべきことではないのかもしれない。
「一六四二、設置完了」と、やはりフリオニールがクロノメーターを確認する。
　ティナが満足そうに手を叩いた。「あとはネコさんたちのお仕事ね」
「ネコ？」
　思わずスコールが疑問を口にすると、デイトナのほうに戻りかけていたクラウドがいちおう目を向けてきた。「都市開発部門のお使いロボットだ」
　スコールはぴょこぴょこ揺れるチョコボ頭をぼんやりと眺めた。「猫のロボット？」
　クラウドが頷けばチョコボ頭がまた揺れる。「事故の影響がほかの機構に拡がっていないか、この修理の衝撃で別のところが壊れていないか点検するんだ」
「ああ……」いちおう、そのあたりのアフターケアはするのか。だが、なぜネコロボット？
「都市開発部門の担当になるから、修理課の仕事はこれで終わり」
「あのリーブのおっさん、壊すな壊すなってうるさいよな」とザックスが、がりがりと頭をかきながら呟いた。
　そのザックスを、横合いから強烈な蹴りが道路のむこうまですっ飛ばしたものだ。「おまえは壊しすぎだ。少しは反省しろ」
　蹴りこんだ足をもとに戻してから、アンジールがクラウドとスコールに向きなおってくる。「さすがに仕事が早いな」
　……俺は見ていただけだけどな。まあ、配属されて初日ではそれが普通だろう。
「あのトラックも撤去対象か？」とクラウドが親指を立て、面倒臭そうに壊れた大型車輌を示した。
　たぶん、それは街灯にぶつかったというトラックに違いない。道路を塞ぐような形で横になっており、その左前面は斜めに潰れていた。
　アンジールはそれを確認してから厳かに首を振る。「いや、ザックスに担がせて本社に持ち帰るからいい」
　どうでもいいが、あのザックスというやつはどうして、ここまでさんざんな扱いをされるんだろう。
　そこはかとなく同情をおぼえたスコールだが、「ところで、もうひとつ仕事を頼まれてくれ」というアンジールの声に、ハリネズミ頭のソルジャーへの関心は薄れた。
　アンジールはクラウドを手招きし、スコールもなんとなく彼らについていく。そこへ関係者のあいだをうろうろして作業終了のサインを集めてまわっていたオニオンナイトが通りかかり、「まだあるの？」といやそうに顔をしかめたものだ。
　アンジールは、ジープと小型トラックのあいだ、陰になった場所に転がっているものを指し示した。先刻、車輌移動のさいに突き飛ばされて転がった怪我人だ。
　それは細い身体つきを見れば、おそらく少年だろうと思われる。金の髪を後ろでひとつに括り、リボンタイとレースのついたシャツ青い短い上着に同色のズボン。そしてそのズボンの下から短い毛に包まれた尻尾が見えていた。
「人間？」
「サル？」
「ちびだな」
　スコール、オニオンナイト、クラウドの順に呟かれた感想だが、それが聞こえていたのかどうか、気絶しているはずの少年のその尻尾が一瞬、ぴくりと動いた。たぶん聞こえていたのだろう。ただ、誰の台詞に反応したのかはわからない。
「ザックスが轢いたらしいのだ」とアンジールは特に困った様子もなく言った。
「それで気絶か？」クラウドが眉を寄せ、スコールは大きくしかめつらをする。「普通は死ぬだろう、それ」
「ああ、すまん、正確には轢きそうになったということだ」と訂正してから、アンジールはあらためて尻尾つきの少年を示した。「見てのとおり五体満足。手も足も変な場所に転がっているわけじゃない。まあ、ザックスの暴走トラックにびっくりして、間抜けにもどこかで頭を打ったんだろう」
　俺は間抜けじゃねえと、尻尾がまた一瞬、ぴくりと動いたような気がした。
　……明らかに狸寝入りだよな。誰も気がつかないのか？
「それで？」とクラウドが無表情に訊ねる。
「引き取ってくれ」とアンジール。
　オニオンナイトがソルジャーを振り仰いだ。「僕たち、修理課といっても、さすがに人間は直せないですよ？」
「誰も直せとは言っていない」アンジールは溜息をついてから、ちょいちょいとクラウドをさし招く。
　チョコボ頭を揺らして、クラウドは無言のままアンジールとともに少し離れた場所へと歩いていった。
　そうしてしばらく耳と口もとを寄せあって、ごにょごにょ押し問答をしていたらしいふたりだが、やがてクラウドが身を離してじろりとアンジールを睨みあげる。「あんたがやったらどうなんだ」
「俺には小犬の世話という仕事がある」
「………」
「なになに？　おれのこと、なんか噂してた？」
　ひょいとアンジールとクラウドのあいだに顔を突っこんできた能天気ソルジャーを、クラウドとアンジールは同時に殴り飛ばした。そしてすぐ、アンジールは右手を、クラウドは左手をぶんぶんと振りながら痺れをやりすごしたものだ。ふたりのソルジャーの拳を潰すほど、本当にザックスという男は頑丈らしい。
　やがて左拳を右手で押さえながらクラウドが引き返してきた。「仕方がない」と呟くと、「フリオニール」と同僚を手招く。「俺とスコールはジープで怪我人を本社に送っていく」
　フリオニールは作業に使ったらしいワイヤーをぐるぐると巻きながら心得たように頷いた。「ああ、デイトナは俺が片づけておく。それより、怪我人が本当に失神しないように運転しろよ」
　それを聞いて、スコールは無意識に、「まったくだ」と大きく頷いていた。